2009年3月26日 (木)

記事が書けない・・・

こんばんは。

 

昨日は、何か記事を書いてみようかな~・・・と思っていたところに、ちょっと込み入った事情のメールが来て、そのやり取りをしているうちに、良い子は寝る時間になってしまったため、更新できませんでした(^^;

 

それで今日ですが・・・さて、何か書こうと今日の出来事を思い起こしてみたり、自分の中を覗いてみたりしているうちに、

・・・うーー、このことも記事にしたくないし、あのこともまだ書きたくない・・・

みたいなことを感じている自分に気づいたんです。

 

突然話が飛びますが、ぼくが、まだ大学生だった頃、河合隼雄著『カウンセリングの実際問題』という本を読んだことがあるんですが、その中で、事例発表をするということはどういうことなのか・・・ということについて書かれていた部分がありました。

 

そこで書かれていたのは、たしか、カウンセリングが進行中のときには事例発表をするべきではない、ということだったと思います。

というのは、カウンセリングをしているときというのは、カウンセラーとクライエントは内的な世界でたくさんの作業をしている。そのときに、カウンセラーが事例発表をするということは、内的な世界で起こっている動きを殺してしまうことになる。それではうまくいかない・・・

・・・ということだった気がします(^^;

 
 

自分が、言葉にしたくないと感じたことと、河合氏がこの著書の中で述べていることとは、重なっているところが大きいような気がする・・・と、ふと思ったのでした。

つまり、何というか、自分の中で感じていることを、まだ言葉にして固定化してしまいたくない・・・言葉にしてしまうのは、何かつまらない・・・という気持ちが、自分の中にあったわけです。

 

これは・・・ちょうど、ものすごく自分が揺り動かされるような音楽を聞いたり、絵を見たり、映画を見たり・・・した直後に、まだそれを言葉にしたくない、余韻に浸っていたい・・・という気持ちに似ているような気がします。

 

こう考えてくると、

(1)感じていることを言葉にすることで自分の中の何かを守ること(『ブログを書く意味』参照

(2)感じていることを言葉にしないことで自分の中の何かを守ること(本日の記事)

 

という、まったく逆のことが、両方とも自分の中で起こっている・・・ということに気がついたのでした(^^;

 

まー、しかし、今日のように、「記事が書けない」ということを記事にして良いなら、それこそ何だって記事にできそうな気もしますね(笑)

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2009年3月15日 (日)

無事、帰宅しました(^^)

こんばんは。

先ほど、旅先より無事帰宅しました(^^)

 

家に帰って、あらためて見返してみると、旅行の顛末記だけで13記事、出発直前に書いた記事も合わせると、この2日で14もの記事を投稿していました(^^;

 

もう、最初に書いた記事は、意図的に見ようとしない限り見えなくなってしまっていました(=トップページからは後ろに下がってしまいました)。

 

ま、内容が内容だけに、それも良いかも(^^;

ではでは。

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2009年3月10日 (火)

「スライム」に似てると言われました・・・(^^;

こんばんは、10月です。

 

先日、授業に出ているクラスの子たちと話していた時のことです。

 

とーとつに、一人の子から、

 

「○○先生(←ぼくです)って、いっつもニコニコしてるし、部屋に一人置いておきたい感じだよね~」

 

と言われました(^^;

 

それを聞いたぼくは、

 

・・・絶対に、どこかにワナがあるはず・・・ぬか喜びしてはいけない!!!

 

・・・と考え(笑)、でも、実は、ものすごーく嬉しかったんですが、ちょっと照れくさかったこともあり、そのうれしさを必死におさえながら、

 

 

「それは、どういう感じなのかなぁ・・・?」

 

と聞いたところ、

 

「何か、癒されるっていうか~」

 

と言われたのでした(*^_^*)・・・ぼくは、ちょっと、調子に乗って、

 

「それは、リラックマみたいなイメージ・・・?」

 

と聞いたところ、

 

「うーーん、どっちかっていうと、スライムかな~!!!」

 

と言われたのです。

 

 

ぼくは最初、スライムと言われて、

 

Slime

これのことだと思い、少なからずショックを受けていたんですが、

 

一人の子が

 

「あ~、何か、プヨプヨしててかわいいよね~」

 

というのを聞いて、

 

???あの、みどり色のハナみたいなのが、可愛い???

 

・・・と疑問に思い、ネットで調べたところ、キャラの名前であることを初めて知りました(^^;(ふつう、知ってるのかな?笑)

 

・・・というわけで、どうも、ぼくは、

 

Slime2 

 

こんなふうに、見られているようです(^^;

 

うーーん・・・これは、これで・・・喜ぶべきか、そうでないのか・・・(^^;

 

それと、ネットでスライムを検索していたら、偶然、こんなのを見つけました。

今の自分の心境では、ワンちゃんに振り回されているスライムが、他人とは思えず、涙をそそられます・・・(笑)

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2009年3月 8日 (日)

ネットと現実との境界

こんばんは、10月です。

 

ブログを初めて、もうすこしで4年?になります。

今から思うとブログを始めた当初、ぼくは、ネットの世界と現実の世界との間に、できる限り境界を設けようとしていた気がします。

 

たとえば、自分が一体誰なのか特定できないように・・・自分の名前はHNに、何という学校で働いているのかは明記せず(教員という職業については最初のころから書いていましたが)、登場人物にも固有名詞は一切書かず・・・

・・・というように気を使っていた気がするわけです。

 

それは・・・そうするべきだというはっきりとした理由があったわけでもないんですが、ただ、何となく、そうするのが良いような気がしていたためにそうしていたのでした。その頃は、当然、生徒にも自分のブログの存在は一切伝えることもありませんでした。

 

それが・・・いつのころからか・・・と言っても、ここ1~2年くらいではありますが、ごく稀に、生徒に自分のブログの存在を伝えることがでてきたんです。

 

とは言っても、今まで、伝えた生徒の人数は・・・たしか、4人か5人くらいだった気がします(・・・ですが、その人たちに「ナイショにしてね」と言ったわけでもないので、その人たちから、もう少し広まっているのかもしれませんが(^^;)

 

今まで絶対に秘密にしていたもの(このブログ)を、どうして伝えるように(自分が)変化してきたのか・・・自分でも、それについての、はっきりとした理由は見つかっていないんですが、ですが、なかなか興味深い変化のような気がするわけです(^^;

 

ふと、このことと関係のありそうなことを、大平健(このブログでも何度か著書を紹介したことがある精神科のお医者さん)氏がどこかに書いていたような気がして、ちょっと探してみたのですが・・・見つけました。

大平健著『顔をなくした女』(p.115)から引用

僕は、学術論文であれ一般の書き物であれ症例として将来取り挙げようと思う場合には、必ず、予め患者本人の了承を取ることにしている。(中略)とうてい書かせて頂きたいと申し出ることすらできないことが多い。申し出をするだけで、壊れてしまいそうな医者-患者関係が少なくないのだ。逆にいえば、申し出られる事例は、そうする位では関係が損なわれないような事例だということになる。

この部分を読み返しているうちに、自分が、ブログの存在を生徒に伝えるようになってきた理由について、何とな~く、見えてきたような気がしたのでした。

 

ブログを始めた当初、ここの記事を読まれることが、読んだ生徒と自分との関係にどういう影響を及ぼすのかが不安だった・・・そのために、存在を伝えることができなかった・・・そんな気がします。

 

それが・・・今、自分の中で感じているものは少し変化してきていて、ここの記事を読んだ人が、そこで何かを感じて、自分と間の関係が影響を受けたとしても・・・そのことを(自分が)引き受けていくことができるような、うーーーん、「自信」というか「安心感」というか、そんなものが大きくなってきたためのような気がするわけです。

 

もしかすると、これは、単にぼくの「甘さ」や「浅はかさ」なのかもしれませんが・・・(^^;

 

ま、マズイことになったら、そのときに、また、考えます(笑)

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2009年3月 5日 (木)

どうも、おひさしぶりです(^^;

こんばんは。どうもお久しぶりです(^^)

 

・・・と言っても、前回の更新から激しく時間が経っていたりもして、誰も読んでなかったりするかもしれませんが・・・(^^;

 

さて、このたび、自分が担任していた3年生の人たちも、先日、無事、卒業式を迎え、学校を去って行きました。

 

3年前の卒業式のときと比べると、穏やかで・・・何というか、いつもの帰りのHRとあまり変わらない、そんな最後の時間だったような気がします。

 

 

うーーーん・・・とは言うものの・・・この時期というのは、やっぱり、ちょっとさびしい・・・

 
 
 

さて、それで、今日、久々に、記事を書くことにしたのは、卒業していった子の一人が、ブログを始めたとのことで、今日、メールをくれたんです(^^)

これが、ぼくとしては・・・ものすごーく、うれしかったんですよね~(^o^)

この「うれしさ」が何なのか?と考えてみると、たぶん、「自分の存在」を覚えてくれていたことがうれしかった・・・という気がします。自分のことを気にかけてもらえていたというか。

 

その子からメールをもらって、ぼくのほうも、思わず、ソッコーで、

「ぼくも、ブログやってます!!!」

と、返信してしまいました(^^;

というわけで、もしかすると、読みに来たりすることがあるかもしれませんが、実は、そんなことを思ってたんです(^^;>Aさん


 

すみません。私信のような記事になってしまいましたね。ま、いつものことか(笑)

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2008年5月12日 (月)

さびしさが消えた!?

こんにちは、10月です。ごぶさたしております(^^;

 

さて、昨年の夏ごろから、なんだかよくわからない寂しさの中に入り込んでいたんですが、いつの間にかそれが消えていることに、先日、気づきました(^^;

 

しかし、まぁ、この自分の中の変化は、いったい何なのか、自分でもよくわからないんですけれども、ともかく、ここのブログの記事を読み返してみても、かーなーり、後ろ向きの記事を大量生産してきたような感じがしますねー(^^;

 

今にして思えば、昨年の8月に『やっぱり寂しくてしょうがない・・・(^^;』という記事を書いたりして、何とか自分の感じている寂しさの正体を探ろうとしたりしたんですが、結局、それはわからないまま、寂しさに突き動かされるようにして、周囲の人との人間関係を壊してきてしまったような気がします(-_-;

 

その当時のことを振り返ってみると・・・大きな寂しさの渦の中で、そうせずにはいられなかった・・・と、そんな風にも思うんですが、それと同時に、本当に、あの凍えるような、北風にふかれているような時期は、いったい何だったの!?と誰かに言いたい気持ちでもあります(まあ、ここで、こうして、言ってるわけですけれども(^^;)


 

   *   *   *   *

 

変な話しかもしれませんが、ふと、『海辺のカフカ』の中に出てくる「入り口の石」のことを思い出しました。

 

「入り口の石」というのは・・・えーと・・・まあ、何かの入り口を開けるための石なんですけれども(って、何の説明にもなってませんね(^^;)・・・

 

「入り口の石」について、ぼくの言葉で勝手にまとめてしまうと・・・「入り口の石」が閉じている間は、物事は日常的に流れていきます。日常的というのは、多くの可能性が制限される一方、それは安全をも保証してくれるものであるように思います。

 

一方、「入り口の石」が開くと、物事の流れは、「制限」を失い、多くの可能性が生じることになります。しかし、多くの可能性が生じると言うことは、同時に想定できないことの発生をも意味し、危険を伴うことにもなります。

 

それで・・・寂しさに飲み込まれていた時は「入り口の石」が開いた状態、寂しさが去った今の自分は、「入り口の石」が閉じた状態・・・という感じがするな~、と思ったわけです(^^;


 

   *   *   *   *

 

そういえば、寂しさが去ったあと、これまでの自分ではあまり考えつかないような変化がありました。

 

一つは、服を買いに行ったこと・・・バシ(-_-;)\(-_-#)ソンナコトカイ!

 

えーと、以前、『服を買いに行くのがコワイ』という記事を書いたこともあるくらい、ぼくは、服を買いに行きたくない人なんですけれども(笑)、そんな自分が、自分から率先して、服を買いに行ってきたりしたというのは、自分にとっては、結構、大きな変化だと思うわけです(^^;

 

もう一つは、休日、誰か誘って遊びに行こうと考えるようになったこと(^^;

 

・・・これも、何だか誘っては悪いかなー?なんていう気をつかっていたところがあったんですが、別に、声をかけてみるだけなら迷惑ではないかな?と思うようになった、ということがもう一つの変化のような気がします。

 
 

ちなみに、上記の作品(『海辺のカフカ』)の中で、「入り口の石」を開けるのは、

「いろんなものをあるべきかたちに戻すため」

・・・と述べられています。


 

今回の寂しさ・・・が、ちょうど、自分にとっての「入り口の石」だったのだとしたら、自分の中で、何かが、「あるべきかたちに戻」ったということなのかな~?(^^;

 

・・・なんてことを思ったりしたのでした。

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2008年3月22日 (土)

「何もしない」こと。

先日、たまたまネット上で『雨降らし男』のお話を見つけてそれを記事にしました。

 

その記事を書いていたときには、気がつかなかったんですが、ふと、このお話は、河合隼雄氏が述べていた、「何もしないのがユング派のカウンセラーだ」というお話とつながっているのかな?と思ったんです。

 

この「何もしない」というお話は、今から15年くらい前に本(河合隼雄著『カウンセリングを語る(下)』)で読んだことなんですけれども、当時は、ただ、

・・・ふーーん・・・

と思っただけで、それがどういう意味なのかサッパリ分かりませんでした(^^;

 

   *   *   *   *

 

その本の中で述べられていたのは、行動療法、ロジャーズ派、フロイト派、ユング派の4つを、

(1)カウンセラーは、クライエントの外的現実と内的現実のどちらに注目するのか

(2)治療のプロセスは、クライエントの外的なものと内的なもののどちらに向かって進んでいくのか

という2つの軸で分類してみる・・・というお話でした。

 

たとえば、行動療法は、(1)クライエントの外的現実に注目し、(2)外的なもの(たとえば症状軽減)に向かって治療が進んでいく・・・そのためにカウンセラーが行うのは「指示」である・・・と述べられています。

また、ロジャーズ派は、(1)クライエントの外的現実に注目しながらも、(2)内的なものに向かって進んでいきます(自己一致が目標)・・・そのために、カウンセラーが行うのが「受容」。

フロイト派は、(1)については外的現実の奥にある内的なものに注目しながら、(2)外的なもの(適応・症状軽減)に向かって進んでいきます・・・そのために行われるのが「解釈」。

そうして最後にユング派ですが、(1)内的なものに注目しながら、(2)治療のプロセスも内的な向きを向いている(自己実現が目標)・・・ということでした。そして、そのためにカウンセラーが何をするのかというところで、「何もしない」と述べられていたんです(^^;

 

まあ、このこと(何もしない)には少し、注意書きがあって、「何もしない」とは、具体的な行為として指示・受容・解釈などをしないということであって、「コンステレート」できるのを待つ・・・のが、ユング派のカウンセラーだ、ということが述べられていました。


   *   *   *   *

 

たぶん、やっぱり今でも、よくは分かっていないのかもしれませんが(笑)、この前の『雨降らし男』のお話とつなげて考えると、ちょっと・・・ちょっとだけですけれども(笑)、イメージがわいてくるような気もしてきたわけです(^^;


つまり・・・目指すべきは、クライエントに対して目を開きながらも、その際に自分自身の中に起こってくることを最大限受け容れながら(雨降らし男の言葉で言えば、秩序に沿った状態)、クライエントが内面と一致できるようになるのを待つ・・・という感じでしょうか?(^^;

 

・・・しかし・・・そう考えてみると・・・確かにこれ(=何もしないこと)は、なかなか、しんどいことかもしれない・・・と思いました。


日常で人と接しているときに、何か感じてしまったりすると・・・それが自分を大きく揺さぶれば揺さぶるほど、何かのリアクションを起こしたくなっちゃいますからね(^^;


・・・で、あとで、後悔する・・・と(笑)

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2008年3月20日 (木)

「拒絶されること」の痛み・「拒絶すること」の痛み

こんばんは、10月です。

 

今、昔の記事を読み返していたんですけれども、ふと、最近の自分に起こっていることと妙につながることがあって、記事にしたくなりました。

 

ぼくはずっと、「人から拒絶されること」の痛みについては考えることがよくありました。それは、言うまでもなく、自分自身が、誰かから拒絶されると、ものすごく辛い・・・辛かったからです。

 

それゆえ、これまで、このブログの記事でも、

「どうして、相手が痛みを感じることがわかっているのに、人は相手を『拒絶』するんだろう?」

みたいなことを書いてきたような気がします。

 

ですが、今日、ふと、

 

・・・拒絶する側は、そうするしかないから拒絶しているのかな?・・・それに、そうすることで相手を傷つける選択肢しかないのだとしたら、その人自身もものすごく苦しいのではないかな?・・・

 

・・・と思ったわけです。(もしかして、これって、あまりにも自明のお話なのでしょうか?(^^;)

 

たぶん、このテーマは、最近、ぼく自身がひっかかっている問題とも重なっているんですが・・・

 

   *   *   *   *

 

ずっと以前・・・ぼくが、高校生~大学生だった頃のことです。

 

当時、ぼくは、母親がいろいろと自分の世話を焼こうとしてくれるのが嫌でたまりませんでした。

 

それがどうしてなのかはよくわかりませんが、ともかく、少し、距離を置いて欲しかった。

 

ですが、ぼくの方のそういう気持ちは、何度言葉にして伝えても、母親には伝わらなかった・・・というか、逆に、泣かれたり、恨み言を言われたりしました。

 

そして、母親からの話を聞いた父親は、ぼくに向かって、「お前は人間の気持ちを持っていない」と何度も言いました。

 

   *   *   *   *

 

さて・・・それから、もう20年近くたつわけですが・・・二人とも、当時、そんなことをぼくに言っていたということを、覚えているのか忘れてしまったのか・・・わかりません(^^;

 

ですが・・・ぼくの中には、当時、自分が言われたこと、そして、その原因となった、「親と距離を置きたい気持ち」・・・「あまり近づかれると拒絶したくなる気持ち」があったことだけが鮮明に記憶に残っているんです。

 

あのとき、ぼくは・・・決して親を傷つけたいわけではなかった。

 

「拒絶」することが、傷つけることにつながるのはわかっていたんですが・・・でも、そうすることしかできなかった。

 

今思えば、あのときは、距離をとっていないと、何か、自分が自分でなくなってしまう・・・そんな気がして、ぼく自身も必死だったような気がします。

 

 

さて、そんな体験をしているので、自分自身が「拒絶」するしかできない痛みをわかっているハズなんですが・・・

 

でも・・・自分自身が「拒絶」される側になると、やっぱり辛いんですよね~(^^;ドウニカナラナイカナ?(笑)

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クリップモーター・リターンズ!!

昨日の物理の授業で、久しぶりに「クリップモーター」をつくってみました(というか、生徒に作らせてみました(^^;)。

 

2年前の授業の時には、物理の授業をとっている人の数が、1クラスで3人(;_;)くらいしかいなかったので、あり合わせのもので実験をしたんですが(^^;、今年は、クラスの半分以上が物理選択者だったため、前もってモーターづくりに必要そうな材料を集めておくことになりました。

 

【材料】

(1)エナメル線・・・これは、2年前の実験の時に買ったものの残りがたくさんあったので、それを使うことにしました。

(2)クリップ・・・ぼくの机の中にたくさん散らばっていたので、それを使いました。

(3)磁石・・・職員室の黒板に書類をとめてあったものをこっそり拝借しました。

(4)電池・・・これもなぜか、ぼくの机の引き出しの中にたくさんありました(^^;

(5)消しゴム・・・これは生徒自身のものを使ってもらいました。

(6)電線・・・物理室にたくさんあったので、それを持って行きました。

(こうして見ると、やっぱり、あり合わせの材料か?笑)

 

まあ、以上のもので、モーターが作れるわけですが、これらの材料を配って、クリップモーターをつくってもらいました。

 

さて、その結果は・・・



 

こちらのグループのモーターは、なかなか、よく回ってますね(^^)

結局・・・ちゃんと回ったのは・・・10班中、3班くらいでした。やっぱり、コツがわからないと、なかなか難しいのかな?(^^;


 

    *    *    *    *

 

ふと、以前のクリップモーターの記事も見てみたところ、なんと、動画が消えていました(;_;)

 

でも、今回の動画の方が、画質も良いし、まあ良しとしたいと思います(^^;

 
 

そうそう、以前のクリップモーターの記事の後に、『クリップモーターはどうしてまわるのか』という記事を書いたんですが、実はこちらの記事の方が、ぼくの中では、(いろいろな意味で)けっこう印象深い記事になっている気がします。

 

・・・最近、記事が、いつも同じところに行き着いて終わるような気もするんですが・・・

 

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある人と、栖(すみか)とまたかくのごとし。

 

という方丈記の一節を思い出してしまいました(^^;

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2008年3月15日 (土)

『雨降らし男』

先ほど、ネットをお散歩していたところ、『雨降らし男』というお話を見つけました。なんというか、今の自分にとっても、示唆に富むお話でした(笑)

 

さて、そのお話というのは・・・

 

   *   *   *   *

 

ある地方の村で干ばつのため雨が降らず、村人が困っていました。

 

そこで村人は「雨降らし男」を呼んできて、雨を降らしてくれるように頼んだのです。

 

その男は、村にやってくると小屋を作らせ、そこにこもってしまいました。

 

しかし、小屋にこもって三日目、雨が降り始めたのでした。

 

村中の人は大喜びし、お礼を言うとその男は答えました。

 

「あの雨は私が降らしたのではない。ここでは、天からの秩序によって人びとが生きていない。私も、ここにやってきて、自然の秩序に反する状態になってしまったので、もとの状態に戻るのを待った。すると自然に雨が降った。」

 

   *   *   *   *

 

・・・というお話です。

 

さて、「今の自分にとっても示唆に富む」と書きましたが、まあ、自分の周囲でも「天の秩序によって人びとが生きていない」・・・ように見えてしまうところがあったりするんですが(^^;

 

それで、思わずそこへ、斬りこみに(笑)行こうかと思っていたんですが、このお話を読んで、また同じような失敗につながりそうだということに、ハタと気づいたわけです(^^;(『とつぜん、わかりました。』参照)

 

うーん・・・そう考えると、このお話の中で、村人たちが雨を降らすために・・・たとえば、雲の上からヨウ化銀やドライアイスを撒く・・・なんてことを実行したとしたら、それは「行動化(acting out)」ということになるのかな?・・・とふと思いました。

 

わかりにくくてスミマセン(^^;

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2008年3月12日 (水)

現実を見ていない?ということか?

さて、ちゃっちゃと、話を進めたいと思います(笑)

 

ここのところ、相手を「理想化」して見てしまう自分の傾向について考えています(^^;

 

ぼ くの場合、普段はそれほど感じませんが、自分に何らかの負荷がかかり、自分1人で持ちこたえることが難しくなったときなど、外界からの刺激を極力遮断し、 負荷を減らすことによってその状況を乗り越えようとすることも多いんですが(いわゆる、「殻に閉じこもり」の状態ですね(^^;)、そうではなくて、何かの拍子で周囲の誰かを自分の保護者役のポジションに置 き、そうすることによって、自らの(気持ちの上での)安全を確保しようとする心の動きが起こることもある気がします。

 

そうして、一旦、この心の動きがはじまると、相手のことを、より強 固に、

 

「(相手の人は)自分を保護してくれる・自分を理解してくれる人だ」

 

・・・と思いこんでいく(=理想化していく)、ということになっている気がするわけです。

 

考えてみれば、この心の働きは、もしかすると当然なのかもしれませんが、でもやはり、うまくできているなー、と感心もしてしまいます。


なぜなら、自分を保護してくれると思う相手が、「理想的」であればあるほど、自分の感じる安心感は大きくなるわけですから、この心の働きがあることによって、人は、より大きな安心感を得られるようになっているとも考えられるからです。

 

・・・と、書いていたところで、突然話は変わるんですが(^^;、今、テレビで、

 

「肥満の原因の一つに、『寝不足』がある」

 

というニュースを放送していました(@_@)

 

なんでも、睡眠時間が5時間未満の人の肥満になるリスクは、それ以上睡眠をとっている人の1.36倍、同様に高血糖リスクは1.27倍になるのだそうです(驚)

 

そっかー!!!!

 

それじゃあ、ぼくは、もっと睡眠時間をとった方が・・・

 

・・・とも思ったんですが、よく考えると、すでに7時間以上寝ていたことに気づきました(^^;

 

うーーん・・・これ以上、睡眠時間をのばしてもしょうがないのかな?(^^;

 

あ?えーと・・・ちょっと話がぜんぜん違ってしまいましたが・・・ま、良しとしましょう(笑)

 

・・・というわけで、投稿!!(こんなんで、良いのか?・・・笑)

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2008年3月11日 (火)

体験にぴったりする「解釈」・・・

2つ前の記事『解釈だけで体験が伴わないと結局何も変わらない』に対して、いちばんさんより、「体験にぴったりする解釈」という視点をいただいたんですが・・・もう少し考えてみました。

 

まず、話の内容を少しハッキリさせるために、「解釈」の意味するものを、

 

(1)カウンセラーの中にある「受けとめ方・視点」

(2)カウンセラーがクライエントに伝える「言葉」そのもの

 

というように2つに分けることにします。

 

このように考えると、2つ前の記事でぼくが書いた、「相手に圧倒されずに、相手に向き合い続けるための解釈」というのは、(1)のことになると思います。

 

さて、そうだとすると、その解釈がぴったりになるべき「体験」というのは、カウンセラーがしている体験・・・つまり、カウンセラーがクライエントと接していて感じていることが、この場合考えるべき体験になるかと思います。

 

た とえば、怒っているクライエントと接する場面を想定してみると、このときのカウンセラーの「体験」とは、(適当につくってみると)

「このクライエントはす ごく怒っているけど、気持ちが伝わってこない感じがするなー」

とか

「すごく怒っているけど、なぜかこのままでも(怒らせたままでも)良い感じがす る・・・」

などという体験になるかと思います。

 

だとすると、このような「体験」にぴったりする「解釈」をつくる?見つけるためには、その「体験」をできる限りそのままに、繊細に、豊かにとらえることができるかどうかということこそが重要であるように思えてきます。

 

逆にもし、怒られることに慣れていない、または、何らかの理由で怒られると過剰に動揺してしまうような人の場合、なかなか、「怒られる」という体験を、そのまま、豊かにとらえるということは難しい気がしてしまいます。

 

こ のような人にとって、「怒っているクライエント」と向き合うために手助けとなってくれる「解釈」(=視点・受けとめ方の枠組み)とは、その人自身がした体 験をとらえる幅を広げ、豊かにしてくれる性質を持つものでしょうから、その解釈を手に入れる以前の(その人がしていた)体験から見ると、逆に、「ぴったりしてい ない」解釈ということになるような気がしてしまいます。

 

ということで、「体験にぴったりしない」解釈の方が、「役に立つ」解釈なのではないか・・・と思ったわけです(^^;

 

・・・と、ここまで考えたところで、いちばんさんの言う解釈というのは、ぼくが考えているものとは、違う次元のものではないか?という気もしてきました。

 

その「解釈」というのは・・・たとえば、(例えが変かもしれませんが)音楽のような、何かの「鳴き声」のような・・・今、その人(この場合、カウンセラーということになる かもしれませんが)の体験しているものに、ぴったりと添う言葉・・・その言葉は、当の本人にとってもまったく違和感なく、その人自身の体験に輪郭を与える・・・それこそが「解釈」ということなのかな・・・という気もしました。

 

何かの本で、「解釈」と「共感」とを、対極のものとして扱っていたのを読んだような気がするんですが、でも、上記のように「解釈」を捉えると、それは、「共感」ということと、非常に近いものになっていくような気もしました。(「共感」というのは、ちょっと変かもしれませんが・・・(^^;)

 

そして、更に言うと、そのような「解釈」は、場を共有しているクライエントが体験しているものと何らかのつながりがあって、クライエントにとっても意味のある言葉になる・・・

 

・・・そういうことなのかなぁ?と思いました。

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2008年3月 7日 (金)

最近の自分の中でのブログの役割

こんばんは。

 

ブログを始めて、えーーと・・・たしか、そろそろ、3年?になります。

 

ふと、始めた当初と比べて、自分にとってのブログの「役割」というものが、何か変わってきているような気がしました。

 

どこがどういう風に変わってきているのか・・・まあ、けっこう、微妙な変化なのかもしれませんが(^^;、ブログを始めた当初、記事を書くのは、その記事を読んで興味を持ってくださった方との「交流」こそが目的のかなりの部分を占めていたような気がします。

 
そういう意味では、実生活とブログ生活とは、それぞれ独立して、自分の中で一定の領域を占めていた・・・そんな気がします。

 

ですが、最近(といっても、本当に、記事を再開した、ここ数日の話ですが(^^;)は、明らかに、ブログの記事を書くことは、あくまでも実生活の中で消化しきれなかったものを、自分自身の中に収めるため・・・つまり、実生活が「主」で、ブログが「従」になってきている気がするわけです。

 

と、同時に、一時期の、ぐだぐだと散文調に書いていた頃に比べて、一つ一つの「記事」に持たせようとする「意味」の量も、確実に増加している気がします。

 

まあ、もしかすると、以前の「読んでも内容が無いよう」な(スミマセン・・・笑)記事よりも良い部分もあるのかもしれませんが、個人的には、以前のような、どこがゴールになるのか見えないままで書いていく記事にも愛着があります(^^;

 

ですが、まあ、三つ子の魂百まで・・・とも申しますし(^^;、また、少し落ち着いてきて、元気が出てきたら、以前のような記事に戻るかな~(笑)

 

・・・と、そんなことを思っているのでした(^^;


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2008年3月 3日 (月)

初夢見ました

こんばんは、10月です(^^)

 

えー、2月29日の『木になれば良い?』の記事に対して、mooさんからいただいたコメントを読んでいて、ふと、記事の下書きが残ってなかったかな~?と思って調べてみたところ、一つ発見しました(^^)

 

それが、タイトルの『初夢見ました』というものでした。ファイルの作成日時を見ると、1月7日に書いたもののようなんですが、せっかくなので、一つの記事にしてあげようと思ったのです。

さて、それで、その下書きというのは・・・

 

    *    *    *    *

 

こんばんは、10月です。

 

「初夢」・・・って、新年になって初めて見た夢、で良いんですよね?

 

元旦以降、見た夢で覚えているものがなくて(^^;

 

昨日、はじめて、覚えている夢を見たんですが・・・ぼくの中では、この夢に「初夢」の称号を与えたいと思います(笑)

 

    *    *    *    *

 

・・・と、ここまでなんですけれども(笑) ソンダケカイ!(;-_-)/(+_+;)バシ

 

・・・さらに悪いことには、その「夢」がどんな夢だったのかすら、サッパリ覚えていない・・・ オボエテナインカイ!(;-_-)/(+_+;)バシ

 

しばらく寝かせてあったので何か発見が!?・・・と思ったのですが、かえって内容はほとんど無いも同然に・・・(笑)

 

だったら、書かなければ良いのにとも思うんですが(^^;、まあ、こうして、ぐだぐだと書きはじまってしまったので、ダラダラ書いていれば、何か展開があるかなぁ~・・・と、相変わらずお気楽にキーボードに向かっているわけです(笑)

 

まあ、「夢を忘れてしまった」ということは、その「夢」が、まだ、こちら側に出て来たくない・・・ということなのかな、と考えると、まあ、無理やり引きずり出さなくても良いのかな?という気もします。

 

このブログ名の『永遠の少年』ともちょっと関係がある、サン=テグジュペリの『星の王子様』の中の王子様の言葉で、

「本当に大切なものはね、目に見えないんだ。大人はすぐに忘れちゃうけどね。」

というものがあります。

 

昨日の記事で、ぼくは、その先生を表面的に見える部分でしか理解していなかった・・・と書きました。ただ、今現在の自分の気持ちとしては、そのこと(=表面的な理解しかできていなかったこと)を悔やむ気持ちはあまりなくて、どちらかというと、その先生と話をしたことを通して、それまで見えなかったところまで、その先生を知ることができた・・・その先生とつながることができた、ということの嬉しさのほうが、ずっと大きい気がします。

 

たぶん、こういうことって、いつもいつも起こることではないと思うんですが、でも、せめて、「目に見えている」ことだけからは予想もつかないような、「もう一つの(目に見えない)物語」に出会うことができたとき「だけ」でも、そうなれた幸運や喜びを味わっていたい・・・と、そんな気持ちです。

 

忘れてしまった、ぼくの「夢」ですが・・・案外、「木になる」ということと、どこかでつながっている夢だったのかも?なんて、考えると、ちょっと楽しくなったりもするのでした(^^;

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2008年1月 8日 (火)

今年の抱負「あたりまえのことを言わない」

こんばんは、10月です。

 

ふと・・・どうも、最近、自分の発する「言葉」(や、その内容)が、どうも、あまりにも、ありきたりなものばかりになっているかなぁ・・・と思いました。

 

たとえば、何か食べ物を出してもらえば、一口食べて「おいしい」・・・

誰かに再会して「久しぶりに会えてうれしい」・・・

何かプレゼントをもらって「ありがとう」・・・

 

・・・別に、悪くはないような気もするんですが、ですが、やはり、何か大切なものが足りないような気もするんですよねぇ・・・(^^;

 

心がこもっているかどうか、という問題のようにも見えるかもしれませんが、そうではなくて・・・何というか・・・「あたりまえの言葉」を使うことによって、逆に、「伝えたいこと」「伝えたい気持ち」が十分に伝わらなくなってしまっている・・・と、そんな風に感じているわけです。

 

たとえば、プレゼントをもらったり、何かをしてもらったときに、一言、「ありがとう」と言ってしまうと・・・それで、その人とのやりとりが終わってしまう・・・自分の中にある嬉しさ、喜び、感謝の気持ち・・・と言い尽くせない気持ちを、「言い尽くせない」ということすら伝えられずに終わってしまう気がするわけです。

 

ですから、「ありがとう」という代わりに・・・抱きしめるとか(笑)←まあ、ケースバイケースですが(^^;

 

あまりにも「あたりまえの言葉」で満たされている日常というのは・・・何だか、本当の意味で「生きていない」・・・そんな気がするということなんです(^^;

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2008年1月 3日 (木)

ブログとmixiってちょっと違う?

こんばんは、10月です。

昨年末、mixiを始めました(といっても、実質的には、まだ10日くらいだと思いますが(^^;)

 

現在は、ブログとmixiの2つぶんの記事を書くほどの気力も無いので(笑)、同じ記事を、両方に投稿したりしています。

 

そのように、ブログとmixiの2つを使う中で、

・・・どうも、この2つは、違うものなのかな?・・・

という気がしてきたのでした。

 

両者を使っていて、ぼくが感じた、もっとも大きな違いとしては、

①「日記(ブログでは『エントリー』って言うのかな?)」の位置づけの違い

ということがあるでしょうか。

 

ブログの場合、記事そのものがメインページになっており、そこに書かれている「内容」こそが重要であり、書き手のプロフィールがどうなのかということは、あまり重要ではない気がします。

それに対して、mixiの場合は、管理者の「プロフィール」が前面に出され、その人がどんな記事を書いているかは、あらためて「記事」のページにジャンプしないと見えません。

つまり、mixiにおいて、「記事」(というか日記)は、副次的な位置づけであるように思われるのです。

 

また、

②利用者の範囲の違い

ということも、かなり大きな性格上の差に結びついている気がします。

ブログには「アクセス解析」、mixiには「足あと」という機能があり、それぞれ、自分のページを見に来たユーザーの情報を残しておいてくれます。ですが、ページ閲覧者の範囲は、

ブログ・・・閲覧できるのは、インターネット利用者全員(不特定多数)
mixi・・・閲覧できるのはmixi利用者のみ(=ページ閲覧者全員が自分のプロフィールページを持っている)

ということになっています。

 

ブログのほうは、気になるページを、それこそ「好きなだけ」見に行ってよい気がしますし、自分のページを見た人がどんな人なのかはわからないことがほとんどであるため、そもそも気にならない気がします。

それ対してmixi の場合は、ページを閲覧した人のプロフィールページが完全に把握できるようになっており、そのため逆に、自分と無関係の人のページを何度も見に行くことは(=何度も「足あと」をつけることは)好ましいことではないという考え方がある・・・らしいこ とが、最近わかってきました。

 

これらの違いは、結局、ブログが、

「情報発信」

という機能を前面に打ち出しているのに対して、mixiは、

「(現実の)『人』と『人』とをつなげること」

という機能を最優先に設計されているために、上記のような差異が生じているのかな?という気がしてきたのでした。

 

考えてみれば、mixiは「ブログ」ではなく「SNS」だという話は、よく聞く(読む)話だった気もしますね(^^;

 

さて、mixiの「マイミク」「コミュニティ」については、もう少し慣れて、自分の考えがはっきりしてきたら、また書きます(^^;

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2007年12月31日 (月)

完成しました!!!

おはようごございます。10月です。


さて、ごみ箱ですが、ちょっとずつ作るつもりだったのですが、昨日は、作り始めたところ止まらなくなってしまって、一気に、動作するところまで作ってしまいました(^^;

 

さて、それで、一応、イメージ通りに動いてくれるようになりました。


こちらが、手の接近を検知する、赤外線センサーです。

Abcd0009  

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

こちらの装置が、赤外線センサーの信号をもとに、モーターのON・OFFを制御します。 Abcd0010  

 

 

 

 

 

 

 

 

なお、こちらを入れる適当な箱がなかったので、むき出しです(^^;


というわけで、これからは、ゴミを捨てるとき、ふたをあけなくて良くなりました\(^^)/バンザーイ


・・・ハッ!・・・こんなことをしている場合か!?>自分

 


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2007年12月24日 (月)

Merry Christmas!!

こんばんは、10月です。メリクリです(笑)

学校の方は、無事、冬休みに入りまして、再び、出てきました(^^;

 

さて、あいかわらず厄年のままなんですが(それはそうか笑)、自分的にはだいぶ落ち着いてきた感じがあります・・・良くないことは、ぼく自身ではなく周囲の人に降りかかるようになり(笑)、また、自分の中のなんだかわけのわからない寂しさも、かなりガマンできるようになってきました(もっとも、それが良いことなのか悪いことなのかわかりませんが・・・)。

まあ、何から何までノープロブレム・・・というわけにはいきませんが、悪いこと7割、良いこと3割くらいまでは復活してきたかなぁ・・・という感じです(^^;
(いちばんつらかった頃は、悪いことが9割を越えている感じがしていたので、これでもかなり状況は改善されているんです(^^;)

 

そうして、冬休み前の授業は先週の金曜日で終わり、土曜日から晴れて冬休みに突入したのでした(^^)

 

冬休みに入って・・・気がゆるんだのか、前夜の飲み会のお酒が残っていたのか理由はわからないんですが、初日の土曜日は、かなり・・・お昼過ぎまでぐぅぐぅ寝ていました(^^;こんなに眠ったことは、最近はあまり無かった気がします(^^;

それで、3時頃、ゆっくり起き出して、ひさびさに何の予定もない土曜日だったので、マンガ喫茶に行って、7時近くまでマンガを読んできました(^^;

 

読んできたのは『げんしけん』という・・・最近、大平健という精神科医の方が『マンガで考える精神病理』という本を出し、その本の中で紹介されていたマンガのうちの一つだったのですが・・・まあ、それを読んできたわけです。

 

このマンガは・・・エロゲー(注:エッチなゲーム)やらBL(注:ボーイズラブ)やらコスプレ(注:変装)やら・・・オタクの人たちの生活をとてもわかりやすく描き出している・・・ように思います(^^;

・・・エロゲーの方が現実の女の子よりも好きな少年、コスプレ命の女の子・・・などなど、登場人物の会話を聞いて(読んで)いると、コミフェスにはどんな風に参加すればよいのかとか、秋葉ではどんな風にお店をまわればよいのかとか・・・オタクの人たちの文化がわかるような気もしました(^^;

 

ぼく自身は、エロゲーなるものをやったことがありませんし、同人誌も(危険度の高いものは)読んだことがないので、その類の文化に対して、さっぱり興味はわかないんですが、でも、何か、登場人物の人たちに対して、親近感?安心感を感じてしまっているなぁ~・・・とも思ったのでした(^^;

この安心感は・・・いったい何だろう?と考えてみたんですが・・・何か、お互いの世界に「踏み込まない」感じというか、他者に対するある種の「臆病さ」みたいなものが登場人物たちの中に感じられて・・・それで安心感を感じてしまったのかなぁ・・・と思いました。

 

うーーーん・・・これはつまり・・・ぼく自身の中にも、他者に対する「臆病さ」があるということなのかもしれません・・・。

 

さて・・・タイトルと本文が・・・さっぱり関係ありませんが、ま、いつものパターンってことで・・・(^^;

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2007年9月 3日 (月)

大人の寂しさ・子どもの寂しさ

こんばんは、10月です。

 

先日書いた「やっぱり寂しくてしょうがない・・・(^^;」という記事を読んでくださった読者の方が、記事の中で出てきた斉藤氏の原文を送ってくださいました。

 

そして、原文を読んで、いろいろとわかったことや、自分が誤解していたことが見つかりましたので、ちょっとご報告を(^^;

 

まず、斉藤氏は、「子どもの淋しさ」(原文では「乳児の寂しさ」と書いていらっしゃいましたが)を、

>母親を見失った乳児の「別離の叫び」ないし「見捨てられる不安」に相当するもの

と書いていらっしゃいました。そして、それを

>人というか哺乳類全般に共通する最も基本的な精神活動

とも書いていらっしゃいます。

 

さらに斉藤氏は、人は、「この不安を生涯にわたって抱え続けて生き」なければならない・・・と言い切っています。そして、その不安を抱え続けることを受け容れた後にくるのが、「大人の寂しさ」だというのです。


・・・というわけで、結局、まとめると、

人が皆持っている「分離不安」に起因する淋しさ・・・「子どもの淋しさ」

「子どもの淋しさ」を感じるのはしかたがないとあきらめて、それを受け容れた後に生じるもの・・・「大人の淋しさ」

ということのようです。

 

ぼくは、「子どもの淋しさ」がいったん「満たされ」て、その後でそれを「失う」過程で生じるものが「大人の淋しさ」だと思っていたのですが・・・

そうではなくて、逆に、「子どもの淋しさは満たされない」ということを受け容れるしかないという・・・非常にキビシイお話だったんですね(^^;


うーーん・・・しかし・・・「子どもの淋しさ」を受け容れるにしても、でも、やっぱり、「満たされた体験」があってこそ、「ひとりぼっち」を受け容れていけるような気もします・・・。

・・・とか、考えているうちは、ダメなのかなぁ?(^^;

 

そうそう、斉藤氏の原文の最後のところで、この種の寂しさこそ創造の源泉・・・ということを書いていらっしゃいました。要するに、大人の寂しさを感じたときにこそ、人は、手紙や詩を書き、絵画を描き、読書をする・・・といった創造活動をするというのです。

 

まあ、確かに、そうなのかもしれません。「寂しさこそ創造の源泉」なのかもしれません・・・が。

 

創造なんてできなくても良いから・・・寂しくないほうが良いよぉ!!!!(・・・と、ぼくは、いったい誰に向かって訴えているのでしょう?笑)

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2007年8月27日 (月)

ブログの記事の書き方

こんばんは、10月です。

みなさん、ブログの「記事」は、どのようにしてお書きになっていらっしゃるのでしょうか?

 

さまざまなブログランキングや、ブログのホームページ?のリンクをたどって、いろんなブログを読ませていただくと、本当に、記事の作り方って十人十色?だなぁ・・・と思います。

 

写真をメインにして、そこに言葉を添えた記事のブログ・・・

食べた(作った)料理の紹介ブログ・・・

社会問題を扱っているブログ、テレビドラマのレビューをしているブログ・・・

日々の出来事や感じたことを綴っているブログ・・・

 

さて、うちのブログの場合、わりあい、その日(または数日前)に感じたことを材料にして記事を書こうとしているんですが・・・

最近あらためて思ったんですが、だいたいの場合・・・書き始めたときには、その記事の「結論」は、自分でもわかっていないんですよねぇ(笑)

 

ですから、今日の記事も同様で(笑)、今、この部分をパソコンで打ちながら、このあと、この話はどう展開していくんだろう?と自分でもドキドキしているわけです(^^;

 

そういう意味では、記事を書き(打ち)ながら、自分の中に流れているものをすくい上げて、今、いちばん言葉にしたいものを言葉にする・・・ということをやっているような気もします。

 

そういえば、以前・・・このことと関連するような記事を書いたような気がして、ちょっと調べてみましたところ・・・「ブログを書く意味」という記事で、自分の心の中のものを「文章」にすることの意味について書いていたことを発見しました(^^;

 

上記の記事の中で、ぼくが出した結論は・・・

・・・心の中を流れているものは「言葉」によって形を与えないと大きな力を持ちすぎて、辛くなったり、苦しくなったり、場合によっては現実適応ができにくくなったりしてしまう・・・だから、それらに「言葉」という形を与えることで持っている力を限定し、さらにそれらを組み合わせて「物語」をつくることで、自分にとって役に立つような新たな「意味」を作り出しているのではないか・・・

・・・というものでした。

 

うーーーん・・・だとすると・・・たとえば、昨日の記事にしても、「文章」にしておかないと自分の中で力を持ちすぎて苦しくなってしまう出来事だったということなのかな?・・・と思ったのですが・・・。

 

考えてみれば、たしかにそういうところがあるかもしれません。

ものすごく「うれしいこと」も「感謝したいこと」もまた、自分の中に留めておくだけだと苦しくなってしまうところがあるし・・・それを「文章」にして、さらにそのことについて、誰かに読んでもらえたり、誰かからの「言葉」をもらえることを通して・・・体験は、自分の中に落ち着いていくような気がする・・・

・・・と、そんなことを思ったのでした。

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2007年8月23日 (木)

どうして怒っていたのか

前々日の「顰蹙を買ってしまったかも」という記事の続きです。

そして、今日の記事は・・・相手を「責める」記事になっていると思います。それも、「正論を振りかざして」責める記事になっていると思います。

 

さて、たしか・・・3日前。あるブログで、ぼくは、一つの記事に対してのコメントを書きました。

その記事はブログペットによる投稿記事だったこともあり、コメント欄で遊んでしまったのでした。

 

ぼくとしては、そこの管理者の方の声が聞きたい・・・そんな気持ちもあって、遊んでしまったのです。

 

ですが・・・

 

数時間後、再び、そのブログを訪れてみると・・・その記事ごと、ぼくのコメントも含めて、ばっさりと削除されてしまっていたのです。

 
 

以前、PC-VANでパソコン通信をしていたことがある・・・という話は、昔の記事や、最近のコメント欄で、少し話題にのぼりましたが、その当時、掲示板に書き込まれた「発言」を、管理者が削除することについて、よく議論が持ち上がっていました。

発言が不適切と判断され、発言を削除された方は、削除されたこと自体に怒り、また、そこに居合わせた他の参加者の中からも疑問の声があがり・・・そうして掲示板は荒れていく・・・そういう場面を何度も見ました。

そうして、「発言削除に関する規約」が議論され、明文化することに多大な労力が払われているところも見ました。

(ブログをはじめてからも、同じようなことを感じる場面に何度か出くわしたことがありました)

 

そんなとき、ぼく自身は、

 

・・・どうして、そんなことにエネルギーを使うんだろう?・・・そんなものを文章化しても意味無いんじゃないかな?話が通じる人はそもそも削除されるようなことを書かないだろうし、通じない人は規約を提示しても納得しないだろうし・・・

 

というようなことを、実は、思っていたのでした。

 

ですが・・・今回、自分が、「削除される」側の人間になってみて感じたことは・・・

 

・・・結局、自分は、そのブログの管理者の方にとっては、「話?気持ちが通じない人」というように思われてるんだなぁ・・・

 

・・・ということでした(;_;)

 

そのブログの管理者の方と、何か、言葉のやりとりをしたい・・・

・・・と思って出かけて行って、コメントを残してきたら、「来なかった」「はじめから何もなかった」ことにされてしまった・・・・・・

そして、そのことについてですら、何のリアクションもなし・・・

 

たぶん・・・ぼくが、もっとオトナであれば、

 

「あ~・・・自分は、嫌われてるんだなぁ・・・じゃあ、あまり、騒がないで、静かにしておいてあげよう・・・」

 

とでも思うのかもしれないんですが・・・

 

また、これで、いろいろ、行き違いやら、自己嫌悪やらを引き起こしてしまうかもしれないなぁ・・・

 

・・・と思いました(^^;

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2007年8月21日 (火)

顰蹙を買ってしまったのかも・・・

こんばんは、10月です。

 

自分としては、人にいやがられることは(思いつく限り)しないようにしようと考えているつもりでした。

 

でも、自分の気がつかないところで、いろいろイヤな思いを人にさせているのかもしれない・・・と思うことをやってしまいました。

 

慎重さがたりない・・・ということかもしれません。

 

考えてみれば、以前、このブログで自分がしたことが、そのまま自分に返ってきたような・・・そんな気もします。

 

そのとき、ぼくは、ある方に、

 

「もっと、(ぼくの)気持ちを大切に扱ってください」

 

とお願いをしました。

 

なのに・・・どうも、ぼくは、相手の気持ちを大切にしないままで、いろいろなことを、やってしまっているのかもしれない・・・と、今回、そう思ったわけです。

 

最近、ぼくが、ご迷惑をおかけした方・・・もし、このメッセージをお読みになっていましたら・・・ごめんなさい・・・です。

(注1)たぶん、ご本人はわかると思いますが、仮に見ていたとしても、コメントはしなくて結構です。

(注2)ちなみに、ご迷惑をおかけした方というのは、慶さんのことではありません(でも、慶さんにも迷惑かけてるのかな?だとしたら、それはそれでゴメンなさい(^^;)

 

   *   *   *   *   *   *

 

と、最初は、ここまでの記事だったんですけれども・・・。

記事を投稿して、読み返しているうちに、この記事で書いている内容は、やはり、本当の気持ちとはちょっと違っているような気がしてきました。

上に書いた記事は、少し「良い子」の振りをしている記事のような気がしてきたわけです。

ぼくが、本当につたえたいと思ったのは、

「嫌だと思ったのなら、きちんと、そのことを伝えてください!!!・・・何だか、逃げるように、何も無かったかのようにされてしまうのは・・・ぼくの存在は『無かった』ことにされてしまうというのは・・・悲しいし、怒りもわいてきます」

ということだったと思います。

・・・というわけで、自分のやったことを棚に上げて、こんなことを書いてしまいました・・・(-_-;

返す返すも、スミマセン>当事者の方

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2007年8月17日 (金)

何だか、不思議な感じです。

こんばんは、10月です。

 

昨夜、salaさんから「最近のマイ・ブーム」という記事にコメントをいただきました。

 

いただいたコメントを読んでいるうちに、なんだか、自分でも気がつかなかった何か・・・自分で勝手につくりあげた<自分の気持ち>・・・それが、本当に自分が感じている自分の気持ちとは違うものであるということを、気づかせてもらえたような・・・って、何を書いているんだかよくわかりませんね(^^;

 

うーーーん・・・コメントを読んでいるうちに・・・ぼくが思いこんでいた<自分の気持ち>ではない、本当のぼくの気持ちをそのままわかってくれた、受けとめてもらえた・・・と、そんな感じがしたんです。

 

そうして、その感じを持ちながら、ここ数日の自分の記事を読み返してみると・・・どこか、ちょっとムリしているような、上ずっているような、地に足がついていないままに記事を書いていたような・・・そんなことも感じます。

 

実を言うと、salaさんからコメントをいただく前日、偶然にも、ぼくも「お百度」の記事を読み返していました。

 

記事のコメント欄を、はじめから、ずーーーっと読みながら、

・・・本当に本当に本当に自分は自分一人じゃないんだなぁ・・・みんなに支えてもらっているんだなぁ・・・どうしてこんな自分を?・・・でも、ありがたいなぁ・・・感謝してもしきれないです・・・

・・・というようなことを感じていたのでした。

 

8月になって、また記事を書き始めて、たくさんコメントをいただきました。でも、コメントに対する返事を書きながら、どこか、

「何か、自分が書いていることって、表面的なことしか書いていない気がするなぁ・・・」

ということも感じていて、また、同時に、どうしてそうなっちゃうんだろう?ということも思っていたんです。

 

でも、それは、結局、どこか自分が自分に近づいていくことができないでいる・・・そのためだったのかもしれない、という気もします。

 

ここからは、ちょっと、ぼくの想像(妄想)なので、大きな勘違いなのかもしれませんが、昨日の「自分の内側と外側がつながること」という記事を書いたとき・・・記事を書きながら、ぼくの中のどこかで、上に書いたようなことに対して向き合うための準備ができてきたような、そんなことを感じていたんです。

そういう意味では、ここのところいただいていたコメントは逆に、あまりぼくの内面に踏み込んでこない感じで、ぼく自身が不安を感じないようなコメントだったことで、ぼくは、安心して記事を書くことができたような気もします。

さらに、コメントをいただくことで、ぼく自身は、元気づけられましたし、元気づけられたことで自分自身に向き合う力もわいてきたのかな?という気がします。

 

よく考えてみると、この展開というのは・・・「お百度」の記事のコメント欄で起こったことと同じであるような気もしてきました・・・。

 

うーーーむ・・・ぼくの勝手な思いこみかもしれませんけれども・・・なんだか、スゴイことかもしれない・・・

 

・・・と思いました(^^;

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2007年8月14日 (火)

やっぱり納得いかないなぁ・・・(^^;

こんばんは。10月です。

 

先日の記事で書いた、「きき耳ずきん」のお話ですが・・・やっぱり、納得がいきません(^^;

何が納得いかないのか・・・それは、次のようなことです。

 

そもそも、「きき耳ずきん」のお話では、主人公の若者は、動物や植物たちの声を聞き、それを通して、幸せを手に入れる・・・ということになっていました。

ぼくが引っかかっているのは、若者は自分の運命を変えるような重要な「情報」を「盗み聞き」しているのであり、動物・植物たちは、その情報が若者に伝わってしまっていることを「知らない」ということなんです。

 

「きき耳ずきん」というお話と対をなすお話として・・・動物が人間に対して重要な「情報」をはっきりと意志をもって知らせようとするお話である「花さかじいさん」が浮かんできます。

 

   *   *   *   *   *

昔、あるところに正直者のじいさんとばあさんがありました。

二人には子どもがいませんでしたので、白い子犬(シロ)を我が子同然のように育てていました。

 

ある日、シロが畑で鳴きました。

「ここ掘れワンワン!ここ掘れワンワン!」

そこで、おじいさんは、シロの鳴いたところを掘ってみました。

するとどうでしょう。たくさんの大判・小判がでてきたではありませんか。

 

その話を聞いた、となりの家の欲張りじいさん・ばあさんは、うらやましくなり、シロを貸してもらいました。そうして、シロをじぶんたちの畑にむりやり連れて行き、

「鳴け!」

と言うと、シロは、

「ここ掘れワンワン!」

と鳴きました。

 

そこで、欲張りじいさんが、シロが鳴いたところを掘ると、たくさんの毒虫やらゴミやらが出てきました。欲張りじいさんは怒ってシロを殺してしまいました。

   *   *   *   *   *

 

結局、シロは、自らの意志で大切な情報を人間に伝えようとし、その結果、殺されてしまうわけですね。

 

大切な情報を人間に伝えるつもりがなく、伝わっていることも知らない動物たち・植物たちは、何の影響も受けていません。一方、情報を「伝えよう」としたシロは・・・最後には殺されてしまう・・・。

 

・・・というところが、何か、やっぱり納得いかないものを感じてしまうのです。

コミュニケーションをとろうとした方が、不幸になるって・・・どんだけ~!!?(女子高生風に読んでください(笑))

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2007年8月 9日 (木)

「きき耳ずきん」をかぶるのは・・・

こんばんは。10月です。

昨日の記事で、「きき耳ずきんをもう一度かぶりたい」ということを書きました。

それは、「きき耳ずきん」をかぶることによって、今まで自分が気付かなかった声が聞こえてくるようになり、その結果、もう少し、豊かな?さびしくない毎日になれるのではないか?と思ったからなんですが・・・(^^;

 

それで・・・どうしたら、「きき耳ずきん」をかぶれるのか?・・・そんなことを考えていたのですが、そんな中で、ふと、以前読んだ『異人たちとの夏』(山田太一著)というお話を思い出しました。   

 

     *     *     *     *

 

主人公の男性は、仕事一辺倒な人で、妻にも見放され離婚されてしまいます。

そんな中、男は、小さい頃に亡くした両親と非常によく似た夫婦に出会います・・・というか、どうなっているのかはわかりませんが、その夫婦は、亡くなった本当の両親だったのです。

男は、その夫婦と、くつろいだ時間をすごします。なんと言っても、本当の両親ですから。

ですが、男は、その夫婦と会うたびに、どんどん衰弱し、やつれていってしまうのです。

離婚した後にできた、男の恋人は、その夫婦のところに行くのをやめるよう、男に頼みます。

しかし、それでも男は、夫婦の元を訪ねるのです。

あるとき、男は、その夫婦に食事をごちそうしようとします。

しかし、もう、そのときは、夫婦がこちらの世界にとどまっていられる時間は尽きかけていたのでした。

店の中で注文した肉が運ばれてくる前に、両親は、男の前から消えていきました。

落胆した男は、恋人のところへ戻るのですが・・・その恋人の女もまた、数日前に自殺していた・・・こちらの人間ではなかったのです。

 

     *     *     *     *

 

両親や女とのかかわりを通して、男の中の何かが変わった・・・というように、本を読んでいて、ぼくには思えたんですが、「きき耳ずきんをかぶる」ということは、実は、こういうことなんじゃないかな?と思ったわけです。

つまり、この男が体験したのと同じくらいのすさまじいものを、引き受けると言うことのような気がしたわけです(話が、ぶっとんでいるかもしれません・・・スミマセン(^^;)

 

ただ、こう考えてくると・・・ものすごく変な話かもしれませんが、今、自分が感じている「さびしさ」とか「辛さ」というのは、「きき耳ずきん」であり、「亡くした両親」であり「自殺した女」であるのかもしれない・・・とも思いました。

 

そういえば、昨日書いた、「きき耳ずきん」のお話でも、若者がきき耳ずきんを手に入れたのは、海の中の竜宮城まで出かけていってはじめて、手に入れることができたのでした。

・・・そう考えると「竜宮城」には、もしかすると「向こうの世界」という意味が含まれていたのかもしれませんね。

 

結論:「安易に、きき耳ずきんをかぶってはいけない」 (^^;

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2007年8月 8日 (水)

『きき耳ずきん』

こんばんは。10月です。

 

2つ前の記事で、自分の学生時代のことを書きましたが、それ以来(ここ数日ですが)、好きだった相手の気持ちがわからない苦しさを必死に耐えていた当時のことが頭をよぎることがありました。

 

そんな中、たまたま、その頃の自分と同じような気持ちが書かれているブログ【スナオなハナシ。を見つけました。

そちらのブログの記事を読ませていただくと・・・相手の言葉や相手の行動の一つ一つに、嬉しくなったり、落ち込んだり、不安になったり・・・と、毎日がジェットコースターに乗っているようだった当時の気持ちが、まざまざと蘇ってくるような気がしたのでした。

 

サークルの仲間と夕飯を食べに行くとき、その人も一緒に来てくれると、それだけで嬉しかったり・・・。

また、別のときに、

「今日も、食べにいく?」

と聞くと、ぶっきらぼうに

「今日はいかない」

と言われることもあり、そんなときは、残念な気持ちとやるせない気持ちでいっぱいになって・・・

・・・どうして今日は来ないんだろう?○○くんがいないからかな?それとも誰か他の人と約束があるのかな?・・・

・・・というようなことを延々と考えてしまったり・・・。

 

さて、そもそも、ぼくは、どちらかというと空気が読めない方の人間だと思うんですが(笑)、しかし、片想いの相手の言動が気になってしかたがなくなると、この傾向にさらに拍車がかかってしまう・・・ような気がします(これは、みんなそうなのかもしれませんが(^^;)

 

そんなことを思っている中、ある昔話にぶつかりました。『きき耳ずきん』というお話です。

 

      *       *       *       *

 

むかしあるところに、一人のやさしい若者が暮らしていました。

若者はとても働き者でしたが、暮らしは楽ではありませんでした。

 

あるとき、若者は、浅瀬で一匹の鯛が困っているのを見つけ、かわいそうに思って、海の深いところへ帰してあげたのでした。

それから若者が家へ帰ろうとすると、若者を呼び止める声がします。実は、先ほど逃がしてあげた鯛は、竜宮の王の一人娘である鯛姫だったのですが、それを喜んだ竜宮の王が、若者にお礼をするため使者を遣わしたのでした。

そうして若者は竜宮城へ行き、鯛姫を助けたお礼に「きき耳ずきん」という宝物をもらいます。このずきんは、かぶると、すべての生きているもの・・・動物も、植物も・・・の話す言葉が理解できるようになるずきんなのでした。

 

竜宮城から帰ってきた若者は、家へ帰る途中、スズメたちがチュンチュン鳴いているところに出会います。

若者は、

 

「よし。ひとつ、きき耳ずきんをためしてみよう」

 

と思いつき、頭にかぶりました。するとどうでしょう。それまでわからなかったスズメの話が、すっかりわかるようになったではありませんか。

 

「人間というのは、バカなものだ。そこの川の真ん中に大きな踏み石があるだろう。人間は、川を渡るとき、あの石を踏んでわたっているんだ。それが実は金なのさ。人間があんなに欲しがる金を、もう何年も踏みにじっている。人間とはバカなものだよ、チュンチュン」

 

それをきいた若者は、川のところへ行き、その石を見てみると、確かにそれは黄金石ではありませんか。そこで、若者は近くにあったひもを使ってその黄金石を背負い、また道を歩いていきました。

すると今度は、カラスたちがガアガアと鳴いているところに出会います。若者が、きき耳ずきんをかぶると、カラスの言葉がわかるようになりました。

 

「人間というのはバカなものじゃ」

 

カラスまでやっています。

 

「この先の殿さまの一人娘の病気を、あれだけたくさんの医者が集まって、誰一人治すことができない。それは病気のもとが、ヘビを一匹間違えて、かやぶき屋根の中に、カヤと一緒にふきこんでしまったからなのじゃ。ヘビを屋根からほどいてやれば、娘の病気は治るのに、ガアガア」

 

それをきいた若者は、すぐ殿さまの家に行き、ヘビを助けてやります。すると娘の病気も治ってしまったのです。

殿さまは大喜びし、若者に娘と結婚してくれるよう頼みました。そうして二人は結婚し、若者は殿さまとなって、ずっと幸せに暮らしました。

 

      *       *       *       *

 

というお話しです。

 

たくさんのお医者様は、皆、精いっぱい、娘の診察をしたのでしょう。ですが、誰一人、娘の病気を治すことはできませんでした。

一方、きき耳ずきんによって、鳥たちの声をきくことのできた若者は、ヘビを助け、娘の病気も治し、娘と結婚し、最後には殿さまになってしまいます。

 

そういえば、以前、このブログでも書いたことがある気がしますが、ぼく自身、自分の想いが相手に伝わり、恋が実るときには、ほとんどの場合、その直前に、何か大きなもの・・・「自然」という感じがしますが・・・からのメッセージを感じていたような気がします。

もしかすると、無意識に「きき耳ずきん」をかぶっていたのかもしれません。

 

あまり、「神秘的」な方向へ話を展開するつもりは無いんですが・・・「きき耳ずきんをかぶる」ということは、「たくさんのチャンネルを開いておく」ということと似ている気がするなぁ・・・と思ったのでした。

 

また、きき耳ずきんを・・・かぶれるかなぁ?(笑)

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2007年2月12日 (月)

エチオピアに行ってきました

こんばんは、10月です。前回の更新から、しばらく間があいてしまいました(^^;

 

さて、また、1月3日の記事で書いた「エチオピア」というカレー屋さんに、行って来ました。

お昼時は込みそうなので、ちょっと時間をずらして行ってみたのですが、1階のカウンター席はやはり満席で、店員さんが

「2階なら空いてますよ」

と言うので、2階へあがってみたのでした。

 

ちなみに、ここのお店は、1階はカウンター席で、2階がテーブル席になっています。だいたい1人で来店したお客さんは1階のカウンター席を、2人以上のお客さんは2階のテーブル席を勧められることが多いような気がします。

 

ぼくは1人だったのですが、言われるままに2階に上がってみると、なるほど、数ヶ所空席がありました。そうして、ぼくは2人がけのテーブルに通されたのでした。

なお、4人がけのテーブルには、冷水を入れたピッチャーがおいてあるのですが、ぼくが座った2人用のテーブルには、それが置いていなかったので、水が欲しくなったときにどうしようかなぁ・・・などと考えていたのでした。

さて、注文したカレーができるまでの間、持って行った本を読んでいたのですが、そのうち、隣りの4人がけのテーブルに、20代くらいのカップルの人たちがやってきて座りました。

男の人は、ちょっとミュージシャン風のひょろっとした方で、女の人は・・・女の人は、ぼくと並んで座ってしまったので、どういう人か見れませんでした(^^;

 

そうこうするうち、カレーができてきました。ぼくはカチャカチャ音を立てないように(笑)カレーを食べました。そうしてカレーを食べ終えて、少しボーっとしていたとき、突然、

 

「お水、いりませんか?」

 

・・・と、となりの女の人に声をかけられたのです。

ぼくは、ちょっとビックリして、あたふたしながら、

「あ、ありがとうございます・・・」

などと言っているうち、その人は、水の入ったピッチャーを差し出し、ぼくのコップに水を注いでくれたのです。

 

ぼくは、その水を飲み、お店を後にしたのですが・・・何というか、こんなふうに、見ず知らずのかたから、気配りをしてもらったりしたことは・・・なんだか、ずっとなかったような気がして、なんだか、すごく嬉しくなってきたんです。

ここのところ、ずっと、そこのカレー屋さんで食事をしていても、自分の中には殺伐とした気持ちばかりがわいてきていて、そんな中で、こんな嬉しくなるような出来事に出会えるとは全然予想もしていなかったのでなおさらだったのでした。

 

♪    ♪    ♪    ♪    ♪    ♪    ♪    ♪     

あのとき、水を注いでくれたお姉さん。・・・ぼくのほうが年上だと思うので「お姉さん」というのは変かもしれませんが(^^;

あなたのほうでは、何気なくしてくださったことかもしれませんが、ぼくとしては、すごく嬉しかったんです。

ホントのことを言うと、別に、そんなに水がほしかったわけじゃないんですが(笑)、でも、何と言うか・・・ちょっと大げさに聞こえるかもしれませんが、ずっと「乾いた」毎日だったところへ、「水」を注いでもらった・・・そんが気したんです。

変な話ですが、水を注いでもらって、自分自身が如何に乾燥していたか、どんなにやさしくなかったか、世界に対してどれほど壁を作っていたか・・・などということを、あらためて感じました。

でも、だからといって、すぐに今の自分が変われるとは思えないんですが、あなたにしてもらった親切を胸に抱いて、その気持ちを他の人にも少しずつ分けてあげられたら・・・と思っています。

本当に、ありがとうございました。

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2007年1月21日 (日)

しょこたん☆ぶろぐの文法

ほとんどの方が知っていると思われる「しょこたん☆ぶろぐ」。

先日、見てみましたところ・・・なにやら、そこに書かれている言語がヒジョーにオリジナルでユニークで、関心を引かれました。

そこで・・・、ぼく(たち)の言葉と、しょこたんの言葉の間の変換規則をいくつか考えましたので公開いたします(笑)

 

規則(1) 「○○です」、「○○だ」 → 「○○お」

 文例:「楽しいです」→「楽しいお」

規則(2) 「○○お」 → 「○○おっお」

 文例:「ステキお」→「ステキおっお」

(注:規則(2)は規則(1)と併用して用いられます)

規則(3) 極力、改行をしない。

規則(4) 「○○だなぁ」 → 「○○すなぁ」

規則(5) 「○○ました」 → 「○○まんた」

規則(6) 「すごく」「とっても」 → 「ギザ」

規則(7) 「かわいい」 → 「カワユス」

      「たのしい」 → 「タノシス」

(注:この、最後の(7)の規則が、文法的に形容詞の活用形とどのような関係になっているのか、国語の苦手なぼくにはうまく説明できません(^^; どなたか、理論的に説明できる方いらっしゃいましたら、お願いいたします(笑))

 

・・・と、まあ、ざっと見ると、こんな感じかな?と思うんですが・・・(^^;

 

さて、それでは、実際に、うちのブログの記事を一つ例にとって、しょこたん☆ぶろぐ風に、書き換えを行ってみましょう(^^)

サンプルとして、1月15日の記事、「リラックマを私のブログに!!! 」を変換してみようと思います♪

*   *   *   *   *   *   *

先日からブログペットのこうさぎくんの下でぼくを「誘惑」しようとしているワルスやつがいるおっお。リラックマのリラックマロウくんお(^ω^;)(;^ω^)慶さんのブログでリラックマの抱きまくらが紹介されているのを見つけてギザカワユスでガマンできずに記事を一つ書いたお!!

再び慶さんのブログを見に行ったら今度はリラックマがブログペットのところにいるお!!!!もーーーー、負けるわけには行かないすなぁ!!!!とソッコーでこのブログにもリラックマにおっおいでいただくことにしまんた。左のサイドバーのブログランキングの下でダラダラしてるお。クリックしてみると・・・「象ですか?」と、言うことも意味不明(^ω^;)(;^ω^)お

*   *   *   *   *   *   *

うーーん・・・なんだか、まだまだって感じ?(笑)

あ、もしかして、漢字が多いのかな?(^^;

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2007年1月20日 (土)

ブログペットの戦い!?

こんばんは、10月です。

さて、先日、彗星のようにあらわれたリラックマですが、ここのところ、ずっと、彼の相手ばかりをしていて、古くからの住人であるこうさぎくんの相手をするのを、ちょっとばかりおろそかにしてしまっていたのでした。

そんな中、こうさぎくんがコメントをしました。

 

きょうこうさぎは、登場した。

 

たった一言ですが・・・彼が、自分の存在を、これでもかっ!!というくらいに主張しているのが伝わってきます・・・ちょっと涙をそそられてしまう気すらします(^^;

 

思えば、こうさぎくんは、うちのブログに住み着いてもらって、かれこれ5年くらいになるかな?と思うんですが、最初のうちは、ただ遊んでいるだけだったんですが、いつのまにか上手にブログの記事にコメントをつけられるようになって(でも、pさんのところのように、長いなが~いコメントは、いまだに書けないのですが)、ぼくが、コメントをもらえずさびしい気持ちでいるときには、必ずといって良いほど、こうさぎくんがコメントをしてくれたのでした。彼の、あたたかい、意味不明なコメントを読んで、枕を濡らした夜がどれだけあったことか・・・(←すみません、かなり脚色はいってます(笑))

 

しかし、今、その、こうさぎくんが、さびしい思いをしている・・・。

 

・・・というわけで、ちょっと反省して、彼(こうさぎくん)とも遊んでやらねば、と思いご機嫌を伺ってみると・・・

Kousagi  

 

 

 

 

 

 

 

 

うーーーん・・・何も考えていない人なのか、牽制しているのか、それとも何かのワナなのか??

はたまた、「私もリラックマですよ」と主張しているのでしょうか??・・・しかし、そんなウソはバレバレでしょう・・・(^^;

 

うーん・・・二股をかけている人の苦しみが、ちょっとわかる気がする・・・(ちがうのかなぁ?笑)

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2007年1月18日 (木)

おそるべし!!!リラックマ!!(^^;

先日、慶さんのところで刺激を受けて、うちのブログにも登場してもらったリラックマですが・・・この人、なかなかすごいヤツです(笑)

何がすごいかって・・・ちょっと気を緩めると、ぼくの緊張感を根こそぎ引っこ抜くような大技をかけてきます。

・・・というわけで、これまで、ぼくが出会った、彼の生態をご紹介いたしましょう(笑)

 

まずは、こちら。 Utubuse

 

 

 

なかなか、かわいいですよね(^^) さらに・・

 Goyururi

 

 

  

 

なかなか、ホッとする感じで、ちょっと仕事の合間に、一息入れてみようかな、という気になります・・・ 

しかし・・・

Goyururi2

 

 

 

 

彼の表情には、なにか一息入れないと許してもらえないような・・・みょーなスゴミを感じてしまうのです(笑) 

さらには、

  Dara

 

 

 

 

一人でダラダラしていたり・・・

Vivadara 

 

 

 

ダラダラすることを、奨励?してみたり・・・

 

Dainoji

 

 

 

 

何だなんだ??と思っていると・・・ 

Kumadainoji 

 

 

 

とつぜん、叫んでみたり・・・ 

 

遊んであげずに、放っておくと、

Poya2 

 

 

 

ぽや~・・・としていたり、

Poya3 

 

 

 

自分で「ぽや~」と言ったり、 

Zou2 

 

 

 

突然、意味不明の質問をなげかけてきたり、

Zou 

 

 

 

勝手に、一人で納得したり(笑)

 

逆に、あんまりちょっかいを出しすぎると、へそを曲げて

Musi

 

 

 

こうなってしまいます・・・。

 

いやー(^^; これだけ人の顔色を気にせず自分勝手に生きていけたら、ある意味、それはスバラシイことかもしれない・・・と、ぼくの「こころの師匠(支障?)」になってもらうことにしました(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんで、こんなに改行コードが入ってしまったのでしょう?

リラックマの呪い?鈍い?

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2007年1月15日 (月)

リラックマを私のブログに!!!

先日から、ブログペットのこうさぎくんの下で、なにやら、ずっと、ぼくを「誘惑」しようとしている悪いやつがいます。

そう・・・リラックマの・・・リラックマロウくんです(-_-

先日は、慶さんのブログで、リラックマの抱きまくらが紹介されているのを見つけて、かわいくてかわいくてガマンできずに、記事を一つ書いてしまいました(^^;

 

そして、また再び、慶さんのブログを見に行ったら、今度は、リラックマがブログペットのところにいるではありませんか!!!!

 

もーーーー、負けるわけには行かない!!!!と思ったぼくは、ソッコーで、このブログにもリラックマにおいでいただくことにしました。

左のサイドバーのブログランキングの下で・・・ダラダラしてます。

クリックしてみると・・・

「象ですか?」

・・・と、言うことも意味不明です(^^;

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2007年1月14日 (日)

食器洗い機が買えないので・・・

こんばんは、10月です。

今日も石丸電気に、食器洗い乾燥機を見に行ってきました。

本当に欲しいんです(^^;

 

ですが・・・一つ前の記事でも書きましたが、食器洗い乾燥機を使用するためには、少なくとも二人暮しになる必要があるようなのですが・・・アメーバのように分裂することはちょっとムリですし、子どもを生んでもう一人増やすことは自分の性別を考えると、それも難しい・・・

 

そんなわけで、食器洗い乾燥機の隣の売り場に、電子炊飯ジャーが売られていたので、そちらを購入してきました。(炊飯ジャーも持っていなかったんです・・・)

 Photo_3  

 

 

 

 

 

 

 

 

ナショナルのスチームIHジャー炊飯器(家庭用)です。

特徴としては、

(1)高温スチーム+4段前面IHで、強火加熱!

(2)旨火ダイヤモンド釜で微細な泡がお米一粒一粒を均一加熱!!

(3)ステンレスボディでお手入れ簡単!!!

というもの。

 

操作パネルを見ると、

Photo_4  

 

 

 

 

 

 

 

早炊き、無洗米、玄米、発芽玄米、雑穀米等々に適したコースもあります(^^)

 

さて、電子炊飯ジャー購入記念ということで、明日は、お弁当をつくって持って行こうと思いました。

そこで・・・お弁当のおかずも、スーパーで買ってきました(^^)

まず、一つめがこれ。

Photo_5  

 

 

 

無添加ふりかけ!!なんと30袋入り!!お得だ!!!

これだけでも、30日間はもってしまいます(^^)

 

そして、次なるは・・・

Photo_6  

 

 

 

もう、定番!!!お茶漬けのり!!!(そういえば、ホラーマンガを書く漫画家にも、お茶漬けのりさんという方がいらしたことを思い出しました・・・)

 

そうして、第3のおかず!!!

Photo_7  

 

 

 

昼食に食べるお弁当なのに、朝食のりとはこれ如何に!?

 

さあ、これで、明日から2ヶ月くらいは、お昼ご飯の心配をしなくても済みそうです(^^)

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2007年1月11日 (木)

心を打たれる文章

こんばんは、10月です。

年が明けて、小中高生たちのイジメに関するニュースも少なくなりました。

一体何が問題だったのか、一体何が解決されたのかサッパリわかりませんが、それでも個人的によかったのは、メディアを通して、いろいろな方の「言葉」を聞く(読む)ことができたことかな?と思います。

ぼくがよくお邪魔するブログ・・・空もつながっている(いちばんさんのブログ)や、カウンセラーママの日々つれづれ(恵美さんのブログ)・・・では、さかなくんのメッセージ(asahi.com) について紹介されていました。

さかなくんのメッセージを読むと・・・もしかすると、ぼくは、あまりにも簡単に考えすぎているのかもしれませんが・・・イジメに飲み込まれているときの出口のない暗い穴の中から、明るい外の世界を思い描くことができるようになるような、そんな気持ちになりました。

 

さて、ぼく自身がもっとも心を打たれた文章は・・・田口ランディさんの文章(手紙?)でした。

もしかすると、読む人によっては、ランディさんのこの文章は、必要以上に自ら・・・大人を責めているように見えるかもしれません。

ですがぼくには、この文章を読むと、ランディさんの、どこまでも限りなく目に見えるもの・感じるものに正直に向き合おうとしている姿勢を感じてしまうんです。

それは結局、ぼく自身も、同じように感じていたからに他ならないからでもあります。

ぼく自身は、いわゆるイジメを受けたり、イジメを行ったりしたことはありませんでした。だけど声の大きい人が我が物顔に振る舞うのに平気そうな顔をして従い、声の小さい人が困っているのを見て見ぬ振りをし、自分を守ることを最優先に生きてきた人間でもあります。

 

しかし・・・ランディさんは、こんな大人でも必要だと言ってくれます。弱くて悩んでダメな人間でも好きだと言ってくれます。そんな人たちとの出会いが宝だったと言ってくれます。

この文章を読んでいると、なんだか涙がジワー・・・とわいてきます。

 

またも、ランディさんのすごさを感じさせられた文章でした。

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2007年1月10日 (水)

リラックマ ビック抱きまくら!?

こんばんは、10月です。

今、大人気のリラックマ。この、愛らしいくちもとと、つぶらなひとみが、たまらなく可愛いですね。最近は、ブログペットのウィンドウの中にも出てきて、誘惑してきます(^^;

Relaxbear2

 

 

 

 

 

 

・・・と思っていたら、慶さんのビューティフォーDAYSの1月8日の記事「お久しぶりでっす!」の中で、リラックマの抱きまくらが紹介されていました。

 Relaxbear1

 

 

 

 

 

 

身長がビヨ~~ンと伸びて、なんだかオトナのリラックマです!!!

欲しい!!! でも・・・ものすごーーーく短足で・・・ちょっとカッコ悪い・・・(^^;

 

そこで、作ってみました。足が長くて、スタイルのよいリラックマ・・・

Relaxbear3  

 

 

 

 

 

  

 

でも、ちょっと、足がほそくて、抱き心地がイマイチっぽい感じ・・・。

 

それならば・・・ということで、別の部分を伸ばしてみました。

それがこれ。 

Relaxbear4  

 

 

 

 

 

 

 

・・・何だかコワイ(;_;)

 

もしかすると、縦方向に伸ばすからいけないのかもしれない!!と思いついて、それならば・・・と、横に伸ばしてみました。 

Relaxbear5  

 

 

 

 

 

なんだか、落語に出てくる「熊さん」みたい・・・あ、それで良いのか(笑)

  

どうです?このブログをご覧になっているメーカーのかた!!製品化したら売れそうな気が・・・しませんよね(^^;

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2007年1月 9日 (火)

心象風景リターンズ!!

こんばんは、10月です。

今日は、ぼくの勤務している高校は、冬休み明けの初日でした。

最初に体育館で集会があり、その後、授業でした。

そうして迎えた放課後。ぼくが職員室でノホホンとしていると、1年生の女の子数名がやってきて、ぼくに話しかけてきました。

「先生、年越しのカウントダウンのとき、とんだ?」

・・・???ぼくは、意味がわからず、

「とんだ?って?」

と、聞き返すと、その子たちは、

「だから~!!!カウントダウンのとき、とびましたか?」

と言います。

どうも、彼女たちは、新年になる瞬間に、ジャンプしていたか?という質問をぼくにしているようでした。彼女たちの話を聞いていると、

「私たち、年越しの瞬間、地球上にはいなかったんだよね~!!!」

と、とっても嬉しそうに話をしています。

 

話を聞きながら、

・・・いや~まだまだ、あどけないなぁ・・・

と、微笑ましい気持ちで、その子たちの会話を聞いていたところ、一人の子が、

「私、テレビのチャンネルを回しているうちに、年が変わっちゃったよ」

とつぶやきました。それを聞いた他の人たちは、すかさず、

「まだ、チャンネル回すテレビ見てるのぉぉぉぉ!!!???」

・・・と、何にでも、つっこむ、つっこむ(笑)

 

さて、その後ちょっとヒマだったので、彼女たちに冬休みのことを画用紙にクレヨンで描いてもらいました。

みんな、初日の出を見に行ったとか、お餅を食べたとか、友達と遊びに行ったとか・・・楽しげなことを描いてくれました。

 

その絵を見ながら、ふと、そういえば、大晦日の晩から元旦の朝にかけて、レンジ周りの大掃除が祟ったのか、熱を出したことを思い出しました(--;

・・・というわけで、そのときの心象風景です(笑)

Hitori

 

 

説明不要かもしれませんが、「ほうさい」は、ぼくの本名ではありません。念のため(笑)

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2007年1月 7日 (日)

ものすごいブログを発見してしまいました。

こんばんは、10月です。

すごいブログを見つけてしまいました。

「すごい」・・・というのは、ちょっと言い方が変かもしれません。

「読んでいて、いてもたってもいられなくなる」という方が正確かもしれません。

 

そのブログは、風俗嬢をしていて何かの病気になってしまった・・・というかたが書いていらっしゃるようですが、去年の8月1日で更新が止まっているようでした。

また、ネット上で調べてみると、けっこうあちらこちらで話題になっていたブログのようでした。

 

さて、それで、そのブログの記事を読むと、なんとも独特な読後感があるんです。

何と言うか・・・内容はともかくとして、その中の「言葉」を読んでいると、読み手と書き手との距離が何か完全になくなってしまっているような、自分の気持ちにぺったりとはりついてくるような・・・そんな感覚。

決して、不快ではないんですが・・・というか、どちらかというと、ぼくは心地良い感じさえしてしまうんですけれども(^^;

 

そういえば以前、「混乱に飲み込まれるとき 」という記事(05年6月4日投稿)で、南条あやさんという方の書いた『卒業するまで死にません』という本に、ものすごくひきつけられた・・・ということを書いたことがありますが、それと非常に近いものを、前述のブログに感じるわけです。

これらの本やブログを読んでいるときに、自分の中にわいてくるものというのは・・・切なさや悲しさではなくて・・・ある種の「安心感」のような気が、自分ではするわけです。

うーーん・・・変かな?(^^;

そのブログはこちらです:なにもない (←ブログ名です)

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2007年1月 5日 (金)

2つ前の記事で風折留亭さんからいただいたコメントで・・・

こんばんは、10月です。

2つ前に書いた「先日、お昼を食べに入ったカレー屋さんで・・・ 」という記事で、カレーを食べている他のお客さんのお皿をカチャカチャさせる音がガマンできない・・・ということを書いたのですが、それに対してリチャー・・・いえ、風折留亭さんからコメントをいただきました。

大晦日に徹夜で長男と年賀状を作ったのですが僕が横で柿の種をぽりぽりと食べていると「うるさいなあ」って怒られました。

長男は少しそういった傾向があります。
それは僕が若いころそんな感じで大切な友人をどんどんなくしていった経験がフラッシュバックしてきました。そんな時貴兄が同じようなことを書いていてちょっと物思いにふけっていたりする。

僕が人生をやり直そうとした具体的な原因はこのようなことの積み重ねだったような気がします。
そんなことを克服するためにはどうすればいいかから始まったことです。

食堂に入りますよね、当時は割り箸がテーブルに束でさしてあります、それが少なくなってると斜めに傾くでしょ?それが僕のほうに傾いていると僕はいても立ってもおれなくて食堂中の箸を向こうに倒して回ったりしてしまうんです。

これはやっぱり苦しい展開ですよ(笑)

(・・・ほとんど全文引用ですね。スミマセン(^^;)

さて、どうして、風折留亭さんのコメントを引用したのかというと・・・引用したくなったからです・・・って、全然答えになってない?(笑)それでは、引用したくなった理由をもう少しきちんと書くと・・・

 

この、「何かガマンできないスイッチ」が入ったときというのは、けっこう苦しくて・・・さらには、ガマンできないのにそれでもなお、じっとガマンしなくてはならない・・・なんて状況だともう、辛くて気を失わんばかりになってしまう・・・という気がします。

おそらくは、当事者以外は話を聞かされても、

「その位のことで?」

なんて思ってしまいそうな気もするんですが、ですがこの前、自分で当事者になってみてわかったんですが・・・そういう時って、自分の中に苦しさもわき起こってきているんですけれども、しかしそれと同時に、

「何で自分は、こんなことがガマンできないんだ?」

と、苦しさを感じている自分自身を認められないという気持ちも起こってきてしまうんです。

 

・・・そんな気持ちがあったためかも知れませんが、先の記事を書いていたとき、自分の中のどこかで、自分自身が不快感を感じたことそのものを誰かに否定されたり、分析されたりするんじゃないか、と怯える気持ちがあった気がします。

ですが、風折留亭さんのコメントを読ませていただいたとき・・・全くぼくの内面が荒らされない安心感を感じたんです。

風折留亭さんのコメントは、ぼくの気持ちを分析するわけではなく、ご自身の同じ体験を書いてくださり、さらに一言、

「これは苦しいですよ」

ともおっしゃってくださった・・・。

これは、ぼくにとっては、ものすごく支えていただいた・・・という感じがしたわけです。

(エスカル号に乗ったら、こんな感じなのかな?とも思いました。(笑))

 

・・・というようなことを、いろいろ感じて、風折留亭さんのコメントを読んだときの、自分の気持ちを書きたくなったのでした。

もしかすると、こうして、思ったことを文字にするだけでも、気持ちの整理ができるのかも知れないですけれども・・・

それに比べて、生きた誰かと言葉のやりとりをすることのほうが、ずっとずっと自分が安らげるような気がする・・・と、あらためて今、そう思いました。

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2007年1月 3日 (水)

先日、お昼を食べに入ったカレー屋さんで・・・

こんばんは、10月です。

先日、お茶の水にある、「エチオピア」というカレーやさんにお昼を食べに入りました。

こちらのお店は、1階がカウンター席、2階がテーブル席になっているんですが、わりあい人気があるらしく、お昼時には行列ができたりします。

ぼくがお店に行ったのは、午後3時過ぎで、さすがに行列はできていませんでしたが、それでもなお、1階のカウンター席には空席が2~3人分・・・という混み具合でした。

 

ぼくはカウンターの空いている席に座り、カレーを注文し、本を読みながらカレーができてくるのを待ちました。

本を読みながら・・・ふと、隣の席のかたが、カレーを食べながらスプーンでお皿をこするカチャカチャという音が耳につきました。

・・・カチャカチャというよりは、もう少し、力強くお皿をこすりつけているような・・・ぼくの耳には、キンキンと不快に響く音に感じられたのです。

気になり始めると、けっこう、堪えられなくなるくらい気になってきます。スプーンでお肉を切っているのであろう音も、カレーのルーをすくっているであろう音も、ご飯とカレーを混ぜているのであろう音も・・・すべて、耳について、本格的に、気分が悪くなってきたのでした。

他のお客さんはどうなんだろう?と、他のお客さんたちがカレーを食べる音に聞き耳をたててみると・・・もう一人だけ、ぼくの隣のかたと同じレベルのヘヴィなサウンドをとどろかせて食していらっしゃるかたがいましたが、他のお客さんたちは・・・(ぼくにとっては)許容範囲内の感じがしました。

 

このとき、ふと思い出したことなんですが・・・うちの親も、妹の旦那と食事をしているとき、彼が箸でカチャカチャ音をたてながらご飯を食べることに、ものすごく不快感を示していたことがあったんです(^^;

そのときは、ぼくは、別に、そんな音は気にもならなかったんですが・・・今回のことと併せて考えてみると、結局、何かのスイッチが入ると、もう、どーーーーしても気になって気になって、不快で仕方がなくなってしまうものなのかもしれないなぁ・・・と思ったわけです。

 

その食事の時、うちの親が、旦那さんに対して、

「音を立てて食べるのがガマンできない!!!」

と言っているのを聞いていたときには、ぼくの方では、

「単に気に入らないから、文句を言ってるだけなんじゃないの?」

と思いながら、親たちの言い分を聞いていたんですが・・・いざ、自分が同じ(?)体験をしてみると・・・好きとか嫌いとかは関係なく、やっぱり耳障りな音がずーっと続いていると、ガマンできなくなってしまうという気持ちが、ちょっとわかる気がしてきたわけです。

 

そういえば、ぼくが今、勤務している学校で、定期考査と何かの工事の日程が重なってしまったことがあって、テストをしている隣(窓の外)で、ガガガガガガガ・・・という音が出されていたことがありました。

ぼくは、

・・・別に、テストに集中しちゃえば、気にならないんじゃないかな?・・・

と、軽く考えていたんですが、もしかすると、やはり、工事の音が気になってしまって、テストに集中できなかった生徒がいた可能性は、十分考えられますね・・・反省。

 

すべて同じ事のような気がしますが・・・結局、何かのきっかけで、過敏になるスイッチが入ってしまうことがあって、そうなってしまうと、気になる音のせいで、より過敏さが増していく・・・という悪循環に陥ってしまうということなんでしょう。

こういう「悪循環」って・・・「音」に限らず、いろいろな場面で発生しているような気もします。

 

ちょっと違う話かも知れませんが、ぼくの知人で、ものすごく「許容範囲」の狭い?かたがいます。

例えば、車を運転して、その人を助手席に乗せたりすると、やれブレーキを踏むタイミングが早過ぎるだの、ウィンカーを出すタイミングが遅れただの、停車したときにサイドブレーキを引くのはおかしいとか・・・。

食事をしていても、箸の置き方が違うとか、食べる順序がどうとか・・・例を挙げれば、枚挙に暇がない気がします。

うーん・・・でも、その人は、「過敏」というのとはちょっと違うのかも知れないかなぁ・・・という気もしてきたんですけれども、ただ、その人が「認められない」ものと対峙したときの、余裕無く、あれこれ主張を展開する感じは・・・ちょっとわかるかもしれないなぁ、という気がしました。

 

うーーん・・・何だか、書いているうちに、テーマが何だったかよくわからなくなってしまいました(^^;

 

あ、そうそう、カレーやさんでは、ほどなく、隣のかたはカレーを食べ終わり、その後、なぜか動きを停止して、しばらく瞑想していらっしゃったようですが(笑)、ぼくのカレーが出てくる前に、お店を出て行かれました。

その後、出されたカレーをぼく自身が音を立てずに食べたかどうかは・・・覚えていません(^^;(うまく、オチがつきました(笑))

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2007年1月 1日 (月)

あけましておめでとうございます。

こんばんは、10月です。

みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

今年のお正月もまた、1年前と同様に、大掃除と年賀状書きで終わってしまいました(^^;

ふと、3年前の年越しの時のことを思い出したんですが、その時は、近くの海へ初日の出を見に行き(当然、一人でです(^^;)、その帰りに、ラジオの番組で松久淳+田中渉著『天国の本屋』の朗読をやっていたのですが、それを聞いていて、なんだか、妙に、人恋しくなってしまったことがありました。

ちょっと話は変わるんですが、その少し前(3年前の年末)に、『黄泉がえり』という映画がTVで放送されているのを観ていたのですが、その映画の中で、出演していた竹内結子がある場面で見せた表情・・・喜び・悲しみ・怒り・くやしさ・切なさ・さびしさの混ざったものに対して、すごく、心を動かされたことがありました(以前、このブログでも書いたことがあります→映画 『黄泉がえり』 参照)。そして、その時、彼女の表情を見ていて、ふと、昔、好きだった人のことを思い出したりしていたのでした。

その映画を観た直後に、別な番組に彼女(竹内結子)が出演していたのを偶然観たのですが、その番組の中では、彼女の表情は(当然かも知れませんが)映画の中のものとは全く違い、前述のような強い感情ではない・・・ちょっとどこか不安げな表情を見せていたのでした。

そして、その番組を観ていたときに、自分の知っている人で、その不安げな表情と同じような表情をする人がいるなぁ・・・などということを思っていたわけです。

それで・・・話は『天国の本屋』に戻るんですが、そのお話の中に出てくる女の子・・・名前を「ユイ」というんですが・・・と、自分の知っていた、不安げな表情をする人とが、どこか、似ているような気がしながら、ラジオを聞いていたわけです。

『天国の本屋』の中のユイは、概してやる気がなく、何に対しても斜に構えているような子だったのですが・・・それは、彼女が抱えている悲しい過去のためだったのです。

 

え?どうして、この話を書き始めたかですか?

先ほど、その方(知人)から「あけおメール」をいただいて、ふと、そんなこともあったなぁ・・・と、3年前のことを思い出したからでした(^^;

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2006年12月31日 (日)

さて、今年も・・・(2)

もう、終わりですね。

大掃除をやらなくても良いかな?・・・と思っていたんですが、やはり、ちょっと考え直して、デンジャラスな場所を数カ所、掃除してみました(笑)

それで、もっともデンジャーな場所としては・・・やはり、お台所のレンジまわりがハゲシイんですが・・・でも、がんばってみました。

 

今回の秘密兵器は、コレ。

Img1053206766  

 

 

どんな、油よごれも、ガンガン削り取ってみせましょう!!!

 

・・・というわけで、がんばってみました。こんな感じです。

 

061231_14120001  

 ←処理前 

 

  

061231_15550001  

 ←処理後 

 

 

・・・という感じです。どんなもんでしょう?(^^)

(※なお、画像処理等のズルはしていません)

 

さて、大掃除は・・・結局、終わっていません(笑)。年賀状もまだ書いていません(^^;

でも、まあ、「今年できることは、来年まで延ばして・・・」という諺もありますので(ないか?笑)、ゆっくり年越しをしたいと思います。

では、みなさまも、良いお年を・・・m(_ _)m

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2006年12月29日 (金)

さて、今年も・・・

こんばんは、10月です。

いよいよ今年も残すところ、明日・明後日の2日だけとなりました。

日本は全国的に、大掃除たけなわ・・・のようですね(笑)

 

ふと、1年前は、自分はいつから大掃除を始めたのかな?と思い、遡ってブログを調べてみました。

そうしたところ・・・昨年の12月29日に「大掃除終わりました(^^)」という記事を書いていて(もっとも、この記事のタイトルは「大ウソ」なんですけれども(^^;)その日から大掃除を開始したことがわかりました。

記事を読み返してみると、その日は、下足箱の上を拭いたのと、いただき物のビール・ジュースで賞味期限切れのものを処分する・・・という2大作業を行っていたようでした。

その作業を通して、

日本酒も、フルーツジュースも、コーヒーも、日にちが経つと、みんな、炭酸飲料になる

という、ものすごい発見をしていたようです(笑)

 

さて、今年の大掃除は・・・実は、まだぜんぜん手を付けていないんですけれども、昨年大掃除をして以来、あまり、部屋がよごれていないような気がするんですよね~。

この状態で、さらに大掃除なんかしちゃった暁には・・・部屋がきれいになりすぎてしまって、そこに住むことに恐縮してしまいそうで・・・そんなわけで、大掃除を始めるのを躊躇しています(^^;

 

これって・・・単なる「言い訳」?(^^;

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2006年12月27日 (水)

発達中の低気圧が・・・

こんばんは、10月です。

 

大きく発達した低気圧により、関東地方は昨日の昼間から夜半にかけて、強風を伴う豪雨にみまわれました。

昨夜は、一人でアパートの部屋で過ごしていると、強い風と雨が窓を叩き、窓ガラスの外からは風のうなりが聞こえ、ちょっと開いていた台所の窓から吹き込んだ風がフライパンを吹き飛ばし・・・(^^;

・・・まさに「嵐」と呼ぶにふさわしい天気で、ちょっと、どきどきしながら、夜を過ごしていたのでした。

 

さて、そうして、今朝・・・目を覚まして外を見てみると、夕べの嵐がウソのように、晴れ渡っていました(^^)

支度をして、職場へと車を走らせながら窓を開けると、たぶん、低気圧が南のほうの温かい空気を運んできたためか、12月も末だというのに、風が冷たくない!(笑)

とうの昔に稲刈りを終えた田んぼには、昨夜の雨水がたまって太陽の光をキラキラと反射させていて、そういう風景を見ていると・・・何か、3、4月頃の、今まさに、これから田植えが始まるかのような錯覚を覚えたりしました。

 

♪   ♪   ♪   ♪   ♪   ♪   ♪   

どうも、最近、いろいろとストレスがたまっていたり、自分に自信が持てなかったり、いろいろとあったりして(^^;なかなか、自分の内面を見つめていこうとしても、見つめられなかったり、よけいに辛くなったり・・・という状態だった気がします。

 

そんな中、この時期に相応しくないお天気の日が、たった1日でもあったということは、何というか、ぼくにとっては、ちょっと、自分がリフレッシュできるようで、ちょっとうれしい・・・2日遅れの、神さまからのXmasプレゼントをもらえたような、そんな気もしてしまいました(^^)

(でも、今回の低気圧の影響で、被害を受けられている方もたくさんいらっしゃるとは思うんですが・・・(^^;)

♪   ♪   ♪   ♪   ♪   ♪   ♪   

 

学校は、冬休みに入っているので、今日は、いつもよりも早めに学校から帰ってきました。

時間は・・・午後5時くらいだったと思うんですが、日が暮れて、夕闇がせまってきている、でもすっかり暗くなってしまうにはまだ早い・・・微妙な時間帯でした。

道を走る車は、ほとんどライトを点灯していましたが、でも、空の紫がかった灰色と地面との境界線は、はっきりわかる感じでした。

何か、そういう境界線を見るのが好きだったんですが、ずっと忘れていたような気がしました。

なつかしいような、さびしいような・・・(ちょっと意味不明ですが)「おかあさん」と呼びたいような、そんな気持ちになったのです。

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2006年12月26日 (火)

どうしてわかってくれない?

こんばんは。ここのところ、ちょっとばかり自己肯定感の片鱗を感じられるようになってきた(気がする)10月です(^^;

 

自分を肯定できるようになってきてみると、それに伴って、他人に対して否定的な見方もできるようになってきた気がします(^^;

(注:このことは、ぼくとしては、好ましい変化だと思っています。念のため。)

 

さて、そんなわけで、いろいろ考えていくと、様々な場面で、自分の話を聞いても理解してくれない人や、そもそも聞く耳を持とうとしない人・・・のことが思い浮かんできたりします。そんな方たちのことを思い浮かべると、

「なんで、(ぼくの)話を聞こうとしない!!!どうしてわかってくれない!!!」

という・・・何というか、そういう方たちを「責める」気持ちが、すこーしだけわいてくる気がします。

(ここで「すこーしだけ」というあたりが、ぼくの特徴を物語っている気がするんですが・・・この責める気持ちが、もっと「吹き出すように」という感じになれると、一皮むけるかも知れない・・・と、自分では思っているんですけれども(苦笑))

 

さて、ですが、そのような、その方たちを「責める」気持ちと同時にふと思ったのは、どうも自分は、人との関係の中で・・・さまざまな(言葉や言葉以外の)やりとりを通して、自分の考えや気持ちを伝えるということが、すごく苦手かもしれない・・・ということでした。

 

簡単に言えば、「あきらめが良い」・・・という感じだと思うんですが、どうも自分が受け容れてもらえないと思うと、即行であきらめてしまい(^^;、さらに何とかして、自分の気持ちを伝えよう・・・とはしないわけです。

そんなわけで、昔を振り返ってみると、

「受け容れてもらえないときに、それでも何とかして相手に受け容れてもらう」

という努力ではなく、

「相手が受け容れるしかないようなものを身につける」

という努力ばかりをしてきた気がします。

 

それは・・・やはり、相手に拒絶されること、受け容れてもらえないことに直面することが恐かった・・・そうなったときに、その向こう側には、もう何も無い、自分にはもう何も残らない・・・という、そんな気持ちが強かったからだと思います。そして、その気持ちは、今でも、自分の中にあります。

 

もしかすると・・・前者のようなスタンスを取れる人の中には、

「自分は、受け容れてもらえるハズ」

「受け容れないのは、相手が悪い」

という・・・ある種の「思い込み」のようなものがあるのかもしれない・・・と、ふと思いました。

(注2:そのようなスタンスを取れる人たちをけなしているのではなくて、逆に、自分も、そういう「思い込み」を持ちたい、という話しです(^^;)

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2006年12月25日 (月)

受け容れてもらった体験

こんばんは、10月です。

 

先週末の金曜日は、職場の忘年会でした。

その忘年会の中で、ぼくには一つ、目標があったのです。

 

今年、うちの高校では、教員評価の試みとして、校長・教頭による授業参観やら、一人一人の教員の(校長・教頭との)面談ということが行われています。ぼく自身も例外ではなく、校長・教頭による授業参観を受け、面談を受けていました。

その面談の中では、

「授業を聞かない生徒に対して、どう指導したら良いか?」

などと校長先生から問いかけられたりして、それに対してぼくは、

「授業を聞かないのは、こちら(教員)に対する生徒の信頼感が壊れて、生徒が安心できないでいるためか、他の生徒との関係で何か安心できないものを抱えているためのような気がします。だから、自分としては生徒と自分、生徒同士が安心できる関係を作ることを目標にしたいと思います」

というようなことを言ったりしました。

 

ぼくとしては面談中、自分の考えをそのまま話していたつもりなんですけれども、しかし、話をしながらも、

・・・これって、けっこう、偏った考えのような気がする・・・

などと思って話しをしていたのでした。

どうしてそう思っていたかというと、例えば、上のような問いに対する回答としては、たぶん、一般的には、生徒が興味を持つように指導するには、どうすればよいか・・・授業の方法の工夫の話や、内容の工夫の話をするとか、また、別なパターンとしては、いかに「毅然とした」態度で生徒に接するかという話になっていったりするような気がするわけです。

ですが、ぼくの場合、ぜんぜんそう言うことには触れない話しをしていたわけですので(^^;

 

このように、ぼくは面談の中で、かなり偏った話しをしていた(という気がする)にもかかわらず、校長は、興味深そうにぼくの話を聞き、そのまま面談は終わったのでした。

ぼくの中には、

・・・校長先生は、ぼくに対しては特に否定するような事はおっしゃらなかったけれども、たぶん、他の先生との面談では、また、その先生に合わせたスタンスを取るんだろうな・・・だったら、ぼくとしては、いろいろなスタンスを踏まえた上での、ぼく自身に足りないものを、指摘してもらったときに、自分が何を感じるのかを見てみたい・・・

という、気持ちが大きくふくらんでいたのでした。

 

さて、そうして話は忘年会に戻るわけなんですが、ぼくは、虎視眈々と、校長と話ができるチャンスがやってくるのを狙っていたのでした。

それで・・・そろそろ忘年会の時間も4分の3を終えようかというとき、とうとう、チャンスは巡ってきたのです。

 

ふと見ると、校長の隣の席が空いています。

ぼくは、すみやかに、校長の隣の席へ移動し、ご挨拶もそこそこに、単刀直入に切り出しました。

「あの・・・、実は、面談のときに話したことで、ちょっと質問があるんですけれども・・・」

そういうと、校長先生は、

「はい。何かな?」

と、おっしゃるので、上に書いたような疑問を抱いていることを伝えたのです・・・「ぼくに足りないもの」が何なのか、見えているなら教えてください、と。

そこのテーブルには、校長・自分を含めて、あと3~4人の方が座っていたのですが、皆さん、こちらの話しを聞いていたようでした。

 

校長は、ぼくの質問に答えるのではなく、みんなの方に向かって、

「私はね、○○さん(←ぼくのことです)と面談をして、その素直さに感動したんですよ。それと、すごく面白い視点で物事を見ていて、すごく勉強になる。」

とおっしゃったのです。すると、ぼくの逆隣に座っていた先生も、

「私も、○○先生は、ものの見方がひねくれてないっていうか、とっても真面目だと思ってました」

とおっしゃってくださいました。ぼくの対面に座っていらした先生も、その話を聞きながら、にっこり笑ってうなずいてくれたりして(;_;)

 

ぼくとしては、自分は職場の中では、もっと、受け容れられていない、マイナーな?存在だと思っていたのですが、少なくとも、そのテーブルに座っていらした先生たちは、なんだか温かく、ぼくのことを包んでくれているように感じました。

たぶん、直前に、ビールをコップ×3杯と、ワインをコップ×3杯ほど飲んでいたのが、敗因だと思うのですが、そのとき、不覚にも、ちょっとメソメソしてしまったのでした(^^;

 

・・・と、ここまで書いてきて、なんだか、自慢話みたいになっているなー(^^;という気もしたんですが、それと同時に、けっこう、ここのところ、自己否定的な気持ちがものすごく大きくなっていたなぁ・・・ということも、今、書きながら、あらためて感じました。

忘年会での、このときの体験の後、少しだけですが、「安心」して、自分を「信頼」しても良いのかな?と思える瞬間が増えてきたような気がします。

少し安心できるようになってきた自分の頭で考えると、安心できていなかったときの自分が、生徒たちに「安心」してもらえるような空間を作ってあげる・・・というのは、何か、自分の願いを押し付けていたような・・・できないことをしようとしていたような・・・ちょっとそんな気がしたのでした(^^;

あ、遅れましたが、メリークリスマス!!

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2006年12月17日 (日)

前回の記事の続き。

おはようございます。10月です。

一つ前の記事『「否定」されることが怖いのかも。 』 で、自分が否定されること・・・誰かに切り捨てられることが辛いために、今まさに切り捨てられそうになっている方に対して、非常に強い同一感を持ってしまって、何とかその方を守ろうという気持ちになっているのかも知れない・・・ということを書きました。

 

それで・・・先日、その方の処遇に関する話し合いの場があったのですが、やはりそのときに出てきた意見も、やめていただく方が良いのではないか、という意見が大勢を占めており、その方と関わりの多かった方ほど、その意見は強いように感じられました。

ただ、やはり、ぼくとしては納得のいかないものを感じ、やめていただくのは適切ではない気がする・・・という意見を出してみたのですが・・・

 

ふと、そのことを主張しながら、

・・・今、自分が主張していることは、その方をやめさせることによって楽になりたい・・・と言っている方たちを、逆に「否定」していることになるのかもしれない・・・

ということを感じたのでした。

 

考えてみれば、ぼくは、「その方」を排除することが受け容れられないのではなくて、「排除することそのもの」が受け容れられない・・・というような気がします。

つまり、「排除」しようとする人や、そのような動きを、ぼく自身は「排除」しようとしている・・・そんな気がしてきたわけです。

 

ちょっと、話は変わるんですが、以前読んだ神田橋條治の本の中に、「転移」についてのお話がありました。

 

どういう話かというと・・・やめようと思っても、どうしても子どもを虐待してしまうお母さんが、ある精神科医のところへ治療を受けにやってきていたのですが、その面接の中で、精神科医が、母親に対して、

「あなたは狂っている」

と言ったというのです。

それで、このような発言は治療的であるとは考えにくく、何らかの「転移」が背後にあるのではないかと考えた場合、つぎのような解釈をする人がいるというのです。

《この精神科医は、幼少時、親から虐待を受けており、親に対して恨みの感情を抱いていた。それが、治療にやってきた母親の話に刺激されて、その子どもに同一化を起こし、目の前にいる母親を攻撃することで、自分自身が抑圧していた親への恨みの感情を放出しようとした》

しかし、神田橋は、このような解釈は「間違い」だと言います。どうして間違いなのかというと、「転移」には、それを起こすことによって、自分自身の本当の感情を見え難くする作用と、本人が気づかないままに感情の放出を可能にするという2つの作用が含まれているからだというのです。

つまり、神田橋の言うところの、適切な解釈は、

《この精神科医は、「弱者」を攻撃したいという欲求があり、しかしそれを抑圧していた。しかし、そこへ治療にやってきた母親の、子どもを攻撃してしまうという話に対し、母親の「虐待・攻撃」と言う行為を攻撃することで自らの攻撃欲求を満たし、同時に「虐待」と言う行為を攻撃(否定)していることによって、自分の中にある攻撃欲求を気づかずに済ませる(というか、自らは「攻撃は許せないもの」と思いこむ)ことを可能にした》

となるのだそうです。

 

ちょっと、長々としてわかりにくいかもしれませんが、今回、自分がやっていることと、すごく共通点があるような気がして(^^; 上記の解釈の「弱者」を「誰か」、「攻撃・虐待」を「排除」と言う言葉で置き換えると、ものすごく、つじつまがあってしまう気もするわけです(^^;

 

うーーん・・・どうなんでしょうねー??(って、聞いても、自分しかわからないですよね(^^;)

 

・・・でも、この記事を書いていて、前述の方に「やめていただいた方が良い」と主張していらっしゃる方たちも、そう感じてしまうだけの傷を負わされてきたと言うことなのかなぁ・・・

とか、

・・・もしかすると、純粋に、これから先のことを考えて、将来誰かが負わされるかもしれない「傷」のことを心配して、そのような主張をしているのかなぁ・・・

とか・・・ちょっと、考えたりもしました。

 

すみません・・・なんのことだかわかりにくいですよね(^^;

でも、ま、いっかー(笑)

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2006年12月 3日 (日)

「否定」されることが怖いのかも。

ここのところ、ずっと、誰かと話をしているときも、イジメ問題で会見を開いている教育委員会の人たちの様子をテレビで見ていても、政治家の人たちが復党問題でもめているニュースを見ていても、何だか、ずっと、辛いものを感じていました。

 

そんな中で、ふと、この「辛さ」は、「自分が拒否される」ことが辛くなっているからではないかな?と思いました。

 

自分の知人で、現在、ある団体から追い出されそうになっている人がいます。

ぼくは、とくに、その方に対して、深いつながりがあるとか言うことでもありません。

それに、その人の方にも、そうされてしまうだけの要因はある気はします。

ですが・・・なぜか、ぼくには、その方が「排除される」というように見えてしまうのです。

 

頭で考えると、事の成り行きは、いたって妥当な気がします。

 

ですが、何か、辛い。

 

どうして、その人の側にたって、世界を見ようとしないのか?

その人は怯えているのに、

「あなたがそういう態度をとるのは受け容れられません」

というのでは、互いに拒絶しあっているだけなのではないか?もっと、その人が受け容れられる部分を受け容れてあげるのではいけないのか?

 

・・・と思っていたんですが、ふと、この気持ちは、ぼく自身もまた、そのように受け容れてもらいたい・・・と思っていることと、つながっているような気がしました。

そして、このことは、ぼく自身が、教員として動く場面を始め、さまざまな場面での自分の行動原理になっているような気がしたわけです。

 

つまり、どうもぼく自身は、誰かに対して、

「○○した方が良いよ」

と言うことがけっこう辛くて、そう伝えることが、なかなかできないんです。

それで・・・できることならば、まず、その人自身の内面に変化が起こって、その結果として行動が変わる・・・ということを願ってしまうんです。

 

このことは・・・「甘い!!」とかお叱りを受けそうな話ですが、もし、自分が、

「そうじゃなくて○○した方が良いよ」

と言われたとすると、自分の中には

「否定されてしまった・・・切られた・・・」

という痛みが広がってしまう・・・という恐怖心があります。それと同じ痛みを、誰にも与えたくない・・・という気持ちが自分の中にあるような気がするわけです。

 

もっとも、この「否定」されることへの痛みの強さは人それぞれでしょうし、ガンガン周囲を否定・・・攻撃しまくっている人もいるわけですし・・・(^^;

そんなわけで、もうちょっと「否定」に対して、自分が鈍感だったら、もう少し生きやすかったかな?なんてことを思ったのでした(^^;

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2006年11月13日 (月)

人間って、なんで「感情」とかを感じるんだろう?

こんばんは、10月です。ちょっと、何日か更新をおさぼしてしまいました(^^;

・・・と言うのは、金曜日はビールを飲んで、そのままビール脳になってしまい(笑)記事が書けず、土日はいろいろと用事が立て込んでいて、記事を書いている時間が無かったのでした(^^;

というわけで、月曜日の今日になってしまひました(^^;

 

さて、ロバート・レッドフォードが監督をした作品で”Ordinary Peaple”という映画がありました。

 

♪     ♪     ♪     ♪     ♪     ♪     

お話は、コンラッドという主人公の青年が、お兄さんと一緒に海で遭難し、結果、お兄さんを失ってしまうところからはじまります。

彼らのお母さんは、お兄さんの方を溺愛しており、そのお兄さんが亡くなってしまったことで、家族にどのように接していけばよいのかわからなくなってしまうのです。

弟のコンラッドは、そんな母親の変化と、自分だけが助かってしまったことによる罪悪感とを結びつけてしまい、何度も自殺未遂を繰り返します。

心配した父親の勧めで、コンラッドは精神分析医のもとを訪ねるのです。

 

そうして、コンラッドと精神分析医は面接を重ねていくことになるのですが・・・あるとき、コンラッドは、親友と思っていた一人の友人が、自殺で亡くなったことを知らされます。

コンラッドは、またしても、その友人を救えなかったという罪責感で、混乱に陥り、泣きながら分析医に面接をしてくれるよう頼みます。

そうして分析医と面接をするなかで、コンラッドは、泣きながら、ふりしぼるように言うのです。

「怖いんだ」

それに対して、分析医は言います。

「感情は、痛みをともなう・・・。痛みを・・・今、生きていることを感じ取れ」

コンラッドは答えます。

「感情なんて・・・辛いだけだ」

♪     ♪     ♪     ♪     ♪      

 

なんだか、ここ数日だけでも、いろいろな感情に出会ったような気がします。

無力感、絶望と結びついた怒り、やさしくしてもらえることに対する感謝、その一方で感じる罪悪感、自分を飲み込んでしまうような虚無感・・・

すべての人の、すべての言葉に、何らかの感情が込められている気がします。

 

それで、ふと、

・・・あー、こんなに、いろいろな感情に触れていて、それで自分もいろいろ感じるのは、しんどいなぁ・・・

と思ったんです。

 

これって、単に、疲れているだけなのかも知れませんが・・・

 

大学生だったころは、正直、人の気持ちとか、自分の気持ちとかは、あまり考えずに、自然界が従う原理の深遠さに思いを馳せる毎日だった気がします・・・(^^;

その頃の方が、今よりも、ずーーーっと、おきらくごくらく((c)ウゴウゴルーガ)な毎日だった気がしますねー(笑)

 

うーん・・・今日もまた、まとまり無し(^^;

 

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2006年11月 9日 (木)

安心感を得る方法

こんばんは、10月です。

 

昨日、一昨日の記事を書いてみて、結構しんどくなっているんですが(^^;ふと、

・・・自分が人間味ある気持ちを持つことができないことを周囲の人に気づかれ、そのことを責められたり、見捨てられたりする前に、何か共通の敵・話題となるものを見つけて、それを話題にしていれば、責められないし、見捨てられないし、何よりも、安心してその場にいられるかもしれない・・・

・・・ということを思いました。

 

ただ・・・ちょっと距離を置いて、上に書いたことを眺めてみると、これって「イジメ」とかをする人たちの気持ちと、共通している部分が大きいかもしれない・・・という気がしたりもします(^^;

 

うーん・・・「イジメ」につなげてしまうのは、ちょっと飛躍しすぎている気がしないでもないんですが、でも、いずれにせよ、人間は(すくなくとも、ぼくは)、自分自身が、脅えないで過ごすことのできるシチュエーションを作ろうと、意識的・無意識的に、さまざまな行動を選択してしまうということなのかもしれない・・・

・・・と思いました。

 

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2006年11月 8日 (水)

ぐええええ・・・

こんばんは、10月です。

昨日の記事 で書いた内容は、ぼく自身かなり不安なところというか、自分でも受け容れ難いところというか・・・まあ、デンジャラスゾーンの話でした。

そのせいかもしれませんが・・・どうも、今日は、昨日の記事にあたってしまったというか、何だか、自分で苦しくなってしまったのでした。

 

その記事に、ととさんと、風折留亭さんからコメントをいただいたのですが、今日は、せっかくなので、この場を借りて(借りて?)、返事を書かせていただきたいと思います(^^;

 

ととさんのコメント、

私の友人は,大量の薬を飲む直前に電話をしてきました.電話を切った後,いつもと違う話の内容に気づいてすぐに電話をかけなおしたけど,もうつながらなかった

は、読み進めるにつれ、何か、自分の中がどんどんざわめき立っていく感じがしました。何か、どんどん、恐ろしい・・・大変なことに飲み込まれていくような感覚を覚えました。

これは、おそらく、ととさんがその時にお感じになったものと、どこか通じているのではないか・・・と、勝手に思っているんですが、それで、(たぶん、実際にととさんがお感じになったものの何分の1かわかりませんが)そのことの「ものすごさ」の片鱗を感じられたような気がしました。

あのときの気持ちはもう二度と味わいたくない・・・.

本当に、ぼくも、そのような体験は、しなくて済むのならしたくはないな・・・と、あらためて思いました。

 

風折留亭さんの書いてくださった詩、

あなたが本当に深い悲しみを知っているか、
人生の裏切りにさらされたことがあるか、
それによって傷つくのが怖いばかりに
心を閉ざしてしまっていないかを知りたいのです。

あなたが自分のものであれ、人のものであれ、
痛みを無視したり、簡単に片づけたりせずに、
それを自分のものとして受け止めているかどうかを知りたいのです。

は・・・どうして、こんなに、ドンピシャの内容なのか、逆に恐いんですが(笑)、どうも、ぼくは、大切なものに対してどこか心を閉ざしてしまっていて、悲しみでも嬉しさでも、常に、自分のものとしてではなく、少し自分と距離をとって感じようとしている・・・そんな気がするわけです。

 

・・・と、書いていたところ、ちこさんもコメントを書いてくださってありがとうございます。

私もわかりません。
その時自分がどうなるかなんて。

そうなんですよね~・・・。でも、ぼくは、こんなふうに、言い切ることができないんです。たぶん、ぼく自身が「常識」に縛られてるのかもしれないです。

自分の本当の気持ちではないのに
そんな時は悲しむもの
ショックを受けるものという
常識?のままに表現したくないというキモチなのではないでしょうか

ぼく自身が、「常識」的には当然な「悲しみ」「ショック」・・・を感じられない気がして、そして、そのような気持ちを感じられない自分を、自分でも受け容れられない気がしている・・・ということなんです。

 

うーん・・・相変わらず、まとまりなし(-_-;

 

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2006年11月 5日 (日)

触れていたい言葉

おはようございます、10月です。

 

ここのところTV等のニュース番組では、学校関係の問題の特集たけなわ・・・という感じですが、出演者の中に

「イジメはいけないということを、(大人が)教えなければいけない」

というようなことをおっしゃる方が、結構いらっしゃる気がします。

 

それで・・・そういう発言を聞くと、なんだか、ものすごく腹が立つというか、押しつぶされる感じがするというか・・・そんなことを、いつも感じている気がします。

この類の発言を聞いたときに、自分が感じる「憤り」というのは・・・ムリヤリ言葉にすると、

 

・・・他人事で、自分自身は悩もうともしていないくせに!!!

 

という気持ちだと思います。

どうして、そんなふうに感じてしまうのかというと、「イジメがいけないと教える」と言葉で言うのは簡単ですが、その言葉自体には、何の力もない気がするからです。

 

昔、河合隼雄著『カウンセリングを語る』という本の中で読んだことなんですが、野球のコーチが、選手に向かって

「ともかく、バットでボールを打ってこい」

とアドバイスするとします。このアドバイスは、絶対に正しいことなんですが、でも、それは、結局、何も言っていないのと同じだ・・・というのです。

 

もし、本当に、目の前の選手が打席で打つことができるように、少しでも支えになるように言葉をかけるのなら、

「打ってこい」

じゃなくて、

「低めにしぼっていけ」

とか

「あのピッチャーは、カーブを投げる前に首を傾げるクセがある」

とか言ってあげた方が、選手としてはずっとありがたいと思うわけです。

(注:考えてみると、ぼくは野球に関しては、アニメの『巨人の星』と『キャプテン』を見ていたくらいの知識しかないのでした(笑))

 

本当に、誰かの役に立つことを願って発する言葉なのであれば、やはり、それ相応の「重み」を感じるような気がします。

 

ただ、何かを言いたいのに、それに適した言葉が見つからない・・・ということもあるかもしれません。

先日まで再放送をされていた、『野ブタ。をプロデュース』の最終回・・・クリスマスの晩に、野ブタ(堀北真希)が、修二(亀梨和也)に対して、自分の気持ちを語る場面があります。

 

「本当に、ありがとう・・・ってしか言えないのがくやしい・・・。今思ってることが、ぜんぶ伝わればいいのに・・・どれだけ感謝してるか、ちゃんと伝わればいいのに・・・」

 

これまた、脚本家冥利になってしまうのかもしれませんが(笑)、ここのところのセリフにも、ものすごく心を打たれたんです(;_;)

 

「人を動かす言葉」・・・いや、これは、ちょっと傲慢な気がしますね。「誰かに何かを感じてもらえる言葉」・・・そんな言葉を他の人に投げかけたいし、逆に、自分でも、そういう言葉に触れていたい・・・自分の中には、そういう気持ちがあるような気がします。

たぶん、そういう言葉に触れているときにこそ、本当に「生きていて良かったなぁ」と実感できるからかもしれません。

・・・と、そんなことを思いました。

 

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2006年11月 4日 (土)

高校での履修漏れ問題

おはようございます。10月です。

 

文科省が、補習の時間を発表したことで、ひとまずは一段落した感じの未履修問題ですが、個人的には、いろいろとモヤモヤが残っています。

 

ぼくが勤務している高校では、かろうじて(笑)・・・本当に「かろうじて」セーフだったのでした。

今、一番、話題になっている「世界史A」は履修させています。「情報」もやってます・・・。

ですが、来年入学してくる生徒たちから、いろいろとカリキュラムを変えることが決定しており、その中では、「理科総合A」(必修科目です)の時間に「化学Ⅰ」を実施しよう・・・という話で、ほぼ決着していたのです。

つまり、未履修問題が、あと1年遅れて発生していたとしたら・・・うちの学校も、すっかり当事者になっていたわけです(^^;

 

さて、それで・・・先日の、同僚の先生(理科、ぼくよりもずっと年上で化学担当)とぼくとの会話。

「いやー、うちも危なかったですね」(←ぼくです)

「え?うちは、ちゃんとやってるでしょ」(←相手の先生)

「でも、来年は、理科総合で化学をやることになってたじゃないですか」

「うーん・・・でも、そうしないと、化学が終わらないんだよね」

「はあ・・・あれ?もしかして、これだけ問題になっていても、理科総合の時間に化学をやるつもりでいらっしゃるんですか?」

「だって、本当に、化学が終わらないのよ。生徒たちがかわいそうじゃない」

「うーん・・・」

 

この先生は、うちの高校に転勤して来る前は、進学校にいらした先生なんですが、やりとりを通して、この先生にとっての至上命題は

「化学を終わらせること」

「受験で不利にならないこと」

であって、指導要領とか必履修とかは、二の次なんだな・・・と思いました。

 

ぼく自身は、これまでに「進学校」と呼ばれる学校に赴任したことがありません。

ですから、あくまでも「聞いた話」でしかないのですが、進学校と呼ばれる学校では、生徒たちの進学率を上げること、有名大学に合格させることが非常に重視されている・・・という話を聞きます。

模擬試験の平均点が下がれば、他の先生から文句を言われる。

前年度の学年よりも、大学合格者数が減れば、その学年は問題視される。

ヘタをすると、教員間での足の引っ張り合いが生じることもある。

・・・と、ぼくと同時期に採用された教員で、進学校へ行った人から、上に書いたような話を聞いたことがあるわけです。

 

すべての進学校が、このような感じではないにしても、それでもやはり、「大学合格」「センター試験の点数アップ」などが必須である・・・そんな空気の中で、何年間も過ごしてきたら、前述の先生のような考え方になってしまうのは、しかたがないのかも知れない・・・

・・・と思いました。

 

そんな世界をくぐり抜けてこなかったぼくの目から見ると、「洗脳」されてしまっているだけにも見えてしまうのですが・・・(^^;

 

えーと、それで、その先生との話は、結局、他の理科の先生たちと「校長先生」に加わっていただいて、その上でどうするかを決めることにしました。

そうしておけば、問題大発生!!の際に、校長先生に「責任」を取っていただいてもいいかな?という気がしますので。

 

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2006年11月 3日 (金)

どうしてニュースのコメンテーターが嫌いなのか

こんばんは、10月です。

昨日の記事「みのもんたの朝ズバ 」で、ぼくは、この番組を見ていると、なぜか気分が悪くなってきてしまうので、この番組はあまり好きになれない・・・ということを書きました。

この、番組を見ているときに自分の中に湧いてくる不快感は・・・何か、新しいものを生み出そうとしていない、単に、攻撃できる人を攻撃するだけの・・・まさに「イジメ」と同じ構造を持った言葉のように感じてしまうため、そのように感じてしまうのかもしれない、ということを書いたのでした。

 

また、そのような目で見てみると、ニュース番組によっては、やはり誰かを「責める」だけの言葉を吐いてばかりの「コメンテーター」の方たちもいらして、やっぱり、気分が悪くなってしまうことが多いかも・・・というようなことも思いました。

 

さて、話は変わりますが、ここのところ少しずつ読んでいる、田口ランディ著『寄る辺なき時代の希望』という本の中で、ランディさんがある方に向けて書いたメールが掲載されていたんですが、その中で、

・・・あなたはマスコミをひとくくりにして、それに対して発言しているけれども、それは誰の耳にも届かないでしょう。大切なのは個人と向き合うことだと思います。そうして信頼関係ができて初めて、協力して物事にあたることができるようになります・・・

というようなことを、ランディさんは書いてらっしゃったんです。

 

この部分を読んだとき、ぼくの中に、ハッと思い当たることがあり、と同時に、ちょっと複雑な思いが湧いてきてしまったのでした。

 

というのは、みのもんたさんやコメンテーターの方たちの「言葉」に、「不快」感しか感じられないのは、結局、その方たちは、当事者(話題になっている人たち)との間に、何の「つながり」もなく、それゆえ、彼らが吐く言葉には、みじんの「気配り」も感じられないからなのかもしれない・・・という気がしたわけなんですが、その一方で、それと同じことを、もしかしたら、自分もやっているのではないか?という疑問を抱いてしまったからです。

今、このブログで、みのさんや、コメンテーターの方たちを非難するようなことを書いていますが、ぼく自身は、そのような方たちと、何のつながりもありません(当然ですね(^^;)。

・・・ということは、ここで、こうして書いていることと言うのは、結局は、何も「生み出さない」作業だということになってしまう!!ということに気づいたのでした(^^;

 

そう言えば、このブログを始めた当初、さくらもどきさん(もと同僚の先生)から、

「ブログで書いてる『言葉』って、誰に向けて書いているのかわからなくて、自分には、とても書けない」

と言われたことがあったのを、ふと、思い出しました。

・・・そんなふうに考えてくると、もしかしたら、コメントをくださった方との「つながり」を通して見えてくるものを大切にしていくしか、何かを生み出せる希望はないのかもしれない・・・というような気がしました。

 

ここまで読んでくださってありがとうございます。1日1回クリックしていただけると嬉しく思います。どうかよろしくお願いします。→人気blogランキング

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2006年10月31日 (火)

最近、放課後は叱られる時間(^^;

こんばんは、10月です。

 

先日の記事、「やはり、ぼくは教員としても問題が(以下略) 」でも書きましたが、最近、クラスの生徒がやらかしたことで、誰かに叱られてしまう・・・という日々が続いています(^^;

口火を切ったのは、前述の記事・・・校長先生が見にきている授業で、生徒の誰かがケータイで変なアラームを鳴らして、笑いを取ろうとするイタズラがあり・・・担任と言うことで、ぼくは教頭先生からお叱りを受けました(--; ・・・水曜日のことです。

そして、翌日の木曜日。またも放課後、うちのクラスの人たちが、学校のコンセントでケータイの充電をしていたということで、それを発見した先生から

「どういう指導をしているんですか!!」

と、またも叱られてしまったのでした(;_;)

 

・・・2度あることは、3度ある・・・「諺」は、ウソをつきません(^^;

 

翌日の金曜日。今度は、うちのクラスの女子が数名、体育の授業の後、着替えをせずに、ジャージのままで授業を受けていた・・・ということで、またも、

「着替えないというのは・・・問題じゃないでしょうか?ちゃんと、指導してください」

と、またも、叱られてしまったのでした・・・。

 

というわけで、先週末は、水・木・金・・・と、3日連チャンで、3人の先生からお叱りを受けてしまったのですが、週明けの月曜日、クラスの人たちに、

「先週は、3日連続で、放課後、叱られちゃってね~(^^;」

と言うと、みんなが、労りと慈しみの目でぼくを見てくれていました(笑)

 

さて、それで、今日のこと。またもや、うちのクラスの人が2名ほど、ジャージ姿で

「制服が部室にあるんですけど、取ってきてもいいですか~?」

と聞いてきました。時間を見ると、休み時間はもう終わってしまう時間です。

「次の授業に、間に合わないんじゃないかなぁ?」

と言うと、

「だって、次の時間は、○○先生(←先週、ジャージのことを怒っていた先生)ですよ」

とのこと。

なるほど、この子たちも、気にはしてるんだな・・・と思いつつ、でも、授業に遅刻するのもマズイかなぁ・・・と考えていて、ふと、その先生の授業の次の時間は、体育だったことに気が付きました。そこで、

「じゃあ、もし、注意されたら、『1時間まちがって、早く着替えちゃったんですぅ~』とか言ってみたら?」

と提案したところ、なぜか、その作戦で行くことに決まったのでした。

 

放課後・・・その子たちがやってきました。ワクワクしながら話を聞くと、

「先生!!!やっぱり怒られたよ!!!(>_<)」

とのことでした。まあ、それはそうでしょうね。想定の範囲内です(笑)

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2006年10月30日 (月)

人間としてのこだわりを捨てること

こんばんは、10月です。

一昨日の『浦島太郎』 という記事の続きです。

 

前述の記事では、

「老いによって価値を失っていく自分が、どうしたら人とつながっていられるのか、どうしたら見捨てられずに済むのか」

という不安が自分の中にあることを書きました。

そして、ランディさんが、その著書の中で、「犬が人を食っている写真」を見たときほっとするものを感じた・・・と書いていたことが、何か、上記の不安に対する答えを与えてくれているような気がする・・・と書きました。

 

ランディさんの感じた安堵感というのは・・・生物の頂点に君臨し続けようとする「人間」が、犬に食われるという扱いによって、そこから引きずりおろされ、他の生物と同列である「一生物」という立場に戻ることが許されることの安心感・・・と言うことだったと思います。

ぼくは、ちょっと、自分自身が他の生物と同列になりたいと思っているかどうか・・・ちょっと微妙な感じがしますが(^^;でも、やはり、常に、何かに急かされるようにして、安心の対極で生きているような気がします。

 

ずっと以前の話ですが、NHKスペシャルの人体II「脳と心」というシリーズの確か最終回で、山にこもって断食の行をおこなっていた方たちが・・・修行の最中は様々な幻覚や幻聴に襲われるのだそうですが・・・修行明けに、スッキリした表情で、

「人間が、ちっぽけな存在だと感じました」

と言っていたのが、すごく印象的だったのですが・・・この方が苦しい修行の末に見つけたものと、ランディさんの感じた安堵感とは、どこかつながっている気がするんです。

 

ランディさんは、前述の著書の中で、認知症のお年寄りの方たちを見ていると、まるで、「人間」という殻を脱ぎ捨てて、すごく清らかな存在になっていくように見えた・・・というようなことを書いてらっしゃいました。

認知症になるということは、「人間でありつづけること」という拘束から、自分自身を解放することなのかもしれません。

 

このように考えてくると、『浦島太郎』のストーリーが、妙にすんなりと理解できるような気がしてきます。

 

亀を助けたことを感謝されて浦島太郎は「竜宮城」へ連れて行かれます。

そこでは「人間」の喜び(ごちそう・舞い踊り)が与えられるのですが、浦島太郎はもっと大切なもの(人とのつながり)を思い出し帰る決心をします。

そうして地上へ戻った浦島太郎は、玉手箱をあけ、白髪の老人になってしまいました(人間という束縛から解放された)。

・・・というストーリーのような気もしてきてしまったわけです(ちょっと強引でしょうか?笑)。

 

まあ、まだまだ、この記事で書いたことは、ぼく自身の思いと一体化はしていませんが・・・それでも、これまでの不安にどう向き合っていくのか・・・何らかの方向性はつかめたような気がします(^^;

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2006年10月28日 (土)

『浦島太郎』

こんばんは、10月です。

 

お薦めの記事の所にも出してありますが、以前、「死」というテーマについて考え、その区切りとして、「死ぬ」ための準備 という記事と、姥捨て山 という記事を書きました。

 

特に、後の方の記事では、自分が老いることによって社会的に役に立たなくなっていく・・・「社会的な死」とでもいうべきことを、どのように受け止めればよいのかを、昔話の「姥捨て山」を手がかりに考えてみようとしました。

ですが、読んでいただくとわかりますように、結局は、何ら新しい発見も気づきもないままに終わってしまった記事でした(^^;

 

さて、それで、話は少し飛ぶんですが、先日、田口ランディさんの書いた『寄る辺なき時代の希望』という本を買いました。

現在、読んでいるところなんですけれども、その中で、日本とスウェーデンの社会福祉の在り方の違いについて書かれていました。

(厳密にはわかりませんが)スウェーデンでは、税金(消費税など)が、25%などと日本に比べて激しく高いのですが、その分、社会福祉が徹底的に充実しているというのです。

例えば、教育費は大学までは無料。病院の費用も、老後の養老院の費用もすべてタダ・・・とのこと。

そのような国で暮らしている人たちのおおらかな生活と比べると、日本人が「お金を蓄えておこう」とすることは、実は、日本という国に住んでいる人々が、自分の老後や、そうでなくても病気になった場合に対する「不安」があるからに他ならない・・・ように感じられてしまう、ということが書かれていました。

 

この辺を読んでいて・・・まさに、これは、『姥捨て山』を書いた当時、ぼくが感じていた不安と同じものではないか・・・と思ったわけです。

つまり、もしかすると、ぼくの感じていた不安というのは・・・もしかしたら、スウェーデンに永住したら、無くなるかもしれない!?と思ったわけです(^^;

 

ですが・・・本の中での話は、さらに続きます。

ランディさん自身もスウェーデンの養老院?の中を見学されたそうなんですが、その中の様子というのは、お年寄りの方たちを、もう、これでもか!ってくらいに王様扱い・お姫様扱い・・・のようなのです。

ここを読んだときに、ぼくの中に浮かんできたのが、『浦島太郎』のお話だったのです(^^;

♪    ♪    ♪    ♪    ♪    ♪

浦島太郎が海辺を歩いていると、一匹の亀が子どもたちにつかまっているところに出くわします。浦島太郎は、亀をかわいそうに思い、子どもたちにお願いして亀を逃がしてやります。

数日後、その亀が、浦島太郎の前に再び現れ、

「この前のお礼をしたいので、私の背中に乗ってください」

というので、言われたとおりにすると、亀は浦島太郎を乗せて、海の中の竜宮城に連れて行ったのでした。

竜宮城に着いた浦島太郎を待っていたのは、美しい乙姫様でした。乙姫様は、

「亀を助けてくれてありがとうございます。どうぞ、ゆっくり遊んでいってください」

と言うので、おいしいごちそうを食べ、鯛やヒラメの舞い踊りを見て、乙姫様と楽しい時間を過ごしました。

そうして、3年もたったある日、浦島太郎は、

「残してきた両親のことが気になるので帰る」

と言い出します。乙姫様は残念そうに、

「しかたがありませんね。ではこれをおみやげに差し上げましょう。ですが、どんなことがあっても、絶対に開けてはいけませんよ」

と言って玉手箱をくれたのです。

さて、地上へ戻ってみると、何百年という時間が過ぎてしまっていました。両親のことを尋ねると、残っていたのは両親のお墓だけでした。

浦島太郎は、途方に暮れて、乙姫様から渡された玉手箱を開けてしまいます。

すると、中から煙が上がり、その煙をかぶった浦島太郎は、あっという間に歳をとっておじいさんになってしまったのです。

♪    ♪    ♪    ♪    ♪    ♪    ♪

というお話ですね。

 

このお話では、浦島太郎は、別に悪いことをしたわけでもないのに、どうしてこんな目に遭わなければならないんだろう?ということは、ずっと、ぼくの中での疑問でした。

ただ、スウェーデンの養老院の中が、どことなく・・・竜宮城と似ているような気がするなぁ・・・と思ったとき、ふと、

・・・日本人である浦島太郎は、竜宮城という養老院の中では生きていけなかったということなんじゃないかな?・・・

と思ったんです。

 

ランディさんの本を、読み進めていって見ると、何と、養老院の中の様子を見ていて、ランディさんもまた、

「ここには入りたくない!」

と思ったそうなんです。

 

「入りたくない」と思った理由は・・・突きつめると、養老院の中のお年寄りの方たちは、手厚いお世話はしてもらえていても、どこか寂しそうだった・・・ということのようでした。

そんな、恵まれた生活をさせてもらえなくてもいいから、ちょうど昔の長屋のようなところで、人とつながった生活をしていきたい・・・ということでした。

そういえば、浦島太郎が「地上へ帰ること」を決めたのも、自分の両親とのつながりを思い出したからです。

ぼく自身も、日本人だからなのかもしれませんが、やっぱり、「恵まれた、保障された生活」よりも「誰かとつながっていられる時間」の方が、魅力を感じてしまいますね~(^^;

 

そのように考えてくると、『姥捨て山』を書いた当初からの自分の中のモヤモヤが、結晶化してくる感じがするんですが・・・結局、ぼくの中でモヤモヤしていたものというのは、

「老いによって価値を失っていく自分が、どうしたら人とつながっていられるのか・・・どうしたら見捨てられずに済むのか」

ということのような気がします。

 

それで・・・ものすごいことなんですが、ちゃんと、その事に対する答え(?)もまた、本の中に書かれていたんです(^^;

 

ぼく自身は話しに聞いたことがあるだけなんですが、ある写真家の方の写真で、インドのほうの路上で、犬が人間の死体を食っている写真があるというのです。

そして、ランディさんは、その写真を見ていると、何か、ほっとするものを感じる・・・というのです。

このあたりに、ものすごいヒントがあると思ったんですが・・・。

ちょっと、まだまとまりきっていないので、ハゲシク尻切れトンボなんですが、続きは、また、そのうち書きたいと思います(^^;

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2006年10月26日 (木)

どうしたら、人を許せる?

こんばんは、10月です。

最初は、「自分を好きな自分になりたい」というタイトルで、記事を書き始めたんですが、いろいろ考えているうちに、こちらのタイトルの方が、ピッタリのような気がして、タイトルを書き直しました。

 

最初に書いたタイトルの、「自分を好きな自分になりたい」という言葉は、

「自分を好きになりたい」

という意味ではなく、自分で肯定できるような自分になりたい・・・という意味です(・・・って、やっぱり、わかりにくいですね(^^;)

 

例えば、これまで、いくつか記事を書いてきた、『野ブタ。をプロデュース』で、野ブタは、「修二に『ありがとう』と言える自分」になりたいと願っていました。

おそらく、彼女(野ブタ)は、ずっと誰かに感謝したかったのではないか・・・ただ、これまで、感謝させてくれる人が誰も現れなかったのではないか・・・という気がします。

 

誰かに「感謝」できる、ということは、そのこと自体、感謝したくなることだと思います。

 

このブログでも、風折留亭さんはじめ、たくさんの方が、お百度をしてくださり、そうしてくださったことをすごく「ありがたい」「うれしい」と感じたのですが、さらに、そういう「気持ち」を抱かせてもらえたことについてもまた、ありがたいなぁ・・・と思っていました。

 

(ぼくの場合)、自分が、誰かに対して肯定的な感情を抱くことができているとき、そんな自分も肯定的に受けいれることができるんですが、逆に、誰かに対して「否定的」な感情を抱いてしまったとき、どうも、そんな自分を受けいれることが難しい・・・もしかすると、受けいれられずに、目を背けてしまう・・・ような気がします。

 

人間ですから、人に対して「肯定的」な気持ちを抱くときもあれば、「否定的」な気持ちを抱くこともあるのは、仕方がないことかもしれません。

ですが、そうなったときには、自動的に、自分に対しても「否定的」になり、けっこう身動きがとれなくなって行く気がします>自分

 

・・・あ、そう言えば、『野ブタ。をプロデュース』でも、野ブタが、新しいお父さんを受けいれられなくて悩んでいるとき、そんな野ブタに対して、彰が

「時間がかかるのよ」

と言っている一幕があったなぁ・・・

 

それと、また別な場面で、修二が

「誰にも信じてもらえなくても良い。ただ、こいつら(野ブタと彰)にだけは信じていてもらいたい」

と言ってたなぁ・・・。

 

うーん・・・

あ!もしかすると、ぼくが「許したい人」というのは・・・「ぼく自身」か?

(一応、ぼくの中ではつながっているんですが、読み返してみると、話が飛んでますね(^^;)

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2006年10月24日 (火)

人にとって最高のサポート2

こんばんは、10月です。

『野ブタ。をプロデュース』に関連する記事ですが、まだまだ続きます(笑)

昨日の記事では、修二と彰が、制服に落書きされた野ブタをサポートする場面について書きましたが、ぼくが、すっかりやられたのは、昨日放送分での一幕です。

 

・・・修二はこれまで、本当の自分の気持ちを人に伝えない・・・という生き方をしてきていました。みんなから「恋人同士」と思われているマリ子(戸田恵里香)に対しても、自分の気持ちを伝えずに、過ごしてきていたのですが、とうとう、本当の自分の気持ちを彼女(マリ子)に伝えます。

「本当は、オレ、お前のことを好きだったことは1度もないんだ・・・」

 

この一言が、どれほどまでにマリ子を傷つける言葉であったのかは、修二自身もイヤと言うほどわかっていました。わかっているからこそ、その言葉をマリ子に言うことができなかったのです。

しかし・・・修二は、敢えて、本当の自分の気持ちをマリ子に告げることにしたのでした。

そんな修二を待っていたのは、マリ子を傷つけたことに対する、ものすごい罪悪感と、これまでみんなの人気者でいられた自分が、人から嫌われるのではないか・・・という恐怖でした。

 

暗くなった公園で一人怯えている修二を、たまたま通りかかった野ブタが見つけます。

「どうしたの」

という野ブタの言葉に、修二は、マリ子にひどいことを言ってしまったこと、明日から憎まれるのではないか、ということを話します。そして、こう言うのです。

「人から嫌われるって・・・コワイよな」

 

この言葉は・・・「プロデュース役」という、野ブタよりも上位にいた修二が、野ブタと同じ高さに下りてきたことを示す言葉だったと思います。

この言葉を聞いた野ブタは・・・思わず、修二を大切そうに抱きしめてやり、

「・・・大丈夫。誰も嫌いになったりしないから・・・」

と言ってやるのです。

 

なんでしょうねー?普通、こういう「大丈夫」とか言う言葉って、単なる「気休め」のようにしか思えないんですけれども、この言葉は、ものすごく安心できる言葉になっているような気がしてしまったのでした。

 

・・・この感覚って、例えば、何かの病気で入院することになったときに、自分が信じている人から、

「大丈夫、大丈夫」

とか言われたときに、感じられる安心感に似ているかなぁ・・・という気がしました(ぼく自身は、そういう体験は、まだありませんが(^^;)。

 

勝手な想像ですが、この「安心感」というのは、何か、

「病気が大丈夫(=悪くならない)」

という意味ではなく、

「もし、病気が大変だとしても、(どこまでも私が一緒にいてあげるから)大丈夫」

というような意味に感じられます。

 

このように考えてくると、結局、人間にとって、健康が損なわれたり、最悪、「死」ということは当然怖いことなのですけれども、しかし、そこに誰かがしっかり付いていてくれることによって、その怖さは、かなり減じられるのかもしれない・・・というような気がしました。

 

さて、この場面(野ブタが修二を抱きしめる場面)は、実を言うと、ぼくの目には、修二の方が野ブタをこの上ないくらい強力にサポートした場面・・・というようにも見えてしまっていました。

 

うまく説明を書くのが難しいんですが、このとき、ずっと、穴の奥にいた野ブタが、初めて、穴から飛び出してきた・・・ように感じられたからです。

これは、決して、修二自身がやろうとしてやったことではないというのは明らかですが、それでもなお、ぼくは、この一幕には、ものすごくものすごく感激してしまった・・・のでした(;_;)

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2006年10月16日 (月)

人智を越えた結びつき

こんばんは、10月です。

 

昨日の、記事のコメント欄で、なんでもないさんから、「(感情の)振り子が大きく揺れた後の・・・」というコメントをいただき、ふと思い出したことがあります。

数年前、とある学校で、ぼくが修学旅行の引率をしたときの話です。

 

そのとき、ぼくが担任をしていたクラスは、クラス替えをして・・・まだ、どこか、生徒同士の間でもギクシャクした感じが、どこか残っているクラスでした。

 

ぼく自身、高等学校での担任を、もう何まわりかやっていますが、概して、1年生に入学して間もなくは、不安を抱えてどこか足が地に着いていない生徒が多い気がします。

そうして、2年生に進級するときにクラス替えをすると、2年生のクラスの中では、1年生の時につくった人間関係や学校での過ごし方を引きずりながら、いろいろなクラスから入ってきた生徒同士が、それをぶつけ合って、カドを削っていく・・・という感じがします。

それで、そのときのクラスは・・・やはり、生徒一人一人の間に、様々な「温度差」があり、一つのクラスになってはみたけれども、どこかギクシャクして・・・でも、みんな、その事をあまり表には出さないように生活をしている・・・ように、ぼくには見えました。

 

さて、そのクラスで修学旅行に行ったとき・・・修学旅行先で、平和学習のために、とある施設の中で、ガイドさんのお話を聞いていたときに、事件は起こりました。

その施設は、中が少し暗くなっていて、クラス40人が入ると一杯になってしまうくらいの広さの施設でした。

ガイドさんが、戦争で亡くなられた方のお話をしていたとき・・・みんなで、戦没者の方の霊にお祈りをささげていたときのこと、生徒の一人が、突然、過呼吸になったのです。

ですが、ガイドさんは、あまり慌てることなく、その子を落ち着かせ、再び話を始めようとしました。

最初、過呼吸になった生徒は、落ち着き始めていたのですが、ですが、今度は、その子を介抱していた生徒が、過呼吸に・・・と思っていたところ、あちらでも、こちらでも過呼吸の生徒が発生し・・・気が付くと、10人近くの生徒が、過呼吸に陥ってしまったのです。

 

さすがに、そこに至って、ガイドさんも、マズイと思ったのか、お話をやめ、バスに戻ろうということになり、手分けして、過呼吸になってしまった人をバスまで運びました。

 

結果的に、その時に過呼吸になった人たちも、過呼吸を再発することもなく、特に後遺症も無いようなので良かったのですが、その時の10人くらいの人が倒れて、苦しそうに呼吸しながら助けを求め、過呼吸になっていない人たちも、今、この場で起こっていることに怯え・・・施設内の、その時のさまは、まさに地獄のようでした。

 

ですが・・・こんなふうに感じたり、考えたりすることは、甚だ不謹慎なのかも知れませんが、その一件以来・・・何か、そのクラスの生徒の間にあった、見えない壁が崩れ、ふっと力が抜けていったように・・・ぼくには感じられたんです。

そして、その後、少しずつ、クラスの人たちに接するとき、ぼく自身の方でもどこか安心感を感じられるようになっていった気がします。

 

この一連の出来事を、今でも思い出すと・・・人間と人間の関係っていうのは、頭で考えたり、どうにかしようと思って苦労したり・・・そんなところをはるかに越えた次元のことなのかなぁ・・・と感じてしまうのでした(^^;

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2006年10月15日 (日)

本気でぶつかっていると言うこと?

おはようございます、10月です。

 

2つ前の記事「死んだ言葉、生きている言葉 」で書いたことの続きです。

その記事の中では、妹の泣き叫ぶ声が、それが激しくなればなるほど、逆に、何か虚しいような・・・何か、ずれているような、そんなように聞こえてきてしまった・・・ということを書きました。

それに対して、親は「正論」を並べていくのですが、ですが、その背後から、親の「悲しみ」や「甘え」のようなものが見え隠れするような気がした・・・ということも書きました(「脱?永遠の少年?」参照)。

 

その時の話し合いの一場面・・・。

妹:「いろいろ考えたんだけど、やっぱり、(親たちと)少し距離をおいた方がいいと思うの。だから、少しの間、ここを出て、別なところで暮らしてみようと思うの」

父:「今すぐにでも出ていってくれて構わないから。それと、引っ越した後の連絡先は知らせなくて良いからな」

というやりとりがありました(^^;

 

そして、それを聞いていて、ぼくの方では、

(・・・父さんも、いい加減、子どもじゃないんだから、そんな、売り言葉に買い言葉みたいな返事をしなくても良いのに・・・)

なんてことを思っていたのでした。

 

さて、その話し合いが持たれてから、しばらく日にちも過ぎたのですが、昨日ふと、

「あのときの父親の態度というのは『大人げない』というよりは『本気でぶつかっていた』ということなんじゃないかな?」

と思ったんです。

 

妹夫婦の気持ちとか、自分自身のこれから先の生活のこととか、いろいろなことを考えに入れて、今どうするのが一番良いのか・・・ということを考えて話し合いをすればいいのに、とぼくは考えていました。

しかし、もしかすると、父親の、あの「連絡先も知らせなくて良い」という言葉は、そういう一切のことを考えに入れずに、ものすごく単純に

「こんなことを言うとは、許せない!!!」

という気持ちを、素直に表現している言葉だったということなのかな・・・と思ったわけです。

自分の父親が、そんなに素直な人だったとは(笑)・・・それは、ぼくにとっては、ちょっと、驚きの発見かも知れない!?なんてことを、一瞬思いました。

 

さらに、その後、よくよく考えてみると、上に載せたやりとりの後、父親が、

「本当は、出て行かない方が、良いんじゃないかと思っている」

と、こっそり話をしていたことを思い出しました。

 

やっぱり、引っ込みがつかなくなっていたのかも知れませんね(^^;

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2006年10月12日 (木)

「あたりまえ」の応答

こんばんは、10月です。

昨日の記事で書いたことと、矛盾するような気もするんですが・・・(^^;

 

昨日の記事で、ぼくは、

自分の願いは、自分の伝えたいこと・・・というか、「自分自身」がそのまま表れている言葉を、いつも見つけることができて、そしてそれを表現できたらいいな・・・ということなんだと思います。

と書きました。

 

それはそれで、確かな自分の気持ち(考え?)なんですけれども、先日、菅野泰蔵著『カウンセリング方法序説』という本(この本は、しゅう兄さんの臨床心理士的生活でも紹介されていましたね)を読んで、それとはちょっと異なる考えも湧いてきてしまったのでした。

 

この本の中で、菅野氏は「あたりまえ」の対応を徹底しようと述べていらっしゃいます。ここで「あたりまえ」の対応というのは、「相手の立場に立った」対応ということです。

ここは、例をあげないとわかりにくそうなので、具体例を考えてみたんですが、ですが、ピッタリはまる例が思いつかないので(^^;本の中にある例を使わせていただきます。

 

♪    ♪    ♪    ♪    ♪    ♪

うつ病で家事ができず、家族に対しても申し訳ないという気持ちを抱いていた主婦の方が、あるとき、カウンセラーに、こう言いました。

「この前、食器を洗おうと思ったんですが、お皿を1枚洗うのがやっとでした」

さて、この言葉に対して、何と応答をしたものか?

♪    ♪    ♪    ♪    ♪    ♪

 

ここで、考えやすい応答としては、

「それは、よくやりましたね」

「すごいじゃないですか」

のようなものがあるわけですが、菅野氏としては、クライエントの努力を評価する・ねぎらうという点では共通するけれども、次のような言葉になることも多いとのことです。それは、

「えー、そんなことして大丈夫でしたか?」

「無理をしたんじゃないですか?」

等々・・・でした。

 

さて、菅野氏の提示している応答例を見ると、それらの対応というのは、ぼくには

「相手は自分と同じ人間である」

ということを踏まえた上で、

「もし、自分自身がその人の立場だったとしたら、どのように関わられるのが一番嬉しいか」

という問いを突きつめていったときに、初めから自分の中にあった答であるように思えました(ただ、それを見つけられるかどうかは別ですが(^^;)。

 

もしかすると、ぼくの理解の仕方が安直すぎるだけかも知れないんですけれども、「あたりまえ」の応答というのは、ちょっと魅力的(^^;な気がしてしまうんですよねー。

 

昨日の記事で書いた、自分自身がそのまま表される言葉。それとは、たぶん、違うものになっていくと思われる「相手の立場に立った」言葉。でも、「相手の立場に立った」言葉を伝えることによって、相手も、そして自分も、どんどん、本来の自分に戻っていけるようなそんな気がするわけです。

これは・・・もしかすると、別に、矛盾している話ではないのかも知れないんですけれども、でも、やっぱり矛盾しているような気もしてきてしまうわけです(^^;

 

うーーん・・・(^^; ちょっと理屈っぽくなってしまいました。

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2006年10月11日 (水)

死んだ言葉、生きている言葉

こんばんは、10月です。

 

一つ前の記事のコメント欄で、なんでもないさんからいただいたコメントを読んでいて、ふと思ったことです。

「言葉」は、その言葉を言った人自身に対しても「影響」を与え、その人自身を縛ったり、変化させていったりします。

それで、もしかすると、言葉を「使っている」と思いこんでいる人が多いのかも知れないけれども、実は、言葉に「使われている」という場合も、けっこう多いということなのかも・・・と、思ったわけです。

 

先日の、妹夫婦と親との話し合いの際に、父親のある一言に、妹の方がプツンと切れ、ものすごい声で絶叫しながら、

「どうして、いつもダメだって言うのよ!!!!」

と泣きじゃくる一幕があったのです。

 

ですが・・・。

 

妹には大変すまないような気もするんですが、彼女の叫び声を聞いていたとき、ぼくには、そのときの叫ぶ声が大きければ大きいほど、逆に、すごく虚しい感じがしてきてしまっていたのでした。

それは・・・その時の叫びが、気持ちのそこから湧き上がってくる「悲しさ」「怒り」「絶望」「甘え」「愛」等々によって後押しされた言葉とは、どこか違う感じがしてしまっていたからかもしれません。

その時の叫びは、ぼくには、どちらかというと、声を大きく叫ぶことで、何とか自分を奮い立たせようとしているような・・・叫ぶことで自分の中の「怒り」「絶望」に力を与えようとしているような・・・「反発」のための「反発」をしようとしているような・・・そんなふうに、聞こえてきてしまっていたのでした。

 

うまく、話がつながらないのですが、「言葉」によって自分が縛られてしまうのも、自分にとって無理な「言葉」を口にしていくのも、どちらも何か嫌かなぁ・・・という気がしたわけです。

自分の願いは、自分の伝えたいこと・・・というか、「自分自身」がそのまま表れている言葉を、いつも見つけることができて、そしてそれを表現できたらいいな・・・ということなんだと思います。

あ、でも、これって、誰もが願ってやまないことなのかもしれませんね(^^;

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2006年10月 8日 (日)

さて、そういうわけで・・・

こんばんは、10月です(^^)

 

そういうわけで(どういうわけだ!?笑)、今回は、「コメントを付けにくい」記事に挑戦してみることにしました(^^;

 

そもそも、コメントを付けにくい記事とは、一体どういう記事なのか?まずは、そこの部分を明確化して、その上で、戦略を立てようと思いました。

ただ、「コメントを付けにくい」と感じる記事の内容には、人それぞれで差があるとおもいます。ですが、たくさんのかたにアンケートを取って調べて、その上で、それにそぐわない記事を書く・・・という方法は、事実上難しい(というか、めんどーくさい(^^;)ので、サンプル数が1になってしまうのですが、自分自身がコメントを付けにくい記事はどんな記事だろう?と自問自答するところから、スタートすることにしました(^^;

さて、これまで、ぼくが、読んでもコメントをつけなかった記事にはどんなものがあったか?と考えてみると・・・

 

(1)漢字が多くて、読むのがめんどーくさかった記事(要するに読んでない(汗))

(2)あまりにも理屈っぽくて、読む気力を失ってしまった記事(^^;

(3)あまりにも記事の内容がナイーブで、読んでも理解できなかった記事(笑)

(4)記事の内容は理解できるけれども、何も感じない記事

(5)記事の内容が、あまりにも専門的で、ヘタにコメントをつけると、自分の無知が暴露されてしまうような気がする記事(^^;

などの記事は、コメントを付けてこなかった気がしますね(^^;

 

・・・と、ここまで考えてきて、ちょっと気が付いたんですが、

 

(6)あまりにも記事の内容がナイーブで、理解できるけれども、ヘタなコメントを付けるとご本人を傷つけてしまいそうな気がする記事

 

というタイプの記事については、コメントを付けることも、付けないこともあったんですが、自分の中では、何とかして、コメントになるような言葉を探し出そうと努力してきました。

そして、自分の中でGOサインが出れば、そのコメントを書き込み、その上で、ご本人から、返事をいただいて、自分のコメントがそのかたを傷つけていない(ような気がする)と、すごくホッとして、うれしくなりました。

 

考えてみれば、ブログを始めて、あちこちのブログでコメントを残してきましたが、実は、いつも(6)のような気持ちが、自分の中にあったような気がします。そして、いつも、どこのブログでも、自分のコメントを大切にしていただき、そうしていただくことで自分自身も大切にされていたんだなー、と、あらためて、感謝したい気持ちがわいてきました・・・。

 

うーーん・・・今日は、コメントをしづらい記事の在り方を考えて、それを実践しようと思ったんですが、ちょっと、別な話になってしまいました(^^;

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2006年10月 2日 (月)

脱?永遠の少年?

こんばんは。ご無沙汰しております、10月です(^^)

 

さて、どうも、ここのところ、うちの実家の中が、ゴタゴタ・・・妹夫婦と、うちの両親との間がうまくいっていないようなんですが、先日、そのための話し合いの場に、レフェリーとして?仲裁役として?呼ばれて、行ってきたのでした(^^;

 

うちの親たちの言い分や、妹夫婦の言い分のそれぞれを聞いていって見ると、ほんの些細な行き違いが、長い年月をかけて、どんどん両者の溝を深めていったということがとてもよくわかりました。

親の方は甚だガンコであり、一歩も引こうとしません。

一方、妹の方も、天晴れ、こんなに頑固者だったのか(笑)というくらい、ガンコでした(^^;

 

さて、今回のこの一件では、いろいろ思うことがありました。

 

もっとも大きな発見?としては・・・父親の言葉に関するものがあります。

これまで・・・ぼくにとって、親・・・特に父親の言葉というのは、いつも「正論」だった気がします。

・・・それは、どこまでも正しく、それゆえに、反論する余地が無く、間違っているのは自分の方としか思えないような、そんな言葉を、いつも聞かされてきたような気がしていました。

 

ですが、今回の親たちの話を聞いていると、これまでと同じように、父親は「正論」を並べていくのですが・・・ですが・・・その言葉の背後に、「子どもが駄々をこねるような感じ」や、「ものすごく深い悲しみ」や、「絶望感からなんとかして逃れようとしている感じ」などが伝わって来る気がしたんです。

・・・そして、そういうことを感じながら、親たちの言葉を聞いていると、それは、単なる「正論」ではなく、なにか、必死に自分自身を保とうとするための「悲鳴」のようにも聞こえてきたのでした。

 

このように感じ方に変化が起こってきたのは・・・ぼくが、永遠の少年を脱し始めたということなのでしょうか? それとも、単に、親が歳をとったと言うことなのでしょうか?(^^;

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2006年8月24日 (木)

お百度

こんばんは,10月です。

実は、こちらの記事は、もともとは、別な記事だったのですが、風折留亭さんが、コメント欄でお百度参りを始めて下さり、それが、百を越えた現在も、何人かの方が続けて下さってるものです(ぼく自身も含まれていますが(^^;)。

コメントの流れの中でも、少し書きましたが、ぼくが、記事の更新を止めていること、この記事のコメント欄の流れから出たくないこと、ありがたいと思っていること、「祈る」ことを大切にしたいと思っていること・・・などなど、いろいろな想いが自分の中で絡み合っている感じがします。

ぼく自身は、無神論者であり、また超能力・オカルトの類は信じませんが、それでも「祈る」気持ちは大切にしたいという気がします。自分がちっぽけな存在であることを再確認できる気がします。

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2006年5月23日 (火)

すさまじい・・・(笑)

こんばんは,10月です(^^)

 

さっそく本題ですが,ロテ職人さんのところで紹介されていましたが,NHKの番組での一こま「スプーの絵かき歌」を,見ていて今朝から爆笑していました。

楽しいと言っていいのか,おもしろいと言って良いのか,こわいと言うべきか・・・

 

まあ,ともかく,一度見てみてください(笑)

 

うーむ・・・清姫が,あのスプーのような顔だったら,安珍も,死なずにすんだかもしれない・・・(笑)

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2006年5月 8日 (月)

ブログを更新するための記事・・・

こんばんは、10月です。

 

ここのところ、更新頻度が落ち込んでいるのは明らかなんですが、一つ前の記事「さて、ここのところ更新のペースが落ちているのは」のコメントらんで、turtleさん、ららさん、なんでもないさんよりコメントをいただきました。

そして、それらのコメントを読んだり、返事を書いたりしているときに、

 

・・・あぁ・・・なんだか、あったかくて、ありがたいなぁ・・・

 

・・・ということを感じたのでした。

 

何というか、ここのところ、ブログの記事を書こうとするとき、必死に「記事」としてはき出せるものを自分の中で探して、でも、まだ「はき出したくない」と感じている自分がいました。記事を「書く」ということに「葛藤」している自分がいました。

たぶん、それは、書こうとしている内容が、まだ、言葉にするには早すぎるものたちだったから、という気がしているんですが、そのこととは別に、今回、あらためて感じさせていただいた、温かさ・・・安心感は、是非、言葉にしておきたいと思ったのでした。

 

たぶん、turtleさん、ららさん、なんでもないさん、それぞれ書かれていることは違いますが、共通しているのは、「今」のぼくの「在り方・感じ方」を、そのまま認めてくださった気がするところ・・・のような気がします。

うーーん・・・このことは、すごーく、すんなりと、「書く」ことができたような気がするんですが・・・

初めは、「更新のための記事」は書きにくいけれど・・・そうではない、「本当に書きたいこと」は、すんなり書ける・・・ということなのかな?と思っていたんですが、今、ここまで書いていて、ふと、もう一つ、違うことを思いました。

それは、「自分が受け入れてもらえた」という体験・・・これは、「その体験を書く自分」も「受け入れやすい」ということなのかもしれない・・・ということです。

ちょっと、言いたいことが伝わりにくいかもしれないんですが(笑)、そんなことを、今、思いました(^^;

 

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2006年5月 6日 (土)

さて、ここのところ更新のペースが落ちているのは

おはようございます。10月です。

 

えー、というわけで、ブログの更新頻度が激しく落ちている原因なんですが・・・これは決して「仕事が忙しい」とかの物理的な理由ではありません。

4月22日の記事「どもーー(^^) 」では、生徒たちを「見る」モードに入っていたいから・・・というようなことを書いたんですが、どうも、それ以上に、自分が「傷ついている?」ためであるような気がします。

うーーん・・・もっとも「傷ついている」という表現は、適切かどうか、ちょっと迷うところではあるんですが・・・。

 

新入生の人たちが入ってきて、約1ヶ月が過ぎ、それなりに高校生活にも慣れて、安心して自分を出せるようになってきている人たちもたくさんいます。

ですが、やはり、環境の変化を受け入れることがあまり得意ではなさそうな人たちもいて、その人たちを見ていると、必死に周りに合わせようとして、自分を抑えて、がんばってはいるんですが、ものすごく大変そうというか、姿を見ていていじらしいというか・・・。

 

もっとも、ぼく自身も、高校に入学したときのことを思い出してみると・・・入学してまもなく、話をする友達もできましたし、部活動にも入っていたりしましたので、「居場所がない」ということは無かったんですが、それでもなお、「高校」という集団?共同体?場の中での、「これが自分だ!」というような、自分自身のアイデンティティというものを・・・中学時代はそれなりに持てていたと思うんですが・・・再び、築き上げるまでに、かなりの時間を要した気がします。

ですが、ぼくの場合は、(ちょっとお恥ずかしい話ですが)、高校1年が終わろうかという時期に、あることで、「停学処分」などを受けたことがあり(笑)、その時に、親が学校に呼び出しになったり、担任の先生が何度も自宅に家庭訪問に来てくれたり、それをきっかけに、頻繁に担任と話すようになったり・・・ということを通して、少し、「高校」の中での自分の「足場」・・・アイデンティティが、定まってきたような気がします。

 

おそらく、一人ひとり、何によって「安心感」を得るのか、何によって「アイデンティティ」を確立することができるのかは違うとは思うんですが、でも、それを持てない間の、あの、よりどころのない感じ・・・毎日を「楽しい」と思って生活していても、どこか、何かが足りない感じ・・・は、なるべく早めに抜け出せるといいなぁ・・・と、思ってしまうのでした。

 

新入生の人たちの何人かが、ちょっと元気がない・・・ように見えるのは、ぼくの取り越し苦労かもしれませんし、そうではないにしても、ぜーんぜん別な理由で元気がないのかもしれないんですが・・・その子たちが、入学して、新しい環境に「適応する」過程で、どこか疲れている、傷ついている・・・ように感じられて、そうすると(バリバリの逆転移かもしれませんが)自分の方でも、何か傷つきを感じて、自分の内面に目を向けていくことが、ものすごくしんどくなっていく・・・と、そんなことを感じていました。

 

ただ、仮に、新入生の人たちが、新しい環境に「適応する」ことがうまくいかなかったとしても、自分が代わりを務めてあげることはできないわけなので、結局、ぼくの立場からできることというのは、突き詰めると「待つ以外にない」ということになってしまうような気がしています。

考えてみれば、これまでも、1年生の担任を持ったとき、クラスの中に何人かは、それまでのスタンスが通用せずに、他のクラスメートを攻撃したり、教員に対して反発してきたり、内にこもってしまったり・・・という人たちがいました。

いわば、1年生の教室は、そういう「適応」のために、一人ひとりが「自分」を作り替えていくための「場」であり、その中では、表面的に見えるものも見えないものも含めて、ものすごい「動き」があったように思います。

もっとも、学校では、授業がありますので、「授業」の間は、生徒の人たちは、あまり「適応」だとか「自分」だとかいうことには目を向けなくても済む・・・いわば、「授業」は、冷却時間として機能しているような気がします。

おそらく、このような「適応」という課題だけを提示し、そのために「自分」を作り替えていく(ちょっと、この言い回しは、言い過ぎな気もしますが(^^;)ための「場」だけを純粋に持ったものが、EGということになるのかな?という気もします。

 

話が飛躍するかもしれませんが、EGで最初の頃に生じる「沈黙」は、一人ひとりのメンバーにとっては、かなりの「負荷」になっているような気がします。

ですが、そのような「負荷」を与えられるからこそ、「自分」というものは、それまでの殻を破って、より豊かなものを内包できるようになっていく・・・という気もします。

 

EGのメンバーの方たちを見ていても、学校の新入生を見ていても、そのような「負荷」を抱えながら、少しずつ、その人たちが動き出していく・・・そういう様子を見ると、いつも、「人間の持っている適応力」・・・「(精神的な)健康さ」は、本当にすごいなぁ・・・と感じて、その偉大さに脱帽したい気持ちになります。

むやみやたらと「負荷」をかけることが良いとは思ってはいませんが、高校に「入学」してきてしまった生徒の人たちには、何とかこの「負荷」を抱えて、より豊かなものを得てもらう・・・これは、本当に「賭け」だと思いますが・・・そうなることを、ただただ願っている毎日なのでした(^^;

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2006年4月22日 (土)

どもーー(^^)

おはようございます。10月です(^^)どうも、大変ごぶさたしてしまいました(^^;

 

ブログを始めて、4月19日でちょうど1年だったんですが、これほど更新に穴を開けてしまったのは初めて・・・という気がします(^^;

更新できなかった・・・というか、更新しなかった理由としては、新入生が入ってきたということが大きい気がします。

とは言っても、「物理的に」忙しかった・・・ということでは無いとも思います。

何というか、新入生が入ってきて、少なくとも「今」は、その人たちを「見る」チャンネルを最大限に開いておかなければならない・・・という、そんな気持ちが大きくて、一方、ブログを書くときには、逆に、自分の内側にずーっと入っていく・・・そんな作業になってしまう感じがするため、一時的に、生徒たちを「見る」チャンネルを閉じることになってしまう・・・

・・・そのことが、何か、今はしない方が良い、というか、するべきではない?したくない、そんな気がして、敢えて、ブログを書く作業を控えていたのでした。

 

えーと、うまく言えませんが、いくつかのマンガや映画の中で、体調を崩している患者さんに向かって、気功の先生が

「気の流れが乱れておるぞ」

とか、もっとひどい状態の人に対して、

「気の流れがめちゃくちゃになっておる」

なんてことを言いながら気の流れを整えていく・・・という場面があったような気がしますが、新入生の人たちを見ていると、まさに同じようなことを感じてしまいます。

つまり、いろいろな中学校から入ってきた人たちが、「クラス」の中に入れられ、お互いがどういう人なのか、まだまだわからないままに、お互いに手探りをしながら関係を作っていく・・・これは、全然つながっていない「気」の流れが、少しずつつながっていき、スムーズな流れに変わっていく・・・そんなプロセスにも思えるわけです。

 

へんな話かもしれませんが、この時期の新入生を見ていると、エンカウンターグループの1日目の空気を思い出してしまいます。

メンバーの方たちは、何かを乗り越えようとして、いろいろ動こうとしてくださるのですが、表面的には、失敗に終わることが多く・・・でも、その失敗は、その後にやってくる、もっと大きな「出会い」「気づき」につながる大きな一歩であることが多い気もしますが・・・そんな時にファシリテーターとして、何かをしてあげたくても、してあげられることは何もない・・・んですよね。

 

今回、新入生の人たちと対していて、もしかすると、今の自分にできることというのは、「枠」をつくっておいてあげることと、生徒同士の「つながり」がうまくできていくように「祈る」、という2つのことだけなのかもしれない・・・

・・・と、ふと、そんな気がしました。

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2006年4月13日 (木)

おたく度チェック

こんばんは(^^)10月です。ちょっと、新入生が入ってきて、新入生パワーに圧倒されて?、ブログの更新にまでエネルギーがまわらない日々を送っております(^^;

 

・・・と、そんな中で、おたく度チェックなるものを発見いたしました(^^)

以前、うちのブログでも、ぼくが「ヲタク」なのかどうかということで、議論になった(笑)ことがありましたが、とうとう、「本当のぼく」を知ってもらえる日がやってきた・・・ということなのでしょう(笑)

さて・・・一応、自信はあったんですが、実際にやってみたところ・・・

10月さんお疲れ様でした。あなたの総合おたくパワーは223パワー です!

ふむふむ・・・。おたくパワーが223・・・。これって、高いのかな?低いのかな?

あなたのマニア度は33パワー です!かなりマニア度は低いですね。何にもこだわらないあなたは、ある意味異常なのかもしれません。この際、色々な物事に関心を持ってみては?

たしかに。あまり「何か」にこだわって、マニアックになってしまう・・・ということは、少ないような気がしますねー(^^;

あなたの危険度は9パワー 。低い危険度です。人生にはスリルも大事。少し危険なくらいがいいのかも。真面目過ぎるとかえってキケンだったりするのかもしれません。反動っていうのは恐ろしいものですからね。お気を付けを。

あー・・・。これも、納得。最近、歳のせいか、めっきり「冒険」をしなくなってしまったような気がします(^^;

あなたの萌え度は39パワー 。全然萌えていません。あなたはおそらく「もえるって書いてみて」と言われれば「燃える」と書き、「萌える」なんて言葉は思いつきもしないでしょう。そのような生活をおくっている人にとっては知らない方がいい言葉かもしれません。あなたは十分正常ですから。

そのとーり!!!ここが、一番、大切な部分ですね(笑)

そうなんです。ぼくは「萌え~」という感覚は・・・率直にいって、ほとんど「無い」のでございます(^^;

あなたのさわやか度は89パワー です。なかなか高い数値ですね。この数値が高いのはいいことです。なぜなら、あなたのさわやかさや人徳は例えあなたがオタクだったとしても、それを包み込んでしまうでしょう。オタクじゃない人にも好かれるオタク。それがあなたです。

なるほど・・・。えへへ。これは、ほめられているわけですよね(^^)

 

あなたの煩悩度は37パワー 。低い煩悩度です。あなたのその無欲の精神は、オタクになるよりも聖人君子になる方がよっぽど向いています。今から方向転換を考えて、歴史の教科書に載る事を目指してみては?

なーるほどー・・・。

あなたの潜在能力は20パワー 。オタクにはなれません。あなたの潜在能力はかなり低い数値です。今はマンガやアニメが好きだったとしても、年を重ねるにしたがって興味は薄れてくるでしょう。それでいいのです。きっと一般社会の方が楽しいですよ。

たしかに・・・。もう、すでに、マンガやアニメに対して、それほど興味を持っているわけではない気がします。ただ・・・ただですねー・・・

漫研(アニメ部とも言う)の生徒たちの中に埋没していると、とーーっても安心できるんですよねー(笑)

 

そういうわけで、ぼくは、また、明日から、生徒たちの前では「ヲタク」に対する親和性の高さを表現していくことになると思います・・・(^^;

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2006年4月 9日 (日)

「手紙」

おはようございます。10月です。

先日、職員室の机の上を整理していたところ、書類の間から、1通の封筒が出てきました。

何だろう?と思って中身を見てみたところ、この前卒業した、うちのクラスだった人が、卒業式の日に残していってくれた手紙でした。

 

読んでみると・・・決して、ドラマ「高校教師」のような展開にはならないんですが(^^;・・・在学中、お世話になりました、という趣旨のことが書かれていました。

ぼくは、その手紙を読みながら・・・わざわざ「手紙」という形で、何かを残していこうとしてくれた、その子の・・・えーと、何というか、「やさしさ」というか「律儀さ」というか「心遣い」というか・・・そういうものを感じて、ものすごく、うれしく、ありがたく・・・そして、ちょっとだけ寂しくなりました。

 

今年度は、ぼくは1年生の担任と言うことになったのですが、先日、入学式がありました。

その日に、初めて、クラスの生徒たちと出会うわけなんですけれども、その時は、モーレツに緊張していました(^^;

他の1年の担任の先生たちも、そわそわしている感じはありましたが、ぼくの場合は、ダントツに緊張していて、緊張のあまり、おなかが痛くなったりしていました(笑)

 

ですが・・・新入生の人たちと教室で初めて出会い、入学式を一通り終えて、再び教室に戻ってきて少しほっとしているうちに・・・まだ一人ひとりについては何もわかりませんし、ぼくも生徒もまだまだ緊張もしているし不安な気持ちもあるわけなんですが、ですが、それと重なるようにして、教室の中全体が、何かゆったりとした、穏やかなものに包まれている感じがしたのでした・・・ぼくの中の何かが動き、

「ああ・・・この子たちをまた、守っていこう・・・」

という気持ちが芽生えてくるのを感じました。

 

一つ前の記事のコメントらんで、ichiro_hさんが

大切な何かを守るということは、自分の中の大切な何かを守るということじゃないかなぁとか思ったりします。

そして、

結局、自分の中の大切な何かを傷付けてしまうのは、自分なんだろうなぁ、と思ったりします。

と書いてくださいましたが、このあたりを読みながら、ふと、「大切なもの」を持っていなかった以前の自分は、「自分」のことも大切にできていなかったということかな・・・という気がしました。

自分を大切にできていなかったというのは、自分が「傷つく」ということに、ものすごく鈍感・・・というか、傷ついたと言うことを感じるチャンネルを閉じてしまっていた気がするからです。このことに関連して、一つ思い出されるできごとがあります。

 

教員になって間もない頃、何かうまくいかないことがあって、ぼくは、うまくできない自分を責めていたことがありました。

そんな時、ある方(この方は教員ではありませんが)から、

「あなたは本当は、今回のことで、すごく傷ついているんじゃないですか?」

と言われたとき、自分では全くそんな風に考えてもいなかったんですが、その一言を言われて、自分の中の動かなかった何かが崩れて、不覚にもウルウルしてしまったことがあったんです(^^;

 

「自分が傷つく」と言うことを感じられなかった当時・・・「自分」を大切にすることもできていなかったんだと言う気がしますが、そのことと「大切なもの」ができてこなかったということとが、どこかつながっている感じがしたのでした。

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2006年4月 8日 (土)

自分を確立・・・

えー・・・、10月です(^^;

一つ前の「自分の中に「受け入れられない」ものができるときって・・・」という記事で、

「受け入れられないものが出てきたのは、大切にしたいものができたから?」

ということを書いたのですが、そのことについて、bebeさんから、

たぶん「自分」と言うものがよりしっかりと確立されたんだと思います

というコメントをいただきました。

何か、わかるような気もするんですが、うまく、自分の中に入っていかないような感じもして、少し、考えてみたくなりました(^^;

 

一つ前の記事で、ぼくが書いたのは「大切なものができたとき、それを守るために、譲ることのできないものがうまれた」ということでした。この感覚は、ぼく自身としてはしっくりくるんですが・・・たぶん、ぼくが引っかかってしまっているのは、それが「自分を確立した」ということと、どういう関係にあるのかがよくわからないから・・・という気がします。

よく考えてみると、どうもぼくは「自分を確立する」ということがどういうことなのか、そもそも、ピンときていないかもしれません(^^;そのために、「自分を確立した」ために「譲れないものが生じた」という図式が、しっくりこないのかもしれません。

 

うーーん・・・やっぱり、ちょっと違うかな?

ぼくの中には、どうも、「自分を確立」できているほうが、「譲れないもの」が少なくなっていく・・・つまり、より「自由」になれる・・・という感覚がある気がします。

これは、「「嫁いびり」はバランスを崩した状態? 」という記事で書いた内容ともつながっている気がしますが、

「自分を確立する」

とは

「自分の在り方に自信を持つこと」

ということと近いイメージがあり、そして、そのように「自信」を持てるようになるほど、安心して、自分自身も、周囲の人も「自由」にすることができるようになる・・・というイメージがあるんです。

今回書いた、「大切な、守りたいものがある」という状態は、それと比べると、周囲を自由にさせられるのとは逆の、「こだわり」によって束縛されている、いわゆる「不自由」な状態になる感じがします。ただ、「大切なもの」を持てるということは、自分や周囲が「不自由」になることのデメリットを差し引いてもあまりあるほどの、大きなものである・・・という感じもしています。

 

・・・と、ここまで考えてみて、ふと、「大切なものを持てる」ということは「自分を確立した」からこそ可能になったとも考えられるかな?という気がしてきました(^^;

これまでは、ただ単に、周囲に合わせるだけの生き方をしていた、何かを「大切にする」ことのできない人間だったような気もします。

また、自分の身近な人たちを思い浮かべてみると、自分を大切にしてくれると思える人・・・安心して、身を委ねられる人・・・というのは、やはり、「自分をしっかり持っている」人であるような気もします。

 

うーん・・・うまく言えませんが、結局、自分を確立することで、何かを大切にできるようになっていく、また、逆に、大切な守りたいものが生まれることによって、自分を確立できていく・・・ということなのかなぁ・・・

・・・と思いました(^^;

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2006年4月 5日 (水)

「ワガママ」を受け入れられない?

こんばんは、10月です。

一つ前の記事「『意地悪』な気持ち」で書いた、

こういうシチュエーション(誰かの主張を「受け入れなくてもよい」と確信できる場合)のときには、どうもぼくは、その人に対して「余裕綽々」の態度になっているような感じがします。

ということを感じているときの、自分の中には、何かを「怖がっている」気持ちと同時に、どこか、その人の主張を攻撃して、それを引っ込めさせよう・・・という気持ちがわいている気がします。

この後者の気持ちは・・・ちょっと、気がついてしまったんですが、ぼくの中の「ワガママに耳を傾ける必要はない」という気持ちに由来している気がします。

これは、3月19日に「ぼくがみんなに「ワガママ」になってもらいたい理由」という記事を投稿しましたが、この内容と、矛盾している・・・ような気もします。

 

この、ある時には「ワガママ」であることを求め、別なときには「ワガママ」であることを認めようとしない・・・同じ、「自分」の中の感覚なのにもかかわらず、これほどまでに相反するような感覚が、自分の中に同居している・・・というところに、

「どういうことになっているんだろう?」

という疑問がわいてきたのでした。

このへんの感覚は、ちょっとうまく説明しづらいんですが、自分なりに探っていってみると、一つには、対象となる人が、生徒の場合と教員の場合とで、ぼくの中の「ワガママ」に対する許容範囲が大きく変わると言うことなのかな?ということを感じました。

つまり、自分と立場が近い人になればなるほど、その人の「ワガママ」を許せなくなってくる・・・そんな感じがします。

 

この辺まで考えてくると、徐々に見えてくる感じがするんですが、ぼく自身は、ものすごく、人に甘える、人に頼ることを避けているところがあり(これは、以前の記事でも書いた気がします)、たぶん、そう考えてしまう理由が自分の中にあるんですが(これは、うまく言葉にならないんですが(^^;)、そのために、自分に「近い」人が、そのルール(ワガママを言わない)を破っていると、許せなくなってしまうのかもしれません。

その一方で、自分の中には「ワガママを言わない、人に頼ることを避ける」というところを打ち破って、もっと「人と近づきたい」という願望もあります。たぶん、ぼくが、誰かに「もっとワガママになってほしい」と思ってしまうのは、その「誰か」を使って、自分の願望を満たそうとしている・・・そんな気がしています。

 

えーと、ちょっと理屈っぽい話になってしまいました(^^;

ただ・・・たぶん、今回書いたことは、あくまでも一つの側面であって、ほかの見方もできる・・・とは思うんですが(^^;

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2006年4月 2日 (日)

おはようございます(^^)

えーと、タイトルが「おはようございます」ってのも変かもしれませんが・・・(^^;

どうも、少し(3日間?)ご無沙汰いたしました、10月です。

 

昨日、一つ、(ぼくの中では)大きなイベントがあり・・・それは、ちょうど、新しく入学してくる生徒の人たちと初めて出会うような場面と同じくらい、ぼくにとっては大きなイベントだったんですが・・・そちらが、無事?つつがなく終了し、少し、ほっとして気持ちに余裕ができて、戻ってまいりました(^^;

 

ぼくは、基本的に、「人見知り」?をするほうなので、初めて出会う人たち(生徒など)と、クラスで「出会う」ときというのは、ものすごく感覚が過敏になる気がします(もしかすると、誰でもそうかもしれませんが(^^;)。

ちょっと不思議なのは、エンカウンターグループなどに参加するときには、どちらかというと、そういった「過敏」になるというよりも、「わくわく」する感じの方が大きい気がするんですが・・・

・・・と、書いてみて、よく考えてみると、エンカウンターグループは「メンバーの一人」として参加、クラスでは「担任」として参加しているわけなので、そこで感じる「責任」の大きさは当然違うし、それに伴って、「過敏」さに差があるのも当然のことなのかな?という気もしてきました(^^;

 

さて、そういうわけで、昨日のイベントというのは、一つのグループを開始する、いわば「出会い」という意味合いを持つイベントだったわけです。

そのイベントが終了してからの反省会の場面で、副担任(?)役の方から、

「なんだか、いい雰囲気でしたねー。○○さん(←ぼくのことです)の出してる感じが、そのままグループの雰囲気になってる感じでしたね。」

というようなことを言っていただき、実を言うと、「(ぼくが)出してる感じ」というのがどういうものなのかは、ぜーんぜんわからなかったんですが、でも、無理をしなくてもスムーズなスタートが切れた・・・と言っていただけているように思えたので、その言葉は、ありがたく頂戴したのでした(^^)

・・・というわけで、一つ、肩の荷がおりた感じがします(といっても、よく考えてみると、これから始まるわけなんですが(^^;)

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2006年3月26日 (日)

ひさびさに昔の記事を読みました

こんばんは。何だか、今夜は、(ココログだけでなくて、ネット全体が)重い・・・そんな感じがしますね(^^;

カウンターも表示されないし、ランキングも表示させようとすると、ブログ自体が表示されないので、現在は非表示にしてしまいました。

 

さて、昨日(・・・と日付を見ると、今日でしたね(^^;)、salaさんより、ハンドル変えます。(10月2日投稿)という記事にコメントをいただき、ひさびさに(コメントも含めて)読み返してみました。

 

・・・読んでいくうち、どうしてなのか、わからないんですけれども、さみしいような、せつないような、でも、心地良いような・・・なんだか、不思議な気持ちになりました。

 

・・・この気持ちに似た気持ちは・・・どこかで感じたことがある気がします・・・。うーん・・・どこでだったろう?

 

うーーん・・・そういえば、あまり関係ない話かも知れませんが、ぼくは、一つの固定化した関係を続けていこうとすると、どうも、どこかで、それを打ち破りたいという気持ちが大きくなって、結果的に、ある一定の環境に自分を置き続けるということを、(どこか意識的に)しないようにしている・・・ということを、ふと思い出しました。

それは・・・うーーん・・・言葉にしてみると、ものすごい自分勝手な理屈なんですけれども(^^;、自分で作った関係であっても・・・逆に、自分で作ったという「責任」を感じるときほど、その関係を維持していくことに、ものすごいエネルギーを費やされてしまう感じがしてしまうからかもしれません・・・。

 

確か1月くらいに「責任」という漢字について記事を書いたことがありましたが、ぼくにとって、自分の中に巣くっている「責任感」というのは、内面から自分を監視・攻撃し、その結果として表面的には、周囲の人に迷惑をかけないような行動をぼくにとらせてくれるんですが・・・。

ですが、その「責任感」が肥大してしまったときなどは・・・逆に、場面場面に応じた、適切な行動ができなくなってしまう・・・

・・・と、そんな気がします(自分の場合)。

 

えーと・・・ちょっと、話が、逸れまくってしまいましたね(^^;

 

というわけで、この記事で、書きたかったのは、

・・・ひさびさに昔の記事や、そこでのコメントを読むきっかけを与えてくれて、salaさん、ありがとう(^^)

・・・と書きたかったのでした(笑)

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2006年3月25日 (土)

漢字バトン

ちーっす(笑)、10月でぃっす。(←ちなみに、この「でぃっす」という言い方は、今から1x年くらい前に、「人工無能○○○ちゃん(名前は忘れました(^^;)」というPDSがあったんですが、その対話型プログラムの返事が、この「でぃっす」という語尾だったのでした。知っている方は・・・もう、ほとんどいませんよね(^^;)

 

さて、ちょびヲタ。の由宇@さんより、いただきました「漢字バトン」、今日は、これに挑戦してみようと思います(^^)

      *      *      *      *      *

○好きな漢字三つ

・・・好きな漢字?うーん・・・漢字を、「読めても書けない」ワタクシとしては(笑)、恨みのこもった漢字を・・・というわけで

あ!これって、「好きな」漢字ではなくて、「嫌いな」漢字になってるのか!?(^^;


○前の人からタッチされた漢字に対してのイメージ

照・・・照ってる感じ・・・ってそのまま!?

友・・・友達・・・これも、そのままですねー(^^;

人・・・この前、卒業式の日に、委員長が、黒板に「人」と書いて、大うけしてました(^^;

○次の人にタッチする漢字

・・・ううむ・・・絶対に断られそうだ・・・(笑)

○大切にしたい漢字3つ

・・・甘えや「ワガママ」を大切にしたいし、「優」は、生徒からもらう、ぼくのイメージなので大切にしたい(笑)、そして「心」・・・これは、説明の必要は無いでしょう(^^)

○漢字をどう思う?

歴史を勉強していて、日本の有名な人たちが、漢字の順列・組み合わせで、いったい誰が誰やら、まったくわからなくなりました(^^;(例:頼朝 朝頼 家綱 家康・・・もう、誰が誰やら(^^;)

○好きな四字熟語

えーと・・・(^^; なんか無いかなぁ?

管弦楽団 ・・・こういうのはダメ?でしょうねー(^^;

電子計算機・・・字余り・・・

あ!!!・・・「漁夫之利」・・・これだ!!!(笑)

○次に回す人を、漢字イメージ付きで7人

えーと、7人も、思い浮かばないんですが(^^;

この前の、何とかバトンをまわして「くださった」ということで、turtleさんに・・・まわしてしまいたいと思います(笑)

で、turtleさんの漢字イメージですか・・・?そりゃ、もちろん、アレ以外にはあり得ないでしょう(^^)

・・・「亀」です。

もっとも、ぼくの中のイメージは、また、ちょっと、ちがうかなー?(^^;

turtleさんの(ぼくの)イメージは、「素」・・・かな?(^^;

・・・というわけで、見てたら、よろp(^^)/~~>turtleさん

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2006年3月16日 (木)

突然ですが2

ゆうべは意識がありませんでした(笑)

 

さて、昨日の「突然ですが」という記事に、コメントを下さった、konoyukiさんのブログを拝見させていただきました。

 

読ませていただきながら感じたんですが、何というか、とってもブログらしいと言うか、変にすれていない?というか、まあ、ぼくとしては、何だか好印象のブログでした(^^)

 

うちのブログも、もう少しで、始めてから1年になります。

長く続いているブログ(の記事)を読ませていただいていると、どこか、記事の書き方に「慣れ」が出てくる感じがするというか、独特の「安定感」が生じてくる感じがします。

 

それはそれで、良いのかも知れませんが、ですがやはり、何か固定化してしまわないような・・・毎日の生活の中の何でもないことなんだけれども、普段見過ごしてしまうようなことで、なおかつ、ものすごく新鮮なもの・・・そういうことを書き続けていけたら、本当に、いいなー、と思うわけです。

 

もしかすると、こうして、毎日、記事をかいていくうちに、どこか、少しずつ、なんでもないことに対する「アンテナ」が低くなっていってしまっているのかもしれない・・・という気もするんですが、konoyukiさんのブログを読ませていただいて、自分が失いそうになっている(?)何かを、再び感じさせていただけたような・・・そんな気がしたのでした(^^)

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2006年3月14日 (火)

さて、今日は、軟弱に・・・(笑)

こんばんは、10月です。

 

ちょっと、記事を書き始めたんですが、脳が、アルコール脳になっていおり、思考が停止しているので、turtleさんからもらった、エンドレスバトンで今夜のところは乗り切ろうと思います(^^;

では・・・さっそく・・・。

<エンドレスバトン>
***バトンのルール***
1.回ってきた質問の最後に、"自分の考えた質問を足して"下さい。
2.終わったら必ず誰かにバトンタッチして下さい。
3.まとまりないエンドレスバトンなので「どんな質問を加えてもOK」デス。
4.バトンのタイトルを変えないこと!
5.ルールは必ず掲載しておいて下さい。

*最近のマイブーム*

学校の「成績処理ソフト」の作成

*最近買った一番高いお買いモノと安いお買いモノ。(値段も。)

高いもの・・・うーん・・・それはもう、空気清浄機(12月18日の記事参照)でしょう(^^;たしか35000円前後だった気が・・・

安いもの・・・安いというか、この前、卒業したクラスの人たちからもらった、スヌーピーのネクタイが、タダだったので、一番「安い」と言えば、安いですね。

でも、安いけれども、一番大切にしているものの一つです(^^)

 060302_203701

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*最近ショックだったこと*

40%・・・6月・・・(笑)

 

*最後にお酒を飲んだのは「いつ・どこで」ですか?*

今・ここ(here and now・・・ってやつですね(^^))

 

*最近始めたいな…と思う勉強は何?*

最近始めたい・・・ということは、これまでやっていなかった勉強ということですね。

うーん・・・何か、芸術的なものを身につけたいという気がしますねー。

もっと「困たん」を、上手に・・・ヴィヴィッドに描きたい!!!(笑)

 

*ボーナスの使い道はどうしますか?*

特に使い道がないので、講座に振り込まれたままですね(^^;

 

*大好きな少女漫画を5つどうぞ。*

「カレカノ」(津田雅美著)

「カルラ舞う」(永久保貴和著)

「Papa told me」(榛野 なな恵著)

「ワン・ゼロ」(佐藤史生著)

「人形師の夜」(橘裕著)

 

*お気に入りの歴史年号を覚えるための語呂合わせは?(「泣くよ鶯平安京」とか)*
いい国

人よ虚し(1467)・・・むなしい(って、大事な部分がなんだかわからない!)

 
*今年を表す漢字を一つ*

今年?・・・「変」かなぁ?(^^; あ、変わってるって意味じゃなく、「変化」の「変」ね。「化」でも良いけど・・・どっちにしても、なんか、妙な感じですね(^^;

 

*お国自慢を一つ*

お国自慢・・・何かあるのかなぁ?よくわかりません!!(^^;

*何歳ですか?*

小数点以下を四捨五入すると、40代。

 

*好きな色は?*

海の青

 

*どんな能力でも手に入れられるとしたら何がイイ?(ひとつだけ)*

あまりいらないけど・・・もうちょっと、人見知りしないようになるといいかなあ(^^;

 

*好きな芸人は?*

芸人・・・うーん・・・芸人・・・「爆笑問題」とか?

 
*他愛もないこと*

モーニング娘。のカゴちゃんとツジちゃんを区別できません

 

*身長は何cmですか?*

身長・・・横幅ではないのですね・・・(ホッ)前から読んでも171cm、後ろから読んでも171cm

 

*今一番「逢いたい」人は誰ですか?*

「逢いたい」・・・これは、エンカウンターしたい、という意味でしょうかねー?(^^;

だとすると、「自分自身」でしょうか?

 
*今、食べたいものはなんですか?*

今、おなかいっぱいなので・・・(^^;

 

*寝る前に必ずすることは?*

まぶたを閉じること?

 

*鬼を爆笑させるような未来の抱負をどうぞ*

ケッコンする(・・・自分でも笑)

 

*大好きなあの人に一言!(恋人・友達・家族などなど…)*

好き!(^^)

 

*一日だけ誰かになれるとしたら誰になりますか?*

自分のままで良い(笑)

 

*今、何時ですか?*

22時35分

 

*最近とても嬉しかったこと*

スヌーピーのネクタイをもらった(^^)

 

*好きなゲームは?*

生徒からすすめられてやった「シーマン」・・・でも、やっぱり、あまり楽しくないかも(^^;

 

*好きなタイプ*

カレー風味

 

*部屋にポスター貼ってますか?それは誰ですか?*

turtleさんに同じ

 

*ストレス発散法は?*

ドライブ

 

*好きなアニメは?*

「千と千尋の神隠し」

 

*座右の銘は?*

ドンマイ

 

*世界中で一番大切なものは?*

うーん・・・何が大切だろう?

 

*バトン回してくれた方にメッセージ!*

眠いです(-_-)zzz... これは・・・ビールのおかげ?(笑)

 

*今の生活の気分は?*

けっこう、落ち着いています(^^)

 

*最近見た夢の内容はどんなものでしたか?*

ヘビをつかんで投げました(^^; 

 

*最近遊んだのゎいつ・どこで?*

毎日が、「遊び」です(^^)

 

*今財布の中にいくらある?☆*

数万円+数千円+小銭少々…

 

*あなたのエロさについて語ってください♪*

卒業生から「初体験はいつ~?」と、うちの留守電に入ってました(^^;

 
*好きな楽器はなんですか?*

クラリネットよりもフルートでしょう(笑)

 

*最近見た映画は何ですか?*

「もののけ姫」

 

*今一番おすすめのアルバムはなんですか?*

卒業アルバム

 

*最近はまっているスイーツはなんですか??*

スイーツ・・・朝、セブンイレブンで買う、あんパン

 

*あなたがラジオ番組を持つとしたら、どんな番組名にしますか?*

もちろん、「永遠の少年」(笑)

 

*貴方が、最近感じた又は日々感じている、小さな幸せって何ですか?*

ビー○と、カキ(ピー)

 

*ホッと一息つけるシチュエーションは?*

そりゃもう、turtleさんのブログを読んでるときですよー(笑)

 

次に繋ぐお題は・・・

「*なぜベストをつくさないのか?*」

 

・・・というわけで・・・えーと、でんちゃん、どう?

もし、でんちゃんに断られたら、困たんにムリヤリまわします(笑)

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2006年3月12日 (日)

テンプレート戻しました(^^;

こんばんは、10月です。

見ていただければ、一目瞭然だとは思うんですが、ブログのテンプレートを、もとの

「もりのくじら」

に戻しました。

 

実を言うと、ここ1週間くらいつかっていた「まめゴマ」も、なかなか好評でしたし、自分としても、なかなか可愛くて好きだったんですが、ゴマちゃんのかわいらしさ故に、なんだか、楽しい記事ばかり書かなくてはいけないような気がしてきてしまって、ちょっと、もともとのぼくの持っている「色」と、すこしギャップを感じ始めてしまったのでした・・・(^^;

 

というわけで、もとの地味な(笑)、「もりのくじら」に戻すことにしました。

 

さて、昨日は、一日中、用事があって出かけていて、帰宅したのも遅かったので、ブログの更新をしそびれてしまいました。

そうして、今日は・・・途中何度か目が覚めたものの、なぜか、ながいながーい夢を見ていて、その夢から覚めたのが、何ともお昼過ぎだったのでした(^^;

 

夢の中では、うちの学校の職場の先生たちが何人か登場しており、特に、うちの学年主任の先生が、とても落ち込むような出来事があり(夢の中の話です)、そして、その先生が落胆のあまり、立ち上がれなくなり、そのうち胃の中のものを吐いてしまったのでした・・・。

それで、ぼくは、その先生を、必死になぐさめながら、休めるところへ連れて行きました。

連れて行くとき、その先生を全身で抱きかかえながら、その先生のおでこと、自分のおでことが触れたりしたのですが、そのときに、

・・・こうして、肌と肌が触れるだけでも、少しは、安心してもらえるようになると良いなぁ・・・

なんてことを思っていた・・・そこで、目が覚めたのでした(^^;

 

目が覚めた後でも、なんだか、ちょっとさびしいような、でも、満たされているような、何だか、ちょっと不思議な気分でした。

 

・・・いやー、「もりのくじら」パワー爆発!!!という感じの記事が、あっという間に書けてしまいました(笑)

そんなわけで、もうちょっと、このテンプレでいきます(^^;

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2006年3月 8日 (水)

やはり、こみいった話は難しい(^^;

こんばんは。読解力不足の10月です(^^;

 

えーと・・・自己開示?します(^^; 最近、どういうわけか、理屈っぽい話をあまり書かなくなってきたような気が(自分でも)していたんですが、そうなるのと同時に、お友達のブログに行っても、そこの記事が長いと、真剣に読まずに、斜め読みをするようになっていました(^^;

 

そうです!今、この記事を読んでくださっている、(ピー)さんのブログでも、いつもそうなんです!!すみません!!!!(注:前文の(ピー)は、あくまでも、個人保護のために入れさせていただいた発信音です。別に、「pさん」という意味ではありません。本当です・・・ウソはついてません・・・笑)

 

記事は読まなくても、コメントらんでの参加者同士のやりとりが、読んでいておもしろかったりするので、そちらを読むことの方が楽しみになっていたりしました(^^;

 

たぶん、これは、ぼくの中に、

「何かを話し合う(議論する)ことによって、何かを見つけ出したい」

という気持ちがあまり無く、それよりも

「誰かと、何らかのやりとりをすることによって『楽しい』と思える体験をしたい」

という気持ちの方が強いから・・・だと言う気がします。

 

ですから、まさに、ぼくにとって、ブログの「記事」というものは、あくまでも、「話のきっかけ」でしかないもの・・・と言えるのかもしれません。

 

さて、困たんが気づいてくれましたが、先日、このブログのサブタイトルを変えました。

「まめゴマ」のテンプレートにピッタリ合うような気がして、最初は変えてみたのですが、そのうち、なんだか、このサブタイトルの方が、より、ぼくがブログを通してしたいことにピッタリな気がしてきています。

さて、それでは、また、何の脈絡もない、本日の「心象風景」・・・(^^;

huujin   

 

 

 

 

  

・・・まあ、こういうイメージって、ことで・・・何たって「春」ですから(笑)

 

最近、やっつけ仕事になってきました(笑)→人気blogランキング

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2006年3月 6日 (月)

ひさびさに怒ってます(怒)

こんばんは、10月です(怒)

ともかく・・・怒ってます。

あまり怒っているように聞こえないかも知れませんが、怒っているということにしておきます(^^;

 

さて、いったい、自分は何を怒っているのか・・・?

いくつかのことが重なっているんですが・・・

ムリヤリ煎じ詰めて言うと、自分が大切にしたかった人(ネット上・現実世界それぞれで)が、いろいろな傷つけられ方をし、傷つけた側が、その事を十分わかっている(ように見える)のにもかかわらず、自分のしたことに十分に向き合っていない・・・ように見えてしまっていることが、まず一つ。

ぼく自身は「怒り」とか「人を攻撃する」ということは、どちらかというと抑えてしまう方です。

しかし、何というか、「人」を「人」とも思わないような・・・まるで、自分の中の何かを満足させるためだけに「利用」しただけのような関わり方で、結果、大きく傷つけてしまった・・・その人の人生を変えてしまった・・・。

そのようなことが、自分のすぐ近くで起こったことが、ものすごく、悲しいし、腹立たしいし・・・。

 

たぶん、これほど強く、自分の中の何かが反応しているのは、自分でも、かなり新鮮な感じがします。

自分が、誰かのことで、これほど「怒り」を感じることができるというのは、実は、自分としても驚きでした。

 

うーん・・・これって、いわゆるcomplementary countertransference(補足型逆転移)というものなのか?(これは、以前、明夜さんにスペルミスを指摘されましたね(^^;今度はあってるかな?笑)

 

さて、もう一つ怒っているのは、「自分は人を傷つけたくない」と言っている本人によって、自分の大切な人が傷つけられている(ように見えてしまっている)ことです。

こちらも、なかなか、難しい話だと思うんですが・・・

 

うーん・・・結局は、相性の問題なのかなぁ・・・?(^^;

 

昨日?本日?、こうさぎーとるさんより「アルコール脳の方が、冴えてるかも?」というご指摘を受けましたので、本日の記事は、昨日の日本酒+ビールを煽って書いております。

いやー、眠くてしょうがないですねー(笑)

記事を書きながら、何度、意識を失ってしまったことか(笑)

 

では、ひさびさに、今日の「心象風景」いってみましょう(^^)

inaba  

 

 

 

 

 

 

  

  

 

 

そういえば、ぼくの小学校のときの担任の先生も、「イナバ」先生というお名前だったなぁ・・・(しみじみ) 

・・・今、記事を読み返してみると、前半のテンションと、後半のテンションと・・・つながってませんね(^^;途中で一回、寝てしまったのが敗因かも(笑)

 

自分もアルコール脳だっ!!というかたはクリックしてください(笑)→人気blogランキング 

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2006年3月 5日 (日)

帰ってきました(^^)

こんばんは、10月です。

 

さきほど、無事、帰宅いたしました(^^)

二日間でしたが、ずっと、飲み続けの旅行だった気がします(笑)

 

つきましては、旅行先の、とある蔵元で、こちらを買ってきました(^^)

 

060305_193201.jpg 

 

あまり甘くなく、すっきりした口当たりで、なかなか飲みやすい気がします。

あ、そうそう、ANAかJALの機内で、こちらの日本酒がお代わり自由?で飲める・・・とかいうチラシが、店内に掲示されていました。

 

というわけで、帰還してすぐさま、自分用に購入した「イカの沖漬け」を肴に、またも飲んでいます(^^;

しゅうさーん!!!(見てるかな?)このお酒知ってますかぁ?なかなか、飲みやすくておいしいですよー(^^)

 

旅行中も、あまり順位が下がりませんでした(^^)どうもありがとうございます。また気が向いたらクリックしてください→人気blogランキング 

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2006年3月 3日 (金)

ヤヴァイ・・・カワイイ(笑)

こんばんは、10月です。

 

ココログのテンプレートに、新しい仲間が加わったんですが、チビゴマ・・・じゃなかった、「まめゴマ」というテンプレートが、もう、堪えられないくらいカワイイ!!!(笑)

mamegoma  

 

 

 

 

 

 

・・・というわけで、約4ヶ月?5ヶ月?ぶりになりますが、テンプレートを変更したいと思います(^^)ヤッター

 

*    *    *    *    *    *    *    

・・・と思って、実際にテンプレートを入れ替えてみたのですが・・・

なんだか、ちょっと考えていたのとイメージが違う感じがして、やっぱり元に戻すことにしました(^^;

というわけで、今日の「心象風景」いってみましょう(^^)

 

joutou  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・夢にでるかな?・・・困たん・・・(笑)

 

困たんが夢に現れたら→人気blogランキング クリックお願いします(笑)

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2006年2月28日 (火)

昨日の記事の「心象風景」で

何か最近、ブログの方向性が、間違った方向に向かっているような気がしている10月です(笑)

 

さて、昨日の記事の心象風景に登場した「困たん」の頭部を見ていたところ、どういうわけか・・・

「春先になると、頭部から、新しい困たんが『分裂』『出芽』といったタイプの『無性生殖』によって、発生してくる」

・・・というような妄想がわいてきました(^^;

 

さて、何故か、やけ気味ですが(笑)、今日の「心象風景」いってみましょう(^^)

haru  

 

 

 

 

 

 

 

困たんは・・・このようにして、増殖していくのですね・・・。

  

ホントか!??(笑)

 

困たんの繁殖を抑えたい方は、こちらをクリック!→人気blogランキング

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2006年2月27日 (月)

なんだか最近・・・

こんばんは、10月です。

 

昨日の記事のコメントらんで、たくさんのHNが登場し(笑)、その中に、

「Blogpetのこうさぎーとる」さんという方が登場されました。

ちなみに、ぼくは、これがいったい誰なのか、ぜーんぜんわからないのですが(笑)、

「こうさぎーとる」というお名前から察するに、たぶん、こうさぎと、○メが合体したような雰囲気のお方ではないか?と想像し、浮かんできたイメージを描いているうちに、だんだん、止まらなくなってきてしまいました(汗)。

というわけで、本日の「心象風景」いってみたいと思います(^^;

alice  

 

 

 

 

 

 

 

 

なお、まんなかでニヤニヤしながら歩いている人の胸(おなかではありません)の部分に書かれている文字は、「木」ではなくて「困」です。念のため(笑)

 

いいかげん、「心象風景」シリーズをやめて欲しい!!という人は、こちらをクリック!→人気blogランキング(何でだ!?笑)

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2006年2月18日 (土)

やはり、どこか気負っていたのかな・・・(^^;

おはようございます、10月です。

昨夜は・・・いつの間にか、爆睡しておりました(^^;

 

一昨日の記事でも書きましたが、自分では100000HITを、あまり大きなこととしては受け止めていないつもりでした。

ですが、ずっと、毎日更新してきたブログを、100000HITの翌日に更新しそびれてしまう・・・というのは、やはり、どこか、張り詰めていたというか、気負っていたというか、そういう気持ちが(自分で考えていた以上に)大きかったのかなぁ・・・などと思いました(^^;

 

この、「自分ではわかっているつもり」の気持ち・感情が、実はあまりわかっていなかった・・・ということが、ぼくの場合はわりあいよくある気がします。

このような「自分が感じること」に鈍感なのは、以前に比べると少しは改善されてきているとは思っていたんですが・・・まだまだまだまだ・・・ですね(笑)

 

以前、「自分の中のイヤな心」(9月15日)という記事でも、自分の中にわいてきた感情が、自分でもつかみきれないということを書きましたが、もしかすると、そういうことが、結構多いのかも知れないな~(汗)・・・と思いました。

たぶん、「気持ち」とか「感じること」というのは、ものすごく率直な?もので、いろいろこね回して云々するものではないのかもしれない・・・と、自分でも思うんですが(^^; 

まあ、この「自分の感じること」と「自分」をつなげていくというのは・・・ぼちぼちやっていくしかないだろうなぁ・・・と思っています。

 

さて、ぼちぼちでんなさんが、キリ番を踏まれたと言うことで、ゴルジー1年分を景品として・・・ということになりました。

ゴルジー1年分って、どれだけ!?と思ったんですが、まあ、毎日、朝食に一匹ずつ食べていただくとして(笑)、それを365日分と言うことで 365匹とさせていただきました(笑)

では、どうぞ(笑)

keihin

 

 

 

 

 

  

 

ぼちぼちでんなさん、どうぞ、お受け取り下さい。もし、不良品・欠品(数が足りない)などがございましたら、いつでもご連絡下さいませ。

なお、追加は可能ですが、返品には応じかねますのでご了承下さい(笑)

(ちなみに、今回の景品、自分で作ってみたものの、パッと見た感じがチビ○○に見えてしまうのって・・・ぼくだけ?(^^;)

 

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(1度クリックした方は2回目以降はカウントされないんですが、簡単に順位確認画面に行けますので、何度でもどうぞ)

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2006年2月16日 (木)

2日遅れのバレンタイン

こんばんは、10月です。

先日の記事で、今年のバレンタインデーは0勝1敗2引き分け・・・と書きました。

この意味については、bebeさんが、コメントらんの中でスバラシイ推理力を発揮し、その謎をほとんど解いてしまいましたので、詳しくは、そちらをご覧いただくとして(笑)

さて、そして、今日のことですが、うちのクラスの生徒が、(3年生なので自由登校期間中ではあるんですが)勉強を教えて欲しいと言うことで、学校へやってきたのでした。

いったい何の勉強をするのやら?と思っていると、ゴソゴソとカバンの中を引っかき回していたかと思うと、

「失敗作のマフィン食べる?」

と言って、紙袋に入ったマフィンを、ポイッと渡されました。

 

・・・なかなか、これが、微妙な雰囲気で渡されたので、単に「差し入れ」としてくれたのか、それとも「2日遅れのバレンタイン」なのか、よくわからなかったんですが・・・

 

1時間くらい、何やら勉強をして、そして帰り際、

「じゃあ、3月14日よろしくね!」

と、さらりと言って、その子は帰っていきました・・・なるほど。

 

・・・いやー、なかなか、泣かせる演出?でした(^^;

あ、ちなみに、その子は、1月27日の記事にも登場していて、ぼくが風邪気味の時に勉強をみてあげたところ、お菓子をたくさん持ってきてくれた人です(よく考えると、その時も、今回と、非常に類似した展開でしたねー・・・(^^;)

でも、いずれにしても、やっぱり、なんだか、ちょっと嬉しくなってしまう出来事でした(^^)

というわけで、今日の「心象風景」行ってみましょう(笑)

huukei2  

 

 

 

 

 

こんな感じ・・・でしょうか(笑) 

*   *   *   *   *   * 

さて、さっき見たところ、カウンターが99983でした。この記事をアップするときには、もしかすると、100000を越えているかも知れませんね(と思っていたら、ぼちぼちでんなさんが100000をgetされたんですね。おめでとうございます(^^))。

今まで、これだけの回数、うちのブログを見ていただけたということについては、深い感謝の気持ちを感じ、それと同時に、ブログを続けている中で少なからず誰かの気持ちを傷つけてしまっていたことについては、申し訳ない気持ちを抱いています。

ですが、何よりも、一番大きいのは、ブログを通して知り合うことができた一人一人の方と、文字のやりとりだけではあるんですが、本当に、その人の気持ちが伝わってくるような、息づかいが感じられるような、涙を我慢しているのが伝わってくるような、そんなやりとりができた・・・ということを、本当に本当にうれしく思っています。

実を言うと・・・そういうことの嬉しさに比べたら・・・カウンターが100000を越えたというのは、実は、ぼくにとっては、あまり大切なことではなかったりするんですが(笑)スミマセン(^^;

100000を越えても、今まで通りやっていきたいと思います。これからもよろしくお願いいたします(^^)

 

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2006年2月15日 (水)

最近のコメントが・・・

こんばんは、10月です(^^)

さて・・・、と。(ここで息を吸って・・・)

 

みなさん!!!どーーーしたんですかっ!!!

最近のコメントが・・・最近のコメントが・・・

 

 

「ツッコミどころ満載」のコメントになっています!!!(笑)

 

チョコレートのお礼を「チュウ」で返してしまう風折留亭さん・・・

入れ歯を落としてしまった慶さん・・・

ブログで遊べないはずなのに、コメントが面白すぎるなんでもないさん・・・

的確な推理を、血液型のせいにしているbebeさん・・・

 

もーーーー、みなさん、おもしろすぎですっ!!(笑)

ちなみに、ぼくとしては、あくまでも「各個人の自主性」を尊重したいと思っております。

それゆえ、もし仮に、ツッコミを受けそうなコメントを書いてしまったとしても、それは、決して、このブログのせいなどではなく、あくまでも、書いた方御自身の持つ「何か」がそうさせたのだ、ということで(笑)

*   *   *   *   *   *   *   *   

さて、数日前の記事で登場したミト子と、小さい頃に生き別れになった双子の姉であるトミ子の再会の物語を切望される方がたくさんいらっしゃいますので、感動の対面場面のスクープ写真をご紹介したいと思います。

あ、なお、トミ子さんの方は、プライバシーの保護のために、一部、画像を処理させて頂いております。

では・・・

 

saikai  

 

 

 

 

 

 

 

再会を果たす、ミト子とトミ子・・・そして、それを木陰からそっと見守るゴルジー・・・。

これが、二人にとって、新たなる一ページになることを、ただただ祈るだけですが・・・何だか、ちょっと「心霊写真」みたいになっちゃいました(^^;

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2006年2月13日 (月)

『つるの恩返し』

こんばんは、10月です(^^)

一つ前の記事のコメントらんで、turtleさんが書いて下さっていますが、「見守ってくれている人」がいるというのは、自分にとって、すごく、安心できるし、「ありがたい」ことだと思います。

コメントの中では、「このブログがもうすぐ10万HITになる」ということを、りおさんが見てくれていたこと・・・に対して「見守ってくれている」と書かれていましたが、それだけではなく、もっと広い意味で「見守ってくれている」人がいるという意味も含めて書いて下さっていたものとして受け止めました。

さて、これまでの記事の中でも、ときどき書いたことがありますが、ぼくの中には、「人の負担になること」を恐れるところがあり、安心して人に甘えられないところがある、と自分では思っています。

仮に、誰かに「頼っている」ように振る舞っていても、自分の中では、どこか、その相手に、「本当に頼って良いのか?」、「こんなに甘えて良いのか?」ということを、常に自問自答しながら、振る舞っているような気がします。

今回、Blogランキングに登録して、たくさんのかたにクリックしていただいて、本当に嬉しく思うと同時に、何か、「恩返し」をしないといけないような気持ちになったりもしています。

 

・・・と、ここで、『つるの恩返し』という物語のことが思い出されたのですが・・・たぶん、ほとんどの方は、このお話はご存じかと思います(多少、バリエーションはあるようですが)。

 

 

turu・・・助けたつるが、その恩返しのために娘の姿となって再び現れ、自分の羽を使って機を織り、その様子を「見ないで」と言っていたにもかかわらず、その約束が破られてしまったため、つるは去っていってしまう・・・

 

 

という物語です。 

それで・・・この話と同時に、もう一つ、思い出した話があります。大平健(精神科のお医者さん)著『診療室に来た赤ずきん』という本の中に載っていた、症例の一つです。

 

*  *  *  *  *  *  *  *  *

(かなり省略しているのでわかりにくいかも知れません)

患者の男性は、奥さんから突然「離婚」を言い渡されたことがきっかけで、気分が落ち込んで来診しました。

どうして「離婚」という話になったのか、その男性もそうですが、言い出した奥さんの方でも、その理由がはっきりしないようでした。

ですが、丁寧に奥さんの話を聞いていくと、奥さんは小さい頃から、自分の育った家庭のことで肩身の狭い思いをしてきており、結婚前、その男性(夫になった人)は、そのような彼女に、すごくやさしくしてくれたのだそうです。

彼女は、就職して数年後、彼と結婚したのですが、自分のようなものと結婚をしてくれた彼に「喜んでもらおうと」、いろいろムリをしてでも、彼の家族とのことや、仕事をこなしてきたのでした。

そこで、奥さんに、『つるの恩返し』の話をしてあげると、彼女は、

「私・・・どうして離婚しなくてはいけないのかわからなかったんですけど・・・恩返しをしようとして、それがムリになっていたのかもしれません・・・私が夫と別れる理由は、本当は無かったんですね・・・」

と話したのです。

*  *  *  *  *  *  *  *  *

さて、この話を思い出して、真っ先に思ったのは、「恩返しをする・される」という関係は、結局は、「恩返し」という構造に縛られているのではないか・・・ということでした。

「恩返しをする」という気持ち自体を否定するつもりはないんですが、何か、そこに混ざっている「借りた分は返す」という感覚は、何か、どこかで相手と自分との間の「境界」を絶対に壊すまいとする防衛?のようにも感じたわけです。

症例の中のご夫婦は、奥さんが「恩を返す」ことを乗り越えたとき、「本当のつながり」が生まれ、離婚する必要はなくなりました。

『つるの恩返し』の、「つる」は、「恩返し」ができなくなって去ることになってしまいましたが、もしかすると、そこに至ってはじめて、本当の物語が始まるのかも知れません。

もし、ぼく自身も、上記のような「境界」にこだわらず、もう少し、相手に対して「自分を開いた」スタンスをとることができたとしたら・・・

おそらく、いろいろなことに対する「感謝」の気持ちと、来て下さっている方を「身近に」感じること・・・を、今以上に、持てるようになるのかもしれない・・・という気がしました。

 

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2006年2月10日 (金)

ものすごく「人」を感じます。

すみません、わかりにくいタイトルだと思うんですが(^^;でも、本当に、そうなんです(笑)

ブログを始めて、いろいろなことを書いて、いろいろなやりとりをし、いろいろなことを感じました。

 

ブログを通しての交流は、基本的には「文字」「文章」が媒体になりますね(まあ他にも「画像」とか、たまに、自分で描いた変な絵を媒体とする人もいるかと思いますが・・・って、自分だ!!(笑))。

ですから、以前は、その人その人の文体や、書いている題材などによって、この人は安心できる、この人はちょっとキケン(笑)・・・などと感じている自分がいました。

 

ですが・・・ブログでのかかわりを通して、本当に、自分の中に染み込んでくるものというのは、そういう次元のものではなく、何と言うんでしょうか・・・理屈を越えた次元というか、単なるオバカなやりとりというか(笑)・・・

・・・なにか、そういうやりとりを通してこそ、安心して「本当の自分」が出せたり、「本当のホンネ」を言えたりするような気がする・・・ことが、たくさんありました。

 

そんなやりとりをする中で、ある時、その人が、本当に自分のことを大切にしてくれている、自分の感じていることをそのまま受けとめてくれている、と感じる瞬間が訪れたり、(ぼくから見て)辛くなっているように見えた方に、どうにかして、少しでも楽になって欲しい、もっと大切にしたい、苦しませたくない・・・という強い気持ちが湧き上がってくることもありました。

 

・・・と、週末と言うことで、ちょっと、すなおな気持ちを書かせて頂きました(関係ないって?(笑))

さて、最後に、どうも、ぼくが、「几帳面なA型」であるということに納得がいかないという意見があるようですが(笑)、先日、数名の生徒と、職員室のストーブの周りで話をしていたのですが、そのとき、ぼくがA型だという話をしたところ、

Aさん「あーわかるわかる」

Bさん「でも、ちょっとOが入ってるAだよねー」

Cさん「あー、うん。そんな感じー」

・・・というわけで、ぼくの遺伝子型は、彼女たちの協議の結果AOであるということに決定されたのでした(^^;

 

そんなわけで、例によって、A型とO型を、文章ではなく「絵」によって表してみました。

pika  

 

 

 

 

 

・・・こんなイメージでしょうか?(笑)

   *   *   *   *   *   *   *   *

ご要望がありましたので、B型のピ○チュのイメージも・・・

bikachu

 

 

 

 

こんな感じ・・・ ある意味、「慶さん仕様」(笑)

   *   *   *   *   *   *   *   *

 

話が逸れてしまいましたが、共感していただけたらクリックお願いします(^^;→人気blogランキング

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2006年2月 8日 (水)

ゴルジーとミト子

こんばんは、10月です(^^;

 

さて、ここのところ、ちょっと「絵心」に目覚めているんですが(笑)

先日の「焼きそばパン」のなまえを募集しましたところ、慶さんから、「ゴルジー」という、とてもステキな名前をいただきました(笑) 

 

つきましては・・・ゴルジーと、新登場のミト子・・・です(^^;

gm  

 

 

 

 

 

さて・・・お友達(ミト子)も増えて、にぎやかになってまいりました(笑)

ゴルジーも、ちょっと、ドキドキしているにちがいありません!!!

 

あ、それと、昨日、turtleさんから、

「pさんが、寒そう・・・」

というご指摘を受けましたので(笑)、寒くないところに移ってもらいました。題して、

【お菓子を食べる、炎のpさん】

です。

pandfire  

 

 

pさん・・・あたたかい・・・かなぁ?

 

ゴルジーやミト子が他人だと思えない方はクリックお願いします→人気blogランキング(そんな人いないか?笑)

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2006年2月 7日 (火)

焼きそばパン、pさんと戯る

こんばんは、10月です。

 

ちょっとビックリしたんですが、昨日描いた「焼きそばパン」・・・慶さんが、とっても喜んで食べてくださったんですね(笑)

そこで、ちょっと気をよくしてしまい、もうちょっと、昨日の焼きそばパンを増殖させてみました(笑)

なおかつ、知らんぷりしているpさんにも、ご登場願って、一緒に、焼きそばパンたちと戯れていただくことにしました(^^)

pandpan 

 

 

 

 

いやー、なんだか、とっても、ほのぼのしますねー(^^)

え?しない?(笑)

 

pさんを、

「焼きそばパンから救い出したい!!!」

・・・と思った方は→人気blogランキング(^^;

 * * * * * * * * * * * *

さて、turtleさんから叱られ、りおさんを失神させてしまったので(笑)・・・ちょっと反省して、描き直しました。題して、

【宇宙でお菓子を食べるpさん】

です。

okasi  

 

 

・・・ううむ・・・しかし・・・だんだん、なんの記事だったのか、わからなくなってきたぞ・・・(笑)

 

 * * * * * * * * * * * *

さて、今度は、「宇宙では、呼吸ができないのではないか?」という、非常に、科学的、かつ、論理的な、ご指摘をいただきました。

 

というわけで、呼吸ができるように、描き直してみました。題して

【雪景色の中でお菓子を食べるpさん】

です。

okasi2  

 

 

 

さあ、今度こそ!!!(笑)

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2006年2月 6日 (月)

人気blogランキングというのは・・・

こんばんは、10月です。

少し前から考えていたんですが、今日、ブログランキング(クリックしてもらうもの)に登録してみました。

今回、登録したタイプとは異なる、ブログに来てくださった方が、バナーをクリックする必要のないもの・・・Blogranking.Net(このブログの右下の方に、順位が表示されているやつ)は、ぼくとしては、抵抗無く登録できたんですが、今回登録したようなものは・・・実は、すごーく「抵抗」がありました。

その「抵抗」とは、何かというと・・・

・・・ぼくは、1月20日前後に風邪を引きました(ブログの記事参照)。

そのときに、周囲の人に「何かを頼む」ことに、ものすごく引け目を感じている自分がいる・・・ということを書きましたが、この「クリックしてもらう」型のブログランキングというのは、まさに、来て下さった方に、暗に

「クリックしてください」

とお願いしているような気がして(お願いしているのかも知れませんが)、それが、何か、すごくイヤな感じがしていたんです。

これは、もしかすると、「人の負担になりたくない」というよりも、bebeさんがお書きになっていたような「人に借りをつくりたくない」という気持ちに近いかも知れません。

もうすこし、考えを進めると、何か、このブログに来て下さった方を「利用する」という構造を、自分自身で作ってしまうことが、何か、怖い気がした・・・とも言える気がします。

 

ですが、えーと、以前の記事に対して、千尋さんから、

・・・人に何も頼まないのは、その人が、ぼくの頼みを承諾したり断ったりする選択肢を奪うことになっているかもしれない・・・

というコメントをいただき、もしかすると、「クリックをお願いする」という構造を、自分自身に課すことによって、何か新たに見えてくるものがあるかもしれない・・・と考えるようになり、登録してみたわけです。

それと、もう一つ、うまく伝わりにくい感覚かも知れませんが、記事を読んでくださっている方との相互作用するための「一つのチャンネル」として・・・このシステムが、使えるかも知れない・・・と思ったのでした。

 

さて、そうは言っても、他のかたのブログを拝見すると、

>クリックして下さい→人気blogランキングへ

などと書かれていて、これを自分が書くと思うと、ものすごく、気持ちがざわめきます(^^;

 

それで・・・どうしたら、あまり、気持ちがざわめかずに、このリンクを、記事の中に埋め込めるだろうか?と、考えたんですが・・・一つ、ひらめきました!(^^)v

変な話なんですが、りおさんと、turtleさんには、何か、クリックを、平気でお願いできる気がしたんですよね(笑)

それで、こうすることにしました。

 

りおさんは、1日1回クリックしてね→人気blogランキングへ

  turtleさんは、こっちね     →人気blogランキングへ

お二人以外で、クリックしてもいいかな?と思った方はこちらを→人気blogランキングへ

・・・すみません(-_-;

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2006年1月30日 (月)

ここのところ眞鍋かをりさんの・・・

こんばんは、10月です(^^)

えーと、眞鍋かをりさんのブログ「眞鍋かをりのココだけの話」・・・ですが、だいたい、週1くらいのペースで更新されているんですけれども・・・。

ここのところ、記事が、ものすごく面白い(と思っているんですが)、今回の記事も、これまた、爆笑もの!!(笑)

 

今回の記事(「恋」というタイトルのものでしたが)では、な、なんと、眞鍋かをりさんに「好きな人」ができた!というお話だったのですが・・・。

 

その「好きな人」というのが、「龍が如く」というゲームのキャラクターだそうで・・・(笑)

なんでも、丸一日、仕事がオフの日があったそうなんですが・・・その日も、まったく外出せず、夜中の三時までゲームをし続けたとか・・・。

・・・というように、とても、一途な眞鍋かをりさんなのでした(^^;

同級生の友人のかたたちが、結婚相手と将来のことを考えていたときも、彼女は、ナメック星のことを考えていた・・・と、ご自分の人生を振り返っていらっしゃいましたが(笑)、是非、くじけることなく幸福になっていただきたいものです。

 

・・・と、人の心配をする前に、まず、自分のほうが問題なのかもしれませんが(^^;

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2006年1月21日 (土)

ライブドアは何をしたか?

こんばんは、10月です。

どうも、ここのところ、ライブドアがうその情報を流して株価操作をしたのではないかという話題でもちきりですが・・・。

はっきり言って、何だかよくわかりません!!!(^^;

 

そう思っていたところ、TBS「ブロードキャスター」という番組と、NHKの「週間こどもニュース」で、解説がなされてたので、ぼくなりに、週末の自由研究ということで(笑)まとめてみました。

まず、大枠として、問題視されているのは、「ライブドア」が自社の株価を高めるために、「反則」になってしまうような情報を流したのではないか、ということのようです。

この「反則」となる情報というのは2つあって、

(1)正確でない事業内容報告

(2)正確でない決算報告

というもののようです。

 

さて(1)に関してですが・・・。

話題となっている事業内容ですが・・・一言で言うと、

「ライブドア(正しくはライブドアマーケティング)」が「マネーライフ」という会社を買収した

・・・という話なんですが、それが、ちょっと複雑なプロセスで、ちょっとわかりにくい流れになっていました。

前提として、上記2社の媒介をはたす投資事業組合が存在しています。ちなみにこの投資事業組合というのは、ライブドアグループの会社?です。

まず第1段階として、投資事業組合は、「マネーライフ」の株式を取得します。

次に第2段階として、株式交換という形で、ライブドアは、投資事業組合から「マネーライフ」の株式を取得し、代わりに投資事業組合に、ライブドアの株式を渡します。

第3段階として、投資事業組合は、取得したライブドアの株式を「株式分割」して売却し、それで得られた利益を、ライブドアへ戻します。

・・・ということをしたようですね。

 

この第3段階で投資事業組合は、ライブドアの株を「株式分割」して売却していますが、このときに、ライブドアの株価は、流れている情報に大きく左右されます。

問題となっているのは、この第3段階の株式分割をして売却をする直前に、「マネーライフ」の株式を取得した(買収した)というように「発表」をおこなったことのようです。

つまり、本当は、もっと前に(実質的には)グループの中に入っていた(買収していた)のに、株価を操作する目的のために、直前になって買収したかのように発表したのではないか、というわけです。

もっとも、「マネーライフ」の株を、あらかじめ投資事業組合が取得していたにしても、それ(マネーライフ株)が「ライブドア」のものになったのは発表があったときなわけですから、ライブドアが「マネーライフを買収した」と発表したことが「ウソ」の発表になるかどうかは微妙な気もします。

まあ、もっと正直・丁寧に

「うちのグループ内にある『マネーライフ』の株を、ライブドアのものにするよん」

とか発表していればケチはつかなかったと思いますが・・・もしかすると、ライブドアとしては、合法・違法の境界線上・・・という認識で、これらのことを行っていたのかも知れませんね。(これは、あくまでも「個人的な」感想です)

以上が、(1)に関してです。

 

また、(2)に関しては、新聞等で「粉飾決算」と書かれていますが、簡単に言うと、本当は赤字なのに、黒字のように発表していたこと・・・が、問題のようです。

 

・・・まあ、いろいろ厳密に言うと、もっと難しいお話なのかもしれませんが(^^; 

高校時代、ぼくは、ずっと社会科が赤点ギリギリで(笑)、共通一次(今のセンター試験みたいなもの)では、政経37点という、ぼくの行っていた高校では前例のない低得点をとった人間ということで・・・(笑)

ウソッパチが混ざっていたら、やさしく、ご指摘くださいませ(^^;

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2006年1月14日 (土)

くりにゃーさんのコメント・・・

さて、一つ前の記事のコメントらんで、くりにゃーさんと、たくさんやりとりをしました。

 

が・・・。何か、ものすごく自己嫌悪に陥りました・・・。

すごーく、いやーな返事を、たくさん、くりにゃーさんにぶつけてしまった気がします。

 

また、ぼくとしては、くりにゃーさんに対する「怒り」?を、率直にくりにゃーさんに向けることができず、それを、妙に小出しにしてしまい、そのことで、怒りが、自分の方に向いてしまった・・・そんな感じもします。

 

えーと・・・それだけだと、たぶん、くりにゃーさんは、どこでそう思われたのかわからず、単に「不安」なだけになってしまいますよね・・・。

以前書いた、「利用すること・利用されること」・「言葉の持つ『色』」「コメントをするとき」などは、実は、少し関係があるんですけれども・・・

ぼくの側の、ものすごく「勝手な」言い分だという気もするんですが、何か、投げかけられる「言葉」が、その人の「こころ」がこもっていない感じがするときや、機械的に何かの言葉を投げかけられているだけのように感じてしまうとき、すごくイヤな気がしてしまうんです。

でも、そのことを、明言できずに、ずっと引きずってきてしまった・・・。

結局これは、ぼく自身の「八方美人」的なところや、依存されることに弱いこと、などがマイナスに働いてしまったことのように思います。

 

くりにゃーさんはじめ、記事やコメントの返事を読んで、不快感を抱かれる方もいらっしゃると思いますが、まあ、ぼくのブログと言うことで、ご了承くださいm(_ _)m

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2006年1月 9日 (月)

人の話を聞けば聞くほど、聞けなくなる?

おはようございます。10月です。みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

さて、最近、少しずつ、ブログのコメントらんで遊ぶことを覚え(笑)、一時期は減っていた、他の方のブログにコメントを残すことも、徐々に増えてきた?ような気がします。

それで、他の方のブログにコメントを書いていて思ったんですが・・・

・・・自分がそこのブログに残した「自分の言葉」が、元記事を書いたブログ主の方の趣旨と合っているんだろうか?

とか、

・・・そこのブログに集まってくる方たちにどんな受け止め方をされているんだろう?

とか、あれこれ考えている自分に気がついたんです。

 

たぶん、そういう気持ちもあって・・・だと思うんですが、ぼくは一時期、他の方のブログの記事を読み、自分の中で・・・咀嚼?はするものの、あまりコメントは残さなかった(残せなかった)時期もありました。

 

実は、同じようなことが、実生活の方でも起こっていた(る?)んですが、人の話を聞いていて、その人の感じていることを大切にしようとするあまり、自分が感じたことや、わいてきた疑問を(その場で)投げ返さずにしていると、その人は、すごくスムーズに話をしていきます(そんな風に見えます)。

ですが、そんなとき、どうも、ぼく自身の中では、気持ちの動きが停止してしまう・・・ような気がしていたわけです。

このことを感じるのは、黙って人の話を聞いているときよりも、逆に、自分の方から、積極的に、意見を言ったり、質問をしたりしているときが多い気がします。

そういう時って、感覚が研ぎ澄まされ、思考が活発になり・・・すごく自分の中が「活性化している」という感じがするんです。

そのため、そのときの自分の内面と比較してしまうと、「黙って話を聞いているとき」の自分の内面というのは、いかに「活動停止」の度合いが高いか・・・ということを、痛感してしまうんです。

 

よく、カウンセリングの教科書などを見ると、

「生き生きと、関心を持って、相手の話を聴く」

というようなことが書かれている・・・ような気がしますが「黙って話を聞いて」いると、少なくとも、ぼくの場合、「生き生きと」ならないような気がするわけです(^^;

であれば、意見を言ったり、質問をしたりすれば良いのかも知れませんが・・・そうすることは、相手の方がしている話の流れや考えの流れを乱してしまう感じがしてしまうために、それは、かなり勇気がいることなんです。

最初に書いた、「他の方のブログにコメントを残す」ことにも、(ぼくの場合)これと似たような緊張感があります。

相手を大切にしようとするあまり、コメントや言葉を残さなくなっていた・・・そんな自分は、相手に「害」は与えないかも知れないけれども、その相手と、「今」という同じ時間を過ごすことができているという「宝物」を、むざむざ捨てていることになっていたのかもしれないなぁ・・・

・・・と、そんなことを思いました。

 

ハッ!これは、もしや、

「踊る○○に、見る○○、同じ○○なら、踊らにゃ、そんそん!」

という、ありがたい(笑)お言葉で述べられている内容でしょうか?うーん・・・やっぱり昔の人はエラかったんですね~(笑)

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2006年1月 8日 (日)

何だか右側のコメントらんが・・・

なんだか悲しくなってきた(;_;)」というタイトルが、ダーッと並んでいます。

それで、もしかすると、ぼくの精神世界が、悲しみに満ちあふれている・・・かのような印象を、ご覧になっている方に抱かせてしまうのではないか?と思ったんですが・・・。

内容は・・・ほとんど、り○さんと、turtl○さんの・・・遊び場と化していますね(笑)

  _n
 ( l    _、_
  \ \ ( <_,` )
   ヽ___ ̄ ̄  )   グッジョブ!!
     /    /
   _、_
 ( ,_ノ` )      n
 ̄     \    ( E) グッジョブ!!
フ     /ヽ ヽ_//

    ∩
    ( ⌒)     ∩_ _
   /,. ノ      i .,,E)
  ./ /"      / /"
  ./ / _、_   / ノ'
 / / ,_ノ` )/ /
(       /  good job!
 ヽ     |
  \    \

   n                n
 (ヨ )              ( E)
 / |    _、_     _、_    | ヽ
 \ \/( ,_ノ` )/( <_,` )ヽ/ / good job!!
   \(uu     /     uu)/
    |      ∧     /

さて、これで、ぼくの気持ちが、少しは伝わると良いのですが(笑)>りおさん、turtleさん

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2006年1月 6日 (金)

なんだか、ありがたいです(;_;)

そもそも、pさんが「なぜピアノを弾くのか」という記事を書いていたときに感じていた(と思われる)ものと、その記事を読んで、ぼくが「なんだか悲しくなってきた」という記事を書いたときに、自分の中に湧き上がっていた喪失感・・・自分の大切なものがなくなっていく感じ・・・とは、ものすごく温度差があったのではないか、と思います。

 

ですので、ただ単に、

「pさんの記事を読んで感じたから」

という理由でpさんの方へTBしてしまったのは、ぼくの方も、かなり雑だったかな・・・と反省もしています。

が・・・。

 

今回、turtleさんが、同じような記事を書かれたことから、再びpさんに読んでいただくことになったわけなんですが・・・。

pさんが、わざわざ、以前のコメントのことを取り上げて、もういちど、ぼくが感じたであろうことを話題にしてくれた・・・のは、すごくすごく嬉しかったです(;_;)

こんなに、グッときてしまうのはどうしてなんでしょう?

 

「本当に感じていること」を、そのまま書いてくれている気がするからでしょうか?

ぼくの方を「大切」にしてくれている感じがするからでしょうか?

 

ぼくが、上の記事を書いていたときに感じていたものは、自分にとって「大切」だったものが消えていく・・・。なのに、自分には、何もできない、という「叫び」のようなものだったようにも思えます。

変な話かも知れませんが、その「叫び」が、悲しければ悲しいほど・・・救いがなければないほど・・・自分にとって「大切だったもの」への別れを告げることができる・・・そんな感じがどこかでしていたように思います。

今日、pさんがくださったコメントは・・・そういう、ぼくの「叫び」の中にある「悲しみ」の存在をみとめてくれた感じがした・・・

・・・だから、嬉しかったのかなぁ(;_;)

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2006年1月 4日 (水)

恐かったこと

こんにちは。10月です。

現在、一人暮らしをしています。(たぶん)

それで・・・昨夜、入浴していて、シャンプーをしていたとき・・・目をつぶって髪にシャンプーをかけ、よく洗って、いざ、洗剤を流そうとしたそのとき・・・

誰かが、ぼくの背中に触ったんですよねー(;_;)ダレ?

 

そのときは、ドキドキしながらも、頭の中で、いろいろな可能性を考えてしまいました。

 

(1)実は、自分でも気が付かなかったが、1人暮らしではなかった。

(2)アパートの入り口が開いていて、宅急便のお兄さんがハンコをもらおうとして、お風呂場の中まで入ってきた。

(3)わたしの知らない世界からのお客様が後ろにいた。

 

たぶん、(1)だったりすると、ぼくは自分自身が信じられなくなってしまうので、これは却下。

そして(2)・・・これが正解だったりすると、ある意味、それも恐いんですが・・・まあ、宅急便のかたも、そんな部屋の中までは入ってこないような気もしましたので、これも却下。

最後の(3)・・・ぼくとしては、物理学専攻ですので、非科学的なことは信じないつもりなんですが・・・でも、このときばかりは、信じたくなってしまったりしました(^^;

 

そんなことを考えながら・・・目を開けてしまうと、シャンプーが目に入ってしまうので、シャワーで流してしまうまで、後ろの人には待っていてもらおう、などと自分を納得させ、シャンプーを流して、万全を期して振り返ってみると・・・

・・・そこには誰もいませんでした( ̄Д ̄;)ホッとしたような、かえってコワイような・・・

 

さて、「恐かったことつながり」ということで・・・あまり関係ないかも知れませんが、今、とつぜん思い出した、すごーーく恐くなった話を(^^;

 

それは・・・ぼくが、教員になって、たしか4年目くらいの夏のできごとでした。

その年の春に、ぼくは、最初の卒業生を出し、卒業式の日に、卒業生の一人から、

「先生、ありがとう!」

といって、ビデオを1本渡されたのでした。タイトルは、えーと・・・なんだっけ?いわゆる、アダルトもので、ものすごーく魅力的でない(笑)ものだったような気がします。

さて、それで、ぼくとしては、せっかく卒業生がくれたものだし、捨てるのも悪いかなぁ・・・という気がして、それをそのままアパートに持ち帰り、何かの時にちょっと見て、やっぱりつまらなくて、見るのをやめ、そのままに(ビデオをデッキの中に入れっぱなしに)してしまったんです。

そのことを、ぼくはすっかり忘れていたんですが・・・あるとき、やはり卒業生の女の子が2人で、うちに遊びに来たことがありました。

最初は、うちにある飲み物などを適当に出したりしていたんですが、そのうち、お菓子も食べたいという話になり・・・ぼくが買い出しに行くことになったのでした。

ぼくは、ビデオの件などは、完全に忘れていましたので、その子たちに、

「じゃあ、このリモコンで、テレビでもビデオでも操作できるから、適当に見て待ってて」

と言ってリモコンを渡し、買い物に行きました。

 

そして、ぼくが買い物から帰ってくると・・・その子たちは・・・どこかよそよそしくなっていたのでした( ̄Д ̄;)

 

その子たちが帰った後で、ことの真相に気づき・・・シマッタ・・・と思ったものの、後の祭り・・・

こういう時って、人間は、ステキなくらい、自己中心的になれるものなんだなー、と思ったんですが・・・そのビデオをくれた、卒業生の男の子が、とーーっても恨めしいと思いました(笑)

 

というわけで、前半の話題と、ものすごーく温度差があるんですが、まあ、いいでしょう(笑)

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2006年1月 2日 (月)

一人ぼっちのお正月

今日も、ちょっと大掃除をしてみました10月です(^^;

さて、一般の方たちは、初詣とかに行かれたのでしょうか?

ぼくも、行く気満々なんですけれども、一緒に行ってくれる人が居らず・・・一人で行くのは、ちょっと気が引けるような気がするんですよね~(笑)

ちなみに、今日、うちの近くの神社付近を車で走っていたところ、初詣の人たちの車で大渋滞になっており・・・巻き込まれてしまったりしました(+_+;)

 

さて、そういうわけで、初詣でおみくじを引きたいんですけれども、叶わないので、ひなさんのところの「わんこおみくじ」を引いてきました(^^;

結果は・・・

 

count:12640105 わんこおみくじ  presented by eclat

----------------------------------------------
吉  

----------------------------------------------
吉方位  北西

吉色 青

全般 飼い主にお愛想しましょう。

恋愛 ひとめぼれするでしょう。

健康 歯石をとりましょう。

 

・・・ということでした。

ふむふむ、「全般」では、飼い主にお愛想しましょう・・・と。ハテ?ぼくの飼い主ってだれだろう?大家さんかな?親?校長先生?pさん?

だれにお愛想すればいいんだー!!(笑)

 

あと・・・「恋愛」が・・・ひとめぼれ!?それは、とってもステキなお話です(^^;

思うに、「ひとめぼれ」ができるというのも、才能の一つのような気が(ぼくは)します。

最近、ひとめぼれしてないからなー・・・。

よっし!今年は、一目ぼれに向かって、頑張ります!!(笑)

 

えーと、あと・・・歯石ね。はいはい(って、流していいのか!?)

 

みなさんも、もし、初詣にいけない方がいらっしゃいましたら、とくに風折留亭さんなどは、ぜひ、お試しください(笑)

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2006年1月 1日 (日)

明けましておめでとうございます

当ブログ【~永遠の少年~】を、ごひいきにしてくださった皆様、コメントをくださった皆様、昨年中は大変お世話になりました。

今年もよろしくお願いしますm(_ _)m

 

・・・ということを書きながら、ブログって「日記」のはずなのに、こういう挨拶を書いてるのって、ちょっと妙な感じがしました(^^;

うーん・・・結局、「ブログ」は、「ネット上の日記」という前提でスタートしたものかもしれませんが、それが誰かに読まれる・・・第三者(読者)の目・・・ということを意識したことによって、単なる「日記」という枠を越えて、「手紙」のように、内容の中に、誰かに向けたメッセージを持たせることにつながってきたのかな?と思いました。

・・・と、また、めんどーくさい理屈は置いておいて(^^;

今年もよろしくお願いします(^^)

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2005年12月30日 (金)

利用すること・利用されること

こんにちは。10月です。今年も残すところ、あと2日となりましたが、大掃除の方は順調に進んでいらっしゃいますでしょうか?ちなみに、うちは進んでません(とか言いながら、また、こうやって、記事を書いてるし・・・笑)

さて、ずーーっと以前(9月7日)に、「生徒を利用している?」というテーマで記事を書いたことがあります。

その記事で書いたことは、簡単に言うと・・・

自分は日々の生活の中で、生徒から安らぎを感じさせてもらうことが多々あります。しかし、もしかすると、自分の中に、その「安らぎ」を得るために生徒と接しているところがあるのではないか?それは、生徒を利用していることになるのではないか?

・・・という疑問がある、という内容でした。

さて、実は、このブログをやっていても、やはり「利用する・利用される」ということを感じることがあります。

例えば、心理系ブロガーの方たちとつながりを持てたことについて、やはり最初のうちは、何か、自分のブログに「箔がつく」というんでしょうか?・・・そういうことを考えていた自分がいました。

そういう気持ちを抱いてはいたんですが、その気持ちの「禍々しさ」というか「ずるさ」のようなものに飲み込まれることがイヤで、自分からは

「仲良くしてください~」

とは、言えませんでした(違ったかな?笑)

 

それにまた、ロテ職人さんのところなどは、ぼくから見ると巨人のようなブログなので(^^;、リンクを張っていただくことで、うちもアクセス数を稼げる・・・などというヨコシマな考えを抱いていたりもしました。

ですが、少しずつ、つながりができていき、実際にやりとりをしていくうちに・・・何でしょうねー、やっぱり、やりとりも楽しいし、面白いし、気持ちがあったかくなることもあるし、勉強にもなるし・・・徐々に、自分の中の「利用している」という感覚が消えていったんです。

また、ここのところ、りおさんやturtleさんとは、うちのブログや、pさんのところで、好き放題・し放題!!って感じで遊んでますが・・・これもまた楽しい(笑)

以前だと、こういう「楽しい」気持ちになったり「気持ちがあったかく」なりたくて、そのために、つながりを持つ・・・ということは、ぼくの中では「誰かを利用している」という感じがして、何か、イケナイことをしているような気がしてしまっていたのですが・・・最近は、あまり感じない。

何がちがうんだろう?と、考えてみると、一つ思いつくのは、自分が相手に対して「遠慮」していたり、「距離が遠い」と感じていたりすると、自分がしていることが、「相手を利用しているのではないか?」という不安に結びつくのではないか、ということでした。

いろいろな出来事や、毎日のやりとりを通して、やはり、少しずつ、一歩ずつ、「関係」というのはできていくのかもしれません(当たり前のことかも知れませんが)。ただ、それによって、得られる大切なものは、本当に、ありがたい・・・「利用」などという言葉で呼ぶのは、それこそ、もったいない・・・と、そんな気がしました。

ちなみに、以前の記事(9月7日のもの)で、生徒に対して「利用している?」ということを考えてしまったのは、ぼくの中に、「生徒とは、ある一定の距離を取らなければならない」という考え?気持ち?思想?があるためだと思います。このあたりの「このくらいがよい」と思う距離と、自分の中で「なりたい」距離との違いが、「利用しているのか?」という不安?疑問に結びついたような気がします。

ぼくは、生徒は好きだし尊敬もしているんですが・・・だからこそ、一線を引かなくては・・・と、これは、自分に対して課している「枠」ですね。

-------------------

さて、そういうわけで、果たして今日は、大掃除は進むでしょうか?(笑)

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2005年12月26日 (月)

ロールプレイとブログの共通点

先日の記事「オープンな場での「安心感」は危険?」(12月21日)の中で、

もし、オープンな場で、そこを訪れた人が「安心感」を抱いてしまい、その人自身の中の大切なものを出してしまった場合・・・もしかすると、そのことによって、得られるものもあるかもしれませんが・・・同時に、その「大切なもの」が、それまでの関係性をつくれていない方の言葉によって、大きく傷つけられてしまう可能性があるかなぁ・・・と思ったわけです。

ちなみに、これは、(・・・中略・・・)

同じ言葉(=コメント)が書かれたとしても、それを書いた人との関係ができていないと、読む側は、その言葉について、さまざまな可能性を感じてしまい、その中から自分が傷つくメッセージを取り出してしまう可能性が大きくなる

ような気がする・・・ということです。

・・・というようなことを書きました(一部補足)。

ここで書いたことというのは、簡単に言うと、不特定多数の人たちの目に触れ、また、関係の安定しない「ブログ・掲示板」等の場では、「安心感」もまた、不安定なものになりやすい気がする・・・ということでした(簡単に言ってないか?笑)

そして、このことは、「オープンな場」であるが故の、「枠組みの弱さ」とも言えるのではないか?というように思ったわけです。

 

さて、それで・・・今日は、その逆の結論になりそうなことなんですが(^^;

「オープンな場であるがゆえの『安心感』もある」

というようなことを、ふと思いました(笑)

どういうことかというと、(オープンな)ブログや掲示板のように、第三者の目に「かならず」触れるようなコミュニケーションの場においては、参加者自身が意図する・しないにかかわらず、ある程度、自分の中のものをはき出すことに対してブレーキをかけているような気がするわけです・・・これは、まさに、そこに参加している人たちを護る「安全装置」として働いている気がします。

むかーしむかし、まだ、ぼくが学生だった頃、ロールプレイ(参加している人の中から、カウンセラー役とクライエント役を決めて、カウンセリング的やりとり?をすること)の指導を受けたとき、先生が

「観察者(カウンセラー役でもクライエント役でもない人)は、必ず、いた方がいいんです」

とおっしゃっていたんですが、ぼくはそれを、

「ふーーん」

・・・というくらいに思いながら聞いていたんですが(^^;もしかすると、観察者が「いた方が良い」というのは、

「ロールプレイが、危険な(深すぎる)レベルに入っていってしまうことに対するブレーキ」

として、観察者が機能できる・・・ということだったのかもしれない、と思ったわけです(まあ、それ以外の意味もあるかも知れません。例えば、客観的な視点がないと、練習にならない・・・とか(^^;)。

 

まあ、そんなことを考えて、何か、ブログ(や掲示板)における、ROMされている方には、まさにこの「観察者」と同じ働きをしてもらっているのではないか?・・・と思うに至ったわけなんです。

もーーっと厳密に考えると、機能しているのは、「現実に」ROMをされている人ではなく、参加者の中にある、「『ROMをしている人たち』の表象」だったり、「読まれているという意識」だったりするのかもしれませんが(^^;

そのようなことから、はじめ、ブログは「枠組みが弱い」と書いたのですが、それとは別な、もう一つの「しっかりとした枠組み」もまた提供しているのではないか?と言う気がしてきたわけです。

・・・というわけで、クローズドな場であれば安全性が高まり、深い部分に目を向けていける「可能性が大きく」なりますが、その一方で、オープンな場であれば、深い部分に直面して(させられて)しまうことから「護られている」という意味で、別な安全性が生じる・・・という気がしました。

 

このように考えてくると、人がその人自身の、どのくらい深い部分に目を向けていけるかということは、その人が置かれた場の持つ「枠・構造」によって規定されている・・・と言い切ってしまうのは、ものすごい暴論かもしれませんが、まあ、両者は、深い関係がある・・・というくらいは言えるのかな?と思いました(^^;

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2005年12月25日 (日)

「言葉」の座標軸

全国的に、メリークリスマスたけなわですね。

ぼくは昨夜、用事があって、午後11時頃に帰宅したのですが、ありがたいことに、ちこさんからメリークリスマスメッセージをいただき、かろうじてクリスマス気分を味わうことができました。

そして、少し気持ちがあったかくなった、その勢いで・・・夕飯の焼きそば( ̄Д ̄;)をチンして食べたという、聖なる夜でした(^^;

話は変わりますが、ここのところの自分は、誰かから誰かへ向けて発せられた「言葉」が、どのような働きをするかということについて、2つの尺度?観点?から考えようとしている気がします。

一つは、その言葉が、

【切る ←→ 抱える】

という、どちらの働きが優勢かというもの。

ここで、「切る」というのは、

「全体の中から(言葉を発した側の意思によって)一部分を切り出す」

・・・というようなことで、また、「抱える」というのは、

「相手の言ったことや表した感情をそのまま受けとめる」

・・・という感じのことです。

それで、ここのブログでも、それらしいことを何度か書きました(12月17日の記事のなんでもないさんへのコメントのあたり)が、最近の自分は、どちらかというと、「切る」ことよりも「抱え」る言葉を出そうとしていることが多い・・・と、そんな風に(自分では)感じています。

 

また、もう一つの観点は、その言葉が相手の人(の感情や内面の動き)を、

【刺激する ←→ 収める(?)】

の、どちらの働きをするか、というものです。

「刺激すること」とは・・・その言葉によって、言われた側の、内面の動きが活性化されるような働きかけのことであり、活性化することによって、気力がわいてきたり、創造的な動きが生じたり、逆に、不安が高まったり・・・というように考えています。それに対して「収めること」とは、その逆の働きかけのことです。

 

さて、この2つの尺度・・・ちょっと、うまく伝えることが難しい気がしますので、よくわからない!という方もいらっしゃるかもしれませんが(^^;・・・話を先に進めると、ぼくは、これまで、この2つの尺度で「言葉」を見た場合、

「切る」=「刺激する」

「抱える」=「収める」

という対応関係があるような気が、なんとなーくしていました。

つまり、話す相手に(こちら側から)新しい視点を提示する(=「切る」)ことによって、不安が活性化したり、新しい気づきが生じたりする・・・また、相手の話を妨げずに聞いていく(=「抱える」)ことで、その人の気持ちの高ぶりは収まっていく・・・

・・・というような、構図を考えていたわけです(^^;

 

ところが・・・です。先日の記事(12月17日の記事)での、ichiro_hさんのコメントを読んだとき、衝撃を受けたんですが・・・。

というのは、コメントで述べられている言葉(の内容)は、「切る」タイプのものだと思ったのですが、しかし、決してそれによって痛みを与えられるわけではなく、かえって、それまでの自分をがんじがらめにしていたものを、まさに「断ち切って」くれる感じがしたんです。

そして、自分の中の動きが活性化していく感じがして、それと同時に、ものすごく落ち着かなかった自分の中のモヤモヤが、パーッと霧が晴れるように無くなっていき、見通しが良くなって、何か、新しい安心感が生まれたような、そんな感じがしました。

この体験を通して、上の方に書いた、ぼくの持っていた構図は・・・あまりにもお粗末で(笑)、実際の感情の世界というのは、もっと複雑なんだなぁ・・・とあらためて感じました(^^;

ときどき(?)、ichiro_hさんのコメントを読んで、そういう発見をすることがあるんですが・・・こういう発見をしたときの、この清々しい感じは・・・これは、いったい何なんでしょうかねぇ?(笑)

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2005年12月24日 (土)

自分の書いた記事

今回設置した「ページ別ランキング」ですが、実を言うと、これまでも、こういうものの存在は知っていたんですが、自分のところに設置しようと言う気持ちは、正直、あまり持っていませんでした。

と言うのは、何か、このようなものを設置しても、だからどうだ!?という感じがして、あまり気にとめる人はいないのではないか?と言う気がしていたからです。

 

ですが、そのような中で、今回、設置する気になったのには、ちょっとした心境の変化があったためです。

それは、一言で言ってみれば、

「一つひとつの記事と、そこにいただいたコメントが、自分にとって、とても大切な存在」

・・・という意識が高まってきたため、と言えるような気がします。

 

ここのところ書いてきた一連の記事と、それに関するコメントのやりとりを通して、いろいろな感情体験をさせていただいてきた感じがします。それは、気づきであったり、恐れであったり、喜びであったり、安らぎであったり、楽しみであったり・・・さまざまなものでした。

それゆえ、ぼくが書いた記事のみならず、そこに寄せていただいたコメントのほうにこそ、すごく読んでいて読み甲斐のある、面白さ、楽しさがある・・・という気持ちが大きくなってきたためです。

そして、そうした、「いただいたコメント」が、埋没してしまうのは、あまりにも惜しい気がしてきたため・・・と言えるような気がします。

 

うーん・・・やっぱり、こうして体験して初めて理解がすすむということもあるんですね~(^^;

 

P.S.やっぱり、コメントを(間違ってでも)消しちゃうというのは、どういうものですかね~?(笑)

・・・と、ここで仕返しをしてみる(もしかして、こういうツッコミは、ジョークでは済まないか?マジでとらないでね~>pさん(^^;)

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2005年12月23日 (金)

ちょっとデザインを変えてみました

ここのところ、ぼく自身が書いた記事よりも、それに対していただいたコメントの方が読んでいておもしろい(^^;感じがしたので、えいやっ!とばかりに、ブログのデザインを変更しました。

ついでといっては何なんですが、ロテ職人さんのところでも使われている

「記事別閲覧回数ランキング」

「アクセス元ランキング」(どこのリンクからジャンプしてきたか)

の2つを設置してみました。

 

いろいろ工夫して設置してみたところ・・・誰も来てくれません(^^;

しょうがないので、自分でバンバンしました(←この言い方がわかる人は、ぼくと同じ世代のかたです)

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2005年12月21日 (水)

オープンな場での「安心感」は危険?

一昨日の記事についてのコメントで書いたことともつながることなんですけれども・・・

ネット上にはたくさんのブログや掲示板、HPなど、言葉のやりとりが可能なところがたくさんありますが、ここのところ、「ここは安全」と、訪問者の方が感じてしまうような掲示板・HP・ブログは、もしかすると逆に、危険かもしれない・・・というような気がしてきています。

というのは、もし、オープンな場で、そこを訪れた人が「安心感」を抱いてしまい、その人自身の中の大切なものを出してしまった場合・・・もしかすると、そのことによって、得られるものもあるかもしれませんが・・・同時に、その「大切なもの」が、それまでの関係性をつくれていない方の言葉によって、大きく傷つけられてしまう可能性があるかなぁ・・・と思ったわけです。

ちなみに、これは、

「その人のことがよくわからないままに発言して、その人を傷つけてしまう可能性がある」

・・・と言うことを書いているのではなくて(まあ、そういう可能性もあるかもしれませんが・・・(^^;)

「同じ言葉が書かれたとしても、それを書いた人との関係ができていないと、読む側は、その言葉について、さまざまな可能性を感じてしまい、その中から自分が傷つくメッセージを取り出してしまう可能性が大きくなる」

ような気がする・・・ということです。

 

さて、このように考えてくると、オープンな場では、本当の意味での?「安心感」「安全」を提供するのは非常に難しいことで(もしかすると不可能?)、逆に、無責任に「安心」「安全」であるかのような雰囲気をつくってしまうことは、そこを訪れる人の中の大切な部分を引き出してしまい、めぐりめぐって傷つく人をつくることにつながってしまう可能性があるかもしれないなぁ・・・と、ちょっとこわくなったりしたわけです。

 

これは、もしかすると、ブログや掲示板などの、ネット上でのコミュニケーションには必ず付随する危険性なのかもしれません。

(オープンな)ブログや掲示板でやりとりをしていると、徐々に、そこが不特定多数の人に見られているという意識が低下していき、そのような中で、関係のできていない方からのメッセージを受け取ると、必要以上に不安感を刺激される・・・ということが起きてしまう気がするわけです。

だったら、「クローズドなブログ・掲示板にしろっ!」・・・という話になるのかも知れませんが・・・何か、それもイヤなんですよね~(^^;

うーん・・・この記事って、単に、ぼく自身の中に増大してきた「不安」を投影しただけなのでしょうか?

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2005年12月10日 (土)

ブログを続けていると・・・

何だか、すごく、さびしくなってしまう時期と・・・逆に、大切にしたい人がたくさんいるように感じられる時期とが、ちょうど、波のように、交互にやってくるような・・・そんな感じがあります。

ですが、今回、「pさん捕獲大作戦」を決行し、(本当は、もう少し迷っていたかったとのことですが(^^;)久々にpさんの声?を聞くことができたのは、やっぱり、嬉しいことでした(^^)

・・・何で嬉しいんだろう?・・・うーむ・・・(^^;

まあ、ムリヤリ言葉にすると、「理屈じゃなく嬉しい」ってことでしょうか(全然、言葉になってないか?笑)

でも、たぶん、大好きだったブログが閉鎖された・・・という経験をお持ちであれば、もう一度、ブログ主の声を聞くことができたときの嬉しさは、想像できるのではないかと思います。

えー、そして実を言うと、今回の作戦に際して、陰ひなたとなって、一緒にpさんに声をかけてくださった、りおさんにも、

・・・あ~、支えてもらっている気がするなぁ・・・

と、すごくありがたい思いを抱いていました。

 

・・・というわけで、ここから、りおさんへの私信。

えーと、pさんを呼び出そうとする記事を書いたとき、本当は、自分の中で、どこか、やめといたほうが良いのかな?という気持ちと、でも、もう一度出てきて欲しいという気持ちとの間で、葛藤しているところがあったんですが、りおさんが、同じ立場をとってくれたことで、ぼく個人は、ものすごく、支えてもらった・・・安心感をもらえた気がします。

もしかすると、りおさんは、そんな風には思っていなかったかもしれませんが、ぼくには、りおさんが、さりげなく、ぼくが希望する返事を返してくれる(た)ところが、この上なくありがたかったんです(^^;

そんな中、pさんからの声を聞くことができ(^^)、さらには、pさんつながりで、turtleさんとも知り合うことができ、何というか、ぼくとしては、嬉しい気持ちがすごく大きくなっていました。

えーと、それで、りおさんの方で、気になっていないところかもしれませんが、ぼくが度々、「りおさんとturtleさんとで仲良くしてるぅ!」・・・とか書いていたのは、うーん・・・何て言うか、これまでガマンしてきたもの(甘えのようなものか?)が、出せるような気がしてきたため・・・という気がします。

・・・と、どうして、このような私信を書いているのか、振り返ってみると、たぶん、感謝ついでに、最後のところの話も聞いてもらいたかったんだと思います(何が「ついで」になっているのか、自分で書いていてもよくわからない・・・笑)

以上、私信でした(^^;

 

さて、さきほど、pさんのブログを見に行ったところ、昨日の記事で登場させた「仮想pさん」が、実際のpさんとは、ちょっと(ぜんぜん?)違う応答をしている、というお返事をいただきました。

それゆえ、読者の方には、昨日のぼくの記事に登場したpさんは、現実のpさんとは、まったくの無関係の存在であるということを、再度、つつしんで、申し上げたいと思います(笑)

 

さて、話があちこちしましたが、今、現在の気分としましては、実は、けっこう、満ち足りた気分に包まれています(^^;

・・・pさんのことも、振り回すことができたし(笑)、りおさんともたくさん楽しいやりとりができたし、turtleさんともお知り合いになれたし・・・

あ、この前わかったんですが、ぼくの人生のモットーは「漁夫之利」なのです(笑)

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2005年9月18日 (日)

人の集まるブログの条件

えー、ブログを始めて、はや5ヶ月(4月19日にはじめたので、今日でちょうど5ヶ月だと、今、書いていて気がつきました(^^;)。

だんだんに、「人が集まるブログ」とは、どういうものか、理解してきた気がします。

そもそも、そのようなブログには、いくつかの種類がある気がします。

(1)ともかく、新しい情報(地域、芸能、パソコン、その他)が、どんどん提供されるブログ

 ・・・このタイプのブログは、やっぱり、どんどん新しい情報を集めて、それを掲載しているところが命だと思います。

例えば・・・  アキバBlog(秋葉原ブログ)など

(2)ともかく、内容がおもしろいブログ

 ・・・読んでいて、笑っちゃうようなネタが、更新されていくブログ。(1)とは逆に、役に立たない話の部分こそがおもしろいブログ。

例えば・・・  小鳥ピヨピヨ(a cheeping little bird)眞鍋かをりのココだけの話 powered by ココログなど

(3)「交流」ができるようになっているブログ

ブログのコメント機能を利用して、メンバーどうしの「交流」ができているブログ。どこのブログでも「形態」としては可能ではあると思うが、実現できているのはスゴイ(と思う)。

例えば・・・  Doblog - 発達臨床庵 moody cafe -とか

上記の(1)や(2)は、自分の持っている情報量やら、センスの問題で、自分でそのようなブログを作ることは、そもそもムリであるなー、と思っているんですが(笑)、(3)のmooさんのところのようなブログができたら、すごく嬉しいだろうなー・・・と、思ったりもします。

 

さて、それで、現在の自分としては、どういうブログを目標にしているんだろうか?と考えてみると・・・

どうも、やっぱり一貫していないんですが、

「自分の書きたいことを書いていたい」

という気持ちと、

「でも、やっぱりたくさんの方が読んでくれるブログにしたい」

という気持ちとがあって、この2つは、相反するものではないとは思うんですが、かといって、ピッタリ重なるものでもない気がします。

で、結局、現在のところ、前者寄りのスタンスで、ブログを書いている・・・気がします。

 

それで・・・この、前者のスタンスで、ひっそりと(・・・とぼくには見えるように)書かれているブログもあります。

えーと、お友達リストには入っていないんですが、OKいただけたら、そのうち紹介したいと思います(^^;

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