« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »

2008年4月22日 (火)

先日の授業中・・・

こんばんは、10月です。

 

先日、1年生のあるクラスで授業をしていたときのことです。 

一人の生徒の携帯に着信(またはメール)があったらしく、とつぜん、着メロ(着うた?)が流れてしまったのです。

 

携帯を鳴らしてしまった子は、叱られると思ったのか、一瞬、どうして良いかわからないという表情になり、動きも固まってしまった・・・ようにぼくには見えました。

 

他の生徒も、事の成り行きを見守るように動きが止まり、空気がしんとする中、着メロだけが流れていました。

 

そうこうするうちにメロディーは止まったのですが、携帯を鳴らしてしまった子の表情は固まったまま。

 

 

ふと、思いついて、ぼくが、

「今の曲は、何ていう曲ですか?」

と聞いてみたところ・・・次の瞬間、教室はドッと笑いに包まれたのでした。


 

そのとき、笑っている生徒たちから、

・・・どうせ聞いてもわかるわけない!!

というような空気も感じられたので、

 

「いやー、実は、この前、うちのクラスの生徒からエグザイルのCDを借りたんですけどね~」

 

と言ってみたところ、生徒たちは、えーー!?という表情を浮かべ、そんな中、ひとりの生徒が、

 

「にあわなーい!!」

 

と叫んだのに合わせて、また教室は笑いに包まれたのでした。

 
 
 

それから、少し、そのぼくには似合わないCDの話をした後、

「あれ??なんでエグザイルのCDの話になったんだけ?」

と言ったところ、最初に携帯を鳴らした子が、おずおずと、

  

「私が携帯を鳴らしちゃって・・・」

 

と言ってくれ、それを機に?再び授業の話に戻りました。

 
 

さて・・・さっぱり、何のオチも無いんですが(^^;・・・ちょっと、楽しかった一幕なので、書いてみました(^^;

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年4月20日 (日)

ピリピリしている人

こんばんは、10月です。

 

身近に、すごくピリピリしている人がいます。

 

・・・というか、「ぼくに対して」ピリピリしている・・・という感じがします(^^;

うーーん・・・ちがうかな?「ピリピリ」というよりも、「イライラ」というほうが、より近いかもしれません(^^;


  

その人は、以前は、今とまったく逆で、ぼくのペースに対して、

「どうしてそこまで肯定的に考えてくれるの!??」

と、ぼく自身が感じてしまうくらい(笑)、ぼくのことを肯定してくれていた気がします。

 
 

「すべて肯定」から「すべて否定」に変わって行くまでには、いろいろなことがあった・・・ような気がしますが、イライラをぶつけられ続けるのは、なかなかしんどいものです(^^;

 

昨日の記事ではないですけれども、「イライラ」というような感情をぶつけられるのではなく、ぼくの直して欲しい部分を「否定」という形で示してくれると、ぼくの方ではもう少し受けとめやすいかな?・・・なんてことも思うんですけれども(^^;

 

そういえば、以前、その人から、ぼくの持っている「雰囲気」そのもの(フワフワしているところ)がダメ・・・みたいなことを言われたこともありました(^^;

 
 

こうなると、けっこう、もう、どうしようもない気がしますね・・・あきらめて、なるべくその人を刺激しないように生活するしかないんでしょうか・・・(^^;

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月19日 (土)

「否定」されること

こんにちは。10月です。ちょっと更新が滞っていました(^^;

  

 

先日、ずーーっと以前に関係が悪くなって、疎遠になっていた人と話をする機会がありました。

 

そのとき、当時のことについての話も出たんですが、その中で、相手の人の方で、ぼくの何を許せなかったのか・・・ということについて、初めて話を聞くことができました。

 

 

当時は、お互いに何か言葉を発すると、意図していないにも関わらず、その言葉が相手のどこかを刺激して、お互いが傷つく、苦しくなってしまう・・・そんな感じだったと思います。

 

ですが、先日、話をしたときには、話されている「内容」そのものは、ぼくに関して、否定的な内容がふんだんに盛り込まれていた(笑)んですけれども、ですが、そのことを聞いているぼくの方では、それほど苦しい気持ちにはならず、かえって静かな気持ちで話を聞くことができたような気がします。

 

 

そして、変な話ですが、その話を聞いたあと・・・「何かが透明になっていく気がした」という表現が一番ぴったりくるんですが・・・なんだか、胸のつかえがとれたような、すこしサッパリしたような、地に足がついたような、やっと本当のその人に触れられたような・・・そんな気がしたのでした。

 
 

以前、ギクシャクしていたときには、否定的な言葉を使わなかったのにもかかわらず・・・もしかすると使わなかったからこそ、お互いに傷ついてしまったのだろうか?とさえ思えてしまいました。ちょっと、不思議な体験です(^^;

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 6日 (日)

ゆるすこと

先日、「カウンセリングというのは、カウンセラーがクライエントにゆるしてもらうことが大切」という話を聞きました。

 

・・・これは、神父様が懺悔する人に「赦し」を与えるイメージとは、ちょうど逆な感じですね。カウンセラーがクライエントを「ゆるす」のではなくて、クライエントのほうがカウンセラーを「ゆるす」というのです。

 

たしかに「(何かを)ゆるすことのできるような気持ちの状態になる」ということや、「(何かを)ゆるすという体験を積み重ねていくこと」は、ものすごく大きな意味がありそうな気がします。

 
   

さて、そんなことを考えている中で、ふと、

・・・自分が許せないこと(人)って、あった(いた)かな?・・・

というようなことを思いました。

 

ぼくの場合、自分を許してくれない人は思いつくんですけれども(笑)、自分が許せないこと(人)というのは、ちょっとすぐには思いつかない気がします(^^;

 

ですが、そんなことを考えているうちに、もう一つ別なことを思い出しました。やはり以前、

「(カウンセリングでは)クライエントが、ちゃんと『恨む』ことができるようになったら、そのクライエントの問題は、すでにかなり解決している」

という話を聞いたこともあったんです。


この2つのお話は、一見、逆のことを言っているようで、実は、けっこう同じ事を言っているのかもしれない・・・という気もします。

 

つまり・・・「ちゃんと恨むことができる」ということと、「ゆるすことができる」ということとは、すごく近いことのような気もするわけです。

 

うーーーん・・・でも、そんなふうに考えていくと、ぼく自身の場合、「恨む」ということがちゃんとできているような気がしない・・・ということは、許せないことが思いつかないというのは、本当にそういうことがないということではなくて・・・許す・許さないというところまで自分が進んでいけていないということなのかもしれません。

 

 

そういえば、ブログを書き始めた当初、『実は、「学校の先生」が嫌い』という記事を書いたことがありました。

 

「許せない」ということとはちょっと違うかもしれませんが、ぼくが「学校の先生」という人たちに対して持っていたイメージの中には、何か、自分としては好きになれない共通した匂いのようなものがありました。

 

それは・・・何か、いろいろなことをステレオタイプな見方でしか受け止めない、そして、その受け止め方に対して他人の意見を聞かない(揺るがない)・・・というようなイメージでした。ぼくは、その匂いを発する人に対しては、自分がとりつく島がない、自分を理解してもらえないように感じ、逆に自分の方でもその人たちを理解できない・・・と感じていた気がします。

 

今にして思えば、たぶん、自分が受け入れられなかったのは、「どうやっても絶対に許してもらえないものがある」という・・・安心のできなさ、というのでしょうか・・・そんなものだったような気がします。

 

・・・と、ここまで書いてみて、これは「父性」というものを受け入れられないというお話なのかな?という気がしてきました(^^;

 

そんなふうに考えてみると、自分の場合、「父性」を感じたとき・・・例えば自分の何かを否定されたとき、そこで一瞬身構えてしまい、さらに、その否定をされているときに相手と自分とのつながりが感じられなかったりすると、ただ単に、拒絶された・否定された・見捨てられた・・・という感覚だけが残ってしまったという気がします。

 

たぶん、逆に言えば、「つながり」ということをもう少しきちんと感じられていれば、ぼくが感じているような「受け入れられない」感じは抱かなくて良かったのかもしれない・・・という気もします。

 

うーーーん・・・しかし、この「つながり」に対する感度の低さが、ぼく自身の側の問題だとすると・・・

 

・・・「学校の先生が嫌い」なのも、ぼく自身の側の問題だということになりますかねー(^^;

 
 
 

途中から、話が違う方に行っちゃいましたが、まあ、ちょっと、自分の中では発見があったので良しとしたいと思います(笑)

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2008年4月 1日 (火)

オブジェプチター

こんばんは、10月です。

 

さっぱりわけのわからないタイトルです(笑) ま、それはいったん置いておいて・・・

 

どうも、自分がここのところ感じているものというのは、「無い」ものを何とか手に入れようとする、絶望的な努力なのかな?・・・と、ふと思いました。

 

それは、たとえて言うなら(例えが変かもしれませんが)、「徳川の埋蔵金」を見つけようと自分の部屋の押し入れを家捜しする・・・というくらい「絶望的」な努力です(笑)

 
 

さて、このような努力について、「本来、人間がしてしまうもの」と述べているものを発見しました。フランスの精神分析学者のラカンという人の理論です。

 

   *   *   *   *

 

ラカンは、フロイトの精神分析理論を、「無意識は言語のように構造化されている」という観点から再解釈を行いました。

 

まず、最初に、混乱を避けるため、「欲求」と「欲望」という2つの言葉を区別しておきます。

 

「欲求」=本能的・生理的に生じるもので、満足することができる。(例:食欲など)

「欲望」=後天的に獲得される「言葉(シニフィアン)」によって生じ、満足することがない。(例:物欲など)

 

ここで、「言葉の獲得」ということについて少し説明を加えておきます。(斉藤環著『生き延びるためのラカン』p.64によると)子どもは、乳児期に「(ラ カン的な意味での)去勢」を経験するわけですが、このとき子どもは、母親=世界におけるペニスの欠損を補うために、その象徴(=ファルスφ)を作り出します。

 

さらにエディプス期になると、「φがないこと」を受け入れる(フロイト的な意味での去勢)ことになりますが、そのとき必然的に「言葉(シニフィアン)」が必要になるというのです。

 

ちょっとこの辺の事情を解説しておくと、「言葉」は、それが持つ意味(「シニフィエ」と呼ばれます)と音(シニフィアン)とが、「恣意的に」結びついたも のと考えられています。ここで「恣意的に」というのは、「シニフィエ」と「シニフィアン」の間には何の必然的なつながりも「無い」という意味です。もとも と「意味」とは、存在しているものに対して生じるものですから、もし仮に、「シニフィエ」と「シニフィアン」の間が必然的なつながりでできているのだとし たら、「存在しないもの」を表すようなシニフィアンは生じないというわけです。逆に言えば、「シニフィアン」が「シニフィエ」から自由であるが故に「存在 しないもの」を表すシニフィアンが生じ得るわけです。

 

 

しかし、ここで「φがないこと」をシニフィアンの世界で受け入れてしまうことは、重大な意味を持ちます。すなわちそれは、φそのものになるという本来の目 的を、φがないことをシニフィアンの世界で満たすという目的へ変更するという方向転換を意味するわけです。それは同時に、永遠に満たされることのない欲望の運動の始まりでもあ るというのです(なぜなら、シニフィアンの世界には本来求めていたものは存在しないから)。

 

ここで、「自分が持っているはず(持っていた)なのに無い(失った)」ものを「対象a(たいしょうアー、原語ではobjet a、オブジェプチター)」と呼びます。

 

 

対象aというのは、それ自体は何でもない・・・というかそもそも何もない「穴」みたいなものなわけですが、人はそれを埋めようとして、シニフィアンの世界でいろいろ頑張っちゃう・・・ということのようです。

 

前述の本で出てきた対象aの例としては、例えば、「永遠の幸福」なんてことが述べられていました。

 

・・・つまり、何かの欠如感を埋めるために「幸福」というシニフィアンで穴を埋めようとする・・・でも、穴とシニフィアンとは次元が違うものなので、穴は永遠に埋まらない・・・ということのようです。

 

このように、シニフィアンによって生じ、永遠に満足が得られない・・・これを「欲望」と呼ぶわけです。

 

   *   *   *   *

 

・・・と、この辺のお話が、自分の「絶望的な努力」と、どこか通じるものがあるなー(^^;と思ったわけですが・・・

 

今日、職員室で、この記事を書くために、本を3冊くらい読んでいたところ、たまたま学校に来た子に、何をしているのかと聞かれ、

「ブログの記事を書くのに、下調べをしてるところです」

と、答えたところ、

「先生!そんなことをする前に、机の整理をしてください!!」

と注意されてしまいました(^^;

 

 

・・・ですが、その後、その子はぶつぶつ言いながらも、ぼくが机の整理をするのを手伝ってくれたのでした(笑)

 

ちょっと、オブジェプチターが埋まったかな?(笑)

 

(注:ラカンに関する解説の部分は、ぼく自身もよくわかってませんので、ちゃんとしたことは、本をお読みください(^^;)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »