「嵐の実験&宿題くんSP」
こんばんは、10月です。
今、日テレ系で放送中です。
先日、前回の実験くんの再放送をしているのを見て、今日の放送を知ったわけですが・・・
かーなーりー、面白い!!!(笑)
実験そのものも面白いし、嵐と石原軍団のトークも面白いし(笑)
うーーむ・・・この番組は本当に勉強になるなぁ(笑)
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こんばんは、10月です。
今、日テレ系で放送中です。
先日、前回の実験くんの再放送をしているのを見て、今日の放送を知ったわけですが・・・
かーなーりー、面白い!!!(笑)
実験そのものも面白いし、嵐と石原軍団のトークも面白いし(笑)
うーーむ・・・この番組は本当に勉強になるなぁ(笑)
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こんばんは、10月です。
昨日、『ぼくらの』という記事で、同タイトルのマンガを読んでいて、ものすごい救いのなさを感じ、具合が悪くなった・・・ということを書きました。
それに対してmooさんが、コメントらんで、
あの救いのなさは、端で見ることしかできないもやもや感とかやりきれなさ感とか、なんだかぐちゃぐちゃに入り混ざった状態になりますが、
と書いてくださいましたが、この中の「やりきれなさ感」という言葉・・・「やりきれない」という言葉のほうが、ぼくが感じていたものを、より的確に表現しているかな?という気がしてきたのでした。
「救いがない」と「やりきれない」・・・似たような感覚で用いる言葉のような気がしますが、でも、微妙に違っているような気もします。
このことを考えていて、ふと、以前観た『トーク・トゥ・ハー』という映画のことを思い出しました。
この映画は、たまたま、さくらもどきさん(以前同僚だった、ときどきこのブログの記事にも登場する人)に誘われて観にいったことがあるんですが・・・こちらも、烈しく、辛くなる映画なんです(^^;
* * * * *
ある男性看護師は、バレエ教室に通う一人の若い女性に恋をします。彼は、彼女と友達になりたいのですが、うまく仲良くなることができないのです。
そんなある日、彼女は交通事故に遭います。そうして彼女は脳に障害を負い、植物状態になってしまうのです。
そのことを知った彼は、志願して、彼女の毎日の世話をすることになります。彼は、まるで目覚めている恋人に接するかのように、眠っている彼女に語りかけ、笑い、彼女の世話をするのでした。
そんな日々が何年も続いたある日、その女性が妊娠していることが明らかになります。当然のように人々は、看護師の男性に疑念を抱きます。
彼は、「自分がやった」とは言いませんでしたが、結局、彼女の担当を外され、強姦罪に問われ、拘置所に入ることになります。
彼の数少ない友人の一人が、面会に行くと、彼はただ、
「彼女と一緒にいたい」
と訴えるのです。
そんなある日、その友人は、昏睡状態にあった女性が、昏睡状態のまま赤ちゃんを出産し、そのショックで目を覚ましたことを知ります。
友人は、弁護士が止めるのも聞かず、彼にその事実を知らせます。
しかし、それを聞いた彼は、直後に自殺してしまうのです。それは、仮に自分が刑期を終えても、再び彼女と過ごすことができないということを、知ってしまっていたからでした。
彼が自殺してしまったというショックを受け止めきれずに過ごしていたある日、その友人は、街中の劇場で、偶然、彼女と出会い、彼女から
「気分が悪そうですけど、大丈夫ですか?」
と声をかけられ、
「どうかな・・・・・・少し楽になりました」
と、答えるのです。
* * * * *
若干、記憶違いの部分もあるかもしれませんが・・・ともかく、この映画も、観終えた後で、かなり、具合がわるくなりました・・・。
まさに、救いがない・・・やりきれない感じ。
その看護師の彼も、友人も、彼女も、みんな、率直に、相手を大切にしようとして生きているのに、不幸なことが起こり、不幸な中に安堵できるものが生じる・・・でも、その安堵は、本当にそれを分け与えたい人には伝えることができない・・・場合によっては、「やさしさ」が人を苦しめることもある・・・
ちょっと、そんなことを考えているうちに、「救いがない」ことと「やりきれない」こととの違いが、ちょっと感じられてきたような気がしました。
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こんばんは、10月です。
・・・今回もまた、「雨にも負けず」で書こうとしたこととは別なお話です(^^;
タイトルの『ぼくらの』というのは、昨日行ったマンガ喫茶で何となく手にとって読んでみたマンガのタイトルです。
何とな~く読み始めたんですが・・・これが、ことごとく救いのないストーリーだったんです。
その物語というのは、簡単に言うと、中学1年生の子どもたちが巨大ロボットに乗って、敵のロボットと戦い、地球を守る・・・というストーリーなんですけれども・・・ただ、敵のロボットと戦った人は、その戦いが終わったとき、必ず命を失うということになっているんです。
死にたくないという理由で、戦いを拒んだ場合・・・その場合は地球そのものが消滅する・・・というルールがあるため、子どもたちには、戦って地球を守ってそのあと命を失うという選択肢しかないわけです。
子どもたちは、次の戦いで自分が命を失うという事実を突き付けられます。
彼らには守りたい家族や、逆に深い恨みを抱いている人など、一人ひとりが、さまざまな事情を抱えて生きています。そしてそれが「死」という運命を突き付けられることによって、否応なしに直面せざるを得なくなるわけです・・・。
読んでいて、すごーく辛いマンガでした(^^;
・・・だったら読まなければ良いと思うかもしれませんが、ところどころ、救いのないストーリーの中に、安堵感を感じるところもあって、思わず読みふけってしまった・・・というわけなんです(^^;
ただ、お店を出る時には・・・ちょっと、具合が悪くなってました(^^;
ちなみに、昨夜は熱も出ました(笑)
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こんばんは、10月です。
今夜は、TBS系で放送されているドラマ『ラブシャッフル』の最終回でした。
ドラマの一場面で、谷原章介演じる「菊りん」が、昔、好きだった恋人(の男性)に傷つけるような言葉をかけて自殺に追い込んでしまったことが話題になる場面がありました。
* * * * *
そのとき、菊りんは、松田翔太演じる「おうちゃん」(彼は、その自殺してしまった元恋人に似ている・・・という設定)に、
「ひとつだけお願いがあるんだけど・・・自分のことを許すと言って欲しいんだ・・・」
と頼みます。彼(きくりん)は、元恋人の気持が女性に移ってしまったと感じ、傷つけるような言葉をかけてしまったというのです。
菊りんは、目に涙をいっぱいにためながら、しぼりだすように言います。
「・・・ひとりになるのが・・・こわかったんだ・・・」
一瞬の沈黙のあと、
「許すも何もないよ・・・あなたを愛していたから」
と、おうちゃんが言います。
すると、その言葉を聞いて、菊りんは、涙をぽろぽろこぼし、声をあげて泣くのでした。
* * * * *
正直なところ、この辺のやりとりについては、実は、あまりしっくりこないものを感じながらテレビを見ていたんですけれども(^^;(この、おうちゃんの言葉で、そんなに号泣するかぁ!?みたいな笑)
ですが、菊りんが涙をこぼしている様子を見ていると、それまで彼が抱えてきた罪の意識の大きさや、それを一人で抱えるしかなかった大変さや、孤独感や、そういういろいろなものが一気に噴き出してきている感じがして、
・・・ああ、良かったなぁ・・・
と、思い、同時に、
・・・そういえば、自分(←ぼく自身のことです)はいつも、どこかでこんなことを切望しているような気がするなぁ・・・
と、思ったんです。
つまり、ぼく自身は、自分がつながりを持っている人で、何かをガマンしている人、大変さを抱えている人が、それを一時でも下ろして楽になってくれたりする場面に出会えたりすると、自分自身もすごくほっとするというか、自分の中の何かがすごく揺さぶられる感じがするわけです。
・・・と、書いていて、これは投影?転移?・・・何ていうんでしょう?(^^; まあ、ともかく、そういったこと以外の何ものでもないような気もするんですが(笑)
えーと、この記事も、「雨にも負けず」というタイトルで書きたいことと、少しつながってるんですが・・・また、今回も、やっぱり、そこまで至りませんでした(^^;
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こんばんは、10月です。
先日、授業に出ているクラスの子たちと話していた時のことです。
とーとつに、一人の子から、
「○○先生(←ぼくです)って、いっつもニコニコしてるし、部屋に一人置いておきたい感じだよね~」
と言われました(^^;
それを聞いたぼくは、
・・・絶対に、どこかにワナがあるはず・・・ぬか喜びしてはいけない!!!
・・・と考え(笑)、でも、実は、ものすごーく嬉しかったんですが、ちょっと照れくさかったこともあり、そのうれしさを必死におさえながら、
「それは、どういう感じなのかなぁ・・・?」
と聞いたところ、
「何か、癒されるっていうか~」
と言われたのでした(*^_^*)・・・ぼくは、ちょっと、調子に乗って、
「それは、リラックマみたいなイメージ・・・?」
と聞いたところ、
「うーーん、どっちかっていうと、スライムかな~!!!」
と言われたのです。
ぼくは最初、スライムと言われて、
これのことだと思い、少なからずショックを受けていたんですが、
一人の子が
「あ~、何か、プヨプヨしててかわいいよね~」
というのを聞いて、
???あの、みどり色のハナみたいなのが、可愛い???
・・・と疑問に思い、ネットで調べたところ、キャラの名前であることを初めて知りました(^^;(ふつう、知ってるのかな?笑)
・・・というわけで、どうも、ぼくは、
こんなふうに、見られているようです(^^;
うーーん・・・これは、これで・・・喜ぶべきか、そうでないのか・・・(^^;
それと、ネットでスライムを検索していたら、偶然、こんなのを見つけました。
今の自分の心境では、ワンちゃんに振り回されているスライムが、他人とは思えず、涙をそそられます・・・(笑)
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こんばんは、10月です。
日曜日の午後は、TBS系で放送されている『噂の東京マガジン』という番組を見ていることが多いんですが、今日は、新年特大号ということで2時間枠で放送していました(いつもは1時間枠の番組)。
その番組の中の1コーナーで、現在フリーターの18才くらいの女の子2人が、極寒修行に挑戦する・・・というコーナーがありました。
2人は、これから何をするのか全く知らされていないままに、山奥にある、とあるお寺に連れて行かれ、そこで修行をすることになっていたのです。
お寺についてみると、ケータイは圏外、楽しいことも何もなく、食事もご飯とみそ汁と少しの漬物だけ・・・。
「箸の使い方がおかしい」「もっと感謝の気持ちを持って」「もっと大きい声を出して」等など、いろいろなことを言われて、片方の子はすっかりテンション↓↓↓になり、休憩時間に、涙をこぼしながら、「帰りたい・・・」とこぼし、もう一人の子がなだめていたのでした。
そうして1日目の夜・・・泣いていたほうの子には無理強いせず見学だけということになり、もう一方の子がひとりで修業をするということになったのですが、夜の修業は、なかなか大変そうな修行だったのです。
最初の修業は、氷点下3度の気温の中、裸足になってお百度参りをするというものでした。時間がどのくらいかかったのかはよくわかりませんが、それでも1時間くらいはかかるものだったのではないかと思います。
ですが、彼女は無事お百度をやり終えました。そうして、ほっとした表情をしていたのも束の間、お寺の人が、
「じゃあ、次に、水行をやろう」
と声をかけたのです。
水行というのは、山の湧水がたまった池のようなところに自分の身を沈めて、体を清める・・・というものでしたが、こちらはかなりすさまじいものでした。
その現場にいる人たちの息は、みな白くなっていました。氷点下という気温の厳しさが画面を通してでも、ひしひしと伝わってきます。その中で、その子は、必死にお経?を唱えながら水をかぶり、そのまま水の冷たさを押さえつけるかのように泣き声をあげながら、グジャグジャになりながら、池の中に入って行ったのです。
* * * * *
その様子を、ぼく自身は、あったかーいお茶の間でふんぞり返りながらTVで見ていたわけですが、どういうわけか、その時の彼女の様子を見ていて、ウルウルしてきてしまったんですよねー(^^;
「かわいそう」・・・と思ったわけではありません。
「うれしい」・・・これも違いますねー。
「悲しい」・・・明らかに違います。
「不憫」・・・これも違う・・・。
・・・というように、このとき自分がウルウルする原因が何なのか、考えてみてもよくわからなかったわけです(^^;
ちなみに、番組の中で、そのVTRを見ていた人たちは、誰一人としてウルウルしている人はいなかったようなので、たぶん、この反応は、ぼく固有のものなのかな?と思うんですが・・・(^^;
だれか、わかりますでしょうか?(^^;
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まあ、前回の記事も、ながーーいタイトルだったので、今回も別に良いか・・・と思いまして(^^;
以前、NHK教育テレビで「真剣10代しゃべり場」という番組が放送されていました。ぼくも一時期、見ていたわけなんですけれども・・・
えーと、その日のテーマが何だったのか、ちょっとあいまいなんですが、ともかく、香山リカ氏が参加した回のことでした。
その日の発表者の人は、ちょっと小柄のおとなしそうな女の子(高校生)でしたが・・・えーと、あ、だんだん思い出してきました。たしか、テーマは、「自分の本音を出すのは良くない」というものだったような気がします。
・・・それで、このテーマが提示されると、他のメンバーの人たちは、「それじゃあ、本当の友達はできない!」「親友はいないの?!」「それじゃあ寂しい」みたいな意見や質問を、発表者にガンガンぶつけていくわけです。
そのうち、メンバーのうちの一人が、「私も(?)、以前は、自分からカラを作っていたけど、これじゃいけないと思って、積極的に自分を出すようにしている」というような話をしたのですが、発表者の子には、いま一つ、響かない様子・・・
その後、番組の中盤くらいに、別なメンバーが、発表者を守るような発言をするんですが・・・これは、番組を見ていて、ぼく自身も「おっ!?これで、場が展開するか!?」と思った発言だったんですが・・・思ったんですけれども、どういう発言だったか完全に忘れました(笑)
そうして、休憩を挟み、番組の終盤・・・
発表者の子は、すこし、緊張した面持ちで、ポツリポツリと言葉を重ねていきます。
「これが、本当に最後・・・最後なんだけど・・・。」
そのとき、(ぼくがそう思っただけかもしれませんが)スタジオの中は、何かそれまでとはちがった空気に包まれているように見えました。そして、この言葉を聞きながら、これから話されることは、すごく大変なこと・・・この子の心にずっと刺さったままのトゲのように、この子にとっては、本当に思い出すことも話すことも、辛い、痛いことなんだろうな・・・と、そう思いました。
そ の時に語られた内容というのは、確か、家の中がいろいろ大変だった時に、両親が自分には心配をかけまいとして何も話してくれないことが辛かった、そんな中で、自分も妹 にやつあたりをして妹を傷つけてしまい、それがきっかけで、妹は不登校になってしまった・・・だから、本当の気持ちを出してはいけない、出すと誰かを傷つ けてしまう・・・という話だったように思います。
発表者の子は、涙をぽろぽろこぼし、本当に歯を食いしばりながら、一言、一言を絞り出すようにしてその話をしていました。
たしか、このことが語られたときは、他のメンバーの人たちも、一斉に圧倒されていた(ような気がする)んですが・・・そこで香山リカ氏は、どうやってこの場を収めるんだろう?と思って見ていたところ、
「精神医学では、辛い体験をして受けた心の傷は、その分、良い体験をしていくしかないとされているの。だから、これから良い体験をしていって・・・」
というようなことを話していたような気がします(すべて、ぼくの記憶ですので、もしかすると、ぜーんぜん違っているかもしれませんが・・・(^^;)
番組のほうは、そこで時間切れとなったわけですが、番組終了後、発表者に感想を聞くコーナーがあって、今思っていることを聞いたところ、
「みんなが(自分のことを)好きだって言ってくれて・・・自分でも、(自分のことが)ちょっと好きかも」
というようなことを言ってくれて、(見ていたこちら側が)ホッとした記憶があります。
さ て、またしても、ほとんどタイトルと関係なさそうになってしまいましたが(笑)、解釈はあくまでも自分の行動の幅をひろげる可能性を与えてくれるも の・・・それで、実際に、何かを体験(相手が怒っていないことを実感するとか、自分を出しても相手は傷つかないことを実感するとか)することで、はじめ て、意味のあるものになっていくのかな~・・・と思ったわけです。
「自己啓発本」というのは、「解釈詰め合わせセット」みたいなものか?と、ふと思いました(笑)
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こんばんは。10です。
とつぜんですが、記事を書いてみたいと思います。
さっぱりわかりません。
自分がしていることが、前に進んでいるのか、後ろに下がっているのか・・・
心を閉ざしてしまった子がいます。
自分は、その子が、もういちど扉を開けてくれるまでじっと待つのがよいのか、ときどきはノックをした方がよいのか・・・
人の嫌がることをしないのは、相手のためなのか、自分のためなのか・・・
仮に、自分を「変える」・・・といっても、いったい何をどう変えれば良いのか?意識して自分を変えられるものなのか?たぶん、変えようとしても、結局は、もとの自分に戻ってしまうような気がする・・・
さっぱりわかりません。
自分がしていることで、自分のためでないことは、はたしてあるのか?
自分は変わらなくても、周囲は変わっていく。ギャップは広がる。
うーーーーん・・・困った。弱った・・・。
四十にして惑わずとか・・・ウソじゃないですか!!(^^;
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あけましておめでとうございます、10月です。
今年もまた、ダラダラと書いていきたいと思いますので、よろしくお願いします(^^)
さて、年末に、フジテレビで放送していた、「ライアーゲーム」というドラマの再放送を、たまたま見ました(^^;
ドラマの中の主人公の女の子役は、戸田恵梨香さんでした。
演技の上手・下手については、ぼくはよくわからないのですが、ですが、ドラマの中の主人公のキャラクターと、彼女(戸田恵梨香)の持っている雰囲気は、けっこう合っているような感想を持ちながらドラマを見ていました。
ドラマの中の主人公(神崎直という女の子)の性格の設定としては、ものすごく幼い・・・幼すぎるくらい純真無垢で、人を疑うことを知らない女の子・・・という設定でした。
このような性格ゆえ、ドラマの中では案の定、主人公は他のプレーヤーに何度もだまされてしまいます。その度、彼女は絶望し、ときには涙を浮かべ、途方に暮れてしまいます。しかし、その都度、サブの主人公?である秋山深一(天才詐欺師という設定。役:松田翔太)に助けられて、ゲームの敗退から救われて、次のステージに進んでいくのでした。
さて、このような主人公(神崎直)の性格設定と、戸田恵梨香の雰囲気の合致点としては、
①ものの見方の幼さ
②影の部分との親和性
というものがあるかな?と思いました。
これまで、彼女の出演したドラマで、ぼくが見たことのあるものは、
(1)「花より団子2」
(2)「ノブタをプロデュース」
の2つかな?と思うんですが、(1)の方では、優しさを装っているけれども人の彼氏を横取りしようとする女の子・・・という設定で、こちらはまさに①②の2つの雰囲気がピッタリ合うような設定だった気がします。
一方、(2)のノブタをプロデュースの方では、彼女は、主人公の修二(役:亀梨和也)に想いを寄せていたまり子役で出演していましたが、こちらの役の設定は、どこまでも「まじめでお姉さん的」な存在として描かれていたため、ドラマを見る側としては、彼女(戸田)の②(影の部分)の存在を求めるあまり、主人公のノブタ(役:堀北真希)をいじめていた主犯が彼女なのではないか、という思いこみを持って、中盤くらいまでのドラマを見てしまった気がします。もっとも、同じような錯覚を持ちながらドラマを見ていた人は多かった・・・という話をどこかで聞いたことがあります。
・・・と、妙に理屈っぽくなってしまいましたが、今年もまた、こんな感じで行きたいと思います(^^;
今年もよろしくお願いいたしますm(_ _)m
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こんばんは、10月です。前回の記事から、ちょっと間が空いてしまいました(^^;
さて、先ほど、N響アワーを見ていたんですが、今日の放送は、ウラディーミル・アシュケナージ指揮によるストラビンスキーの「火の鳥」でした。
演奏を聞いていて・・・一つ一つの音が高い精度で磨かれ、全体としてすごく透明感のある演奏だったように感じました。
・・・と同時に思ったのは、自分がグループのファシリテートをしているときには、グループの中に、こんな「透明感」は作り出せないなぁ・・・ということでした。
たぶん・・・(自分の中で想像するに)ぼくのファシリテートするグループというのは、オーケストラの演奏に喩えれば、各プレーヤーが、それぞれの意のままに楽器を鳴らし、プレーヤーの力量で演奏を合わせてはいくものの、たぶん、そこが限界・・・という演奏になってしまうのかな・・・という気がします。
力量の無いプレーヤーが集まってしまえば、それこそ混沌とした音の集まりになってしまい、そこには何の美しさも、メッセージも、感動も生み出せなくなってしまう・・・
そういえば、ぼくも、高校生だった頃に、吹奏楽部の指揮をしていたときもあったんですが、その当時、曲をまとめる方針は、
(1)聞かせたい旋律を大きく、他の旋律は控えめに
(2)何度も合奏すれば、だんだん合うようになる
という2点が中心だったのを思い出しました。何だか、現在、グループのファシリテートをしているときのスタンスと、あまりにも共通しすぎていて、今、書いていて、自分でもビックリしました(^^;
うーーん・・・しかし、プレーヤーの力量が低いとき・・・というか、低いときこそ、「指揮者の力量」が大きな意味を持ってくるような気がしますね・・・(^^;
指揮者に力があれば、たとえば、プレーヤーの人たちの力量をキャッチして、曲をどのレベルで仕上げるか(どの部分を切り捨てるか)のイメージを適切に構築できるでしょうし、そのためにプレーヤーに出す指示にしても、プレーヤーが実行できる限界を見据えながら指示の出し方を調節できるでしょうから・・・。
というわけで、結論としては・・・自分は、まだまだだなぁ・・・ということでした(^^;
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こんばんは、10月です。
先日、卒業生の子たちと花火を見に行った帰りの車の中で、「腐女子」という言葉が話題に上りました。
この言葉をご存じの方も多いのかもしれませんが、ぼくはよくわかっていなかったため、その子たちに説明を求めると、
「腐女子」=「ボーイズ・ラブを好む女子」
という説明をされました。さらに、「ボーイズ・ラブ」って何?と聞いたところ、男の子同士の愛のことだ・・・と説明されました(^^;
さて、「男の子同士の愛」というと・・・ぼくは、ホモセクシャルという恋愛形態を思い浮かべてしまったのですが、彼女たちの話を聞いていると、どうも、ちょっとちがう雰囲気のお話のようでした(^^;
(ちなみに、そのとき一緒に行った子たちは、一人残らず「腐女子」だとのことでした(^^;)
ここからは、話を聞いた後での、ぼくの勝手な想像ですが・・・
何というか、この、「ボーイズ・ラブ」というカテゴリーは、ある種の非現実感を伴い、そのことによって彼女たち自身が揺さぶられることから自分を守ることができ、そのことで逆に安心して何らかの欲求(だけ)を満たすことができる・・・というしかけになっているような気がしました。
おそらく、「現実的」「リアル」なものであるほど、同時にたくさんのチャンネルを通して自分の中の何かが揺さぶりをかけられてしまう・・・ような気がします。
逆に、ある特定のチャンネルからのメッセージだけが自分の中に入ってくるときほど、何か、バーチャルなものに近づいていくような気がします。
おそらく、自分の中で扱いやすいのは後者のほうだという気もしますが・・・たぶん、後者だけだと、つまらなくなってしまうような気もします(^^;
そういえば、ここのところ、フジテレビで『ライフ』といういじめをテーマにしたドラマが放送されていますが、途中から見始めたためか、いまいち、入り込めない感じがあります。
そうして、ドラマに入り込めないままに見ていると、登場人物の言動が、ひとつひとつ引っかかってしまい、さらに入り込めなくなってしまう気がします(^^;
・・・それでも、先週の放送の後半で、ちょっと真に迫っていたかな?と思って見た一幕がありました。
平岡先生(酒井美紀)が安西愛海(福田沙紀)の家に行き、愛海の父親に「いじめをしていたのは愛海さんのほう」と言い放って父親を怒らせてしまう場面があります。
そうして平岡は愛海の家から帰るところで、愛海に言います。
「勇気を出して、本当のことを話して!!あなたがいじめをするのは、寂しいからなんじゃないの?」
・・・ちょっと、このせりふだけを取り出してもわかりにくいかもしれませんが、このドラマの中で、平岡先生という人は、(ぼくの目には)かなりのKYのかた・・・というように映っているんです(^^;
明らかに愛海との関係ができていないところに、そんな言葉をかけても、逆に壁を厚くしちゃうだけでしょう?・・・とか、思って見ていたんですが・・・それに対する愛海の言葉、
「楽しいからですよ・・・」
は、愛海がより頑強な壁をつくったことを示す言葉のように、ぼくには聞こえました。
この後も、もう少しやりとりは続くんですけれども・・・このあたりの、KYの平岡先生と、必死に自分を隠す愛海のやりとりは、ちょっとバーチャルな中にも、見応えがある部分だったなぁ・・・などということを思って見ていました。
さて・・・今日も、相変わらず、書きはじめのあたりと、おしまいの方と、すっかり話がずれています(^^;
でも、メンドーなので、このまま、投稿!!(笑)
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こんばんは、10月です。
さきほど、日テレの「News リアルタイム」という番組を、たまたま見ていました。
番組は、「今日の特集」のコーナーにさしかかったのですが、本日のテーマは、
『徹底検証 怪奇住宅の謎』
というものでした!!!!(喜)
特集のビデオがはじまる前の、アナウンサーの方のお話によると・・・どうも、首都圏の一戸建ての住宅で、かなり前から部屋の中で、いない人の「声」や不思議な「音」が聞こえる・・・という家があるそうなのです。
相談者は家の1階に住んでおり、その部屋の中は、いわゆる「ゴミ屋敷」とでもいうくらい、ゴミが散乱し、足の踏み場も無いほど。(家の2階には友人が同居しており、そちらの部屋は、きれいでした・・・)
番組では、まず最初に、精神科医の先生を連れてお宅を訪ね、相談者のお話を聞きます・・・どうも、その「声」や「音」が聞こえるのが、精神的な理由・・・錯覚や幻聴ではないか、と考えたようです。
しかし、2階に同居している、友人の話を聞いたところ、その友人もまた、不思議な音が聞こえる・・・という話をしたのです。
そこで、番組では、「音」や「声」が実際に起こっているのかもしれないと考え、テレビカメラや高性能マイクを部屋の中に設置し、定点観測をしてみたところ・・・
実際に、その「音」や「人の声らしきもの」がマイクで捕らえられ、さらに部屋の中で撮ったポラロイド写真には、奇妙な光の帯が・・・!!!
番組では、部屋の中のゴミによって「音」が発生しているのではないかと考え、専門の業者に頼んで部屋の中のゴミをすっかりきれいにしてもらいます。
そうして、さっぱりときれいになった部屋。これで「音」も発生しなくなるのかと思いきや・・・
その夜、再度の定点観測を行ったところ・・・ゴミをかたづける前以上の「音」が聞こえ、ポラロイドカメラの写真にはやはり「光」が写り込み・・・定点観測用のカメラの画像に乱れが生じ、きわめつけには、「はぁ・・・」という人の声が・・・!!!!
さあ・・・この番組は、あくまでも「ニュース番組」。この後、最終的に、どうまとめる!!??
・・・と思っていたところ、そのまま特集は、終わりました(^^;
やー、まったく・・・『海辺のカフカ』と呼んじゃうぞ!!!>「News リアルタイム」
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こんばんは。10月です。・・・相変わらず「さびしさ」のことを考えています。
「さびしい」気持ちが強くなっていると、誰かとのつながりを求めたくなりますね。
友人や職場の同僚と飲みに行きたくなります。
誰かとメールしたくなります。
ブログを通してつながりたくなります。
ふと・・・こういう気持ちのときに、誰かを「好き」になるのかな?と思いました(ちなみに、今、フジテレビのドラマ「ファースト・キス」を見ているので、ちょっと頭が毒されているのかもしれませんが・・・笑)
このドラマは、ものすごーくおおざっぱに言うと、病気のためにワガママに育ってしまった美緒(井上真央)が、兄の和樹(伊藤英明)の活躍で恋を見つける・・・というお話のような気がします。
そういう設定のためかもしれませんが、このドラマ、ある一定のパターンがあるような気がしました。つまり、
登場人物の誰かが美緒を傷つけまいとして「ウソ」をつく
↓
しかし美緒は「ウソ」に気づきよけいに傷ついてしまう
↓
さらに、美緒は自分が傷ついていないという「フリ」をするために、周囲をかきまわす(人を傷つけるような言葉を吐く)
↓
お兄ちゃん(伊藤英明)が怒る
↓
美緒も怒る
↓
病院の先生(松雪泰子)に窘められる
↓
みんな反省して、ちょっと素直な気持ちを言葉にして落ち着く
・・・というパターンが隠れている気がするわけです(^^;
ですが、こうやって見てみると、結局、美緒が周囲を傷つけるような言葉を吐くことによって、「ウソ」の連鎖が絶たれて、本当の気持ちが現れてくることになっている気もします。
たぶん、このドラマを見ていて、どこかホッとするのは「優しいウソ」による関係から、「本当の気持ちでぶつかれる」関係へと変わっていけるところなのかもしれません。
もっとも、今日のお話では、「ウソ」というテーマが、ちょっと違った使われ方をしていました。
今日のお話の終わりのあたり・・・主人公である美緒が医師の結城(平岡祐太)に、「ウソのつきかた」を教えるという一幕がありました。
美緒「先生、医者だったらもっとウソがうまくならなきゃ。私がウソのつきかた教えてあげる」
結城「ウソのつきかた?」
美緒「とにかく本当だと思いこむ。自分をだますの」
結城「自分をだます・・・」
美緒「じゃあ、先生、何かウソをついてみて」
結城「・・・ぼくは・・・宇宙人です・・・」
美緒「ダメダメ。そんなんじゃ。ウソはこうやってつくの。・・・私、先生のこと・・・」
うーん・・・ちょっと、抜粋してしまうと、このやりとりの感じが、うまく伝わらないような気もしますね(^^;
ま、いずれにしても、実生活の中では、最後の美緒のセリフのような告白のしかたは・・・相手にどう思われるか心配で、ぼくだったら使えないかなぁ・・・と思いました(笑)
このドラマは、「ウソ」というテーマが、そこかしこに鏤められていて、ちょっと面白いです。(あ、もちろん、ラブストーリー特有の、あまーい感じも好きですけど(^^;)
・・・ちょっと、「さびしさ」から、話がずれてしまいましたね(^^;
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こんばんは、10月です。またまた大変ご無沙汰してしまいました(^^; まだ、こちらのブログを見てくださっている方が、何人かいらっしゃることに感謝しつつ、最近の出来事を少し書きたいと思います(^^;
先日、うちの学校で大掃除兼ワックスがけがありました。
ぼくが勤務している学校では、ワックスがけも生徒たちにさせることになっていて、うちのクラスも放課後の清掃の後、係の生徒2名に残ってもらい、教室のワックスがけをしてもらったのでした。
さて、いつものワックスがけのときには、あまりワックス(液体状のもの)をもらえないのですが、今回は、大盤振る舞いで大量のワックスをもらえたらしく、係の生徒たちは、もらってきたワックスで、なにやら教室の床に絵を描いて楽しんでいました(^^;
生徒が描いたドラえもんです。
ぼくが描いた、ニコニコマークです(^^;
そうして、ワックスがけが終わり、その後、ぼくが職員室でストーブに当たっていると、先ほどまでワックスがけをしていた生徒たちが職員室へ入ってきました。
何か用なのかな?と思っていると、その子たちは、ぼくのわきに並んで、黙ってストーブに当たりはじめました(^^;
さらに、2人のうちの一方の生徒が、うちのクラスの授業に出ている先生のところに、トコトコ・・・と近づいていき、なにやら話しかけ・・・再びストーブのところに戻ってきて、そのうち、二人そろって帰っていったのでした。
・・・いったい、何の用だったのか、さっぱりわからなかったのですが(笑)、その後、話しかけられていた先生が、ぼくのところに寄ってきて、
「あの子たち、あんなに人懐っこい子だとは思いませんでしたよ。」
と言いました。
この言葉を聞いたときに、ぼくは、ふと、映画『風の谷のナウシカ』で、キツネリスがナウシカの指に噛み付く場面を思い出したのでした。
・・・ナウシカはユパと再会したとき、ユパがつれてきたキツネリスに気づきます。
キツネリスは、それまで気絶していたためか非常に怯えていて、ナウシカが手を差し出すと、その指に噛み付いてしまうのです。
しかし、そのとき、ナウシカは、「大丈夫、こわくない。ほらね。」と言って、そのままキツネリスに指を噛まれるがままにするのです。
すると、キツネリスは、ふっと我に帰り(そのように、ぼくには見えました)、自分が噛んだナウシカの指を、手当てするかのようになめ始めるのです・・・
話しかけられていた先生は(どうしてかはわかりませんが)、それまでは「怯えて警戒していた」ときの生徒だけを見ていた・・・それが、今、安心した生徒を目の当たりにして、これまでと違うイメージの生徒に出会った・・・というような気が、ぼくは、してしまったのでした。
ちょっと、話が飛んでいる気もするんですが、このことを考えているとき、一つ、疑問がわいてきました。
指を噛まれたとき、ナウシカは、明らかに、
「痛い・・・」
という表情を、一瞬、浮かべました。
でも、それを、すぐにおさめて、キツネリスに対して、「あなたに危害を加えるつもりはない」というメッセージを送っていたように見えました。
自分自身が、誰かとのかかわりの中で、
「(相手の人から)そのようにされることは辛いけれども、でもそのようにされることを否定したいわけではない」
・・・と感じることがあります。
このようなとき、いつも、
「自分が感じる(辛い)ことを率直に表現したほうがよいのか、それとも『否定したくない』気持ちに沿って行動したほうがよいのか」
というところで、葛藤する気がします。
ぼくの中では、前者のほうが良いような気もしていたんですけれども、今回の出来事を通してナウシカの一幕を思い浮かべたとき、後者でも良いのかな?・・・という気がしてきたのでした。
・・・と、わかりにくい話でスミマセン(^^;
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こんばんは、10月です。昨日は、ココログがメンテナンスのため、記事の投稿も、コメントもできませんでした(;_;) ガッデム!>ココログ
さて、ところで、先日、ヤフーのニュースを見ていたところ、テレビ朝日系で放送されている『仮面ライダー』シリーズの次なるライダーのことが記事になっていました。
見てみると・・・今度のライダーは、オートバイには乗らず、電車で移動するという話ではありませんか!!!
なんて斬新!!!オートバイに乗らない仮面ライダー!? すでに「ライダー」ですらない!!(笑)
ふれこみも「至上最弱のライダー」ということになっているようです(^^;
・・・というわけで、ちょっとお話の内容を予想(妄想)してみました。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
「○○(=ライダーになる人)くん!!!敵が現れたそうよ!!!急ぐわよ!!!」
「ちょっと待って。今、電車の時間を確認するから・・・えーっと、時刻表、時刻表・・・」
「そんな、悠長なこと言ってる場合じゃないわよ!!! ともかく、ここから一番近い駅は・・・お茶の水からJRでいく?それとも新お茶から東京メトロにする?」
「えーっと・・・ちなみに、敵はどこに現れたんだい!?」
「さっき入った情報によると、東京駅で暴れているらしいわ」
「なにっ!?それは大変だ!!!それじゃあ、中央線快速だ!!」
「ちょっと、待って、何かアナウンスしてるわ。・・・えーっと、あら、中央線は運転見合わせらしいわよ!!」
「なにっ!?しかたない、それじゃあ、総武線と山手線で急行だ!!!」
「了解。急がないとね・・・じゃあ、改札通るわよ。」
「ちょっと待って・・・あ!Suica忘れた!!!切符買ってくるからちょっと待ってて!!!」
「も~、Suicaなんて、必需品じゃない!!!早くしてね!」
「OK。急がなければ・・・人々の安心な暮らしを妨げるやつは許してはおけないからね・・・」
(以下、電車の中での会話)
「なんかさぁ、最近、敵、多くない?」
「そうね~・・・けっこう、あちこち引っ張り回されてるもんね・・・もう、電車代だけでも払ってよ!って感じよね~」
「いちおう正義の見方だし、あんまり、お金の話もできないしなぁ・・・」
「ねえ、それはそうと、あそこの女子高生・・・座って化粧をしてるガングロの子、前のおばあちゃんに席をあけてあげればいいと思わない?」
「うーん・・・そうだねー・・・でも、みんな注意しにくいんだろうなぁ・・・」
「もう!!こういうときにこそ、正義の見方の出番でしょ!!」
「えー!?自分がやるの??・・・ちょっと本来の役目とずれてる気がするけど・・・変身とか、したほうが良いのかなぁ?」
「そうね~・・・彼女、強そうだしね~。あなた、そのままだとやられちゃいそうだもんね(笑)」
車内に鳴り響く、変身の金属音・・・
・・・と、こんなお話を想像してしまったのでした・・・(^^;
1月28日(日)の朝8時から、テレビ朝日系でスタートです(^^)
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こんばんは、10月です。
スピリッツに連載されている『美味しんぼ』。ご存じの方も多いかと思います。
ぼくも、かなり昔・・・たぶん、連載がスタートして間もない頃から読んでいたのですが、以前は、マンガの中に書かれている、ちょっとした調理法を真似して、家で料理を作ったりしたこともありました(^^;
最近は、ちょっと、ストーリーに変化がなくなってきたような気もしていたんですが・・・そんな中で、読後感があまり良くなかったお話があったので、そのことについて少し(^^;
少し前に買ったコミック・・・調べてみたところ、96巻でした・・・の中で、あの、岡星さんが、うつ病になってしまうというお話がありました。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
いつの頃からか岡星さんは、訳もなくふさぎ込むことが多くなり、定休日でもないのにお店を休みにしてしまうことがありました。
山岡さんをはじめ、心配した人たちが、岡星さんを病院へ連れて行くと、医師からは「うつ病」と告げられたのです。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
さて、そうして、お話は、岡星さんの「動かなくなった心」を再び動かすために、究極の料理を岡星さんに食べてもらう・・・という展開になるわけなんですが・・・。
山岡さんたちは、元気のない岡星さんを説得して、「究極の料理」なるものを食べさせます。
ちなみに、ぼく自身は、「うつ病」の体験がないので、実際に病気に罹ったとき、どんなことが負担になり、どんなことだと嬉しく感じるのか、想像でしかわからないんですが・・・もし自分のエネルギーがなくなっているのだとしたら、そもそも、そういう場に引っ張り出されること自体がすごく負担で辛いかなぁ・・・なんて思ったのです。
それでもなお、岡星さんは、予想外の調理法の料理を出され、それらを食べながら、いろいろと感じるものはあったようなのですが・・・
ぼくが、この回のお話を読んでいて、もっとも辛かったのは、それらの料理を食べて少し目の輝きが増した(ように見える)岡星さんに対して、その都度、山岡さんが、
「元気出た?」
とか
「良い感じになってきたね」
とか
「心が開いてきたな?」
とか声をかけ、その都度、岡星さんがしょげてしまう・・・ということが何度も繰り返されていたことです。
マンガですから、たぶん、狙ってそのようなストーリー展開にしたのだろうと思うのですが、なんともはや、この回のお話は・・・読んでいて、
「山岡さん!!ちょっと、いい加減に黙っててよ!!!」
と言いたくなりました(^^;
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おはようございます。10月です。
文科省が、補習の時間を発表したことで、ひとまずは一段落した感じの未履修問題ですが、個人的には、いろいろとモヤモヤが残っています。
ぼくが勤務している高校では、かろうじて(笑)・・・本当に「かろうじて」セーフだったのでした。
今、一番、話題になっている「世界史A」は履修させています。「情報」もやってます・・・。
ですが、来年入学してくる生徒たちから、いろいろとカリキュラムを変えることが決定しており、その中では、「理科総合A」(必修科目です)の時間に「化学Ⅰ」を実施しよう・・・という話で、ほぼ決着していたのです。
つまり、未履修問題が、あと1年遅れて発生していたとしたら・・・うちの学校も、すっかり当事者になっていたわけです(^^;
さて、それで・・・先日の、同僚の先生(理科、ぼくよりもずっと年上で化学担当)とぼくとの会話。
「いやー、うちも危なかったですね」(←ぼくです)
「え?うちは、ちゃんとやってるでしょ」(←相手の先生)
「でも、来年は、理科総合で化学をやることになってたじゃないですか」
「うーん・・・でも、そうしないと、化学が終わらないんだよね」
「はあ・・・あれ?もしかして、これだけ問題になっていても、理科総合の時間に化学をやるつもりでいらっしゃるんですか?」
「だって、本当に、化学が終わらないのよ。生徒たちがかわいそうじゃない」
「うーん・・・」
この先生は、うちの高校に転勤して来る前は、進学校にいらした先生なんですが、やりとりを通して、この先生にとっての至上命題は
「化学を終わらせること」
「受験で不利にならないこと」
であって、指導要領とか必履修とかは、二の次なんだな・・・と思いました。
ぼく自身は、これまでに「進学校」と呼ばれる学校に赴任したことがありません。
ですから、あくまでも「聞いた話」でしかないのですが、進学校と呼ばれる学校では、生徒たちの進学率を上げること、有名大学に合格させることが非常に重視されている・・・という話を聞きます。
模擬試験の平均点が下がれば、他の先生から文句を言われる。
前年度の学年よりも、大学合格者数が減れば、その学年は問題視される。
ヘタをすると、教員間での足の引っ張り合いが生じることもある。
・・・と、ぼくと同時期に採用された教員で、進学校へ行った人から、上に書いたような話を聞いたことがあるわけです。
すべての進学校が、このような感じではないにしても、それでもやはり、「大学合格」「センター試験の点数アップ」などが必須である・・・そんな空気の中で、何年間も過ごしてきたら、前述の先生のような考え方になってしまうのは、しかたがないのかも知れない・・・
・・・と思いました。
そんな世界をくぐり抜けてこなかったぼくの目から見ると、「洗脳」されてしまっているだけにも見えてしまうのですが・・・(^^;
えーと、それで、その先生との話は、結局、他の理科の先生たちと「校長先生」に加わっていただいて、その上でどうするかを決めることにしました。
そうしておけば、問題大発生!!の際に、校長先生に「責任」を取っていただいてもいいかな?という気がしますので。
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こんばんは、10月です。
昨日の記事「みのもんたの朝ズバ 」で、ぼくは、この番組を見ていると、なぜか気分が悪くなってきてしまうので、この番組はあまり好きになれない・・・ということを書きました。
この、番組を見ているときに自分の中に湧いてくる不快感は・・・何か、新しいものを生み出そうとしていない、単に、攻撃できる人を攻撃するだけの・・・まさに「イジメ」と同じ構造を持った言葉のように感じてしまうため、そのように感じてしまうのかもしれない、ということを書いたのでした。
また、そのような目で見てみると、ニュース番組によっては、やはり誰かを「責める」だけの言葉を吐いてばかりの「コメンテーター」の方たちもいらして、やっぱり、気分が悪くなってしまうことが多いかも・・・というようなことも思いました。
さて、話は変わりますが、ここのところ少しずつ読んでいる、田口ランディ著『寄る辺なき時代の希望』という本の中で、ランディさんがある方に向けて書いたメールが掲載されていたんですが、その中で、
・・・あなたはマスコミをひとくくりにして、それに対して発言しているけれども、それは誰の耳にも届かないでしょう。大切なのは個人と向き合うことだと思います。そうして信頼関係ができて初めて、協力して物事にあたることができるようになります・・・
というようなことを、ランディさんは書いてらっしゃったんです。
この部分を読んだとき、ぼくの中に、ハッと思い当たることがあり、と同時に、ちょっと複雑な思いが湧いてきてしまったのでした。
というのは、みのもんたさんやコメンテーターの方たちの「言葉」に、「不快」感しか感じられないのは、結局、その方たちは、当事者(話題になっている人たち)との間に、何の「つながり」もなく、それゆえ、彼らが吐く言葉には、みじんの「気配り」も感じられないからなのかもしれない・・・という気がしたわけなんですが、その一方で、それと同じことを、もしかしたら、自分もやっているのではないか?という疑問を抱いてしまったからです。
今、このブログで、みのさんや、コメンテーターの方たちを非難するようなことを書いていますが、ぼく自身は、そのような方たちと、何のつながりもありません(当然ですね(^^;)。
・・・ということは、ここで、こうして書いていることと言うのは、結局は、何も「生み出さない」作業だということになってしまう!!ということに気づいたのでした(^^;
そう言えば、このブログを始めた当初、さくらもどきさん(もと同僚の先生)から、
「ブログで書いてる『言葉』って、誰に向けて書いているのかわからなくて、自分には、とても書けない」
と言われたことがあったのを、ふと、思い出しました。
・・・そんなふうに考えてくると、もしかしたら、コメントをくださった方との「つながり」を通して見えてくるものを大切にしていくしか、何かを生み出せる希望はないのかもしれない・・・というような気がしました。
ここまで読んでくださってありがとうございます。1日1回クリックしていただけると嬉しく思います。どうかよろしくお願いします。→人気blogランキング
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こんばんは、10月です。
ぼくは、これまで、朝のニュース番組は、めざましテレビを見ることがほとんどでした。
この時間帯(7時前後)のニュース番組は、「ズームイン」や、「やじうま」もありますが、なぜか「めざまし」だったのです。
ですが、1・2週間前、たまたま「みのもんたの朝ズバッ!」にチャンネルを合わせたところ、みのもんたさんが、たしか、イジメ問題で、えらく怒っていたんです。
それで・・・そのときの、彼の怒っている言葉を聞いているうちに・・・なんだか、気持ち悪くなってきてしまったんです(^^;
ぼく自身が、学校関係者だからなのかもしれませんが・・・何だか、みのさんの「言葉」が、単に、学校関係者、教育委員会の人たちを、責めて、なじって・・・まさに、そこに「イジメ」の構造が生じているような感じがしてしまったのでした。
もしかすると・・・みのさんの、そのような「言葉」によって、イジメによる被害者の方たちは、気持ちの中に鬱積した何かを発散することができるのかもしれません。
インターネット上で検索をかけてみると、みのさんが「怒る」「吠える」のを見て、「スカッとする」「気持ち良い」というような意見もあることがわかりました。
ですが・・・ぼくは、この番組を見ていて、ともかく、気分が悪くなってしまったんです。
この、気分の悪さは一体なんだろう?と思って、それからずっと、この番組を見てみました(これは、結局、視聴率を上げることにつながってしまったのかも知れませんが(^^;)
それで・・・最終的に自分が感じたのは、みのもんたさんの「言葉」は、結局、「攻撃できる人を攻撃しているだけ」なのではないか?ということでした。
一見、何かを生み出さなければならないというような論調の言葉であっても、それは、何らクリエイティブでない、逆に、多くの人を攻撃して傷つけるだけの言葉のように感じられてしまったのです。
何度も書きますが、このように感じてしまうのは、もしかすると、ぼく自身が「学校関係者」であることと、無関係ではないかも知れません。自分としては、身内可愛さでこのように考えてしまっているのでは「無い」と思っているのですが・・・こればかりは、主観の世界の話なので自信がありません。
さて・・・今週に入って、ぼく自身が感じていた「気分の悪さ」の原因がわかってきた感じがしましたので、また、「めざまし」に戻すことにしました。
その結果、ちょっと、幸せな気分で、朝を過ごせるようになった気がします。
ミーハーなだけかもしれませんが、ぼくにとっては、1日の最初の時間は大切なんだなと、あらためて確認することができました(^^;
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こんばんは、高校教員の10月です。
昨日の『浦島太郎』の記事の続きもあるんですが、今日は、ちょっと別なことを・・・。
ここのところ、学校の問題・・・主としてイジメ問題と、必履修科目の授業を行っていなかったという問題・・・が、世間を賑わせています。
イジメを受けていた生徒が自殺したという事件では、学校側が自殺の原因をイジメと認めないことに対する非難や、教師自らがイジメの原因をつくったということに対する非難が、連日報道されています。
亡くなった生徒の親御さんのやり場のない気持ちを考えると、学校関係者の方でも、そんな四角四面の応対をしなくても・・・という気もしてしまいます。
でも、その一方で、学校関係者の人たちが妙に防衛的な態度に出てしまっているのは、実は、無関係な第三者たちの目(マスコミやマスコミに踊らされる一般の人たち・・・ぼく自身も含めて)が恐いということなのではないかな?という気もしてしまうんです。
ぼくが担任をしているクラスでは、ありがたいことにイジメ問題は発生していません。(・・・というか、そんな気がします。これは単に、ぼく自身が、イジメの存在に気づいていないだけかもしれませんが)
ですが、生徒たちを見ていると、本当に、毎日毎日、生徒と生徒の間で、気持ちがぶつかったり、仲良くなったり、肯定的な感情や否定的な感情が、授業や休み時間の何気ないやりとりの中で飛び交っています。
この中で、否定的な感情を感じた生徒が、「イジメられてる?」と思ってしまったとしたら・・・と、ときどき、ぼく自身が勝手に心配になったりするんですが、生徒の人たちは、何故か、うまい具合に、そういった感情のぶつかり合いも、自分自身で飲み込んだり、友達と相談したりして、うまく消化していってくれています(そんなふうに、ぼくには見えています(^^;)。
さて、それで、結局、何が言いたいかというと、
【イジメがあったか、なかったか】
という問題の捉え方は、あまりにも現実を単純化しすぎてしまっていて、何が起こっていたのかが、逆に、よく見えなくなってしまうように思う・・・ということなんです。
・・・と、この記事を書いているとき、ニュースで、どこかの中学校の生徒が自殺したというニュースが放送されていました。
内容を聞いていると、またも、主題は「イジメがあったか、なかったか」でした。
そのニュースを聞いていて、なんだか、
「またしてもイジメによる自殺だとしたら、大変なことだ(認められない)」
というニュアンスを感じてしまいました。ですが、それは裏を返せば、
「いじめが無かったとしたら、認めるしかない」
というニュアンスにも感じられてしまったのです。
学校側の説明でも、(報道されていたのは)「イジメは無かった」ということばかりでした。生徒が亡くなったことに対する悲しみも、罪責感も、何も述べられていませんでした。
ぼく自身は子どもがいませんので、「子どもを失う」ことが、親にとってどれほど絶大なことなのか・・・想像もつきません。
本当なら、学校の先生たちは、お子さんを亡くされた親御さんの気持ちに対して、できる限りのことを、それこそ全身全霊でやり、また、学校に残された生徒たちに対しても、できるだけ安心して学校生活が送れるように、やるべきことはたくさんあるはずです。
それが・・・なんだか、第三者の介入によって、本当に向き合わなければならない人たち同士が向き合えなくなってしまっている・・・とそんな気がしてしまうのです。
もう少し、外野は、ほっといてあげればいいのに・・・
・・・と考えてしまうのは、ぼく自身も、学校側の人間だからなのかなぁ・・・(^^;
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こんばんは、10月です。
『野ブタ。をプロデュース』に関連する記事ですが、まだまだ続きます(笑)
昨日の記事では、修二と彰が、制服に落書きされた野ブタをサポートする場面について書きましたが、ぼくが、すっかりやられたのは、昨日放送分での一幕です。
・・・修二はこれまで、本当の自分の気持ちを人に伝えない・・・という生き方をしてきていました。みんなから「恋人同士」と思われているマリ子(戸田恵里香)に対しても、自分の気持ちを伝えずに、過ごしてきていたのですが、とうとう、本当の自分の気持ちを彼女(マリ子)に伝えます。
「本当は、オレ、お前のことを好きだったことは1度もないんだ・・・」
この一言が、どれほどまでにマリ子を傷つける言葉であったのかは、修二自身もイヤと言うほどわかっていました。わかっているからこそ、その言葉をマリ子に言うことができなかったのです。
しかし・・・修二は、敢えて、本当の自分の気持ちをマリ子に告げることにしたのでした。
そんな修二を待っていたのは、マリ子を傷つけたことに対する、ものすごい罪悪感と、これまでみんなの人気者でいられた自分が、人から嫌われるのではないか・・・という恐怖でした。
暗くなった公園で一人怯えている修二を、たまたま通りかかった野ブタが見つけます。
「どうしたの」
という野ブタの言葉に、修二は、マリ子にひどいことを言ってしまったこと、明日から憎まれるのではないか、ということを話します。そして、こう言うのです。
「人から嫌われるって・・・コワイよな」
この言葉は・・・「プロデュース役」という、野ブタよりも上位にいた修二が、野ブタと同じ高さに下りてきたことを示す言葉だったと思います。
この言葉を聞いた野ブタは・・・思わず、修二を大切そうに抱きしめてやり、
「・・・大丈夫。誰も嫌いになったりしないから・・・」
と言ってやるのです。
なんでしょうねー?普通、こういう「大丈夫」とか言う言葉って、単なる「気休め」のようにしか思えないんですけれども、この言葉は、ものすごく安心できる言葉になっているような気がしてしまったのでした。
・・・この感覚って、例えば、何かの病気で入院することになったときに、自分が信じている人から、
「大丈夫、大丈夫」
とか言われたときに、感じられる安心感に似ているかなぁ・・・という気がしました(ぼく自身は、そういう体験は、まだありませんが(^^;)。
勝手な想像ですが、この「安心感」というのは、何か、
「病気が大丈夫(=悪くならない)」
という意味ではなく、
「もし、病気が大変だとしても、(どこまでも私が一緒にいてあげるから)大丈夫」
というような意味に感じられます。
このように考えてくると、結局、人間にとって、健康が損なわれたり、最悪、「死」ということは当然怖いことなのですけれども、しかし、そこに誰かがしっかり付いていてくれることによって、その怖さは、かなり減じられるのかもしれない・・・というような気がしました。
さて、この場面(野ブタが修二を抱きしめる場面)は、実を言うと、ぼくの目には、修二の方が野ブタをこの上ないくらい強力にサポートした場面・・・というようにも見えてしまっていました。
うまく説明を書くのが難しいんですが、このとき、ずっと、穴の奥にいた野ブタが、初めて、穴から飛び出してきた・・・ように感じられたからです。
これは、決して、修二自身がやろうとしてやったことではないというのは明らかですが、それでもなお、ぼくは、この一幕には、ものすごくものすごく感激してしまった・・・のでした(;_;)
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こんばんは、10月です。
ここのところ、『野ブタ。をプロデュース』を見た感想に絡めて記事をいくつか書いてきましたが、あといくつか、書きたいことがあり、もう少し続けます(^^;
このドラマを見ていると、いろいろな場面で、登場人物間で非常にすばらしい「サポート」がなされているように感じます。
例えば、野ブタ(堀北真希)が、制服の上着にペンキで「ブス」と落書きされるというイジメを受けてしまう回があります。
修二(亀梨和也)と彰(山下智久)は、野ブタが制服を着られないということを逆手に、彼女を私服で登校させ、オシャレをさせてクラスの中で人気者にしようという計画を立てます。
しかし、この計画を実行するも、いろいろあって、野ブタは、再び「ブス」と落書きされた制服を着て登校することになってしまうのです。
もっとも、そうすること(制服で登校すること)は、野ブタ自身が決意したことではあったのですが、いざ、登校となると、やはり、「ブス」と大きく落書きされた制服に対する周囲の目は気になっているらしく、ビクビクしながら、心細そうに登校してくるのでした。
もし、そんな彼女を「サポート」するのに、
「気にすること無いよ」
とか
「そんな制服、着てこなければ良いんだよ」
と言うのは簡単ですが、これらの言葉は、あまりにも虚しい感じがしてしまいます。
もしかすると、彼女にしてあげられることは何もないのではないか、できることと言ったら、彼女が周囲の冷ややかな視線に堪えられることを祈ることくらいしかないのではないか・・・と、ドラマを見ていたとき、ぼくはそう思っていました。
そのとき、修二と彰が、いつにも増して、はしゃぎまくりながら登校してきました。
そんな彼らのズボンには、大きく、「キザ」「バカ」と落書きがしてあったのです。
ぼくは、思わず、
・・・そうか!そうすれば良いんだ!!
と、心の中で、叫んでいました。
そうして、そんな二人の姿に気づいた野ブタの、二人を見つめる眼差しは・・・自分は独りぼっちじゃない・・・と思えたような安堵感と、自分のためにそんなことをしてくれている修二と彰に対する感謝の気持ちで満たされているように、ぼくには見えました。
人によって、感じ方はいろいろかもしれませんが、もし、自分が野ブタの立場だったとしたら、修二や彰のしてくれたことは、それこそ、涙が出るくらい・・・嬉しいことだったに違いない・・・と思ったのでした。
・・・と、書いていて、以前にも同じような記事を書いたことがあったかな?という気がしてきました。
読み返してみないと、定かではないのですが、たしか、同じようなサポートをしていただいた・・・自分が「赦される」ような、ほっとするような、安心したような感覚を与えていただいたことがあったなぁ・・・という気がしました(^^;
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こんばんは、10月です。
当ブログタイトル「永遠の少年」もちょっと関係のある、サン=テグジュペリ著『星の王子さま』を、お読みになった方は、たくさんいらっしゃるかと思います。
それで、ちょっと、先日、気になるニュースがあったので、ご紹介をば・・・(笑)
本の冒頭、主人公の少年は、
こんな絵を描いて、大人の人に「コワイ?」と尋ねるのですが、大人の人は、「帽子なんてこわくないよ」と答えるのです。
でも、少年は、帽子の絵を描いたわけではない、ということをわかってもらうために、もう一枚、絵を描きます。それがこれ。
少年は、大蛇が、ゾウを飲み込んだ絵を描いていたわけです。
しかし、この絵を見せられた大人は、一言、
「そんなものはどうでも良いから、勉強しなさい」
と言うのです。
まあ、お話のポイントは・・・「オトナはわかってくれない」というお話かと思います(笑)
さて、このお話、単なる「お話」だと思っていたのですが・・・この前、見つけてしまいました。
1ヶ月くらい前の、ヤフーのニュース。
羊を丸飲みしたニシキヘビが、動けなくなって道路にうずくまっていた(?)ところを、捕獲されたそうです。
よく見ると、ヘビの口から、羊さんの頭がちょっぴりのぞいていますね(^^;
『星の王子さま』の主人公の少年・・・彼が描いていた絵は、あながち、アリエナイ話ではなかったわけですね。
ううむ・・・『星の王子さま』、あなどりがたし!と、ちょっと反省したい気分になったのでした(^^;
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こんばんは、10月です。
相変わらず、同じような話題が続きます(笑)
さて、すっかり楽しみになってしまいました『野ブタ。をプロデュース』。第5話では、野ブタ(堀北真希)が、同じクラスの男の子からラブレターをもらい、カップルになるためにデートに出かける・・・というお話でした。
しかし、彼女自身は、手紙をくれた男の子のことが特に「好き」なわけでもないので、デートをすることに積極的ではないのでした。
そんな野ブタに対して、修二(亀梨和也)は、何とかデートをするように説得します。
そして、その結果、彼女はデートに出かけることになります。
しかし、デートには出かけたものの、やっぱり途中でトラブルが発生し、デートは頓挫してしまうのでした。
そうして修二が、再度、野ブタを説得しようとしたとき、彼女は、こう言ったのでした。
「好きじゃない人とつきあうのはいけないことだと思う」
この言葉を聞いていて・・・ぼくは、何か、拒否感というか、聞いていて辛い感じがあまりしない言葉だなぁ・・・と思ったのでした。
つまり、
「私は(その人のことを)好きじゃない」
と言っているのではなく、
「(好きじゃないから)つきあいたくない」
と言うのでもなく、
「好きじゃない人とつきあうのはいけないこと(だと思う)」
と言っているのです。
この辺の言い回しは、まあ、脚本家の方のセンスだと思うんですが、この言葉には、彼女の、自信が無く、(傲慢に)人を拒否することのできない・・・拒否される人の「辛さ」がわかっているだけに、「善悪」という力を借りることでしか「NO」と言えない彼女のキャラクターが、上手に表されているように感じられたわけです。
また、その言葉と同時に、彼女が、デートを引き受けた理由についても、
「いつか学園一の人気者になって、修二に『ありがとう』と言いたいから」
という気持ちが語られましたが、この言葉も、
「学園一の人気者になりたい」
のではなく、
「学園一の人気者になって、修二の期待に応えたい」
のでもなく、
「学園一の人気者になって、修二に『ありがとう』と言いたい」
からだと言うところに、ぼくは、すっかり感服してしまったのです。
こちらの言葉は、最初の言葉(好きじゃない人とつきあうのはいけない)とは対照的ですが、「彼女自身が存在する」ことが前提となった願いになっているように感じられたからです。
つまり、彼女は、「学園一の人気者」という抽象的な存在でもなく、「修二の期待通り」という誰か他の人によって決められてしまうような不安定な存在でもなく、「修二に『ありがとう』と言える」ような自分になりたいというわけです。
最初の方のセリフでは、「自分」を背景に送ってしまうことで、彼女自身が「拒否される辛さ」に対しての共感の深さを示しているように思われましたが、後の方のセリフでは逆に、「意志を持った自分」ということを願いの中に織りこむことで、彼女の「生」に対する安心感・安定感が感じられるような気がしたのでした。
こういう、微妙な言葉の使いまわしで醸し出される、さまざまなニュアンスが、ドラマの登場人物の性格づけを、ものすごく上手に促進しているような気がして・・・たぶん、こういうことも、このドラマが気に入ってしまったポイントの一つなのかもしれません(^^)
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こんばんは、10月です。
このドラマ、たしか、先週くらいから、日テレ系で再放送されていて、たまたま見始めたのですが・・・これが、なかなか、おもしろい!(笑)
いつも「いい人」で「クラスの人気者」を演じ、しかし、本当の自分は決して出そうとしないと桐谷修二(亀梨和也)と、ちょっと(すごく?)変な人の草野彰(山下智久)の二人がいるクラスに、ずっといじめられっ子だった小谷信子(堀北真希)が転校してきます。
それまでの高校生活に何かむなしさを感じていた修二と彰は、いじめられっ子で、何に対しても自信を持てない信子を、学園一の人気者にプロデュースすることを決意します。
毎回、なかなかステキなストーリーが展開するのですが、昨日の放送では、彼らのクラスが文化祭の企画で「お化け屋敷」をやるというお話でした。
お化け屋敷の準備中、モグラのことが話題にのぼり、彰が何気なしに言います。
「モグラってさぁ、いつも土の中で穴を掘って一匹で暮らしてるんだけど、発情期になると、ちゃんと相手を見つけるんだって」
「土の中で、真っ暗な中で、相手に出会えるなんて、奇跡じゃん」
・・・修二がつぶやきます。そして、二人の会話を信子は黙って聞いていました。
さて、いよいよ文化祭当日、期待通り、いろいろと事件が起こるのですが(笑)、何とか無事に、お化け屋敷は成功し、文化祭は終了します。
そして、みんなが帰った後の静まりかえった学校の屋上に、3人だけが残って話をしています。
信子がつぶやきます。
「私って、ずっと一人で、穴を掘ってたんだよね。モグラみたいに・・・。そうしたら、突然、二人が出てきた・・・これから先、また、こんな風に、誰かと出会えたりするのかな・・・もし、そうなら、一人で掘ってるのも悪くないよね」
彰が
「会えると思うよ、いろんな奴と」
と答えます。
そして、その後、修二が言った言葉が、ぼくには、とても印象的でした。
「・・・そうして、いつか、二度と会えなくなるんだよな」
何だか、よくわからないんですが、この修二の言葉を聞いたとき、ふと、昔、大切にしようとしていた人のことを思い出したのでした。
彼女と出会ったとき・・・自分としては、一人で穴を掘っている感じではなかったのですが、でも、出会えたことは、ぼくにとっては、「奇跡」でした。
彼女とは・・・いろいろあって、今はもう連絡の取りようもないのですが・・・なんだか、修二のこの言葉を聞いたときに、二度と会えなくなった彼女のことを思い出して、ちょっと、切なくなったのでした。
たぶん、彼女は、幸せに暮らしていると思うのですが・・・なんだか、さびしいです(;_;)
今日も、話がまとまりませんねー(^^;
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こんばんは,10月です(^^)
さっそく本題ですが,ロテ職人さんのところで紹介されていましたが,NHKの番組での一こま「スプーの絵かき歌」を,見ていて今朝から爆笑していました。
楽しいと言っていいのか,おもしろいと言って良いのか,こわいと言うべきか・・・
まあ,ともかく,一度見てみてください(笑)
うーむ・・・清姫が,あのスプーのような顔だったら,安珍も,死なずにすんだかもしれない・・・(笑)
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こんばんは,10月です。最近めずらしい,「2日連続投稿」です(笑)
さて,昨日の記事『安珍清姫』 の中で,想いを叶えることができず,安珍によって気持ちを踏みにじられた清姫の,「恋慕」と「怒り」の気持ちが「炎」となった・・・というあたりが,何か「夢」のようだった,ということを書きました。
この「夢」を見ているような感覚・・・というのを感じることが多いような気がするんですが・・・例えば,「昔話」や「伝説」もそうですし,精神科医の方が本の中で書かれている統合失調症の方の妄想などについても同じ感覚を抱くことが多々あります。
お読みになった方もいらっしゃるかもしれませんが,中園直樹さんというかたが書かれた『星空マウス』という小説があります。
この小説の主人公の少年は,ずっといじめられて学校生活を送っていた・・・という設定だったのですが,ある時,どこからともなく,自分を導いてくれるような存在の友達が現れ,主人公の少年は自分の足で立って,生きていこうとするようになっていく・・・
・・・というようなお話だったと思うんですが,(ここからは,その物語の秘密をばらしてしまう内容なので,まだ,お読みになっていない方は,小説を読んでから,先に進んでいただいた方が良いのかもしれませんが(^^;),ストーリーの中で現れた「友達」というのは,実は,主人公が自分自身の中で作り出してしまった虚構の人物だったことが,最後に明らかになるんです。
もしかすると,この本を読んで,最初から,この「友達」が,何か,現実味のない,「夢のような」存在・・・だということを,気づきながら,この小説を読まれた方も多いのかなと思いますが,実際,ぼく自身も,この本を読んでいて,「友達」が,どこか,本当はいないような,そんな感じを抱きながら本を読み進めていたのでした。
この,どこか「夢」のような感覚なんですが・・・今回,TVで見た,『安珍清姫』にも,何か,似た香りを感じてしまった・・・というわけなんです。
それは・・・えーと,なんて言うんでしょうかねー・・・例えば,レトルト食品とか,コンビニのお弁当とかは,ある意味,「カンペキ」な料理であり,ものすごくおいしい(ぼくは,おいしいと思ってます(^^;)と思うんですが,それに対して,例えば,素材にあまり手を加えずに作った料理というのは,いろいろな雑味というか,味にまとまりがないというか,野趣あふれるというか・・・
・・・でも,そういうものを食べている時にこそ,自分が「生きている」ことを感じられるし,「現実味」を感じられる・・・という気もしてしまうわけです。
実は,これと同じことを,「小説」と「エッセイ」の間でも感じることが多い気がします。
「小説」は,あるテーマを・・・それは,非常に細やかな感情のひだのようなものでもあるんでしょうけれども・・・それを読者に伝えるために,不純物を取り除いて,もっとも「理想的」なストーリーにして提示される・・・。
それに対して「エッセイ」や「日記」的なものは,どうすれば「テーマ」を伝えられるか,というような計算はそっちのけで,生じた出来事を,「そのまま」の形で伝えてくれる・・・。
・・・ということのために,最近は「エッセイ」などをよく読むようになっているのかな・・・という気がしました。
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こんばんは。10月です。またまた大変ごぶさたしてしまいました(^^;
たしか,三週間前,TVの「まんが日本昔ばなし」で,このお話が放送されていました。
能に『道成寺』という演目があります。
長らく鐘を失っていた道成寺で「鐘供養」が行われることになりました。鐘供養は女人禁制であったのですが,ひとりの白拍子(女芸人)から舞を献じたいという申し出があり,それを認めてしまうのです。
舞の最中,白拍子が「この鐘,恨めしや」とつぶやきます。その途端,鐘が落ち,白拍子はその鐘の中に姿を消してしまいます。
驚いた寺の者たちが鐘を持ち上げると,中から大蛇が現れ,大蛇は炎をはきながら日高川へ姿を消していく・・・
・・・という物語です。
道成寺にどうして鐘が無かったのか,どうして鐘供養が必要となったのか,そして,それが女人禁制なのはどうしてなのか・・・というあたりは,この『安珍清姫』という伝説によって明らかになるのでした。
話が前後しましたが,TVで放送されていた『安珍清姫』のお話です。
* * * * * *
安珍という一人の修行中のお坊さんがありました。
安珍は,熊野大社へお詣りする旅をしていましたが,途中,日が暮れてしまい真砂の庄屋の家に泊めてもらうことになりました。
その夜,庄屋の娘の清姫は,若く美しいお坊さんを一目見て好きになってしまいます。
そうして清姫は,安珍に想いを打ち明け,一緒になって欲しいと頼みます。
しかし,安珍は修行中の身であるということを理由に,熊野詣でを済ませるまで待っていて欲しい,必ず戻ってくるから,と伝え,旅立ったのでした。
しかし,熊野大社に着くやいなや,安珍は,心に迷いがあることを見抜かれてしまいます。そうして,熊野大社の僧侶たちは安珍を教え諭し,安珍は迷いから立ち直ります。
安珍は,清姫に会わないようにと,来た道とは別の道を通って帰ることにします。
約束の日になっても安珍が帰ってこないので,清姫は街道に出て旅人に尋ねていると,ある旅人から,安珍は別な道を通って帰っていったと聞かされます。
それを聞いた清姫は,狂ったようになって安珍を追っていったのでした。
安珍は,日高川を渡ろうとしていたところで,清姫が追いかけてきたことに気づき,日高川の渡しの船頭に,急いで船を出すよう頼みます。
船頭は言われるがままに船を出すのですが,清姫はかまわず日高川に入っていき,そうするうちに,その姿は恐ろしい大蛇へと変わっていきました。そうして,大蛇となった清姫は,炎をはきながら,安珍を追っていったのでした。
安珍は,日高川を渡ると,街道沿いの道成寺というお寺に駆け込み,かくまってくれるよう頼みました。
お寺の中には,釣り鐘の中くらいしか隠れるところがありません。そこで寺の住職は,安珍を鐘の中にかくまい,安珍はその中でお経を唱え始めたのでした。
しかし,お寺の中に釣り鐘を見つけた大蛇は,鐘の周りにぐるぐるに体を巻き付け,恐ろしい赤い炎をはきながら,「にっくき安珍・・・愛しい安珍様・・・」と言い続けました。
そうして,安珍は,大蛇と化した清姫の赤い炎によって焼き殺されてしまったのでした。
* * * * * *
・・・と,なかなか,すさまじいお話ですね(^^;
TVで,このお話を見ていたときに,最初に思ったのは・・・ちょうど「夢」みたいだ・・・ということでした。
というのは,「夢」の中で「炎」は,激しい「感情」(恋・怒りなど)を表すことが多いという話を聞いたことがあり,実際に,まさにそのような気持ちを表しているとしか思えないような夢の話を聞くことが何度かあったからなんですけれども・・・
・・・安珍に恋をし,しかし,その気持ちが裏切られたとわかったとき,清姫の中の「恋」の気持ちと「恨み」の二つの気持ちが,清姫の姿を大蛇に変え,赤い炎をはかせた・・・というのは,変な話ですが,まさに「夢」の文法に沿った物語の展開・・・というような気がしてしまったのでした。
さて,そのように考えていくと,この『安珍清姫』という物語は・・・そもそも安珍が抱いた(描いた?)ファンタジーのような気もしてきたのでした。
つまり,こうです。
修行僧である安珍は,途中,宿泊させてもらった家の娘である清姫に恋心を抱きます。
しかし,自分が修行中であること,また清姫が自分の想いを受け入れてくれるかもわからない等の不安から,安珍は,自分の中に
「清姫は自分を好いてくれている。しかし,自分はそれに応えるわけにはいかない」
というストーリーを作ってしまうのです。
熊野大社の帰り道,安珍の中の,このストーリーは少しずつ力を持ち始めます。
・・・清姫は自分のことを待っている・・・でも,自分は帰ることはできない・・・清姫はものすごく自分を恨んでいるはずだ・・・もしかしたら,清姫は執念深く自分を追ってくるかもしれない・・・そうなったら,もう,自分にとっては死ぬほど恐ろしいことになってしまう!!!
・・・というわけです。
もっとも,こんな風に考えていくと,そもそも「清姫に会った」ということですら安珍の願望だったのではないか,という気すらしてきてしまうんですが(^^;
さて,そんなことを感じて,「安珍清姫」の伝説に,どのようなバリエーションが存在しているのか,インターネットで探してみました。
そうすると,このお話には,安珍が修行僧ではなく「山伏」であるバリエーション,またあるお話では安珍はもう一人の高齢の僧侶とともに二人で宿泊するというものがあることがわかりました。また,清姫に関しても,庄屋の一人娘という話と,後家であるという話がありました。
安珍と清姫との間でなされたやりとりに関しても,安珍が断っているのに無理矢理清姫が自分の想いを伝えるもの,安珍も清姫に対して好意を抱いているというもの,それらの中間のもの・・・など,このあたりにもいくつかのバリエーションが存在しているようでした。
しかし,いずれにしても共通しているのは,安珍が,清姫に「もう一度戻ってくると約束させられてしまう」ということ,しかし熊野詣でを済ませたあと,「別な街道を通って帰ろうとした」ことの2点が共通しています。
思うに,安珍が・・・えーとなんと言えば良いのかわかりませんが,もう少し「自我の強さ」を持っていたならば,
(1)最初に泊まった晩に,清姫に対してハッキリと「断る」ことができた
かもしれませんし,
(2)清姫の気持ちを受け入れ,修行をやめる決意をし,熊野詣でをやめる
こともできたかもしれませんし,熊野詣での後でも
(3)清姫に再度会って,自分は修行を続けるとハッキリ告げる
こともできたかもしれません。
結局,これらのどの対応もできずに,問題をすべて「棚上げ」「先送り」にしてしまったことによって,清姫は,大蛇にならざるを得なかった・・・言い方を変えれば,清姫は安珍によって大蛇にされてしまった・・・と言えるのかもしれないなぁ・・・などとも思いました。
・・・と,ここまで考えてきて,ハタと,
自分もまた,たくさんの大蛇を産み出してきたかもしれない(^^;
・・・なんてことを思ったりしました(笑)
重大な注:ぼくは決して若い美しい,安珍のような人ではありません。念のため(笑)
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やっぱり、納得いきませんねー(^^;
えーと、ちょっと見ていない方には、わかりにくいかもしれないんですけれども・・・。番組の一場面の話・・・。
マヤ先生が担任になったクラスは、「宮内くん」という少年が牛耳っていました。
しかし、マヤ先生が、そこでの力関係を引っかき回した末、宮内君は、学校に来なくなり、学校をやめる気になっている・・・と言う話をマヤ先生は聞いたのです。
そのことを聞いた時、マヤ先生は驚いたように、
「・・・どうして、そんな・・・」
と、つぶやいたのですが、そもそも、これが納得いきませんでした(^^;
あれだけ、生徒たちの中で起こっていることに(ドラマの中での他の大人たちに比べて)鋭敏に感じることができていたマヤ先生が、どうして、宮内君の気持ちの動きに対して、これほどまでに楽観的な考えを抱いていたのか・・・。
もし、ぼくが、マヤ先生の立場だったなら、当然、宮内君が、学校に居づらくなってしまうことは想像できたでしょうし、仮に、クラスメートから「学校をやめるつもりらしい」という話を聞いたなら、すぐさま、自分が、クラスという集団に対して与えた影響と、その結果としての宮内君の決断の大きさに圧倒され、おそらくは
「・・・どうして、そんな・・・」
とかいう、お気楽なセリフは出てこなかったのではないか、と思ったわけです(^^;
さらには、宮内君が、大きなダメージを受けて、お母様と一緒に学校に来た帰りに、マヤ先生は、彼に対して、
「他の人は、さんざんイジメておいて、自分がイジメられたら逃げ出すの?」
と、かなり荒っぽい直面化をおこなっていましたねー(笑)
このあたりも、あまりにも、楽観的すぎる感じがして、ぼくは、ものすごく違和感を感じました(^^;
その後は、あまりにも展開が早すぎて、もう、流されるがままでしたが(^^;
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こんばんは、10月です。
2月も、もうすぐ終わりですね。ぼくが勤務している高校でも、卒業式が、ひたひたと(?)迫ってきます。
卒業式が訪れる・・・ということは、ぼくが担任をしているクラスの人たちも、卒業していってしまう(例外がなければ、ですが(笑))、ということなので、まあ、その意味では、なかなか、うれしさびしい感じがあります。
さて、先日、3年生の登校日があったんですが、そのとき、同じ3年生の担任をしている先生から、
「やっぱり、生徒が来るといいですよね」
と話しかけられました。先生たちの中には、生徒たちが自由登校になると気楽になって良い、という話をする方はたくさんいらっしゃるんですが、その先生は逆で、
「何か、生徒が学校に来てくれると、何か、力をもらえるって言うか、元気になるって言うか、そんな感じがするんですよねー」
とのこと。
実のところ、ぼくも同じようなことを感じることはあったんですが、なかなか、同じような気持ちを抱いている先生はいないような気がしていて、誰にも話したことはなかったんですが、その先生の言葉を聞いて、何か、ホッとする思いでした。
* * * * * *
さて、昨日の記事のコメントらんで、ぼちぼちでんなさんから
>この次は「ちょうちょ」でお願いします〈笑
というリクエストをいただいたので、ちょうちょをテーマに「心象風景」を描いていたのですが、何か、以前、うちのクラスの人たちと、いろいろな絵を描いて遊んでいたときのことが思い出され、その時に登場したトト○(またも、伏せ字になってない?笑)の絵を描きたくなってしまい、脈絡なく、登場させてしまいました(^^;
というわけで、脈絡のない、本日の「心象風景」です(笑)
何か、トト○が、悪魔のようになっていますが・・・生徒の記憶の中では、トト○は、こういう生物だったようです(笑)
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こんばんは、10月です。またまた、長いタイトルですみません(^^;
昨日の「前の記事で登場した人たち」という記事に対して、turtleさんから、
いつも、私も10月さんのブログで、好き勝手に(笑)遊ばせていただいていますが、それって、「10月先生の部屋で勝手に食パンを食べる」生徒さんと、何か通じるものがあるのでは…!何か、うまく言えないんですけど、「同じだあ!」って思ったんです。
と、コメントをいただきました。
前の記事の中では、「食パンを勝手に食べられた」ことを、顧問の先生に叱ってもらったように書きましたが・・・
・・・この出来事というのは、そうですね・・・ぼくにとっては、他では絶対に味わうことのできない、うーん、言ってみれば、「自分の存在」を確かめられるような、とっても大切な事件だったのでした。
つまり、こんなに、自分に対して「安心」して、「いたずら」?をしかけてきてくれる・・・こんな風に、誰かに接してもらえることというのが、実は、ぼくの場合、この上ない「喜び」を感じることのような気がするんです。
前の記事で、「のんびりした時間を過ごすことができて、何かに感謝したい」というようなことを書きましたが、これは、そのような「喜び」を感じられる関係を、生徒と作ることができた時間を持てたことに対して「感謝したい」・・・というような意味でした。
実を言うと、教員になって月日が経ち、生徒たちと少しずつ年齢も離れていき、前の記事のようなエピソードも減ってきたなぁ・・・ということを、どこかで感じていました。
これは、やはり、自分が、歳をとったためで・・・生徒との距離が離れていくのはしかたのないことなのかもしれない・・・と、少しさびしく感じている部分でもあったのでした。
ですが、最初に引用した、turtleさんの言葉を読ませていただいて・・・
・・・あぁ・・・そうか、同じだったんだ・・・。
と、思ったんです(;_;)
ふと、マンガ『ヒカルの碁』を思い出しました。
ヒカルと、いつも一緒にいた藤原佐為(幽霊?)は、あるとき突然ヒカルの前から消えてしまいます。
ヒカルは、必死になって佐為をさがしますが、再び、佐為を見つけることはできませんでした。
ヒカルは、自分が「碁を打ちたい」と思うために佐為が消えたと考え、碁を打つことをやめようとします。そうすれば佐為が帰ってくるかも知れないと考えたからです。しかし、佐為は帰ってきませんでした。
あるとき、ヒカルは、やめるつもりの碁を打つことがあったのですが、そのとき・・・自分の打つ手の中に、佐為を発見するのです。
そうしてヒカルは、碁を打つことこそが、唯一の、佐為に会う方法であることに気づくのでした・・・。
ちなみに、ぼくは、何も気づきませんでしたが(笑)、でも、彼女たちがまだ高校生だった頃、自分が持っていた何か・・・それを、自分は「なくしてしまった」と思っていたのですが・・・もしかすると、そうではなかったのかもしれない・・・
・・・と、turtleさんの言葉を通して、感じたのでした。
turtleさん、ありがとう(^^)
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こんばんは、10月です。おかげさまで、風邪の方は、明日くらいに熱が引きそうな感じです(結局、ほぼ1週間かかってしまいました(^^;)。
自分でも気が付かないうちに、りおさんにもうつしてしまっていたようですね(^^;
りおさん!具合の方はどうですか~!?ちゃんと寝てなきゃダメですよ~(笑)
さて、日テレ系で放送されている「爆笑問題のススメ」という番組がありますが、今週は桜沢エリカさんがゲストで出演していらっしゃいました。
話題は、お産についての話しでしたが、番組の中で桜沢さんが、
「出産のために大きな病院にいったんですけど、予約しても診察が5分くらいで、不安が募ってしまったんです。聞きたいことがいっぱいあるのに、不安過ぎて、何を聞いて良いかがわからなかったんですよね」
と話していたんですけれども、この、「不安すぎて何を聞いて良いかわからない」というところを聞いて、以前あるところで出された、カウンセリングの応答の練習問題のことを思い出しました。
* * * * *
一人の心臓疾患の入院患者さんのところに、主治医の先生、他の医師、看護師さんたちが、明日の手術の説明にやってきました。しかし、その患者さんは、自分が受けることになっている手術が、いかに難しい・・・成功率の低いものであるかを知っています。患者さんは、顔面蒼白で、明日手術を受けたら、確実に死ぬのではないかと思っているようです。
医師たちは、丁寧に、一つ一つ、明日の手術について、患者さんに説明します。しかし、患者さんの方では、よけいに不安がり、がくがく震えだし、説明を聞くどころではありません。
そこへ、一人の優秀な心臓外科の医師がやってきて、その患者さんに、一言
「 ※ 」
と言いました。すると、その患者さんは、その医師に抱きついて、涙を流しながら大声をあげて泣き始めたのです。
そうして、しばらくすると患者さんは落ち着きをとりもどし、明日の手術の説明をきくことができるようになりました。
* * * * *
というものです。この「※」の部分で、心臓外科医の人は何と言ったのでしょうか?という問題でした。
もしかすると、この問題をご存じの方もいらっしゃるかもしれません。
そもそも、このような「やりとり」に「正解」や「間違い」は無い、という意見もあるかも知れません。
ですが、この解答を聞いたとき、ぼくとしては、それなりに
「なるほど~(^^;」
と納得してしまったんですが・・・そのときに感じたものが、はじめの方に書いた桜沢エリカさんの話しと、どこかつながるものを感じたので、ふと、書いてみたくなったのでした(^^)
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こんばんは、10月です(^^)
TBS系で放送されている「まんが日本昔ばなし」・・・今夜のお話は『雪女』でした。
たぶん、このお話を知らない方は(ほとんど)いらっしゃらないと思うんですが・・・
* * * * * * * * *
・・・男は、あるとき吹雪の中で、「雪女」に会ってしまいます。
男は必死に、自分を助けてくれるように雪女に頼みます。すると、雪女は「今夜のことを誰にも話さない」という条件で、男を助けてくれたのでした。
一年後のある晩、男の家に一人の女がやってきます。夜も遅かったので、男はその女を一晩泊めてやるのですが、そのことがきっかけで男と女は夫婦となりました。
それから何年かたった、ある雪の晩、男は嫁に言いました。
「実はな、こんな雪の晩、俺は雪女に会ったことがあってな・・・。その雪女というのが、お前にそっくりだった・・・」
そのことを言ったとたん、女はとつぜん、悲しそうな表情になり、
「とうとうしゃべってしまったのね・・・。あれほど約束していたのに・・・」
そう言ったかと思うと、雪女は、もう人間でいることはかなわず、雪女の姿に戻り、
「どうしてしゃべってしまったの・・・私は、ずっとこうして暮らしていたかったのに・・・」
と言い残して、女は吹雪の中に消えていきました・・・。
* * * * * * * * *
というお話でした。
さて、この話を聞いて(見ていて)、男が女に「昔、雪女と会った」という話をしようとしたのは、男が、女に対して「秘密」を持っていたくない・・・もっと、女と一体感を持ちたい・・・という気持ちの現れであるかのように思われました。
つまり、秘密を持っている限りは、その人と自分との間には絶対に越えられない壁がある。もっと一体になるためには、その秘密をも打ち明けて、共有しなければならない・・・
・・・そんな気持ちが、男の中にはあったような気がしました。
そんなふうに考えると、(雪)女が、男に向かって言った言葉、
「今夜のことは誰にも話さないで・・・」
という言葉は・・・実は、自分と男だけで共有する、他の誰にも知られない「秘密」を持ちましょう・・・という提案だったようにも聞こえます。
つまり、「共通の」秘密を持つことで、自分(=雪女)との間に「一体感」を持っていられる・・・そういうしかけになっているような気がしました。
そうだとすると、男と結婚した(雪)女にとって、
(1)男が秘密を話さない→雪女である自分と秘密を共有しているが、妻である自分とは壁がある
(2)男が秘密を話してしまう→妻である自分とは壁がなくなるが、雪女である自分との共有の秘密は破られてしまう
という二重構造が作られていたとも考えられます。
勝手に妄想をふくらませると、雪女は、最初の提案をしたときから、このような二重構造に陥ってしまうことは予想できたのではないか・・・いつの日か、幸せな日々が幻となってしまうこともわかっていたのではないか・・・とそんな気すらしてしまいます。
そもそも「雪女」である自分と、「人間」である男が、夫婦となって幸せになると言うことは、所詮、叶わぬ願いである・・・ということをどこかわかっていて、敢えてあのような、自分と男との間に2重構造ができてしまうような約束を男にさせたのかも・・・と、そんな気もしました。
逆に言うと、本来叶うはずのない願いを実現させるための一つの「賭け」として、男と自分とがある一定の距離よりも近づいてしまわないような規則?ルールを自分に課した・・・というようにも見えるかなぁ・・・などと思いました。
女と夫婦になってからも男は、「雪女」との約束を優先してきた・・・それが、その晩、とうとう、雪女との約束よりも、今、目の前にいる「人間」としての(雪)女との関係の方が優先されてしまった・・・この瞬間、二人はもう一緒に暮らしていくことはできなくなってしまった・・・と言うことだったのかもしれません。
・・・と、ここまで書いてきて、別に、意図したわけではないんですが、昨日の記事で書いた映画「ジョー・ブラックをよろしく」の中での、死に神の立場というのは、この「雪女」とどこか通じるものがある・・・そんな気もしました。
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こんばんは、10月です。
先日、TVで、ブラッドピッド主演の『ジョー・ブラックをよろしく』という映画が放送されていました。
この映画については、5月29日の記事でも、ちょっと触れたことがありましたが、そのときには、恋人役の女性の「表情」が、たくさんの気持ちの入り混じったもののように見えて、そのことに、すごく(ぼくの方としては)こころを揺さぶられる気がした・・・ということを書きました。
今回、また、久しぶりにTVで見たのですが、ちょっとまた、ちがうことを思いました。
場面は、映画の一番最後のあたりで、彼女の父親とともに消えたジョー(ブラピ)が、再び現れ、彼女と言葉を交わすところの話です。
映画を見た方はご存じかと思いますが、それまでのジョーは死に神が憑依していたのですが、一度消えて再び現れたとき、死に神は去り、ジョーは、彼女と出会った頃(死に神が憑依する前)のジョーに戻っていたのです。
彼女は、それまで愛していた、ジョーの中にいた何者か(=死に神)がいなくなっていることを察しますが、あえてそのことには触れずに、初めて会ったときのジョーが戻ってきたことを喜びつつ、こう言います。
「あなたを、父に会わせたかった・・・」
ジョーは、死に神に憑依されていた間の記憶が全くないのですが、次のように答えるのです。
「ぼくも、君のお父さんに会いたかった・・・」
さて、ぼくが思ったのは、もし、映画の設定通りのことが起こったとして、もし、自分が、ジョーの立場だったとしたら、上のような言葉を言うことができるだろうか?ということでした。
さしずめ、自分の場合だと、
「父に、会わせたかった・・・」
とか言われたら、
「え?お父さんには会えないの?」
とか
「特に、お父さんに会わせたいというのは、何か理由でもあるの?」
とか聞いて、まあ、その場の雰囲気を、グジャグジャにしてしまうこと請け合いです(笑)
もし、自分が、映画の中のジョーのように、
「ぼくも、君のお父さんに会いたかった・・・」
と答えるには、彼女からのどういうメッセージを受信しなければならないか?と考えると・・・
・・・たぶん、その言葉を言っているときの、彼女が表している「悲しみ」、お父さんが彼女にとってどれほど大切な存在なのか、彼女のお父さんとはもう会えないという事実・・・
こういったものを、受信して、はじめて、映画の中の言葉が言えるかも知れない・・・
・・・と思うと同時に、そのような「染み込む」ような言葉が言える人間になりたいものだなー・・・と、淡い夢を抱いたりしたのでした(^^;
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おはようございます。早くも体重増加傾向の(笑)10月です。
今朝、何気なしに、テレビ朝日系の「仮面ライダー響鬼(ひびき)」を見ていたのですが、その中で、響鬼さん(主人公?)が、
「オレは、鬼になる修行をするのに、師匠がいなかったから」
と話している場面がありました。
ちょっと、この言葉を聞いたときに・・・何というか、「修行」という、自分をかけて何かを形作っていくことを行うときに、それを大きく支えてくれている存在・・・頼れる存在というか、ある意味、自分を委ねられる存在というか、そういう人が不在だったということによる、心許なさ・・・不安感のようなものを(ぼくの方では)感じました。
これは、取りも直さず、ぼく自身の中にある「心許なさ」を感じているのだとは思いますが・・・(^^;
どうも、ぼく自身、自分のことを振り返ってみると、いわゆる、師匠というか、師というか・・・どっぷりその人に浸るというか、任せられた人・・・は、いなかったかもしれないです(^^;
たぶん、これは、そういう人に「出会わなかった」ということではなく、ぼく自身が、誰かに「浸ってしまう」という生き方を知らなかった・・・できなかったため、という気もします。
こうして、無意識に、「人に頼らない」「人に甘えない」というスタンスをとってしまうことは・・・逆に「人の甘えを許容できない」「人に頼らせない」という空気を作り・・・それが、6月26日の記事でも書きましたが、人との距離の遠さを招いているような・・・そんな気がしました。
・・・と、妙に、仮面ライダー響鬼に、親近感を覚えてしまった朝でした(笑)
というわけで(どういうわけだ?笑)、「仮面ライダー響鬼占い」なるものを発見しました。
やってみたところ・・・
10月さんは 天美あきら です!
|
・・・なるほど。ちなみに「あきら」って・・・女の子じゃなかったかな?(笑)
さらに・・・ぼくの心のふるさとは「メキシコ」と出ました( ̄Д ̄;)
こちらです:■仮面ライダー響鬼占い■
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