2009年3月23日 (月)

mooさんのコメントを読んでいて・・・

こんばんは、10月です。

 

昨日、『ぼくらの』という記事で、同タイトルのマンガを読んでいて、ものすごい救いのなさを感じ、具合が悪くなった・・・ということを書きました。

 

それに対してmooさんが、コメントらんで、

あの救いのなさは、端で見ることしかできないもやもや感とかやりきれなさ感とか、なんだかぐちゃぐちゃに入り混ざった状態になりますが、

と書いてくださいましたが、この中の「やりきれなさ感」という言葉・・・「やりきれない」という言葉のほうが、ぼくが感じていたものを、より的確に表現しているかな?という気がしてきたのでした。

 

「救いがない」と「やりきれない」・・・似たような感覚で用いる言葉のような気がしますが、でも、微妙に違っているような気もします。

 
 

このことを考えていて、ふと、以前観た『トーク・トゥ・ハー』という映画のことを思い出しました。

 

この映画は、たまたま、さくらもどきさん(以前同僚だった、ときどきこのブログの記事にも登場する人)に誘われて観にいったことがあるんですが・・・こちらも、烈しく、辛くなる映画なんです(^^;

 

*     *     *     *     *     

ある男性看護師は、バレエ教室に通う一人の若い女性に恋をします。彼は、彼女と友達になりたいのですが、うまく仲良くなることができないのです。

 

そんなある日、彼女は交通事故に遭います。そうして彼女は脳に障害を負い、植物状態になってしまうのです。

 

そのことを知った彼は、志願して、彼女の毎日の世話をすることになります。彼は、まるで目覚めている恋人に接するかのように、眠っている彼女に語りかけ、笑い、彼女の世話をするのでした。

 

そんな日々が何年も続いたある日、その女性が妊娠していることが明らかになります。当然のように人々は、看護師の男性に疑念を抱きます。

 

彼は、「自分がやった」とは言いませんでしたが、結局、彼女の担当を外され、強姦罪に問われ、拘置所に入ることになります。

 

彼の数少ない友人の一人が、面会に行くと、彼はただ、

 

「彼女と一緒にいたい」

 

と訴えるのです。

 

そんなある日、その友人は、昏睡状態にあった女性が、昏睡状態のまま赤ちゃんを出産し、そのショックで目を覚ましたことを知ります。

 

友人は、弁護士が止めるのも聞かず、彼にその事実を知らせます。

 

しかし、それを聞いた彼は、直後に自殺してしまうのです。それは、仮に自分が刑期を終えても、再び彼女と過ごすことができないということを、知ってしまっていたからでした。

 

彼が自殺してしまったというショックを受け止めきれずに過ごしていたある日、その友人は、街中の劇場で、偶然、彼女と出会い、彼女から

「気分が悪そうですけど、大丈夫ですか?」

と声をかけられ、

「どうかな・・・・・・少し楽になりました」

と、答えるのです。

*     *     *     *     *     

 

若干、記憶違いの部分もあるかもしれませんが・・・ともかく、この映画も、観終えた後で、かなり、具合がわるくなりました・・・。

 

まさに、救いがない・・・やりきれない感じ。

 

その看護師の彼も、友人も、彼女も、みんな、率直に、相手を大切にしようとして生きているのに、不幸なことが起こり、不幸な中に安堵できるものが生じる・・・でも、その安堵は、本当にそれを分け与えたい人には伝えることができない・・・場合によっては、「やさしさ」が人を苦しめることもある・・・

 

ちょっと、そんなことを考えているうちに、「救いがない」ことと「やりきれない」こととの違いが、ちょっと感じられてきたような気がしました。

 

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2009年3月20日 (金)

ドラマ『ラブシャッフル』を見ていたら・・・

こんばんは、10月です。

 

今夜は、TBS系で放送されているドラマ『ラブシャッフル』の最終回でした。

 

ドラマの一場面で、谷原章介演じる「菊りん」が、昔、好きだった恋人(の男性)に傷つけるような言葉をかけて自殺に追い込んでしまったことが話題になる場面がありました。

 

*     *     *     *     *     

 

そのとき、菊りんは、松田翔太演じる「おうちゃん」(彼は、その自殺してしまった元恋人に似ている・・・という設定)に、

「ひとつだけお願いがあるんだけど・・・自分のことを許すと言って欲しいんだ・・・」

と頼みます。彼(きくりん)は、元恋人の気持が女性に移ってしまったと感じ、傷つけるような言葉をかけてしまったというのです。

菊りんは、目に涙をいっぱいにためながら、しぼりだすように言います。

「・・・ひとりになるのが・・・こわかったんだ・・・」

 

一瞬の沈黙のあと、

「許すも何もないよ・・・あなたを愛していたから」

と、おうちゃんが言います。

 

すると、その言葉を聞いて、菊りんは、涙をぽろぽろこぼし、声をあげて泣くのでした。

 

*     *     *     *     *     

 

正直なところ、この辺のやりとりについては、実は、あまりしっくりこないものを感じながらテレビを見ていたんですけれども(^^;(この、おうちゃんの言葉で、そんなに号泣するかぁ!?みたいな笑)

 

ですが、菊りんが涙をこぼしている様子を見ていると、それまで彼が抱えてきた罪の意識の大きさや、それを一人で抱えるしかなかった大変さや、孤独感や、そういういろいろなものが一気に噴き出してきている感じがして、

 

・・・ああ、良かったなぁ・・・

 

と、思い、同時に、

 

・・・そういえば、自分(←ぼく自身のことです)はいつも、どこかでこんなことを切望しているような気がするなぁ・・・

 

と、思ったんです。

 

 

つまり、ぼく自身は、自分がつながりを持っている人で、何かをガマンしている人、大変さを抱えている人が、それを一時でも下ろして楽になってくれたりする場面に出会えたりすると、自分自身もすごくほっとするというか、自分の中の何かがすごく揺さぶられる感じがするわけです。

 

・・・と、書いていて、これは投影?転移?・・・何ていうんでしょう?(^^; まあ、ともかく、そういったこと以外の何ものでもないような気もするんですが(笑)

 

えーと、この記事も、「雨にも負けず」というタイトルで書きたいことと、少しつながってるんですが・・・また、今回も、やっぱり、そこまで至りませんでした(^^;

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2009年3月14日 (土)

うわさ

おはようございます、10月です。

 

先日、職場のある方から、

 

「○○さん(←ぼくです)は知らないかもしれないけど、××さん(←同じ職場の人です)とくっつけようと盛り上がってる人たちがいるよ」

 

と言われました。

 

それを教えてくれた方は、盛り上がっている人たちの話を聞いていて、ぼくの意志とかを無視して盛り上がっているのが耐えきれなくなって、教えてくれたのだそうです。

 
 

このように、(盛り上がる人たちにも、それに耐えきれなくなる人にも)自分のことを気にとめてもらえることは、大変ありがたいことだな~、と思うのですが、その一方で、こういうことがあると、自分の行動が逐一チェックされているような気もして、何だかすごく不自由な感じもしてしまいます。

 
 

考えてみると、こういうパターンはこれまでに何度も起こっていて、たいていは、誰かが自分に好意を持ってくれているのを、周囲の人が先に気づいているのに、自分がさっぱり気づかない・・・というときだった気がします。

 

そう考えると、自分は、自分が考えているよりは、好意を持ってもらえるのかな?という気もするんですが・・・ま、それはぼくの妄想ということで(^^;

 

自分が「うわさ話」の登場人物になっているということが耳に入ると、その話をしている人たちと自分が絶対的に異なる次元に飛ばされてしまって、もう一度同じ場所を共有するようになることがすごく難しいんだろうな~・・・と思ってしまいます。距離がずーっと離れるような気がします。

 

・・・と、書いてきて、ふと、これは「うわさ話」をされたために距離が遠くなったと考えるのは実は話が逆で、もともと距離が遠かったために「うわさ話」に登場させられた、と考えるほうが適切なのかな?という気もしてきました。

 

さらに、こうしてブログを書いているのも、これはこれで、「うわさ話」と違わないのか!?という気もしてきました(^^;

 
 
 

さて、話は変わりますが、今日は、これから、職場の人たちと一泊二日の旅行です。

 

上の話に登場した人たちも、含まれています(^^;

 

外は雨まじりの強風が吹き荒れていて・・・何やら嵐の予感・・・

 

どのような展開がまっているか・・・(笑)では、行ってきま~す(^^)/~~

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2008年4月 1日 (火)

オブジェプチター

こんばんは、10月です。

 

さっぱりわけのわからないタイトルです(笑) ま、それはいったん置いておいて・・・

 

どうも、自分がここのところ感じているものというのは、「無い」ものを何とか手に入れようとする、絶望的な努力なのかな?・・・と、ふと思いました。

 

それは、たとえて言うなら(例えが変かもしれませんが)、「徳川の埋蔵金」を見つけようと自分の部屋の押し入れを家捜しする・・・というくらい「絶望的」な努力です(笑)

 
 

さて、このような努力について、「本来、人間がしてしまうもの」と述べているものを発見しました。フランスの精神分析学者のラカンという人の理論です。

 

   *   *   *   *

 

ラカンは、フロイトの精神分析理論を、「無意識は言語のように構造化されている」という観点から再解釈を行いました。

 

まず、最初に、混乱を避けるため、「欲求」と「欲望」という2つの言葉を区別しておきます。

 

「欲求」=本能的・生理的に生じるもので、満足することができる。(例:食欲など)

「欲望」=後天的に獲得される「言葉(シニフィアン)」によって生じ、満足することがない。(例:物欲など)

 

ここで、「言葉の獲得」ということについて少し説明を加えておきます。(斉藤環著『生き延びるためのラカン』p.64によると)子どもは、乳児期に「(ラ カン的な意味での)去勢」を経験するわけですが、このとき子どもは、母親=世界におけるペニスの欠損を補うために、その象徴(=ファルスφ)を作り出します。

 

さらにエディプス期になると、「φがないこと」を受け入れる(フロイト的な意味での去勢)ことになりますが、そのとき必然的に「言葉(シニフィアン)」が必要になるというのです。

 

ちょっとこの辺の事情を解説しておくと、「言葉」は、それが持つ意味(「シニフィエ」と呼ばれます)と音(シニフィアン)とが、「恣意的に」結びついたも のと考えられています。ここで「恣意的に」というのは、「シニフィエ」と「シニフィアン」の間には何の必然的なつながりも「無い」という意味です。もとも と「意味」とは、存在しているものに対して生じるものですから、もし仮に、「シニフィエ」と「シニフィアン」の間が必然的なつながりでできているのだとし たら、「存在しないもの」を表すようなシニフィアンは生じないというわけです。逆に言えば、「シニフィアン」が「シニフィエ」から自由であるが故に「存在 しないもの」を表すシニフィアンが生じ得るわけです。

 

 

しかし、ここで「φがないこと」をシニフィアンの世界で受け入れてしまうことは、重大な意味を持ちます。すなわちそれは、φそのものになるという本来の目 的を、φがないことをシニフィアンの世界で満たすという目的へ変更するという方向転換を意味するわけです。それは同時に、永遠に満たされることのない欲望の運動の始まりでもあ るというのです(なぜなら、シニフィアンの世界には本来求めていたものは存在しないから)。

 

ここで、「自分が持っているはず(持っていた)なのに無い(失った)」ものを「対象a(たいしょうアー、原語ではobjet a、オブジェプチター)」と呼びます。

 

 

対象aというのは、それ自体は何でもない・・・というかそもそも何もない「穴」みたいなものなわけですが、人はそれを埋めようとして、シニフィアンの世界でいろいろ頑張っちゃう・・・ということのようです。

 

前述の本で出てきた対象aの例としては、例えば、「永遠の幸福」なんてことが述べられていました。

 

・・・つまり、何かの欠如感を埋めるために「幸福」というシニフィアンで穴を埋めようとする・・・でも、穴とシニフィアンとは次元が違うものなので、穴は永遠に埋まらない・・・ということのようです。

 

このように、シニフィアンによって生じ、永遠に満足が得られない・・・これを「欲望」と呼ぶわけです。

 

   *   *   *   *

 

・・・と、この辺のお話が、自分の「絶望的な努力」と、どこか通じるものがあるなー(^^;と思ったわけですが・・・

 

今日、職員室で、この記事を書くために、本を3冊くらい読んでいたところ、たまたま学校に来た子に、何をしているのかと聞かれ、

「ブログの記事を書くのに、下調べをしてるところです」

と、答えたところ、

「先生!そんなことをする前に、机の整理をしてください!!」

と注意されてしまいました(^^;

 

 

・・・ですが、その後、その子はぶつぶつ言いながらも、ぼくが机の整理をするのを手伝ってくれたのでした(笑)

 

ちょっと、オブジェプチターが埋まったかな?(笑)

 

(注:ラカンに関する解説の部分は、ぼく自身もよくわかってませんので、ちゃんとしたことは、本をお読みください(^^;)

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2008年3月29日 (土)

お花見に行ってきました(^^)

昨日は、午前中、出勤したのですが、午後は休みをとって、同じ職場の人と3人で、都内へお花見に行ってきました(^^)

 

とは言うものの、実際には、桜を見る以外にもいろいろまわることになりました。

 

まず、最初に行ったところがここ↓

Abcd0010  

  

 

 

 

 

 

そうです!!○○○の人のメッカ!!!「中野ブロードウェイ」!!!

(注:ぼくは○○○ではありません(笑)) 

 

さて、中に入ってみると・・・いやー、ありますあります。何だか興味をそそる品々が、息を潜めてぼくたちを待ちかまえていました(笑)

ちなみに・・・何度も言うようですが、ぼく自身は、あまり興味はありません(笑)

 

「中野ブロードウェイ」は4F建てのビルになっており、なかにはたくさんのテナント・・・その類のお店だけではなく、喫茶店や貴金属店、美容室等々、さまざまなお店がありました。

 

ちょっと面白かったのは・・・気のせいかも知れませんが、1Fよりも2F、2Fよりも3F・・・と、上の階に上がっていくほど、客層というんでしょうか・・・お客さんのある種の傾向が少しずつ強くなってくるような感じがする点でした(^^; それはちょうど・・・上の階に行くほど、ろ過されて、純度が上がっていく感じでした(笑)

 

ちなみに、その傾向というのは・・・ちょうど、有明のビックサイトで行われるような、あるイベントに集まってくる方たちが示すものと同じ気がするんですが・・・

 

もっとも、ぼく自身は、そのような雰囲気の方たちには・・・なぜか親和性があるというか、すごく安心感を覚えてしまうというのもまた事実ではあります(^^; 

・・・なぜ、ホッとするんだろう?(笑)

 


まあ、そんなわけで、中野ブロードウェイでは、ただ、歩き回ってお店(と、そこに集まってくるお客さんたち)を見ただけだったんですが、引き続き、本来の目的であった「桜」を見に、靖国神社に向かったのでした。


   *   *   *   *
  

靖国神社についてみると・・・この時期に行ったことのある方はご存知かもしれませんが、神社の境内は桜というよりも・・・ずらりと並んだ「屋台」の方がずっと目立っていました(笑)

 

そうして、靖国神社でお参りをした後、となりの千鳥が淵のほうへ歩いていきました↓ 

Abcd0011   

 

 

 

 

 

 


桜の花は、こちらのほうがずっときれいに見ることができたような気がします。

 

このとき、時刻はたしか5時半くらいだったような気がするんですが、たぶん、あと1時間くらい待って周囲が暗くなってくると、ライトアップされた桜を見ることができたようです。

 

ライトアップされた桜は、幻想的でとってもきれいらしいんですが・・・昨日は、次の予定があり、暗くなるまで待っていられませんでした・・・残念!(^^;)

 

 

そうして、最後に、「はとバス」乗り場に向かったのです。

 

   *   *   *   *
 

とっても、おのぼりさんな感じがする「はとバス」ですが、最近うちの職場では静かなブームになっています(笑)

 

今回乗った、はとバスのコースは、屋形船での隅田川下り(上りだったかな?(^^;)をしながら夜桜見物・・・というコースでした。 

 

屋形船に乗り込んでしばらく船を走らせ、いくつかの橋をくぐっていくうちに、桜見物スポットにつきました。

 

ふと、自分たちが乗っている船の周囲を見ると・・・たくさんの屋形船が・・・集結していました↓

Abcd0012  

 

 

 

 

 

 

写真に写っているのは、数隻だけですが、実際には10数隻の屋形船が集まっていました・・・それはちょうど、『風の谷のナウシカ』で、たくさんの王蟲(おうむ)が所狭しと集まっているような情景でした。ちょっと、不気味な感じでした(^^;

 

さて、船の中には、お客さんが・・・80~90人くらい乗っていたような気がしますが・・・ふと、一人の人が目に留まりました。

 

他人の空似かも知れませんが・・・10年以上会っていない、昔の恋人にそっくりだったんです(^^;

 

 

・・・まさか?

 

 

とは思いましたが、服装も、髪型も、笑い方も、(そちらの団体の中で)せっせと料理を取り分けたりしている様子も、まさに、その人そのもの。

 

たしか、その人は、すでに結婚しているはずですし、今、この船に乗っているその団体は、どう見てもどこかの職場の集まりにしか見えませんので、その団体の中に入っているというのは明らかにおかしいといえばおかしい(その人は、専業主婦希望でしたので(^^;)。

 

他人の空似かな~?・・・それとも、ものすごいミラクルかな~?・・・と思っているうちに、屋形船は船着場に到着してしまったのでした・・・

 

 

そこからバスまで戻るとき、たまたま、その人たちの団体は、ぼくたちの後ろから歩いてきたんですが、ちょうど、その人が話している話し声が聞こえてきました・・・

 

あ・・・やっぱり、ちがう人だったのか(^^;


・・・ということがわかり、少し安心、少しさびしい気持ちを残して、昨日は、家に帰ってきたのでした(^^;

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2008年3月24日 (月)

「心」とは、なぜこんなにも微妙にゆれ動く・・・

こんばんは。

 

先日の記事『二本の道』の出典となった大平健著『純愛時代』・・・を、読み直していたんですけれども、なかなか興味深いお話が、たくさんのっていることに、あらためて気づきました。

 

この本に出てくるお話の中に、淡い妄想を抱いて、著者の病院を訪れた患者さんのお話がありました。

 

   *   *   *   *

 

その青年(大学生)は、大学の授業がきっかけでパソコン通信をはじめたのでした。ところが、パソコン通信をはじめてみると、いとも簡単に「本当の友達」ができることを発見して、驚いたのです。

 

そんな中、彼には、「トシオ」という恵まれない境遇に生まれたという「本当の友達」ができます。ひょんなことから、彼は「トシオ」と会うことになりますが、待ち合わせ場所に来たのは、一人の女性だったのです。

 

彼は最初は驚きますが、それ以降、二人はメールのやりとりをするようになります。そうする中で、彼は、自分の中の友情が愛情に変わっていくのを感じ、それまで以上に、彼女を大切にしたいと思うようになっていったのです。


しかしそんなある日、毎日来ていた彼女からのメールが、パッタリと来なくなります。

 

どうしたのかと思っている彼のところに、やっと彼女からの一通のメールが届きます・・・「この前の待ち合わせ場所で至急会いたい」・・・と。

 

彼がそこへ行くと、彼女は既に来ていました。近くの喫茶店に入り、彼女の話を聞くと、彼女の夫が、二人がやりとりしたメールを偶然読んでしまい、そこに綴られている愛の言葉に激怒し、パソコンをたたきつぶしたとのこと。


 

彼 女の話を一通り聞いた後、二人は店を出ますが、行く当てもなく、ただただ歩いていきました。そして、ふと目の前に現れたホテルに入ります。・・・そこで二 人は、裸になって抱き合い、お互いの肌のぬくもりを感じて安心感を味わいますが、結局それだけで、ホテルを後にしたのです。


 

別れ際、彼が「また会える?」と聞くと、彼女は「大丈夫!」と答えましたが、それだけに彼は、逆にもう会えないのではないか・・・と直感したのでした。


さて、それから1ヶ月、彼は、いつ彼女からのメールが来ても良いように、不眠不休でパソコンの前に座り続けます。最初はカップラーメンを食べていましたが、そのうち、その食欲も失せてしまいます。

 

そんな中で、彼は発病したのでした。

 

   *   *   *   *

 

さて、著者は、

 

・・・彼女と会えなくなったことぐらいで精神変調を来すというのが解せないことだった・・・

 

と述べています。確かに1ヶ月もの間、不眠不休でメールを待っていれば、疲労もたまるとは思いますが、それが妄想に転じるには、もう一つ、何かがあったというのです。

 

その部分を明らかにするべく、治療の中であれこれ尋ねていくうちに、患者が、

 

「あれっきり、メールは来ません。それで、彼女のこと疑っちゃったこともありました。ご主人とトラブったからぼくと付き合うのやめることにしたんじゃないかって・・・」

 

・・・とこぼした、この言葉を聞いて、「これだ。」と思ったそうです。このことこそが、発病の根っこにあったというのです。

 

つまり、彼女からの連絡が来ないために、彼女への信頼感が揺らぎ始めたとき、彼の「純愛物語」は壊れ、不気味な「不倫物語」へと変質していったのだろう・・・というのです。

 

   *   *   *   *

 

このあたりのお話は、本を最初に読んだときには、正直よくわかっていなかったんですが(^^;、今回、あらためて読んでみて、ちょっとわかるようになってきたような気もします。

 

たぶん、この青年にとっては、「純愛」=「魂の付き合い」・・・というのは、彼が、彼女とつながりを持つ上で、二人を守ってくれる・・・えーと・・・「お守り」というか「免罪符」というか・・・そんな働きをするものだったのかもしれないなー・・・という気がしました。

 

つまり、これがあるからこそ、二人は、会うこともメールのやりとりも(自己正当化することにより)安心してすることができる。

 

ですが、相手の彼女の方が、その文脈を崩してしまった・・・二人のしていることが、「純愛」でも「魂の付き合い」でもないとしたら、二人の関係は・・・「不倫」になるしかない。


 

うーーん・・・これと似たようなことは、ぼく自身も感じることがありますねー。

 

つまり、信頼感(枠)があるからこそ、安心して接していられた関係が、その枠がゆらいだ途端に、忌まわしいものに豹変する・・・という体験です。

 

・・・ハッ!?(@_@)

 

これは・・・自分でも、今日の記事を書き出したときには思ってもいなかったけど、『拒絶と侵入』の最後に書いた疑問に対する答えになっているような気がする・・・!!

 

・・・と、この記事を書いていて、今、思いました(^^;

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2008年3月20日 (木)

「拒絶されること」の痛み・「拒絶すること」の痛み

こんばんは、10月です。

 

今、昔の記事を読み返していたんですけれども、ふと、最近の自分に起こっていることと妙につながることがあって、記事にしたくなりました。

 

ぼくはずっと、「人から拒絶されること」の痛みについては考えることがよくありました。それは、言うまでもなく、自分自身が、誰かから拒絶されると、ものすごく辛い・・・辛かったからです。

 

それゆえ、これまで、このブログの記事でも、

「どうして、相手が痛みを感じることがわかっているのに、人は相手を『拒絶』するんだろう?」

みたいなことを書いてきたような気がします。

 

ですが、今日、ふと、

 

・・・拒絶する側は、そうするしかないから拒絶しているのかな?・・・それに、そうすることで相手を傷つける選択肢しかないのだとしたら、その人自身もものすごく苦しいのではないかな?・・・

 

・・・と思ったわけです。(もしかして、これって、あまりにも自明のお話なのでしょうか?(^^;)

 

たぶん、このテーマは、最近、ぼく自身がひっかかっている問題とも重なっているんですが・・・

 

   *   *   *   *

 

ずっと以前・・・ぼくが、高校生~大学生だった頃のことです。

 

当時、ぼくは、母親がいろいろと自分の世話を焼こうとしてくれるのが嫌でたまりませんでした。

 

それがどうしてなのかはよくわかりませんが、ともかく、少し、距離を置いて欲しかった。

 

ですが、ぼくの方のそういう気持ちは、何度言葉にして伝えても、母親には伝わらなかった・・・というか、逆に、泣かれたり、恨み言を言われたりしました。

 

そして、母親からの話を聞いた父親は、ぼくに向かって、「お前は人間の気持ちを持っていない」と何度も言いました。

 

   *   *   *   *

 

さて・・・それから、もう20年近くたつわけですが・・・二人とも、当時、そんなことをぼくに言っていたということを、覚えているのか忘れてしまったのか・・・わかりません(^^;

 

ですが・・・ぼくの中には、当時、自分が言われたこと、そして、その原因となった、「親と距離を置きたい気持ち」・・・「あまり近づかれると拒絶したくなる気持ち」があったことだけが鮮明に記憶に残っているんです。

 

あのとき、ぼくは・・・決して親を傷つけたいわけではなかった。

 

「拒絶」することが、傷つけることにつながるのはわかっていたんですが・・・でも、そうすることしかできなかった。

 

今思えば、あのときは、距離をとっていないと、何か、自分が自分でなくなってしまう・・・そんな気がして、ぼく自身も必死だったような気がします。

 

 

さて、そんな体験をしているので、自分自身が「拒絶」するしかできない痛みをわかっているハズなんですが・・・

 

でも・・・自分自身が「拒絶」される側になると、やっぱり辛いんですよね~(^^;ドウニカナラナイカナ?(笑)

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2008年3月10日 (月)

二本の道

何度か、このブログでも名前を出したことがありますが、大平健さんという精神科のお医者さんがいらっしゃいます。何冊か、本を書いていて、メジャーなとこ ろでは、『診療室に来た赤ずきん』、『豊かさの精神病理』、『やさしさの精神病理』、『顔のない女』・・・などの著書があるかなー・・・と、思うんです が・・・

 

氏の著書の中に『純愛時代』という本があります(岩波新書)。

 

その本の中のお話で、恋人とうまくいかなくなった女性が、彼女の勤めていたお店に来ていたお客さんの男性からこんな話をしてもらう場面があります。

 

「あなたが悪いんじゃないですよ。恋愛って二本の道みたいなもので、合流して一本になることなんかめったに無いんだと思いますよ、ぼくは。普通は、うんと近づいて交差しても、またひとりでに離ればなれになるものじゃないですかね」

 

・・・そうして、この言葉をかけてもらったのをきっかけに、二人は、接近していったのでした。

 

さて、この、彼が言ったセリフ・・・、ミョーに、ぼくの心にも響くんですけど(笑)

 

あ、いや、別に、ぼく自身が「恋愛」しているとか、そのことで悩んでいるとかいう話ではありません(それだと面白いとは思いますが(^^;)。

 

「恋愛」に限定せずに・・・たとえば、実生活での人間関係でも、ブログで仲良くなった人との関係でも、やはり、合流して一本になることは・・・めったになくて、ひとりでに、離ればなれになってしまうものなのかな・・・と考えると、寂しい気がします。

 

でも・・・、今、まさに「道が交差している」ときって、なかなか気がつかなくて・・・しばらくして、道がハッキリ別れてから、

 

「ハッ!?」

 

と気がつくことが多いような気がします・・・。

 
 
 

話は変わりますが、この記事を書いていて・・・以前、職員室で、ぼくが『純愛時代』を読んでいたとき、本のタイトルを見た先生から、

 

!?!?大丈夫!?!?

 

・・・みたいな目で見られたのを思い出しました(笑)

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2008年3月 6日 (木)

拒絶と侵入

こんばんは、10月です。

 

今回もまた、タイトルがちょっと変かもしれないんですが・・・(^^;

 

2つ前の記事で、「(自分をわかってもらおうとして)負荷をかける」ということを書きました。そうして、それを続けていくと、たぶん、負荷をかけられている側は、「心を閉ざす」=「拒絶」・・・という展開になっていくような気がします。

 

やはり学生時代に読んだ本なんですが、小川捷之著『夢分析』という本の中で、筆者のところに相談に来ていた学生が、筆者に秘密を握られてしまう不安や、ひきずり落とされる不安を、夢を通して述べる・・・というお話があります。

 

筆者は、その夢を聞き、自分があまりにも能動的にかかわろうとしていたことに気づき、介入をなるべく控えながら心理療法を続けていったところ、3ヶ月ほどたったところで、筆者がテレビの中でしゃべっている・・・という夢が現れたそうなのです。

 

この夢は・・・学生にとって筆者が「侵入的」ではない、安全な存在になった・・・ということを表しているようにも思えます。

 

「侵入的」な人に対したとき、無意識に「拒絶的」になる心の動きが生じるのは・・・これは、だれでもあるような気がします。(ちがうのかな?(^^;)

 

つまり、「拒絶」という反応は、相手から自分の中に流れ込んでくるものにストップをかけることによって、自分自身が壊れるのを防ぐための心の動きだと思うわけです。

 

でも・・・この辺からがよくわからないんですけれども、こちらが「侵入的」になっているとき、相手はずっと「拒絶的」な態度をとっているのに、何かの拍子にこちら側が「拒絶的」になった途端に、相手が「侵入的」に豹変する・・・という体験を、何度もしたことがあります(^^;

 

これって、なぜ?(笑)・・・もしや、当然のことなんでしょうか?(^^;

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2008年2月29日 (金)

いろいろあってまとまりません

こんばんは。10です。

とつぜんですが、記事を書いてみたいと思います。

 

さっぱりわかりません。

自分がしていることが、前に進んでいるのか、後ろに下がっているのか・・・

  

心を閉ざしてしまった子がいます。

自分は、その子が、もういちど扉を開けてくれるまでじっと待つのがよいのか、ときどきはノックをした方がよいのか・・・

 

 

人の嫌がることをしないのは、相手のためなのか、自分のためなのか・・・

 

 

仮に、自分を「変える」・・・といっても、いったい何をどう変えれば良いのか?意識して自分を変えられるものなのか?たぶん、変えようとしても、結局は、もとの自分に戻ってしまうような気がする・・・

 

 

さっぱりわかりません。

 

 

自分がしていることで、自分のためでないことは、はたしてあるのか?

 

 

自分は変わらなくても、周囲は変わっていく。ギャップは広がる。

 

 

 

うーーーーん・・・困った。弱った・・・。

 

四十にして惑わずとか・・・ウソじゃないですか!!(^^;

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2007年10月31日 (水)

ガルルルル・・・

ガルルルル・・・こんばんは、10月です、ガルルル・・・

新境地を開拓したいと思っています(苦笑)

 

実は・・・厄年です。

 

今年の誕生日を迎えたあたりから・・・そういえば、その前後から、「寂しさ」が強くなってきたような気もします。

 

そうして、そういうときほど、変なところに力が入って、人間関係をどんどん悪化させていってしまったり・・・悪化させてしまった人間関係とバランスをとろうとして、また別な人間関係を破壊してしまったり・・・。

 

そういう状況を何とかしようと、必死にもがいてみたりするんですが、そういうことは概して裏目、裏目に出たりして・・・それでは、と、静かにしていようとすると、どんどん自分だけが取り残されていくような感じがして、やっぱり、いてもたってもいられない感じになります。

 

気のせいかもしれませんが、ここのところ、自分の周囲でも、いろいろなゴタゴタがよく起こっているような気もします。

 

それは、たまたま、そういうゴタゴタが目に付いてしまうということなのか、自分の発している何かが、周囲にゴタゴタを引き起こしているということなのか・・・どちらなのかはわからないんですけれども(-_-;


いずれにしても・・・なぜか、止まりません・・・。悪いこと(と思えること)が、止まりません。

最初の「ガルルル・・・」は、悪いことを止めたい気持ちの現れです。

 

うーーん・・・やはり、厄払いに行ってきた方が良いのかなぁ・・・(^^;


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2007年8月22日 (水)

いろいろと、うまくいきません(^^;

どうも、ここのところ、実生活でも、ブログ上でも、何かがすれちがっているというか、素直な自分が出せないというか、KYというか・・・ともかく、うまくいかない感じがどこかでつきまとっている気がします。

 

これは単に、今の自分が、たまたまそういう場面にさしかかっているだけなのかもしれませんが、何か、こういうときって、どうしても、自分に自信が持てないでいることが、今の状況を招いている一因になっているように思ってしまうんですよね~(^^;

 

自分に自信がないと、周囲の人に接するのも臆病になっていくし・・・

 

臆病になれば、人に対する接し方も、どこか変わってしまう気がするし・・・

 

そうすると、周囲の人も、自分に対してどこか安心できないものを感じてしまって、ちょっと引いてしまう・・・

 

そうなると、そのことを感じて、ぼくの方ではもっともっと臆病になってしまう・・・

 

・・・という悪循環が起こっている気がします・・・。

 

 

そんなときに、ちょっと、何か嬉しいことがあったりすると、今度は逆に、過剰に喜びすぎてしまって、羽目を外して、またしても周囲に迷惑をかけたり、誰かを傷つけてしまったり・・・

 

うーーーん・・・自分に対する「自信」って・・・何なんだろう・・・?(-_-

 

どうしたら、「自信」が持てる・・・自分のことを「安心」して出せるようになるんだろう・・・?

 

あ~!!! どっかりとした「安心感」をもちたーーい!!!(^^;

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2007年8月 8日 (水)

『きき耳ずきん』

こんばんは。10月です。

 

2つ前の記事で、自分の学生時代のことを書きましたが、それ以来(ここ数日ですが)、好きだった相手の気持ちがわからない苦しさを必死に耐えていた当時のことが頭をよぎることがありました。

 

そんな中、たまたま、その頃の自分と同じような気持ちが書かれているブログ【スナオなハナシ。を見つけました。

そちらのブログの記事を読ませていただくと・・・相手の言葉や相手の行動の一つ一つに、嬉しくなったり、落ち込んだり、不安になったり・・・と、毎日がジェットコースターに乗っているようだった当時の気持ちが、まざまざと蘇ってくるような気がしたのでした。

 

サークルの仲間と夕飯を食べに行くとき、その人も一緒に来てくれると、それだけで嬉しかったり・・・。

また、別のときに、

「今日も、食べにいく?」

と聞くと、ぶっきらぼうに

「今日はいかない」

と言われることもあり、そんなときは、残念な気持ちとやるせない気持ちでいっぱいになって・・・

・・・どうして今日は来ないんだろう?○○くんがいないからかな?それとも誰か他の人と約束があるのかな?・・・

・・・というようなことを延々と考えてしまったり・・・。

 

さて、そもそも、ぼくは、どちらかというと空気が読めない方の人間だと思うんですが(笑)、しかし、片想いの相手の言動が気になってしかたがなくなると、この傾向にさらに拍車がかかってしまう・・・ような気がします(これは、みんなそうなのかもしれませんが(^^;)

 

そんなことを思っている中、ある昔話にぶつかりました。『きき耳ずきん』というお話です。

 

      *       *       *       *

 

むかしあるところに、一人のやさしい若者が暮らしていました。

若者はとても働き者でしたが、暮らしは楽ではありませんでした。

 

あるとき、若者は、浅瀬で一匹の鯛が困っているのを見つけ、かわいそうに思って、海の深いところへ帰してあげたのでした。

それから若者が家へ帰ろうとすると、若者を呼び止める声がします。実は、先ほど逃がしてあげた鯛は、竜宮の王の一人娘である鯛姫だったのですが、それを喜んだ竜宮の王が、若者にお礼をするため使者を遣わしたのでした。

そうして若者は竜宮城へ行き、鯛姫を助けたお礼に「きき耳ずきん」という宝物をもらいます。このずきんは、かぶると、すべての生きているもの・・・動物も、植物も・・・の話す言葉が理解できるようになるずきんなのでした。

 

竜宮城から帰ってきた若者は、家へ帰る途中、スズメたちがチュンチュン鳴いているところに出会います。

若者は、

 

「よし。ひとつ、きき耳ずきんをためしてみよう」

 

と思いつき、頭にかぶりました。するとどうでしょう。それまでわからなかったスズメの話が、すっかりわかるようになったではありませんか。

 

「人間というのは、バカなものだ。そこの川の真ん中に大きな踏み石があるだろう。人間は、川を渡るとき、あの石を踏んでわたっているんだ。それが実は金なのさ。人間があんなに欲しがる金を、もう何年も踏みにじっている。人間とはバカなものだよ、チュンチュン」

 

それをきいた若者は、川のところへ行き、その石を見てみると、確かにそれは黄金石ではありませんか。そこで、若者は近くにあったひもを使ってその黄金石を背負い、また道を歩いていきました。

すると今度は、カラスたちがガアガアと鳴いているところに出会います。若者が、きき耳ずきんをかぶると、カラスの言葉がわかるようになりました。

 

「人間というのはバカなものじゃ」

 

カラスまでやっています。

 

「この先の殿さまの一人娘の病気を、あれだけたくさんの医者が集まって、誰一人治すことができない。それは病気のもとが、ヘビを一匹間違えて、かやぶき屋根の中に、カヤと一緒にふきこんでしまったからなのじゃ。ヘビを屋根からほどいてやれば、娘の病気は治るのに、ガアガア」

 

それをきいた若者は、すぐ殿さまの家に行き、ヘビを助けてやります。すると娘の病気も治ってしまったのです。

殿さまは大喜びし、若者に娘と結婚してくれるよう頼みました。そうして二人は結婚し、若者は殿さまとなって、ずっと幸せに暮らしました。

 

      *       *       *       *

 

というお話しです。

 

たくさんのお医者様は、皆、精いっぱい、娘の診察をしたのでしょう。ですが、誰一人、娘の病気を治すことはできませんでした。

一方、きき耳ずきんによって、鳥たちの声をきくことのできた若者は、ヘビを助け、娘の病気も治し、娘と結婚し、最後には殿さまになってしまいます。

 

そういえば、以前、このブログでも書いたことがある気がしますが、ぼく自身、自分の想いが相手に伝わり、恋が実るときには、ほとんどの場合、その直前に、何か大きなもの・・・「自然」という感じがしますが・・・からのメッセージを感じていたような気がします。

もしかすると、無意識に「きき耳ずきん」をかぶっていたのかもしれません。

 

あまり、「神秘的」な方向へ話を展開するつもりは無いんですが・・・「きき耳ずきんをかぶる」ということは、「たくさんのチャンネルを開いておく」ということと似ている気がするなぁ・・・と思ったのでした。

 

また、きき耳ずきんを・・・かぶれるかなぁ?(笑)

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2007年8月 6日 (月)

『ファースト・キス』

こんばんは。10月です。・・・相変わらず「さびしさ」のことを考えています。

 

「さびしい」気持ちが強くなっていると、誰かとのつながりを求めたくなりますね。

 

友人や職場の同僚と飲みに行きたくなります。

誰かとメールしたくなります。

ブログを通してつながりたくなります。

 

ふと・・・こういう気持ちのときに、誰かを「好き」になるのかな?と思いました(ちなみに、今、フジテレビのドラマ「ファースト・キス」を見ているので、ちょっと頭が毒されているのかもしれませんが・・・笑)

 

このドラマは、ものすごーくおおざっぱに言うと、病気のためにワガママに育ってしまった美緒(井上真央)が、兄の和樹(伊藤英明)の活躍で恋を見つける・・・というお話のような気がします。

 

そういう設定のためかもしれませんが、このドラマ、ある一定のパターンがあるような気がしました。つまり、

 

登場人物の誰かが美緒を傷つけまいとして「ウソ」をつく

しかし美緒は「ウソ」に気づきよけいに傷ついてしまう

さらに、美緒は自分が傷ついていないという「フリ」をするために、周囲をかきまわす(人を傷つけるような言葉を吐く)

お兄ちゃん(伊藤英明)が怒る

美緒も怒る

病院の先生(松雪泰子)に窘められる

みんな反省して、ちょっと素直な気持ちを言葉にして落ち着く

 

・・・というパターンが隠れている気がするわけです(^^;

 

ですが、こうやって見てみると、結局、美緒が周囲を傷つけるような言葉を吐くことによって、「ウソ」の連鎖が絶たれて、本当の気持ちが現れてくることになっている気もします。

たぶん、このドラマを見ていて、どこかホッとするのは「優しいウソ」による関係から、「本当の気持ちでぶつかれる」関係へと変わっていけるところなのかもしれません。

 

もっとも、今日のお話では、「ウソ」というテーマが、ちょっと違った使われ方をしていました。

今日のお話の終わりのあたり・・・主人公である美緒が医師の結城(平岡祐太)に、「ウソのつきかた」を教えるという一幕がありました。

 

美緒「先生、医者だったらもっとウソがうまくならなきゃ。私がウソのつきかた教えてあげる」

結城「ウソのつきかた?」

美緒「とにかく本当だと思いこむ。自分をだますの」

結城「自分をだます・・・」

美緒「じゃあ、先生、何かウソをついてみて」

結城「・・・ぼくは・・・宇宙人です・・・」

美緒「ダメダメ。そんなんじゃ。ウソはこうやってつくの。・・・私、先生のこと・・・」

 

うーん・・・ちょっと、抜粋してしまうと、このやりとりの感じが、うまく伝わらないような気もしますね(^^;

 

ま、いずれにしても、実生活の中では、最後の美緒のセリフのような告白のしかたは・・・相手にどう思われるか心配で、ぼくだったら使えないかなぁ・・・と思いました(笑)

 

このドラマは、「ウソ」というテーマが、そこかしこに鏤められていて、ちょっと面白いです。(あ、もちろん、ラブストーリー特有の、あまーい感じも好きですけど(^^;)

 

・・・ちょっと、「さびしさ」から、話がずれてしまいましたね(^^;

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2007年8月 3日 (金)

なんだかさみしい。

こんばんは。10月です。

 

少し前から感じていたんですが・・・何か、さびしいです。

ずっと、こういうさびしさは感じてなかったんですが。

 

別に、恋人にふられたわけではありません。

生徒が仲良くしてくれないわけでもありません。

 

ですが・・・さびしい。

 

いったい、なぜ!!??

・・・と考えても、さっぱりわかりません(^^;

 

ただ、今感じているのと同じようなさびしさを・・・自分が大学生だった頃に感じたように思います。

 

ぼくが行っていた大学は、夏休みや冬休みになると帰省してしまう学生が多く、そういう期間はほんとうにひっそりとしてしまうような・・・そんな大学でした。

そんなとき、ぼくは、人気のないキャンパスを歩きながら、

・・・なんだかさびしいなぁ・・・

と思ったりしていました。

このときに感じたさびしさは、あまり苦しいものではなく、自分をそっと包んでくれるような、そんなさびしさでした。

 

また、大学のときに入っていたサークルでは、夏と春に1回ずつ合宿(4泊5日)があったのですが、合宿を終えて、いざ解散という時点になると、なんとも言えないさびしい気持ちになりました。

このときのさびしさは・・・さびしさというよりも、せつなさ・・・と言った方が近い感じだったかもしれません。

 

大学生だった頃、ずっと好きだった人がいました。

でも、その人とは、いつもすれ違いでした。

ずっとあとで、その人の気持ちを知らされたんですが・・・ぼくも自分の気持ちを伝えず、その人の気持ちもずっと知らないままで学生時代を過ごしてきたのでした。

当時は、さびしい・・・やるせない気持ちに耐えられず、サークルの友人と、徹夜で相談に乗ってもらったり、相談に乗ってあげたり、愚痴をこぼしあったり・・・という生活をおくりました。

 

考えてみると、いつの間にか、こういう「好き」という気持ちを誰かに話したり、やるせない気持ちを誰かに支えてもらったり・・・ということをしなくなっていた気がします。

 

でも、よくよく考えてみると、そういうことができる人がいるかもしれない・・・ということに、今、この記事を書いていて気が付きました(^^;

 

うーむ・・・

 

(甚だ、しり切れトンボな記事ですが、書いていて満足してしまったので、これで終わります(笑))

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2007年1月 2日 (火)

誰かを好きになったとき

こんばんは、10月です。

えーと・・・こういうタイトルを付けましたが、特に好きな人ができたとか、恋人ができたとかそういう話しではないんですが・・・(^^;

 

昨日、知り合いの方からメールをもらったのをきっかけに、昔好きだった人のことなどを思い出していたんですが・・・自分が、昔、誰かを好きになったときのことを思い出してみると、そうなったときというのは、ある種の独特の感情がわいてきている感じがしました。

その独特の感情というのは・・・ぼくの場合、相手に対して、大切にしたい気持ちが大きくなってしまうというか、「護りたい」という気持ちが妙に高まってしまうというか・・・。

 

さて、昨日の記事で書いた、『天国の本屋』のお話ですが・・・

 

♪  ♪  ♪  ♪  ♪  ♪  ♪  

物語の主人公のさとしは、ユイの気持ちを開かせようと、何とか彼女の問題を解決してあげようと、いろいろと画策するのですがすべて失敗に終わります。

そんな中、ある日、さとしは、ユイから秘密を打ち明けられます。彼女がどうして心を開こうとしないのか。どうしていつも、周囲の人たちとうち解けようとせず、距離を取ろうとするのか。

そして、その秘密の大きさを知らされたとき・・・さとしは、自分の考えが浅はかだったことを知りました。

ただ、その話しの後、ユイは、

「でも、こう見えても、私、あなたには感謝してるのよ」

とも言いました。

しかし、ユイのその言葉を聞いても、なお、さとしは、何もできない自分の無力さを痛感するしかありませんでした。

♪  ♪  ♪  ♪  ♪  ♪  ♪  

 

この後も、お話は続くんですが、この、さとしの、ユイのために何かしたいという気持ちや、でも何もできないという無力感・・・こういう気持ちは、ぼくが誰かを好きになったときに感じてしまう気持ちと非常に似ている気がするわけです。

まあ、セイシンブンセキ的に言うと、過去の体験がどうとかいう話しになるのかも知れませんが、ともかく、そういうパターンに「弱い」わけです(笑)

 

こういう、好きな人ができたときに生じる気持ちのパターンって、やっぱり人それぞれで、いろいろあるんでしょうね・・・(^^;

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2006年10月19日 (木)

『野ブタ。をプロデュース』での言葉

こんばんは、10月です。

 

相変わらず、同じような話題が続きます(笑)

さて、すっかり楽しみになってしまいました『野ブタ。をプロデュース』。第5話では、野ブタ(堀北真希)が、同じクラスの男の子からラブレターをもらい、カップルになるためにデートに出かける・・・というお話でした。

 

しかし、彼女自身は、手紙をくれた男の子のことが特に「好き」なわけでもないので、デートをすることに積極的ではないのでした。

そんな野ブタに対して、修二(亀梨和也)は、何とかデートをするように説得します。

そして、その結果、彼女はデートに出かけることになります。

 

しかし、デートには出かけたものの、やっぱり途中でトラブルが発生し、デートは頓挫してしまうのでした。

そうして修二が、再度、野ブタを説得しようとしたとき、彼女は、こう言ったのでした。

 

「好きじゃない人とつきあうのはいけないことだと思う」

 

この言葉を聞いていて・・・ぼくは、何か、拒否感というか、聞いていて辛い感じがあまりしない言葉だなぁ・・・と思ったのでした。

つまり、

「私は(その人のことを)好きじゃない」

と言っているのではなく、

「(好きじゃないから)つきあいたくない」

と言うのでもなく、

「好きじゃない人とつきあうのはいけないこと(だと思う)」

と言っているのです。

 

この辺の言い回しは、まあ、脚本家の方のセンスだと思うんですが、この言葉には、彼女の、自信が無く、(傲慢に)人を拒否することのできない・・・拒否される人の「辛さ」がわかっているだけに、「善悪」という力を借りることでしか「NO」と言えない彼女のキャラクターが、上手に表されているように感じられたわけです。

 

また、その言葉と同時に、彼女が、デートを引き受けた理由についても、

「いつか学園一の人気者になって、修二に『ありがとう』と言いたいから」

という気持ちが語られましたが、この言葉も、

「学園一の人気者になりたい」

のではなく、

「学園一の人気者になって、修二の期待に応えたい」

のでもなく、

「学園一の人気者になって、修二に『ありがとう』と言いたい」

からだと言うところに、ぼくは、すっかり感服してしまったのです。

 

こちらの言葉は、最初の言葉(好きじゃない人とつきあうのはいけない)とは対照的ですが、「彼女自身が存在する」ことが前提となった願いになっているように感じられたからです。

つまり、彼女は、「学園一の人気者」という抽象的な存在でもなく、「修二の期待通り」という誰か他の人によって決められてしまうような不安定な存在でもなく、「修二に『ありがとう』と言える」ような自分になりたいというわけです。

最初の方のセリフでは、「自分」を背景に送ってしまうことで、彼女自身が「拒否される辛さ」に対しての共感の深さを示しているように思われましたが、後の方のセリフでは逆に、「意志を持った自分」ということを願いの中に織りこむことで、彼女の「生」に対する安心感・安定感が感じられるような気がしたのでした。

 

こういう、微妙な言葉の使いまわしで醸し出される、さまざまなニュアンスが、ドラマの登場人物の性格づけを、ものすごく上手に促進しているような気がして・・・たぶん、こういうことも、このドラマが気に入ってしまったポイントの一つなのかもしれません(^^)

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2006年10月17日 (火)

野ブタ。をプロデュース

こんばんは、10月です。

このドラマ、たしか、先週くらいから、日テレ系で再放送されていて、たまたま見始めたのですが・・・これが、なかなか、おもしろい!(笑)

 

いつも「いい人」で「クラスの人気者」を演じ、しかし、本当の自分は決して出そうとしないと桐谷修二(亀梨和也)と、ちょっと(すごく?)変な人の草野彰(山下智久)の二人がいるクラスに、ずっといじめられっ子だった小谷信子(堀北真希)が転校してきます。

それまでの高校生活に何かむなしさを感じていた修二と彰は、いじめられっ子で、何に対しても自信を持てない信子を、学園一の人気者にプロデュースすることを決意します。

 

毎回、なかなかステキなストーリーが展開するのですが、昨日の放送では、彼らのクラスが文化祭の企画で「お化け屋敷」をやるというお話でした。

お化け屋敷の準備中、モグラのことが話題にのぼり、彰が何気なしに言います。

 

「モグラってさぁ、いつも土の中で穴を掘って一匹で暮らしてるんだけど、発情期になると、ちゃんと相手を見つけるんだって」

 

「土の中で、真っ暗な中で、相手に出会えるなんて、奇跡じゃん」

・・・修二がつぶやきます。そして、二人の会話を信子は黙って聞いていました。

 

さて、いよいよ文化祭当日、期待通り、いろいろと事件が起こるのですが(笑)、何とか無事に、お化け屋敷は成功し、文化祭は終了します。

そして、みんなが帰った後の静まりかえった学校の屋上に、3人だけが残って話をしています。

 

信子がつぶやきます。

「私って、ずっと一人で、穴を掘ってたんだよね。モグラみたいに・・・。そうしたら、突然、二人が出てきた・・・これから先、また、こんな風に、誰かと出会えたりするのかな・・・もし、そうなら、一人で掘ってるのも悪くないよね」

彰が

「会えると思うよ、いろんな奴と」

と答えます。

 

そして、その後、修二が言った言葉が、ぼくには、とても印象的でした。

「・・・そうして、いつか、二度と会えなくなるんだよな」

 

何だか、よくわからないんですが、この修二の言葉を聞いたとき、ふと、昔、大切にしようとしていた人のことを思い出したのでした。

 

彼女と出会ったとき・・・自分としては、一人で穴を掘っている感じではなかったのですが、でも、出会えたことは、ぼくにとっては、「奇跡」でした。

彼女とは・・・いろいろあって、今はもう連絡の取りようもないのですが・・・なんだか、修二のこの言葉を聞いたときに、二度と会えなくなった彼女のことを思い出して、ちょっと、切なくなったのでした。

たぶん、彼女は、幸せに暮らしていると思うのですが・・・なんだか、さびしいです(;_;)

 

今日も、話がまとまりませんねー(^^;

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2006年5月21日 (日)

『安珍清姫』

こんばんは。10月です。またまた大変ごぶさたしてしまいました(^^;

たしか,三週間前,TVの「まんが日本昔ばなし」で,このお話が放送されていました。

 

能に『道成寺』という演目があります。

長らく鐘を失っていた道成寺で「鐘供養」が行われることになりました。鐘供養は女人禁制であったのですが,ひとりの白拍子(女芸人)から舞を献じたいという申し出があり,それを認めてしまうのです。

舞の最中,白拍子が「この鐘,恨めしや」とつぶやきます。その途端,鐘が落ち,白拍子はその鐘の中に姿を消してしまいます。

驚いた寺の者たちが鐘を持ち上げると,中から大蛇が現れ,大蛇は炎をはきながら日高川へ姿を消していく・・・

・・・という物語です。

道成寺にどうして鐘が無かったのか,どうして鐘供養が必要となったのか,そして,それが女人禁制なのはどうしてなのか・・・というあたりは,この『安珍清姫』という伝説によって明らかになるのでした。

 

話が前後しましたが,TVで放送されていた『安珍清姫』のお話です。

*      *      *      *      *      *

安珍という一人の修行中のお坊さんがありました。

安珍は,熊野大社へお詣りする旅をしていましたが,途中,日が暮れてしまい真砂の庄屋の家に泊めてもらうことになりました。

その夜,庄屋の娘の清姫は,若く美しいお坊さんを一目見て好きになってしまいます。

そうして清姫は,安珍に想いを打ち明け,一緒になって欲しいと頼みます。

しかし,安珍は修行中の身であるということを理由に,熊野詣でを済ませるまで待っていて欲しい,必ず戻ってくるから,と伝え,旅立ったのでした。

しかし,熊野大社に着くやいなや,安珍は,心に迷いがあることを見抜かれてしまいます。そうして,熊野大社の僧侶たちは安珍を教え諭し,安珍は迷いから立ち直ります。

安珍は,清姫に会わないようにと,来た道とは別の道を通って帰ることにします。

約束の日になっても安珍が帰ってこないので,清姫は街道に出て旅人に尋ねていると,ある旅人から,安珍は別な道を通って帰っていったと聞かされます。

それを聞いた清姫は,狂ったようになって安珍を追っていったのでした。

安珍は,日高川を渡ろうとしていたところで,清姫が追いかけてきたことに気づき,日高川の渡しの船頭に,急いで船を出すよう頼みます。

船頭は言われるがままに船を出すのですが,清姫はかまわず日高川に入っていき,そうするうちに,その姿は恐ろしい大蛇へと変わっていきました。そうして,大蛇となった清姫は,炎をはきながら,安珍を追っていったのでした。

安珍は,日高川を渡ると,街道沿いの道成寺というお寺に駆け込み,かくまってくれるよう頼みました。

お寺の中には,釣り鐘の中くらいしか隠れるところがありません。そこで寺の住職は,安珍を鐘の中にかくまい,安珍はその中でお経を唱え始めたのでした。

しかし,お寺の中に釣り鐘を見つけた大蛇は,鐘の周りにぐるぐるに体を巻き付け,恐ろしい赤い炎をはきながら,「にっくき安珍・・・愛しい安珍様・・・」と言い続けました。

そうして,安珍は,大蛇と化した清姫の赤い炎によって焼き殺されてしまったのでした。

*      *      *      *      *      *

 

・・・と,なかなか,すさまじいお話ですね(^^;

TVで,このお話を見ていたときに,最初に思ったのは・・・ちょうど「夢」みたいだ・・・ということでした。

というのは,「夢」の中で「炎」は,激しい「感情」(恋・怒りなど)を表すことが多いという話を聞いたことがあり,実際に,まさにそのような気持ちを表しているとしか思えないような夢の話を聞くことが何度かあったからなんですけれども・・・

・・・安珍に恋をし,しかし,その気持ちが裏切られたとわかったとき,清姫の中の「恋」の気持ちと「恨み」の二つの気持ちが,清姫の姿を大蛇に変え,赤い炎をはかせた・・・というのは,変な話ですが,まさに「夢」の文法に沿った物語の展開・・・というような気がしてしまったのでした。

 

さて,そのように考えていくと,この『安珍清姫』という物語は・・・そもそも安珍が抱いた(描いた?)ファンタジーのような気もしてきたのでした。

つまり,こうです。

修行僧である安珍は,途中,宿泊させてもらった家の娘である清姫に恋心を抱きます。

しかし,自分が修行中であること,また清姫が自分の想いを受け入れてくれるかもわからない等の不安から,安珍は,自分の中に

「清姫は自分を好いてくれている。しかし,自分はそれに応えるわけにはいかない」

というストーリーを作ってしまうのです。

熊野大社の帰り道,安珍の中の,このストーリーは少しずつ力を持ち始めます。

・・・清姫は自分のことを待っている・・・でも,自分は帰ることはできない・・・清姫はものすごく自分を恨んでいるはずだ・・・もしかしたら,清姫は執念深く自分を追ってくるかもしれない・・・そうなったら,もう,自分にとっては死ぬほど恐ろしいことになってしまう!!!

・・・というわけです。

もっとも,こんな風に考えていくと,そもそも「清姫に会った」ということですら安珍の願望だったのではないか,という気すらしてきてしまうんですが(^^;

 

さて,そんなことを感じて,「安珍清姫」の伝説に,どのようなバリエーションが存在しているのか,インターネットで探してみました。

そうすると,このお話には,安珍が修行僧ではなく「山伏」であるバリエーション,またあるお話では安珍はもう一人の高齢の僧侶とともに二人で宿泊するというものがあることがわかりました。また,清姫に関しても,庄屋の一人娘という話と,後家であるという話がありました。

安珍と清姫との間でなされたやりとりに関しても,安珍が断っているのに無理矢理清姫が自分の想いを伝えるもの,安珍も清姫に対して好意を抱いているというもの,それらの中間のもの・・・など,このあたりにもいくつかのバリエーションが存在しているようでした。

しかし,いずれにしても共通しているのは,安珍が,清姫に「もう一度戻ってくると約束させられてしまう」ということ,しかし熊野詣でを済ませたあと,「別な街道を通って帰ろうとした」ことの2点が共通しています。

思うに,安珍が・・・えーとなんと言えば良いのかわかりませんが,もう少し「自我の強さ」を持っていたならば,

(1)最初に泊まった晩に,清姫に対してハッキリと「断る」ことができた

かもしれませんし,

(2)清姫の気持ちを受け入れ,修行をやめる決意をし,熊野詣でをやめる

こともできたかもしれませんし,熊野詣での後でも

(3)清姫に再度会って,自分は修行を続けるとハッキリ告げる

こともできたかもしれません。

結局,これらのどの対応もできずに,問題をすべて「棚上げ」「先送り」にしてしまったことによって,清姫は,大蛇にならざるを得なかった・・・言い方を変えれば,清姫は安珍によって大蛇にされてしまった・・・と言えるのかもしれないなぁ・・・などとも思いました。

 

・・・と,ここまで考えてきて,ハタと,

自分もまた,たくさんの大蛇を産み出してきたかもしれない(^^;

・・・なんてことを思ったりしました(笑)

重大な注:ぼくは決して若い美しい,安珍のような人ではありません。念のため(笑)

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2006年2月21日 (火)

liedさんは、ここのところ、いいことずくめ

こんばんは、哀しき10月です(^^;

 

うちで、リンクを張らせて頂いている、「巷の心理関連の話題をひろって何かを言ってみる」のliedさんは、ちょっと、ここのところ、いいことずくめのようです・・・おつきあいする人ができ、就職内定通知が届き、そして、さらには、グリーンジャンボ宝くじが・・・

・・・以下は、liedさんのブログをお読み下さい(笑)

 

さて、そんなliedさんに「あやかりたい」と思い、ぼくも、せめて、日々の出来事の中から「イヤなこと」「つらいこと」ではなく、「嬉しかったこと」「ちょっとラッキーだったこと」に目を向けようと考えました(^^;

そんなわけで・・・今日、出会った「いいこと」をあげてみたいと思います(^^;

 

いいこと その1

今日、仕事の帰りに寄ったコンビニで、お金を払うときに、スピードくじ(当たると、コンビニの商品がもらえる、というもの)をひいたのですが、見事、当たりくじを引き当て、景品のアイスをもらえることになりました。

ちなみに、もらえるアイスは、いくつかの種類のものの中から選ぶようになっていたのですが、そのとき、店員さん(かわいい女の子)が、わざわざぼくをアイスクリーム売り場まで連れて行ってくれて、アイスを一緒に選んでくれたのです(この「一緒に」という部分は、ぼくの妄想かもしれません(^^;)。

以前、「コンビニでの飽くなき戦い」という記事を書いたときに、デスマさんのところで、慶さんが

「かわいい女の子の店員がおつりをわたしてくれるときに『手が触れる』ようにマニュアル化して欲しい」

ということを書いていたのを思い出しました(って、こーゆー話を、ばらして良い?>慶さん(笑))

 

いいこと その2

同じく、今日、仕事からの帰り、車を走らせていたときに、「春」というほどの暖かさではなかったんですが、「冬」というほどの寒さでもなく・・・微かに、寒さが緩んできた・・・というような空気を感じました。

あたりは、すでに暗くなっていたんですが、何か、これからやってくる春、そして夏、秋、冬・・・という季節のことや、そういう季節の移り変わりの中で、いろいろな人と、いろいろなことをしていくんだろうなー・・・なんてことを思い、少し、わくわくするような感じと、少しさびしい気持ちが入り混じったような感覚に見舞われました。

・・・って、別に「いいこと」じゃないのかな?(笑)

でも、ちょっと、いいこと・・・のような気がしたのでした(^^;

 

いいこと その3

今日、授業の後の休み時間に、とあるクラスで、2人くらいの生徒とおしゃべりをしていたのですが、そのとき、その子たちが、もう、すっかり、安心したように、緊張感を緩めて接してくれている(ように見えた)ことが、すごく嬉しいことでした。

そういえば、(話は飛びますが)バレンタインにマフィンをくれた子も、同じように、限りなく緊張感が0になってしまうことが多かった気がします。

以前、その子の三者面談(その子本人、親、ぼくによる面談)の時のことですが、その子とお母さんの二人が、面接室にやってきて・・・椅子に座るやいなや、その子は、グダーーっ、と机に突っ伏した・・・机の上で伸びてしまったのです。

すると、お母さんは、無言のまま、間髪入れずに「バシッ!」と、その子の頭をひっぱたき(笑)・・・その子は、「イテテ」という顔をして、椅子にきちんと座り直す・・・

・・・ということがあったのを思い出しました(笑)

 

では、脈絡ありませんが、ひさびさに、今日の「心象風景」、行ってみましょう(笑)

tokeru  

 

 

 

 

 

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2006年2月14日 (火)

バレンタインデーたけなわ

こんにちは、10月です。

世の中の男性の皆様、本日はいかがお過ごしでしたでしょうか?

結論から申し上げます。今年は、ぼくは、0勝1敗2引き分け・・・でした(^^; え?あ、深くは聞かないで下さい(T_T)・・・それが「思いやり」ってものですよね(笑)

 

さて、そんな、悲しき気持ちを紛らわせるため・・・「チョコレートに関する質問だけで、あなたを的確に判断する!!」というホームページ(15チョコレート占いの中にあります)を発見して遊んでみました(考えてみたら、そんなページで遊んでいたら、全然、気が紛れません!!!)

結果は・・・

診断結果:

心の奥深くに傷を負っている可能性があります。チョコに対するトラウマなどはありませんか?気になる人は、周りの人に相談してみて下さい。きっと、同じような経験をしている人が多いことに気付き、心が癒されますよ。

 

と出ました(^^; なるほど~、チョコに対するトラウマね~・・・(笑)

 

そうか・・・ここのところ、毎年のように、「本命チョコ」がもらえないバレンタインデーしか過ごしたことがない・・・

・・・ということが、トラウマになっているのかもしれません(;_;)

 

というわけで、今日もまた、「心象風景」を・・・

guchokipa  

 

 

 

 

 

 

 

 

こういうのって、心象風景とは言わない?(笑)

 

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2006年2月12日 (日)

なにやら・・・

こんばんは、10月です。

えー、テレビを見ていても、ラジオを聞いていても、日本全国的に・・・「バ○ンタイン・デー」たけなわ・・・という感じですね(泣)

あ、いえ、別に、泣く必要はないのかもしれませんが、やはり、こういう場合は、「最悪の状況」を想定して、心の準備をしておかないといけませんからね(笑)

 

そういえば、昔々のことですが、当時、ぼくがおつきあいをしていた方から、バなんとかデーのときに、何か、何重もの包装紙に包まれ、ちょうどシュレッダーのゴミのような緩衝材?と一緒に箱の中に大事そうに入れられたチョコレートをもらったことがあります。

たぶん、そのチョコレートは、何やら有名なお店か何かのものだったのではないかと思うのですが(その後、どこか都会で、そういう名前の書いてあるお店を見たことがある気がします(^^;)、当時はそのような知識もなく、ともかく

・・・チョコレートとは「単なる食べるもの」・・・

という考えしかなかったぼくは、そのチョコレートをもらったとき、

 

「来年は、スーパーの、お徳用のピーナッツチョコの方がいいなー」

 

と言ったところ、ものすごく叱られたような記憶があります(-_-;)

 

やはり、人間というのは、経験を通してのみ、少しずつ成長するのですね(と、ムリヤリまとめてみる)。

さて、現在のぼくの、心象風景などを提示しておきたいと思います。

 huukei

 

 

 

 

こんな感じ・・・でしょうか(ゴルジーとミト子がいるんですけれども、ちょっと見えにくいですね(^^;)

  

そういえば、ちょっと話は変わりますが、昨日の記事で、「性格による血液型占い」のHPで、自分の血液型を占ってみたところ、どうやってもB型にしかならない・・・ということを書いたのですが・・・

一晩寝て、酔いも覚め(笑)、クリアーな状態で、再度挑戦してみたところ・・・

 

出ました。

 

ぼくの血液型は「O型」だそうです( ̄Д ̄;)ソウキタカ・・・

 

・・・どうしても、「A型」には、なってくれないんですね・・・(;_;)

ぼくはもう、「A型」には、別れを告げるしかないのでしょうか・・・。

 

さようなら・・・A型・・・。今まで、本当にありがとう。楽しかったよ・・・。

怪我をしたときには、ちょっと出しちゃってゴメンね。あ、あと鼻血のときもね。

夏に蚊に刺されたときにも、少し、蚊にとられちゃったこともあったね。でも、蚊を恨んではいけないよね・・・。

心配しなくても大丈夫。ぼくは、これからも、がんばって生きていけるから・・・「O型」として・・・?あれ「B型」としてかな?

 

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2006年1月30日 (月)

ここのところ眞鍋かをりさんの・・・

こんばんは、10月です(^^)

えーと、眞鍋かをりさんのブログ「眞鍋かをりのココだけの話」・・・ですが、だいたい、週1くらいのペースで更新されているんですけれども・・・。

ここのところ、記事が、ものすごく面白い(と思っているんですが)、今回の記事も、これまた、爆笑もの!!(笑)

 

今回の記事(「恋」というタイトルのものでしたが)では、な、なんと、眞鍋かをりさんに「好きな人」ができた!というお話だったのですが・・・。

 

その「好きな人」というのが、「龍が如く」というゲームのキャラクターだそうで・・・(笑)

なんでも、丸一日、仕事がオフの日があったそうなんですが・・・その日も、まったく外出せず、夜中の三時までゲームをし続けたとか・・・。

・・・というように、とても、一途な眞鍋かをりさんなのでした(^^;

同級生の友人のかたたちが、結婚相手と将来のことを考えていたときも、彼女は、ナメック星のことを考えていた・・・と、ご自分の人生を振り返っていらっしゃいましたが(笑)、是非、くじけることなく幸福になっていただきたいものです。

 

・・・と、人の心配をする前に、まず、自分のほうが問題なのかもしれませんが(^^;

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2006年1月24日 (火)

昨日の続き・・・

こんばんは、10月です。風邪の方は、熱が下がりまして、今日は学校へ行ってきました(^^;

 

さて、昨日の記事のコメントらんで、夕食は冷凍のえだまめをチンしたものだけだった・・・と書いたんですが、実は、その後、7時くらいに、同じ職場の先生が、ぼくのアパートにお見舞いに来てくださったんです(;_;)

一人暮らしで、食べるものや飲むものがないのではないか?と心配してのお見舞いだったのですが、おにぎりやプリンや水やリポDや・・・その他たくさんの差し入れを持ってきていただいて、申し訳ないやら、ありがたいやら・・・。

でも・・・なんだか・・・気持ちがあったかくなりました。

 

どうも、ぼくは、人を「甘やかしたい」と思っているところがある一方で、「自分が誰かに甘える」ということには憶病なところがある気がします。

憶病であるが故に、今回のような場合(風邪をひいてしまった・・・とか)でも、誰かに助けを求める(というか、まあ、食料の買い出しを頼む・・・とか)ということは、基本的にはしないような気がします。

たぶん、これは、「人に迷惑をかけたくない」「人の負担にはなりたくない」という気持ちが、自分の中にあるためだと思います。

 

この「人の負担にはなりたくない」という気持ちは、かなり昔からの、ぼくの弱い部分(揺さぶられる部分)だと思うんですが・・・もし、自分が、誰かから「お荷物」だと思われていたとしたら、そのことに堪えられず、すぐさま、その場から撤退したくなってしまうと思います。

現在のぼくの「願い」としては、一時的に自分が誰かの「お荷物」になってでも、そのことによって自分の中に生じる「窮屈さ」「罪悪感」をいったん自分で飲み込んで、その向こう側にあるかもしれない、意味のある「つながり」を創造できるようになりたい・・・それに足るだけの自分の強さを身につけたい・・・というものがあります。

・・・とはいうものの、いったい、なにをどうするということもなく、日々を、ただノホホンと過ごしているだけではあるんですが(^^;

 

さて、話が逸れましたが、そんなわけで、夕べは、おなかいっぱいご飯を食べて寝たところ、今日は熱が下がっていたようなので、学校へ出かけました。

 

そして、朝、教室へ行くと、クラスの人たちから

「あ!もうなおったの?」「大丈夫?」

などと声をかけてもらい、さらには、どういうわけか

「昨日、○○先生(お見舞いに来てくださった先生)、差し入れ持って行かなかった?」

と聞くので、来てくれたよ、と答えたところ、

「○○先生、やさしいよねー」

と言う話になり、○○先生は、株、急上昇でした。

ぼくも本当にうれしかったし助かった、という話をしたところ、

「先生も、早く結婚した方がいいよ!」

「結婚まで行かなくても、せめて恋人つくりなよ!!」

「誰もいないんでしょー!!かわいそうだねー」

・・・と、ぼくの方は、株価大暴落でした(+_+;

 

今日の結論:風邪を引くだけでもツッコマれる年齢が存在する

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2006年1月20日 (金)

眞鍋かをりさんへの公開コメント

こんばんは、はじめまして。10月と言います。

さて、今回、眞鍋さんのブログの「そっちにいっちゃったね!(友人談)」という記事を読ませていただきました。

読んでいて、何か、自分の中にかかっていた霧が晴れていくような・・・そんな感じがしました。

>寂しいような、切ないような、でも穏やかなこの感じ。

そうそう。この感じ(笑)

ぼく自身は、特に、この感じに疑問とかを持たずに、そのままノホホンと過ごしていましたが・・・その正体を教えていただけたような気がします(笑)

>「現状に満足」

>ってやつですよね???

考えてみれば、ぼくの場合、ずーーっと以前から、ずーーーっと「現状に満足」だったような気がします(^^;

さらに、

>あのーーー、これってー、なっちゃうとけっこう婚期遅れるっていうじゃないですかー。

もう、どんぴしゃ!(笑) おっしゃるとおり!! 反論できません!!!

・・・という感じです(泣)

>大丈夫?オイラこのままで。

>幸せになりたいとは思ってたけどさ、

>こんなセルフサービス的な...

>し、

>うん、、、

>まあ、今、非常に幸せです...。

>しばらくこういうのもいいか...。

そうそう・・・まさにこのように考えて、ぼくは、独身を貫いてきてしまったのでした(涙)。

・・・というわけで、眞鍋かをりさんが、幸せにつつまれて、同じ道を歩まれることを、かげながらお祈りしております(笑)

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2006年1月18日 (水)

『雪女』

こんばんは、10月です(^^)

TBS系で放送されている「まんが日本昔ばなし」・・・今夜のお話は『雪女』でした。

たぶん、このお話を知らない方は(ほとんど)いらっしゃらないと思うんですが・・・

   *   *   *   *   *   *   *   *   *

・・・男は、あるとき吹雪の中で、「雪女」に会ってしまいます。

男は必死に、自分を助けてくれるように雪女に頼みます。すると、雪女は「今夜のことを誰にも話さない」という条件で、男を助けてくれたのでした。

一年後のある晩、男の家に一人の女がやってきます。夜も遅かったので、男はその女を一晩泊めてやるのですが、そのことがきっかけで男と女は夫婦となりました。

それから何年かたった、ある雪の晩、男は嫁に言いました。

「実はな、こんな雪の晩、俺は雪女に会ったことがあってな・・・。その雪女というのが、お前にそっくりだった・・・」

そのことを言ったとたん、女はとつぜん、悲しそうな表情になり、

「とうとうしゃべってしまったのね・・・。あれほど約束していたのに・・・」

そう言ったかと思うと、雪女は、もう人間でいることはかなわず、雪女の姿に戻り、

「どうしてしゃべってしまったの・・・私は、ずっとこうして暮らしていたかったのに・・・」

と言い残して、女は吹雪の中に消えていきました・・・。

   *   *   *   *   *   *   *   *   *

というお話でした。

 

さて、この話を聞いて(見ていて)、男が女に「昔、雪女と会った」という話をしようとしたのは、男が、女に対して「秘密」を持っていたくない・・・もっと、女と一体感を持ちたい・・・という気持ちの現れであるかのように思われました。

つまり、秘密を持っている限りは、その人と自分との間には絶対に越えられない壁がある。もっと一体になるためには、その秘密をも打ち明けて、共有しなければならない・・・

・・・そんな気持ちが、男の中にはあったような気がしました。

 

そんなふうに考えると、(雪)女が、男に向かって言った言葉、

「今夜のことは誰にも話さないで・・・」

という言葉は・・・実は、自分と男だけで共有する、他の誰にも知られない「秘密」を持ちましょう・・・という提案だったようにも聞こえます。

つまり、「共通の」秘密を持つことで、自分(=雪女)との間に「一体感」を持っていられる・・・そういうしかけになっているような気がしました。

 

そうだとすると、男と結婚した(雪)女にとって、

(1)男が秘密を話さない→雪女である自分と秘密を共有しているが、妻である自分とは壁がある

(2)男が秘密を話してしまう→妻である自分とは壁がなくなるが、雪女である自分との共有の秘密は破られてしまう

という二重構造が作られていたとも考えられます。

勝手に妄想をふくらませると、雪女は、最初の提案をしたときから、このような二重構造に陥ってしまうことは予想できたのではないか・・・いつの日か、幸せな日々が幻となってしまうこともわかっていたのではないか・・・とそんな気すらしてしまいます。

 

そもそも「雪女」である自分と、「人間」である男が、夫婦となって幸せになると言うことは、所詮、叶わぬ願いである・・・ということをどこかわかっていて、敢えてあのような、自分と男との間に2重構造ができてしまうような約束を男にさせたのかも・・・と、そんな気もしました。

逆に言うと、本来叶うはずのない願いを実現させるための一つの「賭け」として、男と自分とがある一定の距離よりも近づいてしまわないような規則?ルールを自分に課した・・・というようにも見えるかなぁ・・・などと思いました。

女と夫婦になってからも男は、「雪女」との約束を優先してきた・・・それが、その晩、とうとう、雪女との約束よりも、今、目の前にいる「人間」としての(雪)女との関係の方が優先されてしまった・・・この瞬間、二人はもう一緒に暮らしていくことはできなくなってしまった・・・と言うことだったのかもしれません。

 

・・・と、ここまで書いてきて、別に、意図したわけではないんですが、昨日の記事で書いた映画「ジョー・ブラックをよろしく」の中での、死に神の立場というのは、この「雪女」とどこか通じるものがある・・・そんな気もしました。

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2006年1月16日 (月)

谷村有美の「とっておきTuesday」

こんばんは。10月です。もしかすると、ご存じの方も多いのかも知れませんが・・・「谷村有美」さんという歌手?の方について、なんの脈絡もなく、ふと書いてみたくなりました。

 

それは、今から・・・そう、10年くらいまえのことでした。

学校からの帰り・・・時間は、午後9時をまわっていたんですが、ぼくは車を運転しながら、何気なく、カーラジオをつけました。

そこで、たまたまNHK-FMを選局したところ、聞こえてきたのが、彼女の、キャラキャラしゃべる、楽しげなおしゃべりだったんです。

聞いていくと、パーソナリティを務めているのは、どうも、「谷村」さんという方らしい・・・。それで、ぼくは最初、この人を、谷村新司の娘さんか何かだろうと早とちりして、

・・・親の七光りで、こういう仕事につくのって、なんだかな~・・・

などと、勝手な想像をふくらませていたりしたのでした(^^;(←ぼくの、この想像は、誤解です。念のため)

さて、そのままラジオを聞いていて、彼女の曲がかかったんですが・・・えーと、たしか「ボンネットに太陽」とかいう曲だったと思いますが・・・そのときの、歌というか声が、すごく、気持ちが楽になるような・・・気持ちが透き通っていくような・・・そんな感じがして、数日後、CDを買いに行ったのが、隠れファンになったきっかけでした(あまり、J-POPの曲とかは聞かない人間なんですが>自分(^^;)

まあ、歌もともかく、ラジオのパーソナリティとしての、そのおしゃべりは、ものすごく楽しげで、なんていうんでしょうか・・・ホッとするし、大切にされている感じがするし、生きている感じもする・・・そんな時間を与えてもらえた気がします。それが、毎週のNHK-FMの番組「とっておきTuesday」でした。

しかし、その番組も100回を迎える前に、パーソナリティ交替となり、彼女自身も「充電のため」という理由で、一時期、音楽活動を休止し・・・。

数年後、再び、CDを出したりしたのですが、それは、ある意味、彼女の、苦しみや畏れが滲み出ているような、そんな曲になっていた気がします。聞いていると、ものすごく苦しくなってくるような・・・そんな曲になっていました。(これは、もしかすると、すごいことなのかもしれませんが・・・)

それからの音楽活動が、どんな感じだったのか、今ひとつ、ぼくはわかっていないんですが、その後、結婚され、昨年、出産もされたようです(昨日、インターネットのHPで、知りました(^^;)。

というわけで・・・なんとなーく、書いてみたくなったことでした(^^;

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2005年12月 6日 (火)

かーっ!いい話だねぇ・・・(;_;)

今週も見ました・・・1リットルの涙。もう、すっかり、はまってます・・・。

いやー・・・なんだか・・・

 

未来のことなんて・・・これから先、何が起こるかなんてわからない!!!今の気持ちを大事にするんだ!!!

あそうくん!あやちゃんの支えになってあげて!!!

 

・・・なーんて・・・その気になってしまいました( ̄Д ̄;)

うーん・・・しかし、考えてみれば、先のことばかり考えて、安全策しかとらない人間に、いつのまにかなってしまっていた・・・ような気もします>自分

ぼくは、何か、大切なものを失ってしまったのでしょうか?

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