こんにちは。
二つ前の記事で「最近」楽しくなってきた・・・と書きましたが、その理由が何となくわかってきたので書くことにしました。
・・・と言っても、考えて見ればものすごーく当たり前な話なんですが、簡単に言うと、
「うれしいこと」の数・・・H(Happinessの頭文字)
「落ちこむこと」の数・・・D(Depressionの頭文字)
とすると、
H-D > 0
となったからだと思います。
ここで「うれしいこと」と言うのは、例えば、誰かとゆっくり話しができたとか、卒業生の人から今度遊びましょうというメールをもらったとか、生徒が職員室に遊びに来てくれたとか、予想外に授業がちゃんとできたとか(笑)・・・まあ、そんなことが重なったことが原因のような気がします。(ということは、ぼくにとっての「落ち込むこと」というのは、これらの裏返しを考えればよいことになりますね・・・誰かとゆっくり話ができない、卒業生からの音沙汰がない、生徒が遊んでくれない、授業がちゃんとできない・・・などなど)
さて、今、この記事を書いていてふと思ったんですが、「うれしいこと」の数が増えてきて、自分の気持ちが落ち着いてくる・・・というか、いろいろなことに対して安心できるようになってくると、それまで気にかけていなかったような小さな出来事の中にも「うれしいこと」を見つけられるようになってくる気がしました。
二つ前の記事でも書きましたが、休み時間とか放課後に、生徒とちょっとした会話をするだけでも、すごくうれしい気がしてくる・・・というあたりが、そのことです。
これは、逆のことも成り立っていて、嬉しくない・・・凹むことが続くと、いろいろなことに対して疑心暗鬼になって、それまで気にしなかったようなことまで心配になったり、猜疑心を持って人の行動を見てしまったり・・・ということがあるような気がします。
・・・このように考えてくると、前述の「うれしいこと」の数Hというのは、それまでのHの積み重ねがあるほど、より多くなっていくことになります。ということは、ある時刻tにおける(単位時間あたりの)うれしいことの数Hは、過去のある時刻からその時刻までのHとDの量の合計を変数に含むのが妥当だと考えると、
(1) H(t)=f{ ∫(H-D)dt }
・・・と考えたんですが、考えてみればHとDの量の合計が影響を及ぼすのはHだけではなくDにも影響を及ぼすはずですから、(H-D)を y であらわすことにして、(1)式は、
(2) y(t)=f( ∫ydt )
と書く方が適当だと考えられます。
その上で、もし、それまでの嬉しいことの量が多い( ∫ydt が大きい)ほど、いろいろなことに対して嬉しく感じるようになる( yが大きくなる)・・・ということが成り立つのであれば、一番単純な関係(比例関係)と仮定して、
(2’) y(t)=k ・ ∫ydt
と書くことができます(ここでkは比例定数)が、(2’)は高校の数Ⅲの範囲で解くことができて、
(3) y=C ・ e^(kt)
という解になります。k>1 のとき、yは指数関数的に増大する関数なので、C>0、すなわち嬉しいことのほうが多くなると、何から何まで嬉しくなっていき、逆に、C<0、すなわち嬉しくないことの方が多くなると、何から何まで嬉しくなくなっていく・・・ということが示されています。
さて、ここまでの議論は、あまりにも単純化しすぎたモデルであるため、一旦ハッピーになると際限なくハッピーになり、逆に、一度凹むとどこまでも落ち込んでしまう・・・ということになっていますが、実際にはそんなことはありませんね。
ハッピーだと思っていたのに突然凹むことがあったり、逆に、落ち込んでいたときにそこから抜け出せるような嬉しいことがあったり・・・
次回は、そのような外的事象を含めた考察をしてみたいと思います。
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