2012年1月 3日 (火)

あけましておめでとうございます・・・

だいぶ更新が滞っていましたが、年も変わりましたので、ちょっと出てきました(^^;

 

えーと・・・それで、ちょっと、自分でもどうしてなのか理由はわからないんですが、最近、なぜかよく思い出すことがあります。

 

以前・・・たしか5~6年前くらいにNHKで放送されていた番組で「真剣10代しゃべり場」という番組がありました。

もしかすると、このブログでも1度書いたことがあったかもしれませんが、一人の高校生の女の子が、「もしかしたら自分は、自分でも気が付いていないところで人を傷つけているのではないか・・・そうだとしたら、怖くて仕方がない・・・だから自分は誰に対しても心を開けない」・・・というようなことを話題に出していた回があったんです。(・・・と書いていて、その記事のことを思い出しました。書いたことがありました(^^;)

 

その番組は、10代の人たち(たしか10名くらい)と、大人の人1名(この回では精神科医の香山リカさんが出演していました)で、一緒にそのことについて考えていく・・・というものでした。

 

それで、その回、その女の子の話を聞いていくと、彼女は過去にある人をものすごく傷つけてしまった体験があるということでした。ただ、彼女自身は決してそうしたくてしたのではなく、自分でも気づいていないところで自分が傷つく体験を重ねていて、その結果、相手を傷つけてしまった・・・という話でした。

 

たしか、そのことによって、相手の人は、自殺未遂だったか入院だったかをすることになってしまった・・・ということだった気がしますが、そんな体験があって、彼女は、「自分が誰かを傷つける」ということをものすごく恐れて、それで、誰に対しても安心して接することができなくなっていたんです。

 

そのあたりの話が出てきたあたりで、もう番組の放送時間は残りわずかになっていました。そこで香山リカさんが、

 

「結局、辛い体験と言うのは消すことはできないの。だから、できることというのは、その後で良い体験を重ねていくしかできないと考えられているの」

みたいなことを言ったように記憶しているんですが・・・その発言を聞きながら、正直、

 

「なんで、そんな、救いの無いような、身も蓋もないようなことを言うんだよー!!!」

 

・・・みたいなことを思っていた記憶があります(^^;

 

でも、なぜか、最近、そのこと・・・というか、香山リカさんが言った言葉を思い出す・・・というか、誰かと話している時に、香山さんが話したことを「そう言えばどこかで・・・ということを聞いたことがありますねー」みたいにして言っていることが多いかなぁ・・・という気がしたのでした。

 

考えてみると、「たぶん、大丈夫!!!」みたいに簡単に励ますのはウソっぽい感じがして、でも、何か前に進んでいくイメージを伝えたいときに・・・なんでしょうね?ギリギリの「祈り」みたいな気持ちでそんなふうに言ってしまっているような気がします。

 

・・・ということを、さっき、洗濯物を干しながら(笑)思いついたので、書いてみました。

 

今年もよろしくお願いします。

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2011年8月11日 (木)

Macintosh ClassicII 冷蔵庫

こんにちは。

 
突然ですが、だるまさんの形のMacに強い憧れを持っていた方は、まだまだたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。

かく言う自分もそうだったんですが、ぼく自身は一体型Macは一度も所持したことが無いまま、いつの間にかMacは進化しながら姿を変えていったのでした。

しかし、それでもなお、当時のMacに対する強い憧れや懐かしさを感じている方はたくさんいらっしゃるらしく、たしか1年ほど前、iPadが発売されて間もなくのころだったと思いますが、iPadを一体型Macのモニター代わりに内蔵して使ってみたという記事がネット上で話題になったことがありました。

 
ぼく自身もその記事を読み、自分も作ってみようと思ってジャンク品のMacを購入したりしたのですが、そのときには、そのままになっていたのでした。
 

しかし、それから1年。ふと思い立って、実行に移してみました。
 
 
工作の途中経過は省きますが、実際に内蔵させてみると、iPadの画面の大きさは、一体型Macのモニター部の大きさに合う(ちょっと周辺部分が隠れてしまいますが)ようです。


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また、Displaylinkというアプリを入れて、これまで使っていたvaioのサブモニタとして使うことにしました(^^)
 
 
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ちなみに、バイオの画面が1600×768、iPadの解像度が1024×768で縦の解像度が一緒なので、リモートデスクトップが2画面連続で使えることが判明(RDPの7.0から)。


さらに、Macの中にはiPadしか入っておらず、中がすかすかだったので、小型の保冷庫をいれてみました。

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こんな感じ。
 
 
Macを開いてお茶を取り出すとか、ちょっと変な感じですが。個人的には楽しいです(笑)

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2011年7月13日 (水)

「最近」楽しい理由

こんにちは。

二つ前の記事で「最近」楽しくなってきた・・・と書きましたが、その理由が何となくわかってきたので書くことにしました。

 

・・・と言っても、考えて見ればものすごーく当たり前な話なんですが、簡単に言うと、

「うれしいこと」の数・・・H(Happinessの頭文字)
「落ちこむこと」の数・・・D(Depressionの頭文字)

とすると、

H-D > 0

となったからだと思います。

ここで「うれしいこと」と言うのは、例えば、誰かとゆっくり話しができたとか、卒業生の人から今度遊びましょうというメールをもらったとか、生徒が職員室に遊びに来てくれたとか、予想外に授業がちゃんとできたとか(笑)・・・まあ、そんなことが重なったことが原因のような気がします。(ということは、ぼくにとっての「落ち込むこと」というのは、これらの裏返しを考えればよいことになりますね・・・誰かとゆっくり話ができない、卒業生からの音沙汰がない、生徒が遊んでくれない、授業がちゃんとできない・・・などなど)

 

 

さて、今、この記事を書いていてふと思ったんですが、「うれしいこと」の数が増えてきて、自分の気持ちが落ち着いてくる・・・というか、いろいろなことに対して安心できるようになってくると、それまで気にかけていなかったような小さな出来事の中にも「うれしいこと」を見つけられるようになってくる気がしました。

 

二つ前の記事でも書きましたが、休み時間とか放課後に、生徒とちょっとした会話をするだけでも、すごくうれしい気がしてくる・・・というあたりが、そのことです。

 

これは、逆のことも成り立っていて、嬉しくない・・・凹むことが続くと、いろいろなことに対して疑心暗鬼になって、それまで気にしなかったようなことまで心配になったり、猜疑心を持って人の行動を見てしまったり・・・ということがあるような気がします。

 

・・・このように考えてくると、前述の「うれしいこと」の数Hというのは、それまでのHの積み重ねがあるほど、より多くなっていくことになります。ということは、ある時刻tにおける(単位時間あたりの)うれしいことの数Hは、過去のある時刻からその時刻までのHとDの量の合計を変数に含むのが妥当だと考えると、

 

(1) H(t)=f{ ∫(H-D)dt }

 

・・・と考えたんですが、考えてみればHとDの量の合計が影響を及ぼすのはHだけではなくDにも影響を及ぼすはずですから、(H-D)を y であらわすことにして、(1)式は、

 

(2) y(t)=f( ∫ydt )

 

と書く方が適当だと考えられます。

 

その上で、もし、それまでの嬉しいことの量が多い( ∫ydt が大きい)ほど、いろいろなことに対して嬉しく感じるようになる( yが大きくなる)・・・ということが成り立つのであれば、一番単純な関係(比例関係)と仮定して、

 

(2’) y(t)=k ・ ∫ydt

 

と書くことができます(ここでkは比例定数)が、(2’)は高校の数Ⅲの範囲で解くことができて、

 

(3) y=C ・ e^(kt)

 

という解になります。k>1 のとき、yは指数関数的に増大する関数なので、C>0、すなわち嬉しいことのほうが多くなると、何から何まで嬉しくなっていき、逆に、C<0、すなわち嬉しくないことの方が多くなると、何から何まで嬉しくなくなっていく・・・ということが示されています。

 

さて、ここまでの議論は、あまりにも単純化しすぎたモデルであるため、一旦ハッピーになると際限なくハッピーになり、逆に、一度凹むとどこまでも落ち込んでしまう・・・ということになっていますが、実際にはそんなことはありませんね。

 

ハッピーだと思っていたのに突然凹むことがあったり、逆に、落ち込んでいたときにそこから抜け出せるような嬉しいことがあったり・・・

 

次回は、そのような外的事象を含めた考察をしてみたいと思います。

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2011年7月12日 (火)

表には出ていませんが

こんばんは。 たしか3年くらい前から、ココログはケータイでも見れるようになり、その後、いつからだったか忘れましたが、ケータイからのアクセスもログを取れるようになりました。

 

そうして今日、ケータイからのアクセスが、キリ番(2万アクセス)となりましたのでお知らせします(*^_^*)

Img_0321  

(ちなみにiPhoneなのにNTTdocomoなのはなぜかというツッコミは無しで(^^;)

 

 

さて、日頃から、読んでくださっているみなさま、どうもありがとうございます。これからも当ブログをよろしくお願いいたします(( _ _ ))

 

 

なお、キリ番をとった方には、後ほど豪華賞品(豪華学習用ノート等)を差し上げたいと思います(笑)

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2011年7月 9日 (土)

「実験」という名目のわがままか?

こんにちは。

 

さて・・・最近、なぜか、学校が楽しいです(^_^;

 

・・・というか授業は相変わらず緊張するんですが(笑)、生徒の人たちと絡んだり(=話したり)する時間が、なぜかほっとします。

 

今、現在、クラスの人たちと面談を実施したりしていますが、まあ、そういうときもそうなんですけれども、それ以外の休み時間とか放課後のちょっとした時間に、ちょっとした会話をするのも楽しいし、LHRのときに、生徒が教室の中でだらだらしているのを見ていると、ものすごーく幸せな気分になります(ほんとうは、現在クラスの人たちは、みんな進路選択で悩んでいるので、ぼくだけがほのぼのしているのは申し訳ない気もするんですが(^_^;)

 

この感じは、ちょうど、あったかーいお風呂に入っているときのような(夏場にこの表現を使うと、ありがたみが半減しそうですが・・・笑)そんな感じです。

 

以前、このブログに書いたことがあったかどうか覚えていないんですが、ぼくは教員としての毎日を、「生徒やほかの先生を対象とした実験」と思っているところがあります。

どういうことかというと、危険性の低いことで言うと、ある単元の授業をAという方法で説明したときとBという方法で説明したときと、どちらのほうが生徒が理解してくれるか・・・を2つのクラスで行ってデータを取る・・・とか。

 

もうちょっと危険性の高いレベルでは、問題行動スレスレの生徒に対して、その行動を注意する態度と、それ以外の行動に感心を示す態度のどちらの方が意味があるかを調べたり・・・とか。

 

本来、心理学などで実験を計画する場合は、実験群(操作を行ったグループ)と対照群(操作を行わないグループ)の2グループを作って、それらの間で比較を行う・・・ということをするんでしょうが、現実には同時期に2つのグループを設定することが難しかったりすることもあって、結果的には、「ともかく、いろいろやってみて、その結果を見る」ということになっている気がします。

その結果、ちょっと羽目をはずしすぎたこともありました(授業中に××したり・・・とか。まあ、それは過ぎたことなので良しとしましょう(^_^;)。

えーと、ともかく、そんなふうにしている中で、いつのまにか、生徒の人たちと接しているときが、ぼく自身にとって、一番、ムリをしないでいられる時間になってきて、そのために、楽しくなってきたのかな・・・?と思ったわけです。

・・・うーん・・・でも、それだと「最近」というところが、説明つかないかな?(^_^;

まぁ、楽しいんだから、いっかー(笑)

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2011年7月 2日 (土)

「意地悪」

最近、・・・もしかしたら、この人「意地悪」でやってるんじゃないの?

 

・・・と感じてしまうような場面に、何度か遭遇することがありました(^^;

 

一つは、ある人が自分の意見を通すために、相手を責めて(・・・というか、なじって、という方がピッタリくるかも)、最終的に、自分の意見を通すという場面がありました。・・・これは、ぼくの目から見ると、その人の意見を受け容れることになった人の方が、ずっと好感を持てる気がする一方、その一幕は、見ていて、決して気持ちよいものではありませんでした。

 

また、別な場面では、ある人が一つの作業をするのに、別な方が口を挟んで、その作業を複雑なものにしたり量を増やしたりして、作業をする人の負担を増やそうとしている(ように見えてしまう)ことがあったり・・・。これは・・・ぼくの目には、本当に「意地悪」をしているようにしか見えませんでした(^^; 

 

またまた別な場面ですが、これはぼくが当事者なんですけれども、まあ、いろいろな意味で、普段からご迷惑をおかけしてしまっている方がいらっしゃいまして、その方に何かを相談すると、(偶然かも知れませんが)大抵二つ返事で「だめ」とか「できません」と言われてしまうんですよね~(^^;

 

人から何かを相談されたとき、ぼく自身の場合、まあなるべくは、「何をどうしたいのか」ということをもう少し詳しく聞いて、その上で「自分の方で協力できる部分はないか」みたいなことを考えて、「○○はOKだけど、××はムリですね」とか答えようとしている気がしますが・・・(これは自分だけの思い込みなのかもしれませんが。笑)

 

さて・・・最初、この記事を書きはじめたところでは、結論として、

「意地悪なことをする人は、気持ちの余裕を失っていたり、気持ちのバランスを崩しているのではないか」

みたいなことを書こうとしていたんですが、こうして実際に書きだしてみると、気持ちの余裕がなかったり、バランスを崩したりすることというのは、いつでも誰にでも起こることなので、(自分も含めて)人に対して「意地悪さを一切出さない」とかいうことは、そもそもムリなのかもしれない・・・というような気がしてきました。

 

であれば、自分が意地悪をされたときにも、広い心で、大きな愛をもって、それを受けとめてあげられれば良いのかもしれませんが・・・

 

ですがまあ、実際に自分が意地悪をされてみると、やっぱり腹が立っちゃいますね(笑)

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2011年6月29日 (水)

本人は気づいていないだろうけど2

・・・卒業生の人から深夜のメール(^_^;)


何事かと思って見れば、ご飯を食べましょう!!!と言うメールでした(*^_^*)


思い返すと、その人がまだ学校に在学中、その人との関係は、あることがきっかけで、かーなーり、ギクシャクしていたような気がします。


にもかかわらず?そうだったからこそ?当時のぼくは、その人が平和に毎日を送れるようにすることに最も多くのエネルギーを費やして来たような気がします。



たぶん、その時の学年の人の中では、その人と話した時間が最も多かったし、その人の事で一番頭を悩ましたような気がします(笑)



以前にも同じようなタイトルで記事を書いたような気がするので、「2」としましたが・・・


今、読んでいる方にきちんと伝わるように・・・と考えて書いていないので、よくわからないと思いますが、結論としては、「スゴイ人は、けっこう身近に存在する。でも本人は、たいてい気づいていない」です(笑)

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2011年6月26日 (日)

これまでの時間を否定しないこと

例によって、神田橋條治の本を読んでいたところ、オウム真理教の出家者のお話が出ていました。

その方(出家者)が、何かのテレビの対談番組の中で、こんなお話をしていたのだそうです。

・・・自分は、人間はなぜ生まれてきて、なぜ死んでいくのか、人間が生きている意味はなんなのかということにずっと興味を持っていた・・・そして最近は、それを追求するプロセスの一過程としてオウムの出家者になったのだなぁと思うようになった。今の自分は、オウム真理教がやっていることがムチャクチャなことだということはわかったけれども、それが尊師の教えがむちゃくちゃなのか、それともそれを実行していく過程でむちゃくちゃになってしまったのかが納得できていないので、自分はまだ出家者をやめない・・・

・・・という話をしていたそうなのです。

神田橋は、この人は、自分のこれまでの人生がなんだったのかということを納得できるまで、「出家者」という立場をやめないという選択をするという決心によって、この人自身の中に「自分は主体的に生きている」という感覚が育っていき、それを通して自分自身を治癒させ、さまざまな体験を乗り越えてきているのだろう・・・と述べています。

 
 

ぼく自身の話になりますが、ぼく自身は、「学校の先生」という仕事をしている人たちに対して、あまり肯定的なイメージを持っていませんでした。

ですが、(なりゆきで、という部分もありますが)ともかく、その世界の中で生きてみて、その上で「やっぱり、自分とは合わない」のか、それともその中で生きてみると肯定的に捉えられるのか・・・ということを確認しようとして教員という仕事を続けていました。

(この辺が、上に書いたオウムの出家者の方と自分とで、どこか似ているような気がして、この記事を書き始めたんですけれども(^^;)

 

書いているうちに、ぼく自身の中に「主体的」に生きる・・・というか、自分の人生は自分で決めて生きていきたい・・・という強い気持ちがあるのかも・・・ということを、ふと思いました。

 

神田橋は、人間は高度な知能を持ってしまったがために、自己肯定感を持つには単純にほめてもらえば良い、とかいうことにはならず、面倒くさい・・・複雑な過程が必要なのではないか、ということを述べていました。

 

もう少しくだけた言い方で言うと、あえて、少し達成することが難しいような課題を設定して、それを達成してこそ、十分な自己肯定感が得られる・・・ということなのかな?という気がしました。

 

うーーん・・・今日は、かなり理屈っぽいですね(^^;

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2011年6月18日 (土)

教育実習終わりました。

昨日をもちまして、ぼくが勤務している高校での教育実習期間が終了となりました。実習生の先生方は、みんな疲れがにじみ出ているようでしたが、でも、それぞれに何か大切なものを手に入れることができたようでした。


うちのクラスに来ていた実習生の先生も、最後の最後のお別れ会で、生徒から手ひどい洗礼を受け(笑)でもそのおかげで本当の意味での仲間入りを果たすことができた・・・ようにぼくには見えました。

(ちなみに、ぼくは既に仲間だったハズなので、ぼくの方は洗礼を受ける必要が無かったような気がするんですが・・・(^_^; )


そうして放課後、実習生の先生方の研究授業の振り返りをして、教育実習の全課程は終了となりました。

その後、少し時間が余ったので、うちのクラスの実習生の彼と職員室で話をしていたんですが・・・その時、彼が語った話を聞いていて、彼が実習の中でどうしてこれほど大変だったのか、その理由の全貌が明らかになった・・・というか、とても納得できた気がしました。

その内容は別として、彼がその事を話せるようになった背景には、やはりクラスの人たちによる「洗礼」を受けたことの作用が大きい気がします。

つまり、その体験によって彼自身の自己肯定感が高まり(?)、話ができるようになったように思うわけです。


もし、クラスの人たちによる「洗礼」が無かったとしたら、彼にとっての教育実習は、大きな挫折感だけを残すものになっていたかもしれません。


そういう意味では、ギリギリ間に合った・・・という感じだったかもしれません(^_^;)


今回の一件を通して、ぼく自身、いろいろ学ぶこともあり、また、あらためて生徒によって支えられているということを感じました。


結論:やっぱり、生徒はスゴイ!!(笑)


さて、今日の記事は、みょーに「優等生」的な記事になっているような気がしますね。

たぶん、今、会議中なのに、隠れて記事を打っている罪悪感がそうさせたのでしょう(笑)

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2011年6月15日 (水)

さっき記事を書いたばかりですが・・・

もう、意味不明です(;_;)

 

いえ、凹んでいるということではなくて・・・記事を読んで元気づけてくれる人がいて・・・

 

やっぱ、アルコール脳なのが元凶なのでしょうか?(^^;

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