こんばんは、10月です。
お薦めの記事の所にも出してありますが、以前、「死」というテーマについて考え、その区切りとして、「死ぬ」ための準備 という記事と、姥捨て山 という記事を書きました。
特に、後の方の記事では、自分が老いることによって社会的に役に立たなくなっていく・・・「社会的な死」とでもいうべきことを、どのように受け止めればよいのかを、昔話の「姥捨て山」を手がかりに考えてみようとしました。
ですが、読んでいただくとわかりますように、結局は、何ら新しい発見も気づきもないままに終わってしまった記事でした(^^;
さて、それで、話は少し飛ぶんですが、先日、田口ランディさんの書いた『寄る辺なき時代の希望』という本を買いました。
現在、読んでいるところなんですけれども、その中で、日本とスウェーデンの社会福祉の在り方の違いについて書かれていました。
(厳密にはわかりませんが)スウェーデンでは、税金(消費税など)が、25%などと日本に比べて激しく高いのですが、その分、社会福祉が徹底的に充実しているというのです。
例えば、教育費は大学までは無料。病院の費用も、老後の養老院の費用もすべてタダ・・・とのこと。
そのような国で暮らしている人たちのおおらかな生活と比べると、日本人が「お金を蓄えておこう」とすることは、実は、日本という国に住んでいる人々が、自分の老後や、そうでなくても病気になった場合に対する「不安」があるからに他ならない・・・ように感じられてしまう、ということが書かれていました。
この辺を読んでいて・・・まさに、これは、『姥捨て山』を書いた当時、ぼくが感じていた不安と同じものではないか・・・と思ったわけです。
つまり、もしかすると、ぼくの感じていた不安というのは・・・もしかしたら、スウェーデンに永住したら、無くなるかもしれない!?と思ったわけです(^^;
ですが・・・本の中での話は、さらに続きます。
ランディさん自身もスウェーデンの養老院?の中を見学されたそうなんですが、その中の様子というのは、お年寄りの方たちを、もう、これでもか!ってくらいに王様扱い・お姫様扱い・・・のようなのです。
ここを読んだときに、ぼくの中に浮かんできたのが、『浦島太郎』のお話だったのです(^^;
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
浦島太郎が海辺を歩いていると、一匹の亀が子どもたちにつかまっているところに出くわします。浦島太郎は、亀をかわいそうに思い、子どもたちにお願いして亀を逃がしてやります。
数日後、その亀が、浦島太郎の前に再び現れ、
「この前のお礼をしたいので、私の背中に乗ってください」
というので、言われたとおりにすると、亀は浦島太郎を乗せて、海の中の竜宮城に連れて行ったのでした。
竜宮城に着いた浦島太郎を待っていたのは、美しい乙姫様でした。乙姫様は、
「亀を助けてくれてありがとうございます。どうぞ、ゆっくり遊んでいってください」
と言うので、おいしいごちそうを食べ、鯛やヒラメの舞い踊りを見て、乙姫様と楽しい時間を過ごしました。
そうして、3年もたったある日、浦島太郎は、
「残してきた両親のことが気になるので帰る」
と言い出します。乙姫様は残念そうに、
「しかたがありませんね。ではこれをおみやげに差し上げましょう。ですが、どんなことがあっても、絶対に開けてはいけませんよ」
と言って玉手箱をくれたのです。
さて、地上へ戻ってみると、何百年という時間が過ぎてしまっていました。両親のことを尋ねると、残っていたのは両親のお墓だけでした。
浦島太郎は、途方に暮れて、乙姫様から渡された玉手箱を開けてしまいます。
すると、中から煙が上がり、その煙をかぶった浦島太郎は、あっという間に歳をとっておじいさんになってしまったのです。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
というお話ですね。
このお話では、浦島太郎は、別に悪いことをしたわけでもないのに、どうしてこんな目に遭わなければならないんだろう?ということは、ずっと、ぼくの中での疑問でした。
ただ、スウェーデンの養老院の中が、どことなく・・・竜宮城と似ているような気がするなぁ・・・と思ったとき、ふと、
・・・日本人である浦島太郎は、竜宮城という養老院の中では生きていけなかったということなんじゃないかな?・・・
と思ったんです。
ランディさんの本を、読み進めていって見ると、何と、養老院の中の様子を見ていて、ランディさんもまた、
「ここには入りたくない!」
と思ったそうなんです。
「入りたくない」と思った理由は・・・突きつめると、養老院の中のお年寄りの方たちは、手厚いお世話はしてもらえていても、どこか寂しそうだった・・・ということのようでした。
そんな、恵まれた生活をさせてもらえなくてもいいから、ちょうど昔の長屋のようなところで、人とつながった生活をしていきたい・・・ということでした。
そういえば、浦島太郎が「地上へ帰ること」を決めたのも、自分の両親とのつながりを思い出したからです。
ぼく自身も、日本人だからなのかもしれませんが、やっぱり、「恵まれた、保障された生活」よりも「誰かとつながっていられる時間」の方が、魅力を感じてしまいますね~(^^;
そのように考えてくると、『姥捨て山』を書いた当初からの自分の中のモヤモヤが、結晶化してくる感じがするんですが・・・結局、ぼくの中でモヤモヤしていたものというのは、
「老いによって価値を失っていく自分が、どうしたら人とつながっていられるのか・・・どうしたら見捨てられずに済むのか」
ということのような気がします。
それで・・・ものすごいことなんですが、ちゃんと、その事に対する答え(?)もまた、本の中に書かれていたんです(^^;
ぼく自身は話しに聞いたことがあるだけなんですが、ある写真家の方の写真で、インドのほうの路上で、犬が人間の死体を食っている写真があるというのです。
そして、ランディさんは、その写真を見ていると、何か、ほっとするものを感じる・・・というのです。
このあたりに、ものすごいヒントがあると思ったんですが・・・。
ちょっと、まだまとまりきっていないので、ハゲシク尻切れトンボなんですが、続きは、また、そのうち書きたいと思います(^^;
最近のコメント