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2005年6月14日 (火)

「死ぬ」ための準備

昨日書いた、「なんだか悲しくなってきた」という記事は、自分の中の喪失感について書いた記事でもあるんですが、もう一つ、別な意味もあります。

自分にとっての大切な時間・・・フルートを吹ける(た)ことは、ぼくにとっては、まさに、自分が注ぎ込んできた時間の「形見」のようなものだった気がします。

そして、それが、形を変えるのではなく、ただ無くなっていくのを感じたとき、いいようのない気持ちになりました。

そんなことを感じていた当時は、実は、それ以外のことで、いろいろと興味を持って新しく始めようとしていることもありました。

その当時、何か・・・時間をかけてやっていけば、自分が新しく身につけられるものがある、より自分が豊かになれる、もっと高く昇っていける・・・そんなことを感じていたんです。

しかし、今から4~5年くらい前、すごく深い穴に落ちてしまったというか、トンネルに入り込んでしまったというか・・・もう、自分は生きていてもしかたがないんじゃないか、それ以上に、自分は生きていてはいけないんじゃないか・・・という気持ちから抜け出せなくなった時期がありました。・・・それは、うっすらと、未だに続いているんですが。

ただ、その大きな波が押し寄せてきた当時は、ただただ、怯えて、怖さを我慢して生活するしかなかったんですが、徐々に、これは、自分を「新しいものを身につけていく」存在だと思っていたところから、「少しずつ失っていく」存在であると、自分に対する意識を変動させるための、自分が通らなければならない試練なのではないか?と思うようになってきたんです。

自分の能力がどんどん狭まっていくのを感じ、そのことに一人怯えて生活していたときに、唯一、ホッとできる気がしたのは、自分と同じように、自分の衰えに対して怯えている方がそばにいてくれたときでした。

その方と一緒にいると、

・・・あぁ、自分も、まだ、いてもいいんだ・・・

と、少なくともそのときは、そう思えたんです。

その後、少しずつ、あきらめがつくようになり、少し、距離を取って考えられるようになってきて、どうも、これは、自分自身が少しずつ「死ぬ」準備を始めているということなんじゃないかな?と思ったんです。

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コメント

こんにちは
先の記事では、じつは死のにおいを感じていました。でも、その事は書かず(書けず)にいました。
カオナシさんの今回の記事を読んで、改めて激しく死を意識しました。「少しずつ失っていく存在である」と書かれましたが、やはり、そのことを強く感じています。今まで自分が生きてきた時間、そして今自分が生きている時間は決して戻らず、かけがえのないものであったということを考えると、その取り返しのつかなさに、不可逆であるということに、打ちのめされるような気がします。私にとって、私はいつか死んでしまう存在ではなく、今まさに私は緩慢にそして小さく死んで行っているのだと、思うのです。かけがえのない今という時間をしっかりと生きていきたいと思うのですが、決して自分で願ったようには今という時間をしっかりと生きていくことができません。
こんなことをずいぶんと昔から考えてきたのですが、ある時にパンドラの箱に入っていたものは時間だと確信しました。時間こそが変化の源であり、絶望をもたらすのです。そして、時間こそが変化の源であり、希望をもたらすのです。こう考えてみると、希望と絶望は、正反対のものではなく、“変化する”という同じ一つのものかもしれないとも思います。希望は絶望の中にこそあるものかもしれません。時間のない、変化のない世界は、絶望さえもないという恐ろしい、本当に何もない世界かもしれません。しかしこんな風に色々と考えてみても、私は、絶望こそが希望であるとは実感することができません。私は、全ての一瞬がかけがえのないものであるということのまえで立ちすくんでいます。

私は自分とともにある何かを激しく求めています。そしてそれは、私のすぐ身近にいるのです。しかし、取るに足らない些細な事柄に惑わされ、その人のそばにいて、時間をともにする、ともにいるということを失ってしまっています。激しく後悔するのですが、後悔する時間など、本当は持ち合わせていないはずです。

今回の記事の最後の方を読んで、カオナシさんがとてつもなく大きな存在に思えてきました。遙か彼方にあってそびえ立っている巨大な山嶺のように思えます。

なんだか、訳のわからないことを書き散らしてしまうような気がします。でもどうしても書かずにはいられない気分でもあります。

投稿: ichiro_h | 2005年6月14日 (火) 22:22

この記事と前の「なんだか・・・」の記事を
何度も読みました。
私はひとつのものに3年以上カオナシさんのように
夢中になったことは多分なかったと思います。
興味だけはいろいろ持つのですが
どれも中途半端。
でも、これを夢中になったものと捕らえるだけでなく
好きなもの、好きなことを失ったと考えると
自分の好きなものが何であったか忘れてしまったことに気づいたときの
私の喪失感に似ているのかもしれないと思いました。
カオナシさんから見ると
「それはちがうでしょう。」
と思われてもいいと思います。
多分そこまで夢中になるものができなかった私にとっては
好きなものを忘れると言うことが
それに匹敵するのではないだろうかと思ったのです。
今ある自分をどうやって認めていくか・・・
それを見つめなおすところから始め、
好きなものを少しずつ思い出してみようと思うけれど
でも、何か好きなものを思い出し、懐かしい気持ちは思い出せても
その時の好きな気持ちとはきっとどこかが違う。
そんな感じがしています。

投稿: ちこ | 2005年6月14日 (火) 22:59

ichiro_hさん、ちこさん、こんばんは。

お二人のコメントを読ませていただいて、返事を書こうと思っているんですが、なんだかうまくかけません(^^;

でも、二人が、記事を読んでくださって、率直に感じたことを・・・がんばって文字にしてくださっているということは、すごく伝わってきます。

・・・という、返事にならないような返事でスミマセン(^^;

投稿: カオナシ | 2005年6月15日 (水) 19:51

いえいえこちらこそ。
本当はコメントしようかどうかとても迷ったのです。
でも、とても心の奥でこみ上げてくるものがあって。
“少しずれててもいいや、自分の思い”でと思って
コメントしてしまいました。
心を言葉にするのは本当に難しいですね。

投稿: ちこ | 2005年6月15日 (水) 23:42

ちこさん、おはようございます。

えーーと、昨夜のぼくの返事が、ちょっと曖昧な書き方だったので、もしかして、不要な気を遣わせてしまっていないかと心配になってきたので、ちょっとだけ説明を・・・(^^;

昨夜のぼくの返事で、「返事がうまく書けません」と言っていたのは・・・何というか、最初の記事で、自分の中の限界まで行ってしまった感じがあって、それ以上の自分の中の探索をしてみたものの、うまく言葉にできない・・・という感じだったんです。

もしかしたら、ちこさんのコメントがずれていて、そのために、ぼくの方で「うまく書けない」ことになってしまっているのではないか?という誤解をしてしまわれているのでしたら、そうではありませんので、ご理解くださいませ(^^)

投稿: カオナシ | 2005年6月16日 (木) 07:30

「時間の形見」という言葉に、ふと思考が立ち止まりました。カオナシさんは、フルートをされているのですね。音は姿が見えないもの。フルートとギターユニットの演奏を聴いたことがありますが、透明感のある調べが印象に残っています。日々の忙しさに忘れていた感情や「希望」のようなものを感じました。形が見えなくても、聴いている者の心に残ることがあります。最近では、カネやモノよりも姿のないもの(音楽、時間、思い出など)のほうがかげがえのないものに感じます。
現在、神経性うつ病治療継続中ですが、5年ほど前にパニック障害の症状が出現したことがありました。おぼれそうな感覚で息ができにくくなったり、無意識な衝動でマンションから飛び出しそうになったり..何かにつながっていなくては、自分がどうにかなるのではと受話器を握りしめていました。
今は、新しい職場で、介護についての相談業務をしていますが、死際の人も「なにかとつながっていたい」という気持ちがわかるような気がします。年齢をとるごとに、コンニチワよりもサヨウナラの経験が増えてきました。経験としての喪失、漠然とした喪失感..人のなかに内在するものかと思います。
ショーペンハウエル曰く「花が美しいのは、散る瞬間まで咲こうという意志を持っているから」だと。花も人も星も、「死」の瞬間まで美しくと。とりとめもなく、コメント..失礼しました。

投稿: モカ | 2005年6月19日 (日) 05:41

モカさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

なるほど、喪失や喪失感が内在する・・・というようには考えたことがありませんでした。ぼくは、ただただ、目の前にあるそれらに、圧倒されていただけでしたので(^^;。。。なるほど。

また、気が向いたら書き込んでください(^^)/~~

投稿: カオナシ | 2005年6月19日 (日) 09:27

こんばんは。お元気ですか?

salaは
10月さんのそばにいて、時間をともにする、ともにいるということをしたいなぁ・・・
と想っています。

不可能? だよね~

もうすぐ夏休みですねぇ。
また、10月さんと会えるかなぁ?
出来れば7月中に・・・

待ってますね・・・  sala

投稿: | 2006年7月16日 (日) 00:02

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