こんばんは、10月です。
昨日、『ぼくらの』という記事で、同タイトルのマンガを読んでいて、ものすごい救いのなさを感じ、具合が悪くなった・・・ということを書きました。
それに対してmooさんが、コメントらんで、
あの救いのなさは、端で見ることしかできないもやもや感とかやりきれなさ感とか、なんだかぐちゃぐちゃに入り混ざった状態になりますが、
と書いてくださいましたが、この中の「やりきれなさ感」という言葉・・・「やりきれない」という言葉のほうが、ぼくが感じていたものを、より的確に表現しているかな?という気がしてきたのでした。
「救いがない」と「やりきれない」・・・似たような感覚で用いる言葉のような気がしますが、でも、微妙に違っているような気もします。
このことを考えていて、ふと、以前観た『トーク・トゥ・ハー』という映画のことを思い出しました。
この映画は、たまたま、さくらもどきさん(以前同僚だった、ときどきこのブログの記事にも登場する人)に誘われて観にいったことがあるんですが・・・こちらも、烈しく、辛くなる映画なんです(^^;
* * * * *
ある男性看護師は、バレエ教室に通う一人の若い女性に恋をします。彼は、彼女と友達になりたいのですが、うまく仲良くなることができないのです。
そんなある日、彼女は交通事故に遭います。そうして彼女は脳に障害を負い、植物状態になってしまうのです。
そのことを知った彼は、志願して、彼女の毎日の世話をすることになります。彼は、まるで目覚めている恋人に接するかのように、眠っている彼女に語りかけ、笑い、彼女の世話をするのでした。
そんな日々が何年も続いたある日、その女性が妊娠していることが明らかになります。当然のように人々は、看護師の男性に疑念を抱きます。
彼は、「自分がやった」とは言いませんでしたが、結局、彼女の担当を外され、強姦罪に問われ、拘置所に入ることになります。
彼の数少ない友人の一人が、面会に行くと、彼はただ、
「彼女と一緒にいたい」
と訴えるのです。
そんなある日、その友人は、昏睡状態にあった女性が、昏睡状態のまま赤ちゃんを出産し、そのショックで目を覚ましたことを知ります。
友人は、弁護士が止めるのも聞かず、彼にその事実を知らせます。
しかし、それを聞いた彼は、直後に自殺してしまうのです。それは、仮に自分が刑期を終えても、再び彼女と過ごすことができないということを、知ってしまっていたからでした。
彼が自殺してしまったというショックを受け止めきれずに過ごしていたある日、その友人は、街中の劇場で、偶然、彼女と出会い、彼女から
「気分が悪そうですけど、大丈夫ですか?」
と声をかけられ、
「どうかな・・・・・・少し楽になりました」
と、答えるのです。
* * * * *
若干、記憶違いの部分もあるかもしれませんが・・・ともかく、この映画も、観終えた後で、かなり、具合がわるくなりました・・・。
まさに、救いがない・・・やりきれない感じ。
その看護師の彼も、友人も、彼女も、みんな、率直に、相手を大切にしようとして生きているのに、不幸なことが起こり、不幸な中に安堵できるものが生じる・・・でも、その安堵は、本当にそれを分け与えたい人には伝えることができない・・・場合によっては、「やさしさ」が人を苦しめることもある・・・
ちょっと、そんなことを考えているうちに、「救いがない」ことと「やりきれない」こととの違いが、ちょっと感じられてきたような気がしました。
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